不可能なスルーをしないのも大人の知恵《週刊READING LIFE vol.122「ブレイクスルー」》
2021/04/05/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
「御無沙汰しています」
昼日中の電話に、私は驚いた。
「いえいえ、こちらこそ不義理を続けて申し訳ない」
咄嗟のことだったので、私は、通り一遍の返答しか出来なかった。
昨年12月、そんな電話を掛けてきたのは、私の元業である麺類製造業界の若手経営者だった。
私が工場を畳む折、それまで納品していた取引先の多くを、その若き経営者に託した。それは、もう7年前のことだった。
狭い業界内において、その若者は特に将来を嘱望されていた。特に、先代が未だ御健在な上、仲の良い弟さんから協力も得られているからだ。
そんな経営者なら、私がこれまで懇意にして頂いていた大切なお得意先様を、これまで以上に大切にして下さると考えていたからだ。
製麵屋にとって年末12月は、繁忙期を通り越して年に一度の佳境期だ。何故なら、年越し蕎麦を製造しなければならないからだ。その製造量は、平時の数十倍に膨れ上がるものだ。この舵取りで製麺屋の経営者は、毎年12月ともなると全く頭が働かなく為るといっても過言ではない状態となる。
そんな時期に、麺類製造会社の経営者からの電話だ。それも、只事ではない雰囲気が、電話口からの声色で察することが出来た。私は、思わず身構えてしまった。
若き経営者は、
「折り入って、山田さんに相談したいことがあるのですよ。御忙しいとは思いますが」
と、恐縮した様に申し出た。状況を察した私は、
「急ぎの話でしょ? 明日は動けないけど、明後日だったら伺えるよ」
と、平静を装って応えた。
今から7年前、私は諸般の事情で半世紀程続いた、家業である製麺工場を閉じた。それに関して、いくつもの理由が有ったが、一つ挙げるとするなら会社の収益が悪化したからだ。時期が悪いことに、丁度、工場の設備を更新しなければならない時だった。機械の耐用年数が、とうに過ぎていたからだ。
機械の更新には手持ちの準備金では足りず、当然、新たな設備資金を借り入れることとなる。別に資金を借り入れる余裕が無かった訳ではない。ただその際、取引先各社の、事業状況を見直してみたのだ。
私の会社の取引先は、街中にある飲食店が多かった。勿論、その方々は、個人経営の店だった。飲食店を営んで、収支が合っているところが無くはない。がしかし、その大半は、経営者の所有物件で家賃が掛からなかったり、経営者が碌に給与を取っていなかったりしているのだった。
こうなると、私の会社が維持させる為に、採算が合っていない取引先の事業継続を手伝っているのと同じだと感じたのだった。
そこで私は、この困難に立ち向かい突破するよりも、立ち向かわない決断をした。
正確には、逃げたのかもしれない。
しかし、無謀・無為な闘いを続けるよりも、死に至らない方策が良しと判断したのだ。
実際、陰で私を蔑む者は居るには居たが、その数は極々僅かで殆どの方々は、
「山田さんの判断なら、間違いないでしょう。手本にさせて頂きます」
と、言って下さった。
私は細心の注意を払い、取引先各社や従業員に迷惑を掛けることなく、工場を閉鎖することが出来た。
「では何故、採算割れしている得意先を他人に押し付けるんだ?」
と、声が上がることだろう。
しかし、事業というものは方向性を変えると状況が変わるものなのだ。実際、多くの得意先への納品を継承してくれた若き経営者は、張り切って受け入れてくれたものだ。
私は、自分に代わって困難を突破する若者を見て、この業界・市場も捨てたモノじゃないと再確認した。
電話から二日後、予定よりも少し早く先方に到着した私は、しばらく遠目に店舗が併設された工場を見ていた。外出時自粛前だからか、昼過ぎにもかかわらずお客さんが一人二人と訪れていた。
「お忙しいところを、有難う御座います」
と、7年前から比べるとだいぶ落ち着いた雰囲気の経営者は、私に対し挨拶してくれた。
「いやいや、気にはなっていたのですが、この時期、先に逃げた者からは連絡し辛くて……」
と、言い訳めいた言葉が、私に口を突いて出た。しかし、これは私の本心だった。
この一年というもの、飲食業が壊滅的となり、元・同業者は苦労していることと馬鹿でも察しが付く状態だったからだ。飲食店が営業していなければ、そこへ納入する製麺業者だって、壊滅的となるのが道理というものだ。
一年前迄は、私の処にも元・同業者から盛んに連絡は来ていた。そこへ来ての新型肺炎禍だ。状況が解っているだけに、外野からは声を掛けるのは憚(はばか)られる。『高みの見物』に為るからだ。
若き経営者からの相談は案の定、今年(2020年)に入ってからの事業採算が悪化していることだった。多分、気心の知れた私になら、既知の見分も有るので気易かったのだろう。実際、書き入れ時の12月に為っても、欠損しそうだとのことだった。
気を決したように彼は、
「そろそろ、ウチも潮時なのでしょうか」
と、直球の質問をしてきた。私は少し間を置いて、
