週刊READING LIFE vol.123

「怒りという負債」《週刊READING LIFE vol.123「怒り・嫉妬・承認欲求」》


2021/04/12/公開
記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 
2階の窓から外をみていた。
遠くに見えるマンションの窓の灯はもういくつもが消えて数少なくなっていた。
 
涙が溢れていた。悲しいのではない、悔しいのでもない。気持ちが疲れていた。なぜ涙が止まらないのだろう。
 
小学校時代、問題児だった。おしゃべりがすