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週刊READING LIFE vol.123

彼の汗のにおいが好きだった《週刊READING LIFE vol.123「怒り・嫉妬・承認欲求」》


2021/04/12/公開
記事:本山 亮音(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※この物語はフィクションです。
 
 
彼の汗のにおいが好きだった。
足の匂いも、アルコールを含んだ息の匂いも。
なのに、どうして……
喉からせり上がる苦い思いは噛み殺すこともできず、舌にじんわり広がり身体へ染み渡る。

 

 

 

大学の頃は恋愛にうつつを抜かしている友人たちをバカにしていたけれど、気付けば人を好きになる感覚をあまり知らないままに大人になってしまった。
付き合った人もいたけれど、3ヶ月と自分の気持ちが持たない。何とか持ちこたえようと頑張ってはみるものの、そこまでして私と一緒にいてくれる人には巡り合わなかった。
 
このまま一人で生きていくのか。
 
転職を数度繰り返したどり着いた今の事務の仕事も、一人で生活を続けるには十分な収入を得ている。子供の頃にテレビドラマで憧れていたOLとは程遠いけれど、アフターファイブをきっちり楽しめるだけの余裕もあるし、大きな不満もない。
 
それでも、周りが見えなくなるほどの恋も、仕事に対する情熱も、追いかけるほどの夢も、なにも持ち合わせていない自分に焦りを感じていないと言えば嘘になる。
 
そうと分かりつつも、一人気ままに生きている今の生活を手放す勇気もなく、今の自分を好きになろうと努力していた。
 
そんな私が運動でも始めて見ようかなと思い始めたのは、膨らみ始めた下っ腹のおかげ。
大学で下手なりにも楽しかったバレーボールのことを思い出し、友人のつてをたどって、思い切って参加してみた。
 
友人に連れられて参加した、男女混合のバレーボールサークルに彼はいた。
初めは「カッコイイ人がいるな」ぐらいにしか思っていなかった。背が高くて、俳優かモデルと言われても信じてしまいそうになる容姿。明らかに20代の肌つや。悪いところが見つからない。
 
経験者の彼は、下手な私の横に来てフォローしてくれた。
東北の出身という彼の話し方はおっとりしていて、いつもニコニコしていた。

 

 

 

次第に彼に惹かれていった。
何より彼の匂いが好きだった。
なぜか彼の汗の匂いだけはかぎ分けることが出来た。

 

 

 

数回目の練習で、彼を鼻で追いかけている自分に気付いてはいた。
自分でも頭がおかしくなったのかと思ったけれど、どうしても匂いだけは自然と漂ってくる。
 
でも、7つも年下と知り、アイドルを追いかけているようなものなのだろうと、自我を保っていた。
 
それに、彼には恋人がいた。
 
サークルの中でもすらっと背が高く、2人ともカメラ映えしそうな2人は誰から見ても理想のカップルだった。
 
私に勝ち目なんてない。
早々に諦めがついていたのは幸いだと自分に言い聞かせて、上手くサークルに溶け込むことに注力した。

 

 

 

半年ほど経った頃、小さなバレーボール大会に、人数合わせで参加することになってしまった。確かに、その日はちょうど6人しかおらず、その中に彼もいた。
 
大会終了後の打ち上げで、彼はよく飲んだ。
もう記憶はないだろうなと、はたから見ても分かる程に酔っていた。アルコールで代謝の上がった彼の体から発せられるからの匂いに、横に座った私は卒倒しそうになりなっていた。
 
しかも、ことあるごとに、振り向き、狭い店内で体や脚が触れ合う。
飲み会が終わり、カラオケでも彼の横でみんなで肩を組んで歌いながら、私は興奮に駆られていた。
一度解散をした帰り道、彼について行きたい衝動を抑え、一人になった地下鉄のホーム。
そこに彼の匂いが近づいてきた。
まさかと思ったけれど、振り返ると彼はすぐそこにいた。
 
彼は逆のホームに立っていたけれど、私を見つけると近づいてきた。
どちらからともなく、大会の話などをしながら、同じ電車に乗った。
 
まだ酔ってはいるけれど、カラオケの途中で記憶が戻ったらしく、気付けば私が横にいて肩を組んでいたのだそうだ。記憶をなくした事のない私には、わからない感覚で、少し残念な感情を抑えながらも、彼の話は興味深かった。

 

 

 

彼女とは別れようと思っている。
彼が言い出しても大して驚きはしなかった。友人からも、そう聞かされていた。
 
でも、彼から直接聞かされた私は思いあがっていた。
 
私の彼氏になりたい……ってこと?
 
うつろな目は私を見据えていた。
電車に乗るころは、一度きりの関係でもいいと期待していた。けれど、降りる頃には欲が出ていた。
 
彼女にしてもらえるのなら……淡い期待が私を決断させた。
 
抱かれるのは彼女と別れてからにして欲しい。
 
もう終電はなかったから、狭い家で横並びになることは仕方がなかったけれど、それでも、それ以上先に進むつもりはなかった。
 
彼は一瞬驚いたように口を開いて、何か言いたそうに見えたけれど、何も言わずに了承してくれた。
大会後で疲れていたこともあるだろう。
私がお風呂から上がると、彼はすでに寝息を立てていた。

 

 

 

