自己肯定感が低いので、私は与太郎になることにしやした《週刊READING LIFE vol.121「たとえ話で説明します」》
2021/03/29/公開
記事:緒方愛実(READING LIFEライターズ倶楽部)
自己肯定感の高め方
どんな小さな本屋にでもだいたい置いてある、そんな本のタイトル。タイトルに書いていなくても、それらをテーマにした本は、この世に山のようにある。それは、国内のベストセラーだけでなく、海外で人気を博して翻訳されたものもある。世界的権威の心理学の教授だとか、大昔の哲学者が書いた、自己肯定感を高めるメソッドなどが書かれている。昔から、大勢の人々が研究し、未だに話題に上がるということは、不老不死と並ぶくらいに、人間が心身が健康なまま生きるために必要な要素なのかもしれない。同時に、それくらい世界中の人々が悩んでいるのだ。
かく言う私も、自己肯定感を高める、と見聞きすると、ピクリと反応してしまう。それが本当に手に入るのなら、方法が書かれている本がこの世に存在するのならば、なんとしてでも欲しい。実際に、そういったテーマの本も数多く読み、講演会も参加したことがある。
だが、私の自己肯定感は低空飛行のまま、二十代半ばを突き進んだ。
参加した講演会の質疑応答の時間に、私の悩みの解決方法を尋ねた所、有名大学の教授がどもるほどだ。あの何かかわいそうなものを見るような講師陣の絶望的な視線は忘れがたい。
ぜひとも、「治すのは簡単ですよ!」と笑顔で肯定して論破して欲しかったのに。
一気に、その教授への信頼と興味は霧散した。
私は、自分の自己肯定感を、よく、ヒラメに例える。
YouTuberや俳優さんなどの、自分の魅力を知り、それを武器として戦える人々は、人間、戦士に見える。
それに比べ私は、海の奥深く、光のない所に住みながら、さらに砂の中に身を隠す深海魚だ。
最近わかったことだが、私はHSPという気質の人間なのだそうだ。通称「繊細さん」と呼ばれるその気質は、高い感受性と鋭い五感を備えている。視野が広く、敏感な分、ひどく傷つきやすい。何か大小関わらず事件が起こると、他人ではなく、まず、自分を責める。感受性豊かな分、刺激と情報が多い現代社会では非常に生きづらさを抱いている人々。心理テストでの診断、知人の心理カウンセラーに相談すると、間違いなく私は高度のHSPだと言うことだ。
それを聞いた瞬間、私は絶望よりも、何かが心にストンと落ちておさまった。
なるほど、だから、私は、色んな刺激から身を守るためにヒラメのように生きてきたのだと。
目立つことをするような、自己顕示欲の強い人間は、周囲から攻撃される。
特に、私が生まれた九州のど田舎ならなおさら。
女の子は、親にも教師にも、周囲の人々にも逆らってはいけない。
にこにこ黙って、首は縦に振って、慎ましやかに大人しく。
その方が波風立てずに、平和に生きていけるのだ。
だが、そう心に思いながら、私は、知らず歯を食いしばっていた。虎視眈々と、機会を狙っていたのだ。
高校卒業後、とうとう私は爆発した。
両親の制止を振り切って、自分の力と貯金で、短期大学、専門学校のそれぞれを修了。卒業後は、興味のあることは、どんどん首を突っ込んで、野心を満たすためなら国内だけでなく、ドイツなどにも飛んで行った。
無鉄砲の無敵状態だ。
さまざまなバックボーンを持つ人々に出会い、知識と技術を手に入れた。
そうすることで、私は、やっと、本当の自分に出会えた気がした。
20代後半にしてやっと、私は自分と向き合うことができたのだ。
ヒラメはやっと、砂から這い出し、ふわりと海の中を舞うマンタに進化した。
だが、どうしても、治らない所がある。
「わぁ、何ですかそれ!? かわいいーーー!」
ある日の、弊社でのできごと。私は、さまざまな職業を渡り歩き、地元の広告や出版を手掛ける会社に、念願叶って入社した。会社にしては珍しく、弊社は、土禁。玄関で靴を脱ぎ、スリッパなどに履き替えるルールがある。実家が日本家屋のため、私はスリッパを履く習慣がない。なので、靴下のまま社内を歩き回っている。あいさつを交わした、他部署のAさんとすれ違った瞬間、彼女が歓声を上げた。突然のことに私は目を丸くして、彼女の顔を見つめる。視線を追い、自分の足元を見る。
そこには、足袋のように、指先が二股に分かれた靴下。クリーム色の生地の上に、本物の下駄の用に紅色の鼻緒の柄が描かれている。
何度か履いて来ていた、変わった柄の靴下。それが、たまたま、おしゃれな彼女の琴線に触れたようだ。
「え、なになに?」
かわいい、に反応して、弊社の女性社員がわらわらと湧き出す。広告業を担っているだけあって、ファッションや、流行などに敏感な女性社員が多い。
し、しまった!
