週刊READING LIFE vol.122

今日夕食何食べたい?《週刊READING LIFE vol.122「ブレイクスルー」》


2021/04/05/公開
記事:椎名真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
妻は私より一歳年上の姉さん女房。
私は姉さん女房の尻に敷かれるのは全然苦にならない。
どちらかというと、私自ら女房の尻に突進していき、妻の尻に敷かれにいって結婚したようなものだ。
新婚旅行から住む所、乗る車、全て妻の意見通り。結婚当初から家庭に関する決定権を全て妻に明け渡し、私はらくちんだ。
 
結婚して1年。
妻は妊娠を機に仕事を辞めて、専業主婦となった。
元々料理が得意な妻は喜々として家庭料理に没頭した。献立も当然妻が決める。妻が作った料理を私は美味しくいただく。それでよかった。
しかし妻が専業主婦になって3か月後の事。
 
「ねえ、今日夕食、何食べたい?」
と妻。
初めて献立の事で意見を聞かれる私。
「そうだな、昨日焼き魚だったから豚肉が良いかな」
「一昨日、豚肉のソテー食べたじゃない」
「えっ そうだっけ? じゃあ刺身なんてどう?」
「えー 私、今、つわりがひどくて、生魚ダメなのよね」
「じゃあ、何でも良いよ」
「何でも良いは一番困るのよ! 決めてよ!」
最終的に怒られた。
 
困ったな。
妻が決めた献立をただ食べるだけの生活に慣れきっている私。夕食の意見なんか特にない。妻も「つわり」だしイライラしているのだろう。「つわり」が収まればイライラも解消し、後はいつものように勝手に食事を作ってくれるようになる、と鷹をくくっていた。しかし、実際には我が家の「夕食何食べたい問題」はいっこうに収まらなかった。
 
特に土曜日の昼下がりは要注意だ。「今日の夕食、何食べたい?」と高確率で聞かれるのだから。聞いてくる妻の心理を私なりに分析するとこうだ。
「平日は夕食の献立を決めるのは主婦の仕事。しかし、主婦だって休みは必要。土日は主婦を休みたい。だってあなたも休んでいるのだから、主婦も当然土日は休みのはず。百歩譲って夕食を作る事は構わないが、献立くらいはあなたが決めて」
 
そのような妻の心理状況を理解して以来、私は、自衛手段として土曜日の午前中にその日の夕食の献立を考えるのに時間を費やすようになる。魚や良いか、肉が良いか。魚なら、カレイが良いか、アジが良いか。調理法は焼くのが良いのか、煮るのが良いか。副菜はやはり野菜系?ほうれん草のお浸しがなんかはどうだ? みそ汁は豆腐? ごはんは白米、玄米? 熟慮した結果、私なりの夕食ラインナップは決まった。妻よ、勝負だ。
 
「今日の夕食、何食べたい?」
きたな、こちらは準備していた回答をぶつける。
「アジの開きがたべたいな」
今週は肉類の当番回数が多かった。ここは魚を選択するのがベストのはずだ。
「えー、今年はアジが不漁らしく、値段が高いのよ」
意表をつかれた。
アジの市場価格まで頭に入れていなかった。痛恨のミス。ここで強硬にアジを通そうとすると、家計問題に飛び火し、「そもそもあなたの小遣いが高すぎるからアジも買えない」といわれのがオチ。そうしたら私の小遣いはアジ一匹のせいで減らされるかもしれない。ここは作戦変更だ。
「じゃあ、カレイは?」
「カレイをどうするのよ?」
「煮つけとか」
「昨日は肉じゃが、おかずだったじゃない。同じ煮物なら同じような味になるでしょう。そこまで考えて主婦は毎日献立考えているのよ、たまには休ませてよ!」
私が考えた夕食ラインナップは完全に崩壊。こうなってはしようがない。
「わかった! 悪かった! 夕食は駅の前のイタリアンでピザ食べない?」
困った時は駅前のイタリアンにリリーフを頼もう。ここのマルゲリータは絶品。妻も大好物だ。喜ぶ妻を尻目にアジの何倍ものお金が私の財布から消えていったのだった。しかし3年後。駅前のイタリアンよりも強力な助っ人が現れた。当時3歳になった息子だ。
 
