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週刊READING LIFE vol.122

顧問の眼と蜃気楼の10年《週刊READING LIFE vol.122「ブレイクスルー」》


2021/04/05/公開
記事:廣瀬千晶(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
「お前、なんでここにいるんだよ」
―――静まり返る体育館。低い声でそう言い、私を睨む顧問がそこにいた。
 
目覚めると朝だった。光が差し込む部屋の中で、私は汗びっしょりになっていた。夢だったのか。中学生の頃の夢だ。当時、私はバレーボール部に所属していた。
 
10年以上前の出来事なのに、バレーボール部の記憶は、人生のいかなるときも私に付きまとってくる。今日だって、なぜバレーボール部の顧問が夢に出てきたのか、私には分かっていた。

 

 

 

中学生の頃の私は、とにかく陰気な生徒だった。口数が少なく友達がいないのは序の口で、趣味は引きこもって漫画を読むことだし、スポーツも嫌いで運動音痴だった。更には自分に自信が無く、黙って多数派の意見を受け入れ、集団の後ろから音もなく付いていくような子供だった。同級生の間では、存在感が無さすぎることによって却って存在感が増すという現象すら引き起こしていた。
 
そんな私が、中学1年生からバレーボール部に入った。仲の良い友達が入部したからだった。自発的な動機では無かった。ただ、私は部活にとある期待を抱いていた。それは、「バレーボール部で活躍すれば、私も”普通”で”まとも”になれるかもしれない」というものだった。
 
今思い返すとおかしな価値観だ。しかし当時の私は素の自分らしさを恥じ、すがるようにバレーボール部にアイデンティティを預けようとしていた。それには訳がある。
 
私の育った家庭は、父親だけの片親家庭だった。父方の祖母が、食事の面倒を見るために同居してくれていた。祖母からは、父がいかに私たち子供のために身を粉にして働いているかを説かれていた。そんな父がいかに立派であるかについても。父は幼いころから勤勉で、スポーツ万能だったらしい。大人になっても変わらずに真面目な父が、祖母には自慢だった。そんな父に迷惑をかけてはいけない。父みたいに真面目でまともになるべし。祖母からはそう言い聞かされていた。
 
他にも影響を受けた先はあるだろうが、主にはこうした環境により、私には目指すべき人物像ができていたのだった。それは、勉強もスポーツもできる、つまり普通でまともな人物だった。私はその人物像と自分自身を比較し、インドア派で友達が少ない自分のことを恥じるようになっていた。
 
バレーボール部に入ったものの、長いこと一人遊びに慣れきっていた内気な私には、体育会系の文化は意味不明なことばかりだった。努力、根性、仲間。その言葉のどれもが身体に染み込むことなくすり抜けていく。「こんなにも理解できない世界があるんだな……」と、カルチャーショックに青ざめていた。
 
バレーボール部の顧問は国語の教師でもあり、非情に厳しい指導で有名な人物だった。彼女は、生徒がごまかそうとする弱さやずるさを、少しも見逃さなかった。生徒には自分の未熟さに気づき、実直に成長してほしいと願っていた。その願いが強すぎるのか、文字通り校内中に響き渡る声で生徒を叱るのが特徴だった。その激しさと言ったら、急に暴風雨に巻き込まれたような、目が回るほどの衝撃なのだ。生徒としては、隠したい自分の欠点を大人から責められるだけでもしんどいのだが、更に大音量の説教を間近で聞き続けなければならない。所かまわず大声で𠮟られるものだから、通り過ぎる生徒から嫌でも注目され晒し者にされる。結果、顧問に𠮟られた生徒は、身体が溶けるほど涙を流すか、灰になったように表情が無くなるのが常だった。そうしながら嵐が去るのをひたすら待つのだ。当然バレーボール部の部員には、ほぼ毎日、顧問の怒りという暴風雨が直撃していた。
 
私にとってもそんな顧問の怒りは恐ろしかったが、それよりも深刻な問題があった。バレーボール以前にスポーツらしい文化に馴染めなかったので、いくら顧問の怒りが炸裂しても、私には顧問の教えが何も理解できなかったのである。他の部員と異なり、顧問の教えを何一つ理解し実践しなかったので、私はバレーボール部に棲む宇宙人のように浮いた存在になっていた。
私が特に理解できなかった教えは、「努力、根性、仲間」の3つである。
 