後悔してももう遅い。気がつけば囲まれていた。Aさんが、私の足元を指差す。
「見てください、緒方さんの靴下! 下駄みたいなんですよ」
「かわいいーーー!!」
先程の倍の音量の黄色い声の大合唱だ。
「すごいね」
「あ、はい、どうも」
「珍しいデザインだね、和物が好きなの?」
「はぁ、あ、はい」
「いいねぇ~、緒方さんっぽいよ!」
「は、はぁ、左様です、か」
おしゃれ番長たちに取り囲まれ、私は、冷や汗をダラダラ流しながら、視線をウロウロとさまよわせる。
「もっとこんな風な、かわいい格好してきなよ!」
「ひっ、は、はい!」
もう、勘弁してください!!
私は、堪らず、両手で顔を覆った。
冷や汗を流しているくせに、顔は真っ赤。茹でダコだ。
掃除開始のチャイムが鳴り、それぞれの持場に散らばっていくみんなに置き去りにされ、私は、プルプルと羞恥に震える。
私は、褒められること、注目を浴びることにめっぽう弱い。
特に、女性陣の、本気なのだか、お世辞なのだか判別がつかない「かわいいね!」が恐ろしい。
だって、何と返したら良いのか、わからないのだ。
貴重な青春時代を、部活動と勉学、アルバイトに、真面目一直線に費やした私は、ファッション事情に絶望的に疎い。未だに、正解もわからないくらいだ。
なのに、今回のように、手放しで褒められるとパニックになる。
ファッションだけではない。
私自身のこと、特に内面のことを褒められると挙動不審になる。
「やさしいね」
「すごいもの知りだね!」
「もっとその能力活かせばいいのに!」
なぜか、一人ではなく、大勢に一斉に称賛される機会が最近増えた。
囲まれての褒めちぎり集中砲火。
もともと、防御力が低いのに、一斉攻撃されたらひとたまりもないのだ。
私は、それに、為す術もない。不明瞭な言葉を呟きながら、真っ赤な顔で、カクカクとお辞儀する。
目立たず、慎ましく、従順に。抑圧された小さな世界で生きてきた。
私自身のこと、私の努力に気がついて、認めてくれる人なんて、片手に収まるぐらいにしかいなかった。
だから、私の中に、「自分が称賛された時の対処法」というマニュアルはない。
それでも、焦りながらも、周囲の空気を敏感に察知し、溶け込もうとするHSPの気質が働く。
「は、はは、あ、ありがとうございます」
相手に精一杯の笑顔で返す。だが、にっこり、には程遠い。両目は忙しなく泳いでいるし、口端は引きつっている。
それを、みんなが、不思議そうな、どこか、残念そうな顔で見つめる。
いけない、せっかく褒めてくれたのに、相手に気遣わせてしまった!
そんな日は、自宅に帰り、深夜まで布団の中で反省会。羞恥と後悔でのたうち回る日々を送った。
誰か、どうにか、解決策を教えてくれないだろうか。様々な本やTVを見比べ、生真面目に勉強した。
そんな時、私は、ある人物から、生きるヒントを得ることができた。
その人は、日本の古典芸能、落語の世界にいた。
「落語の大きなイベントが開催されることになりました。ぜひ、見にいらしてください」
クライアントさんから、観覧チケットをいただいた。落語、と聞いて、当時の私は、年配の人だけが見る小難しい集まりであると、失礼ながら思っていた。
だが、高座に落語家さんが上がると、世界は一変した。
一人の人間が、複数の人間を演じて、独自の世界を演出する。昔から語り継がれる古典落語から、現代の時事を扱う新作落語まで。同じ話でも、語る人が違えば、まったく違う物語になる。
「落語は宇宙」
師匠、と呼ばれる重鎮の落語家さんは、そう語った。落語に古いも、新しいもないのだ。語る人が居る限り、その世界は無限に広がっていく。
声を出して観覧席で笑い転げたことも、感動して頬に涙が伝ったこともあった。
それを、老若男女大勢のお客さんと、一期一会の出会いの中で、会場が一つになって湧いた。
もう、それ以来、私は落語の虜になった。
さまざまな落語家さんの噺を聞き、本で学ぶ中で、ある登場人物に注目した。
落語は、それぞれ独立した物語が展開するが、中には、お決まりの登場人物が登場するものがある。
例えば、「ご隠居さん」。現代で言う、定年退職された方ぐらいの年齢の、お金持ちの男性。お金と暇を持て余し、好奇心旺盛で、プライドが高い。その力をフルに悪用、いや、活用して、ご近所さんを無意識の内に大騒動に巻き込む、ちょっと危険な人物だ。
「熊さん」または「八っつぁん」は、働き盛りの男性。大工を生業にしていることが多く、江戸っ子気質で人情が厚い。長屋(ながや)に住んでいて、奥さんに尻に敷かれている。お金持ちに憧れと興味があり、お酒好きなせいで、それが元で騒動を起こす。
そして、私が注目している「与太郎(よたろう)」。この登場人物は、庶民の若い男性だ。あまり学を知らない、ちょっとおバカな行動をとることが多い。だが、時として、周囲が驚くような、的を射る言動をズバリ、とする侮れないやつだ。だいたいお金に困っている感じから察するに、定職を持たず、ふらふらしている。だが、なぜだろう、ご近所さんに好かれる、愛されキャラなのだ。時折、彼女がいるような描写もある。