「今日の夕食何食べたい?」
と、妻
「カレーライスが食べたい!」
と無邪気な息子。
息子よ、昨日シチューだったぞ。2日連続洋食煮物系は主婦のプライドが許さないはず、と身構える私。
「えー。 康太、昨日シチューよ。同じようなものになるわね」
ほら、そうだろう、私が思った通りの展開だ。
「だけで、ママのカレーライスって、すごく美味しいんだよね」
ここで息子の決め球が妻の胸をえぐる。
「えー。そんな事言われたらうれしくなっちゃう」
と、妻。
かわいい息子の意見と味のバランスとを天秤にかけ、しばし妻は悩む。私に対する態度とはえらい違いだ。熟慮の後、妻が出した最終結論は、
「じゃあ、カレーライスは来週にしましょう。今日はお魚焼いてあげる」
なんだ、息子に意見を言わせれば、休日であろうが妻は喜んで夕食ラインナップを考えてくれるではないか。
これからは息子に意見を言わせよう。これで土曜日の夕食ラインナップを考える事から私は解放される。めでたし、めでたし。
息子が小学生くらいまではそのような感じで、夕食ラインナップは息子の意見を咀嚼して妻が最終決定。私はただそれに従うだけ、というとても平穏な日々が続いたのだった。しかし、息子が中学にあがったころから雲行きがにわかに怪しくなる。
 
「康太、今日の夕食何食べたい」
と、妻。
「なんでも良い。」
と、ふてくされるように答える息子。反抗期か。それでもその態度はいくらなんでもまずいだろう。
「それじゃ、困るのよ」
やっぱり思った通り。妻は少し不機嫌そうだ。
「じゃあ、コンビニの弁当で良いよ」
バカ、そんな事言ったら火に油を注ぐだけじゃないか。
「それじゃ、栄養が偏るじゃない! 私は家族の栄養バランスも考えて・・・・・・」
息子は妻の話を最後まで聞かず、ダイニングから離れ、自分の部屋に行ってしまった。
その態度に怒った妻は
「ちょっと、何あの態度! あなたからも言ってよ!」
と、私にあたってきた。とんだとばっちりだ。
しかし息子は反抗期。しようがない。これで息子にも頼れなくなってしまったな。また、週末の夕食ラインナップを決める係は私に戻ってきてしまうのか。
案の定、次の週からは夕食ラインナップ係は私に戻ってきてしまった。
 
「今日の夕食何食べたい?」
と妻。
私は
「そうだな。肉が良いかな」
と答える。
すると
「一昨日、豚肉のソテーやったよ」
「じゃあ、アジの塩焼き」
「それは、昨日食べたじゃない!」
と、妻は強い口調で言ってきた。
俺だって疲れてだぞ。
 
「じゃあ、何でも良いよ」
こちらもキレ気味にいってしまう。
「何でもよいでは、困るのよ。毎日献立を考えている身にもなってよ!」
この妻の発言に完全に頭にきた私。
「俺だって、平日働き詰めでくたくたなのだ」
「えっ! 何。私だって毎日洗濯、掃除。今年からPTAの役員もさせられて、もうくたくたなのよ!」
毎週末こんな感じでいつも喧嘩だ。やれやれ。これ一生続くのかな。しかし思いがけない所から問題を解決するブレイスルーが私にもたらされたのだった。
 
心理カンセラー養成講座に通い始めたのがきっかけだった。
学生時代に心理学に興味は持っていたが、ついぞ勉強する機会を持つことなく、大学を卒業。社会人になってはや30年が経過していた。しかし自分のサラリーマン人生ももう先が見え始め、子供も手が離れつつある。時間も少し余裕ができた。そこで私は改めて心理学を学ぼうと思ったのだ。
 