顧問は「努力すれば報われる」「辛いと思っても根性を振り絞れ」「仲間を信じろ」という趣旨の説教を私にしてくれていた。しかし、私の頭は石が詰まっていたように固かったようで、内心そのどれもに反発していた。
「努力すればできるって言うけど、元々運動神経が良い人を追い抜けるわけがない」
「根性で乗りきれというけど、その根性が湧いてこないんだからしょうがないじゃないか。人生、諦めだって肝心だしもっとスマートなやり方があるじゃないか」
「仲間を大事にしろっていうけど、みんな陰でお互いの悪口を言ってる。どうして仲間だって思えるんだろう」
 
ひねくれて反発するだけで解決方法を考えなかった私は、やる気が起きず練習も休みがちになった。チームメイトとも仲が良くなかった。バレーボールの腕も上がらないし、チームプレイができた試しが無かった。当然、チームメイトからの信頼も無かった。こうしてメキメキと、ひっそり練習に参加するだけの、バレーボール部の宇宙人になっていった。
顧問も段々と、私に説教することは減っていった。暖簾に腕押しだと思ったのかもしれない。しかし、矛盾しているが私は焦っていた。「努力、根性、仲間」が全く理解できない私は、当然だがバレーボール部で活躍できないのである。このままでは、目指していた人物像になれない。
 
焦った私はある日の練習後、顧問に思い切って質問をしてみることにした。
「あのう。サーブってどうやったら上手くなるんですか?」
 
自分から質問すればやる気があるように見えて、顧問も喜んでくれるだろう。どうにか私が活躍できるように色々と教えてくれるかもしれない。当時の私は、厚かましくておめでたくて、非現実的な想定をしていた。褒めてもられるかもしれないとすら思っていた。きっと私の頭上には、ヒモをひっぱったら「おめでとう」という垂れ幕が下がるような、巨大なくす玉が浮いていたに違いない。
 
私のおめでたい想定に反し、顧問はドスのきいた声で言った。
「お前、なんでここにいるんだよ」
 
―――は?
一瞬、私の周りだけブラックホールになったかのように、視界が真っ暗になった。常々「私ってバレーボール部の宇宙人みたい」と思っていたが、まさかブラックホールまで出現するとは思わなかった。
 
なんでここにいるんだよ。その言葉の意味が飲み込めなかった。確かに、なぜ私はここにいるんだろう。バレーボールなんか面白いと思ったことも無い。チームメイトと何か成し遂げたいとも思ってない。挙句、下心がこもった質問をして、顧問に睨まれている始末。
 
体育館は静まり返っていた。傍で自主練習をしていた他の部員達が、私と顧問の様子を見て動きを止めたからだ。みんなが気まずそうにこちらを見ていた。私はいよいよ、自分が何のためにここにいるのか分からなくなった。私の頭の中までブラックホールになったかのようだった。

 

 

 

結局私は、顧問の教えを実践することなくバレーボール部を引退し、中学校を卒業した。しかし、ついに理解できなかった「努力、根性、仲間」という概念と、「なぜここにいるのか」という問いは、私の人生に付きまとうことになる。
 
大学を卒業した私は、とある会社に勤めることになった。入社当初はやる気に満ちていたものの、約1年で退職することになった。それは、「なぜ自分がこの会社にいるのか分からない」という思いで頭がいっぱいになったからだ。
入社当時は、この会社なら私は輝けるかもしれない、そうすれば私は一人前になれるかもしれない、と期待していた。しかし、上手くいかない仕事があると、すぐに心が濁った。本当はこの仕事に何の魅力も感じていないという本音を、ごまかすことができなくなったからだ。だから、困難を乗り越えるために自分をコントロールすることができなかった。先輩から指導してもらったことにも納得がいかず、イヤイヤ仕事を進めることが増えた。その結果ミスも増え、先輩からは指導しがいのない後輩だと敬遠されるようになった。
 
仕事を辞めてアパートに籠りながら、私はひとり自己嫌悪していた。
バレーボール部のときと同じじゃないか。
”まとも”とか”普通”とか”一人前”とか、理想の人物像を掲げてそれに近づこうとしていた。
だから、本心からやりたい仕事を選ばなかった。案の定、一度仕事に不満を持つと、負の感情が抑えられなくなり仕事に向き合えなくなった。
言い訳ばかりで自分の責任も果たせず、他の人へ代わりに重荷を背負わせてしまった。
中学生のあの頃、バレーボール部で何も学ばなかったからこんな大人になってしまったのだろうか。
 
私は何のために存在しているんだろう。少なくとも、”まとも”とか”普通”とか”一人前”など、「自分じゃない誰か」になりたいんだろうか?
 