「与太郎」を見つめる内、わかったことがある。
彼は、大変素直なのだ。
「うわぁ、ごちそうだ、ご隠居さん、ありがとうごぜぇやす!」
「おいらに、こんな上等な着物をくれるのかい? ありがてぇ!」
「へへ、そんなに褒められると照れちゃうねぇ。ありがとうねぇ!」
含みのある賛辞にも、食べ物でも、着物でも。彼は、すべて笑顔で、受け取って、すぐにお礼を返すのだ。
事件に巻き込まれても、自ら飛び込んでも、自分の軸はしっかり持っている。何があっても「与太郎」のまま。
ありのまま、朗らかに。
それが、どうしても憎めなくて。近所のみんなが、つい、手を差し伸べたくなるのだろう。それが、「与太郎」の愛されキャラの秘訣だ。
笑顔でお礼を言われて、悪い気がする人はいない。
私も、「与太郎」になれないだろうか。
思い立ったが吉日。早速、試して見ることにした。
同僚にファッションで褒められた時。
「そのイヤリング、かわいいですね!」
「本当ですかい? へへ、ちょっと気張ってみやした、ありがとうごぜぇやす」
友達と女子会をした時。
「はい、誕生日プレゼント! まなさんに似合うと思って」
「あっしにこんな上等な物を!? なんて、こった、ありがとうごぜぇやす!」
気を許した先輩に本を貸した時。
「貸してくれた本、すごいおもしろかったよ! 流石のチョイスだね」
「そんな、あっしにもったいないお言葉。よろこんでいただけて幸いでやんす」
事実、ありのまま、私はこのような言動を行った。
流石に、上司や見知らぬ人には、行っていない。私のことを良く知っていて、冗談の通じる人を選んでの行動だ。
怪しい江戸弁で頭をヘコヘコ下げる私のおバカな受け答えに、みんな声を出して笑っていた。中には、過呼吸になるほど、笑った人もいた。私が、いつも気負っていることを知っていたので理解してくれた。
本気半分、おふざけ半分。
それでも、その中に包んだ「ありがとう」は相手に届いた。
「緒方さんといると楽しいよね!」
「へぇ、そんなもったいのねぇ、お言葉をあっしにかけてくださる? なんて、ありがてぇんだ」
「んふふっ、でた、緒方さんの三下(さんした)!」
三下、江戸時代劇や昔の映画に登場する、身分が低く、腰の低い小間使いのような役回りの手下(てした)のことだ。
違うんだ、「与太郎」なんだよ。
そう内心思いつつも反論しない。みんなは、落語を見ないので彼のことを知らないのだ。
だが、三下も、弱いキャラなのに、似たようなセオリーと口調で良く登場し、こうやって印象に刻まれているのなら、愛されキャラなのかもしれない。
それなら、まぁ、良しとする。
私は、「与太郎」をおもしろおかしく演じる内に、少しづつ、褒められ耐性がついて来たようだ。未だに、赤面してしまうが、きちんと、相手の言葉を受け止めて、返すことができる。
「緒方さんって、がんばり屋だよね!」
「へ、へへ、ありがとうございます」
若干、「与太郎」の名残はあるが、何とかにっこり笑える。
「与太郎」は強い。
世の中に色んなことが起こっても、まったくぶれない。
自分の持っている能力で、機転を利かせて問題解決する。まぁ、たまに、失敗したままオチがついてしまうこともあるけれど。
でも、みんな笑顔の大団円。
「与太郎」の周りには、いつだって笑いが起こる。みんなを夢中にさせる引力がある。
ありのままの自分を愛し、周りの人にも感謝を返す。
好奇心のおもむくまま、さまざまなことに首を突っ込み、挑戦する。人の頼みを断らない、Yesマンでもある。人にも頼られるやさしさもあるのだ。
何も持っていないようで、両手に抱えきれないほどの大切な物を持って、知っている。
もしかして、わざと知らない振りをしているのかも。
そうなら、実に狡猾な男だ。
道化を演じて、良しとする。大切なことだけに目を向けて、嫌なことは気にしない。
それも世渡り上手の秘密だったり?
苦笑いをすることと、自分嫌いに辟易したら、「与太郎」になってみてはいかがだろう。
そうしたら、今まで見えていなかった景色、欲しかった自分と出会えるかも。
自分が気づいていなかった魅力ほど、みんなが知っているものだから。
へぇ、こんなあっしを褒めてくださる?
そりゃあ、光栄だねぇ、ありがてぇ、ありがてぇ。
あんたも、とっても、いなせだ(すてきだ)ねぇ! たまには、自分も褒めてやりなよ?
また、どこかで会いやしょう。それじゃぁ、あっしはこれで。
あばよ!
□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県出身。多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォトライター」。カメラ、ドイツ語、占いの他、落語への興味も止まらない。中でも、立川志の輔師匠のハスキーボイスと圧倒的な表現力にお熱。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。
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