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週刊READING LIFE vol.121

詩はアート作品と同じ見方で味わえ《週刊READING LIFE vol.121「たとえ話で説明します」》

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2021/03/29/公開
記事:竹内将真(READINGLIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
この記事を読む前にあなたに1つ思い出していただきたいことがある。この『READING LIFE』の記事を読んでいるのだから、きっとあなたは読書家のはずだ。そんな読書家のあなたに1つ質問をしたい。
 
「あなたは最近、詩を読みましたか?」
 
私は詩が嫌いだった。大嫌いだった。なぜあんなにも抽象的なものの答えが1つしかないかのように学ばせるのだろうと学生の時にずっと思っていた。詩というものは数学や理科のように答えが1つも求まるわけではなく、生徒が200人いれば200通りの答えがある。しかし、私が受けていた授業は、その答えがあたかも正解が1つしかないように学ばせられていた。全く異なる200の答えが、内容が似通った200の答えになってしまうのだ。それがどうしても嫌だった。
 
またもう1つ私が詩というものを嫌いだった理由がある。読解力が弱かったのだ。私は行間が読めない人間だったのだ。
 
「はい! この問題分かる人!」
 
教壇に経っている担任の先生は、期待を込めた目をしながら私たちの方を振り返った。その瞳は私たちにとって警察の取り調べを受けているかのような殺気と圧迫感を与えた。
 
今日の授業は「詩」がテーマだった。黒板にはある詩が全面に書き出され、その間に線が引かれたり、重要なところにコメントが書き残してあったりしていた。その中のある一節に線が引かれ、「この部分から読み取れる作者の意図はなんでしょうか?」と書かれていた。今日の取り調べの内容はそれだった。
 
私の内心は「当てないでくれ」の一心だった。とにかく当てないでほしかった。何回読んでもこの部分が何を意図して作られたのか、何を言っているのかわからなかったからだ。答えをさがしているように見せかけて、視線を教科書に落とした。わからない時は先生と目を合わせないということは心得ていた。先生と目を合わせてしまったが最後。皆の前で恥をかくことになるだろう。
 
「じゃあ……今日は3月18日だから……」
 
まさか?! と思った。私の出席番号は「12」だ。「3+1+8」と全部を足し算されたら12になってしまうではないか。心の中で祈るほかなかった。
 
「18番!」
 
体から全ての力が抜けた。よかった回避した。当たったのはいつも一緒に遊んでいる友人だった。彼は「はい」と力なく答え、立ち上がり、用意した答えを述べた。立って発言をしている彼の姿はまるで裁判所の証人喚問のようだった。静寂が広がる教室の中はとても重たい空気が流れていた。
 
「この部分から、僕は作者の母を慈しむ感情を覚えました。まるで仏様が皆を救ってくれるかのような優しさを秘めた部分だと思いました」
 
彼の発言を聞いた私は「どうしてこういう解答を用意できるのだろう」と頭を抱えた。「仏様〜」の部分は彼の家が寺だと言うことを考えればわかる。だが、その前の「母を慈しむ感情」はどこから読み取れるのだろうか。そんなものはその一節から読み取れないではないか。
 
「そうです。この部分からは作者のお母さんに対する心情が読み取れますね」
 
おいおいちょっと待て。あなたは先生だろう。どうしてこうなったくらい教えてくれてもいいじゃないか。なんで皆がわかっていると思って授業を進める。
 
本当に詩というものは嫌いだ。詩の向こうまで読み取れるような力が必要だからだ。私みたいに行間が読めない人にとってはこんなもの苦痛でしかない。早くこの授業が終わって欲しいと思いながら、毎回の授業を耐え忍んでいた。
 
詩というものは書いてある言葉から、想像力を掻き立て、書いていないことまで読み取れるようになってはじめてその全てが味わえるものだと思う。例えば、宮沢賢治の詩「一節の引用」から、彼が育った岩手県の情景が思い浮かんだり、高村光太郎の詩集『智恵子抄』から、彼の智恵子に対する溢れんばかりの愛情を読み取らなければならない。はじめて『智恵子抄』を読んだ時、あまりにも退屈過ぎて数編読んだらすぐ眠気がやってきていたことを今でも思い出せる。
 
小説のようにストーリー性があるわけでもなく、ビジネス書のように仕事で使えるノウハウが書かれているわけでもなく、ただ淡々と数行の字面がならんでいるだけだからだ。美術に興味のない人が作品を適当に見ただけで次へ次へと進んでいくようにページを捲っていた。読み終わった時、この一冊から私は何を得たのだろうというなんとも言えない虚無感が襲ってきたのであった。ただ時間を無駄にしただけではないのかと。
 
しかし、ある本がきっかけで私はもう一度詩に触れてみようと思うようになる。
 
現在、ビジネスにおいてアートに対する評価が上がってきている。正解のないアートの見方や思考を鍛えることによって、これから先の不透明な未来で生き残っていく思考力を身につけようというのだ。
 
だから、アートに関する書籍も多く発売されるようになった。その中の一冊に『13歳からのアート思考』という書籍がある。この本が私をもう一度、詩に触れてみようと思わせてくれたのだった。
 
この書籍はアート作品のような「正解のないもの」に対する自分なりの答えを見つけるために必要な思考法を学ぶことができる書籍だ。
 
なぜ、アートの書籍を読んで詩を再読しようと思ったのか。それはアートの見方と、詩の見方というものは同じだと思ったからだ。アート作品の鑑賞方法はそのまま詩にも応用できると思ったのだ。なぜなら、アート作品も詩も「正解のないもの」だからだ。
 
アート作品を見る時に重要になるのは「問いかけ」だ。今目の前にある絵は一体何を表しているのかという自分なりの答えを問いかけによって見つけ出していく。作品との対話をするのである。
 