アルコールが残った甘い寝息が、脳を直撃する。
 
彼に触れられずにはいられなかった。
彼の頭を軽くなで、額から鼻筋、首筋、肩、胸、のど……
順番に指を這わせ、最後に唇で指を止める。
 
彼には抱かれないと決意したことに後悔はしていない。
けれど、寝息を立てる彼の唇に私の唇を重寝ずにはいられなかった。
 
彼が起きないように。
 
一瞬だけ。
 
唇を話すと、彼の寝息に包まれて、私も眠りについた。
 
まだ彼女とは別れていなかったけれど、それから何度か、彼は遊びに来た。
 
別れるまでは抱かれない。
そのルールを守ってくれた。

 

 

 

友人から、彼女とは別れたらしいと聞いた頃、彼は次第に私にも素っ気なくなっていた。
次第に減っていく彼の返事を追いかける私。
 
「もうそういうの、やめて欲しい」
彼からの一言で、始まることすらない関係に、終止符が打たれた。
 
絶望の淵に立たされた私は何もする気が起こらなかった。
ただひたすら眺め続けるテレビ。
 
そこで放送されている俳優の不倫。
 
私は怒り狂う程の嫉妬をしていた。
その俳優に抱かれた不倫相手に。
 
どうせなら、一度ぐらい彼に抱かれたかった。どうして初めて彼が家に来た夜、私は彼を受け入れなかったのだろう。いつか彼女と別れて一緒になれると思いあがっていたのだろう。
 
たった一度でいい。
彼に抱かれたい。
 
でも、もうそれは叶わない。
画面の向こうの謝罪会見を見ながら、謝らないで欲しいと願った。奥さんや子供には謝っても不倫相手にだけは謝らないで欲しい。
 
その人はあなたに一度でも抱かれたんでしょう?
それならその人も幸せだったじゃない。
私はたったの一度も……
 
歪んだ感情であることは自覚している。自業自得なのもよくわかっている。
 
でも、彼の匂いが脳裏にしみついて、離れない。
どうすれば……彼を嫌いになれるのだろう。
 
それからは地獄の日々が始まった。
何をしていても彼の匂いが消えない。サークルもやめた。
彼を嫌いになることだけを考えて過ごした。
駅に貼られている、酔っ払いが駅員を殴る絵に彼を重ね合わせ、「ざまぁねな」と悪役めいた言葉をつぶやいて、周りをぎょっとさせたこともあった。
 
彼のことを忘れようとすればするほど彼のことを思い出す時間は増えた。
けれど、それでも次第に憎しみへと変わっていく自覚もそこにはあった。

 

 

 

それからは考えないようにと、語学やカメラなど、たくさんの趣味を見つけた。
たまたま海外のポストが1つ空き、留学の経験もあった私に海外へ赴任するチャンスが与えられたのは1年半ほど後のことだった。

 

 

 

海外赴任が決まったころ、突然彼から連絡がきた。
 
どうして今さら……
あんなに嫌いになったはずなのに、
あんなに憎んだはずなのに、
「元気ですか?」とだけ書かれたメッセージに心臓が踊り狂った。

 

 

 

久しぶりに会う彼とは、親しい友人かのように、話をすることが出来た。
 
海外赴任が決まったこと、彼も英語を始めたこと、お互いの趣味、バレーボールを続けているのかなど、他愛のない話が続く。
 
私は彼の匂いを求めていた。
けれど、何故かもう、彼の匂いをかぎ分けることは出来なかった。
 
実は私には新しい彼氏ができたけれど、1年と経たずに別れていた。
彼の匂いに鈍感になったのはそのせいだろうか。
 
彼は彼で、元カノとしばらくグレーの状態が続いていたそうだが、きれいさっぱり別れたそうだ。
 
それを聞いても、もう、彼の匂いは戻ってこなかった。

 

 

 

別れ際、彼は当時のことを話してくれた。仕事が異動で大変だったこと、彼女と別れてしまって動揺していたこと、家族に不幸があったこと。
それと、今は青年海外協力隊の参加を目指していることを話してくれた。
そして、その要因の一つは、私から留学の話を聞いたからだと言う。
 
私の脳裏に彼が家に遊びに来ていた頃、何度か海外の話をしていた頃の光景がよみがえる。
それと同時に、私の鼻が反応した。
 
彼の匂いが漂う。鼻を突き、脳を、身体を、全身を駆け巡る。
 
彼のことを嫌いになんてなれなかった。
 
そこでようやく気が付いた。
嫌いなりたいという感情は好きの裏返しでしかないということに。
これまでもずっとそうだった。頑張って嫌いになろうとする人は、本当は好きすぎてたまらない人だった。それが職場であれ、サークルであれ、学校であれ。
そんな単純なことに、やっと気が付いた。
 
そこには必ずと言っていいほど、匂いがあった。

 

 

 

彼を嫌いになんてなれるはずもなかった。
彼からの承認欲求を満たしてしまった今だからこそ、分かる。
大好きな匂いに包まれた彼にみとめてほしい、ただそれだけだったんだ。
彼に認められ、何より、やっと自分を認めることが出来た。
 
彼を構成する一部に私が組み込まれた気がして、それだけで、今までの私を認められる気がした。
 
彼も私も遠く離れた土地で暮らすことになるだろう。
でも、やっと彼の心に触れられた私は新たな一歩を踏み出すだろう。
そして、今は彼に感謝をしている。もう、道は外さないだろう。
いつかそれを彼に伝える日が来ると信じて、先に出発を控える彼を見送ろう。
 
彼の匂いを最後に嗅ぐのは私でありたいと、いつか伝えられるだろうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
本山 亮音(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

京都生まれ京都育ち。
2020年10月開始のライティング・ゼミを受講。2021年3月よりライターズ倶楽部へ。本作品がフィクション処女作。

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2021-04-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.123

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