心理カウンセラー養成講座の授業。
講師の先生が、
「カウンセリングの最初のステップはクライアントの話を聞く事です。しかし、ただ聞くだけではダメ。カウンセラーたるもの言語的表現のみならず、表情、態度、声の調子、身体動作等の非言語表現をキャッチしてその意味をくみ取らなければなりません。」
 
なるほど、カウンセラーとは大変なものなのだな。言葉だけではなく、表情、態度等の非言語もきちんとみないといけないのだ。
 
その後講師の先生は続けて、
「傾聴のための基本的態度を来談者中心療法で有名なロジャーズは3つ挙げています」
と、続けた。
私もロジャーズくらいは知っている。カウンセリング界の大御所だ。
 
「ロジャーズは第一にカウンセラーは自己一致が必要といっています。自己一致とはカウンセラーは常にクライアントの前では嘘偽りがない状態を言います。嘘偽りがあるカウンセラーに対してクライアントは正直に自分の気持ちを話す事はできるでしょうか?」
私を含めて、生徒全員がうなずく。
 
「第二にロジャーズは無条件の肯定的配慮をあげています。自分が言った事を相手から否定されたり無視されたりした時、皆さんはそれ以上、相手に自分の事を話そうとしますか?」
これも正にその通り。相手の価値基準で自分の言っている事を否定されると二度とその相手と話そうとはしないのは誰にでも経験があるはず。
 
「最後にロジャーズは共感的理解をあげています。クライアントが表現している事、さらに底にある感情についての、正確で共感的な理解がカウンセラーには必要なのです。クライアントの言っている事に関して、カウンセラーとクライアントでズレがある場合、クライアントは十分に理解されているとは感じる事ができず、カウンセリングは進展しないのです」
なるほど、自己一致、無条件の肯定的配慮、共感的理解がプロのカウンセラーでは必要なのだな。
だが、私はプロじゃない。最近カウンセリングを学び始めたアマチュア。使う機会なんて早々ないだろう。しかし、習った事を早々に実践する機会がきた。それはいつものように土曜日の午後。いつもの自宅の会話中だ。
 
「今日の夕食何食べたい」
と妻。
あー、また喧嘩する事になるのだな。いや、ちょっと待て。この前の心理カウンセラー養成講座で習った事を折角だから使ってみようじゃないか。まずは妻の言葉だけではなく、非言語の部分も見てみよう。すると妻の表情から平日、家事に追われて疲れた様子がありありと見て取れた。よし、じゃあ、こう言ってみるか。
「毎日、献立とか考えて、しかもその他の色々な事があって、疲れきっているようだね。そこで僕に夕飯のアイディアをだしてほしいのだね」
早速、妻に自己一致と共感的理解で返答してみる。
 
「そうなの、もう疲れちゃってさ」
おっ、妻がここで弱音を吐くとは。
ここでいつもの私なら、「俺だって、会社でへとへとなのだ。主婦だと上司とかいないし、まだ楽な方じゃないか」と言ってしまっていた。ここは自分の基準を押し付けず、無条件の肯定的配慮で返答してみよう。
「疲れるよね。家事大変だよね」
すると、妻はにっこり笑った。
うまくいったぞ。
続けて妻は
「ありがとう。そう言ってもらえるだけでちょっとは気が晴れたわ。昨日薄切り牛肉が安かったので、買っておいたの。今日の夕食すき焼きでもよい?」
よっしゃ! 結構簡単にいくじゃないか!
その日私達家族は美味しいすき焼きを食べたのだった。妻はもちろん上機嫌。
 
私はその日以来、自分の手帳の表紙の裏に
・自己一致
・無条件の肯定的配慮
・共感的理解
という、3行を書きしるし、毎日見るようにしている。
 
この3行のお陰で、妻を含めた対人関係は随分楽になった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
椎名 真嗣 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。
現在自身のライティングスキルを更に磨くためREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に所属

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2021-04-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.122

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