「事業を撤退するしないは、よく相談して、その上で社長たる貴方が決断しないといけない」
と、釘を刺す様に答えた。
そこには理由が有ったからだ。彼には現在も、会長として御健在な御尊父が居る。同じく家業に励んでいる弟さんも居る。血縁者が居ない状態で経営していた私とは、少々事情が違うんのだ。
無論、そのことは若い彼に、余分な精神的負担となっているのは解っていた。
そこで私は、彼の状況を鑑(かんが)み、
「御家族を抱えているから、私の時とは状況違うけど」
と、前置きして、
「困難を突破することは素晴らしいと思うよ。でもな、もし失敗したら誰も助けてはくれないよ。笑い者にはなるけど」
さらに、
「例えばさ、どんなに泳ぎが上手くてもサーフィンの達人であっても、相手が津波なら太刀打ちは出来ないだろ? 雪崩の前をスキーで逃げる者はアホでしかないだろ? 商売で、無理を承知で遣ることなんて一つもないと思うよ」
と、少々冷淡に続けた。『やっぱり』と言いたげな表情に為った彼は、
「では、撤退する際の注意って何ですか? 山田さんは、誰にも迷惑かけなかったじゃないですか。その際の経験を教えて下さい」
と、必死な表情で訴えて来た。私は、
「ちょっと、ちょっと待ってくれ」
と、少し焦った。
「私は何も、廃業の手伝いに来た訳じゃない。さっき言った例だって、最悪を先に想定してしまう私の癖だ」
と、間を置く様に言葉を選んだ。最悪なのは、会社を倒産させてしまうことだ。従業員なら会社の倒産は、最悪でもせいぜい失業止まりだ。
ところが経営者は、会社を倒産させてしまうと大概の場合破産してしまう。結果は、見るも無残な悲惨となる。
私は、自分が家業を撤退する時、会社として倒産するかもしれないと恐れた。倒産させると、取引先各位や従業員やその家族を含めた関係者各位に、多大な迷惑を掛けることが明白だったからだ。
だから、無駄な正面突破を避け、廃業という後退りを選んだ。但しこれは、私一人で判断し決断出来るという、身軽な状況にあったからだ。
相談をしている若い経営者は、何度も言う様に多くの家族親族を抱えている。その分、責任だって私よりずっと重い。
そこでは私は、
「多分、悪い表現に為るけど、喰扶持(くいぶち)が多い分、私の様に廃業をしてしまうと困窮が早まる可能性があると思うよ」
と、わざと悪い言い方をした。直ぐに続けて、
「ただね、考え方によっては、苦闘を続けてくれる同志が揃っている訳だ」
さらに、
「だから、勝てないと解っている闘いをせずに、多少戦線を縮小して持久戦に持ち込むことは可能だよね?」
と、問い掛けてみた。そして以前、彼とよく遊んでいた麻雀を思い出し、
「商売はさ、麻雀と同じだよ。狭い市場では、トップを取らないと生き残れない。特に、場が荒れた時はね」
続けて、
「でもね、荒れている卓も有れば、無風状態の卓も有る。だから、自分が得意とする相手と勝負するに限るよ」
と、たとえ話で伝えようとした。
彼は、
「解った様な、解からない様な」
と、言葉を濁した。
私は、咄嗟に考えたことだからと前置きして、
「私には悔いがあるんだ。それは、困難な壁に最後まで立ち向かう根気が無かったことなんだ。基本、不真面目な人間だからね」
さらに、
「貴方は私と違ってまじめな性格だから、原点に戻ってコツコツと積み上げる努力が出来ると思うんだ」
そして、
「一つだけ自慢させてもらうと、それでも私が賢明な判断をしたと言い切れるのは、立ち塞がる壁に対しこれ以上闘いを挑むことは、致命的なリスクを生む可能性がある。それを察して余力が有るのに撤退する勇気を、私は持ち合わせていたということなんだ」
と、二人を隔てる状況の違いを説明した。
暫く談笑した後、目の前の若き経営者の顔が、少しだけ明るくなった様に見えた。
年が改まって届いた年賀状には、『心機一転、体勢を立て直します』と書いてあった。
私は新年早々、少し安心した。
ブレイクスルーをすることを達成出来れば実に格好いい。
しかし、失敗したら格好悪いでは済まないことも有る。
だから、無謀な突撃を奨励するつもりはない。旧・帝国陸海軍でもあるまいし。
しかし、壁を避け続けることだけでも十分とは言い切れない。
特に、多くの責任や先に長い人生を持つ者には。
「老成するのは、まだまだ先で十分だよ」
元・同業の若い経営者からの年賀状に、私はそう呟いてみた。
□ライターズプロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))
天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
現在、Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックを伝えて好評を頂いている『2020に伝えたい1964』を連載中
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th&39th Season連覇達成
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