”一刻も早くスッキリとしたい気持ちだと思いますが、こういうときこそ、まずは自分の目で作品をよく見る「アウトプット鑑賞」です。
ここまでの授業でだいぶ慣れてきたと思いますので、ここでは「アウトプット鑑賞」をもう一段面白くするための秘訣をご紹介しましょう。作品を見て出てきた「アウトプット」に対して、とてもシンプルな2つの問いかけを自分でぶつけてみるのです。”
 
例えば、私はモネの「作品」が好きなのだが、まずこの絵を見て思ったことを書き出していく。構図や技法などお構いなしに、見て思ったことはなんでも書き出していく。その答えが子供じみたものであっても構わない。書き出されたものがあなたが絵に対して思ったことなのだから、それが正解なのだ。自信を持って書き出していけばいい。
 
書き出しが終わったら、その答えに対して「問い」を投げかけていく。その絵を見て温かい気持ちを抱いたのならば、どの部分から温かさを感じたのか書き出していく。必ずあなたの心が動いた原因があるのだから、それを逃さないように書き留めていく。それがあなたの感性の種であり、心が動いた証でもあるのだ。そして、その問いの答えに対してさらに問いを投げかける。その問いに対して出た答えが、作品に対する自分なりの答えなのである。
 
このようにアート作品に対する自分なりの答えを見つけるためには、その作品をじっくりと観察し、対話をしていかなければならない。
 
このことは詩に対しても同じことが言える。詩もアートと同じ見方で味わうことができると思うのだ。
 
詩というものは、たった数行の字面から作者の心象風景を想起しなければならない。絵や具体的なモチーフが視覚で判断できないのでアート作品の鑑賞より難しい気がするが、やることはその詩と対話をすることだけだ。文面を読んで場面をイメージする。それが春なのか、冬なのか、暑いのか、寒いのかなどなど、様々な場面を考えてみる。そして、そのイメージはどこから浮かんだのか問いを投げかけてみるのだ。第1聯のこの部分から想起しましたとか、「〇〇」という言葉が夏を感じさせるイメージを持っていたのでそのようにイメージしましたとか、読んでいてアンテナが引っかかる場所があると思う。そのところを書き留めていけばいい。そして、その部分に対してさらに問いを投げかけてみる。「そこから私は何を思うのか」と。
 
宮沢賢治の有名な詩に「雨ニモマケズ」というものがある。『雨ニモマケズ』を読んだ時、私は「余命いくばくもない賢治が、病床から窓の外を見ている」というイメージを抱いた(のちにこの賢治の半生を知ったとき、この読み方は合っていたのかもしれないと思った)。結びの「サウイフモノニワタシハナリタイ」という一節が、彼の「もうなれないけれど、生まれ変わったらなりたい」という心の叫びではないのかと思ったからだ。今私は詩で述べたものを1つも持っていないけれど、生まれ変わったらこれらをすべてできるような素晴らしい人になりたいという願いが込められていると思った。
 
そこから、私はこの詩は世間一般で使われている「勇気を出す」という詩ではなく、「般若心経」や「聖歌」などと同じような「祈りを捧げる」ために歌われた詩なのではないかと思った。「来世はこのような人間に生まれたいです」と仏様に祈りを捧げるように、そんな願いを込めて作られた詩なのではないかというのが、私のこの詩に対する答えだった。
 
このように、詩もアートと同じような考え方を使って味わうことができる。詩を目の前にして、あなたは何を感じたのか、どのようなイメージを想起したのか、そこから何を考えたかを自己対話をしていけば自ずと答えは出てくると思う。詩ってどう味わえばいいのかわからない人はぜひこの方法を試してみて欲しい。きっと自分なりの答えを見つけ出すことができると思う。
 
先にも述べたが、これから先の未来は「正解がない不透明な未来だ」。これまでのように公務員や銀行員になれば安泰だとか、貯金をしておけば大丈夫だとか、確定された未来というものはどこにも存在しない。自分で情報を集め、自分の頭で考えて生きていかなければならないのだ。そのために重要になってくるものが、「正解のないものに対する自分なりの答えの見つけ方」なのだと思うのだ。
 
社会に出ると、世の中はこんなにも正解のないものが多いのかと驚く。ある問題があると、仮説を立て、それを検証しながら、丁度いい落とし所まで持っていかなければならない。本を読んだとしても、人に聞いたとしても、アドバイスはもらえるかもしれないが、正解は教えてもらえない。だから私たちは自分なりの仮説を正解だと胸を張って言えるように考え続けなければならないのだ。
 
詩やアートについて考えることはその思考力を身につける練習だと思うのだ。ぜひ詩やアートなどの「正解のないもの」に触れて欲しい。この記事のはじめに「詩を読みましたか?」と問うたが、もし最近詩を読んでないなと思ったらぜひ読んで欲しい。また読んでいる人は、この記事で紹介した味わい方を使ってもう一度詩を味わって欲しい。
 
作品を通して自分なりの答えを見つけ出す練習をして欲しい。最初は難しいかもしれないが、多くの作品に触れていくうちに自分なりの答えが見つかると思う。私もそうだったのだから、これは間違いない。楽しみながらこれからの時代を生き抜く力を見つけていって欲しい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
竹内将真(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県在住。宗教、思想、哲学、アート、詩など、目に見えないものや感性を問うものが好き。大学時代は東洋思想を専攻。また祖母の影響で神社/寺社へ10年以上通い続けている。最近、仏教を学び始め、学習を通して言葉と他者に対する向き合い方を考え続けている。
将来は目に見えないものや感性を刺激するものを多くの人たちに伝えていきたいと思っている。

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2021-03-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.121

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