いや、そうではない。
私はきっと、自分以外の何者でもない、自分という存在になりたいのだ。
自分が持つ力を十二分に伸ばして、誰かの役に立ちたいのだ。
だから、自ら興味のない仕事を選び、自分の能力を伸ばすことも無く人に迷惑をかけて、結果的に居場所が無くなったことを悔いている。
なぜ、自分ではない完璧な誰かになるために会社を選んでしまったのか。
 
そのとき、やっとバレーボール部の顧問の気持ちが分かったような気がした。
「お前、なんでここにいるんだよ」
顧問はきっと、私がなぜバレーボール部にいるのか、本当に分からなかったのだ。バレーボール部にいることで、私がどう成長するつもりでいるのかが分からなかったのだ。
事実、バレーボール部で私がやりたいことは何もなかった。「バレーボール部で目立つことができれば、ダサい自分じゃなくなる気がする」。自分を直視せず、代わりに蜃気楼を追いかけているような動機だけを持っていた。
 
顧問が真に教えたかったことは、汗を流せば何とかなるとか、とにかく人を信頼しろとか、勢いで押し切る精神論では無かった。彼女は本来、私が私らしい人生のサイクルを築くための知恵を授けようとしていた。それが「努力、根性、仲間」だった。
 
なりたい自分があるなら努力しなさい。どうやったらなりたい自分に近づけるか考えて行動しなさい。
それを継続すれば、あなたと似た目標を持った他人が、あなたを信用してくれる。更に、あなたと交流して親しくなってくれるかもしれない。それが仲間である。仲間がいることで、独りでは届かない目標を達成できるときもある。
努力しない人は信用されない。成長のない人も信用されない。だから努力を継続し、成長し続けなくてはならない。辛いときに努力を継続させるのが、あなた自身の心の強さ、つまり根性である。どうしても根性で乗り切れないときは、仲間から力を借りても良いかもしれない。
すると、自分の力を十分に伸ばせているあなたが、仲間と支え合いながら生きていく未来になる。自己実現も、人との交流も手に入れることができる。
 
顧問が私に伝えたかったのは、きっとこうしたサイクルなのだ。社会人になってしばらくしても理解できていなかったが、会社を辞めることにしてからやっと気づくことができた。
 
同時に、この教えが長年私に沁み込まなかった理由も分かった気がした。私はそもそも、なりたい自分を追いかけていなかったのだ。中学生の時も、新卒で働いてからもそうだ。私が追いかけていたのは蜃気楼だった。
「特別な理由は無いし熱い気持ちも無いけど、”まとも”で”一人前”になったほうがいい気がする」
そんな風に、自ら掲げた訳ではないぼんやりした理想を、ぼんやり見つめ続けていた。
 
何となくいつの間にか持っていた理想だから、努力しようという気持ちが自発的に浮かぶことは無かった。何となく走っていれば、そのうち蜃気楼にたどり着くだろう。特別工夫して頑張る必要なんてないじゃないか。つまり、「努力、根性、仲間」というサイクルの最初でつまづいていたのである。
 
会社を辞めた私は、まず本当の本当の自分の本心を探ることにした。本当は、私はどうなりたいのか。どんな自分でありたいのか。どんな力を伸ばしたいのか。
そして、自分にはどんな適性がありそうなのか、プロや友人の手を借りて洗い出した。適性のある力を更に伸ばすためにどんな努力をすればよいのか。努力が継続できなさそうだったら、どう乗り越えればよいのか。
こうして、顧問の教えてくれたサイクルの第一段階に踏み出そうと決心した。もう、素の自分を恥じることはしなかった。短所も長所も本心も、そのまま受け入れることからスタートした。
 
その後転職をしたり、プライベートでも大きな失敗をしたりなど、環境の変化が続いた。しかし、中学生の頃のように、自分自身を見つめることを放棄することは無くなった。自分の本心から選んだ自分の姿に近づこうと、自分の意志で努力をする。すると、自分と似た目標を持つ人々と出会うことができるようになった。簡単に努力を放棄することも無くなっていった。生まれて初めて私は、自分の意志で自分の人生を作っていた。

 

 

 

それでもたまに、逃げ出したいときがある。なりたい自分になるための努力をやめたくなる。ちょっとくらいサボってもいいじゃないか。ちょっとくらい現実逃避してもいいじゃないか。成長がちょっと遅れるだけなんだから。ちょっと他人から信頼を失うだけなんだから。
 
そんなとき、決まってあの夢を見る。
 
「お前、なんでここにいるんだよ」

 

 

 

その一言で、私は正気に戻るのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
廣瀬 千晶(ライターズ倶楽部)

平成初期生まれ。友人がほとんどいない思春期を過ごし、文系大学へ進学。人体の解剖学の本を描き映すこと、川や滝を眺めることが趣味。現在は2Dや3DCGの映像制作を勉強中。

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2021-04-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.122

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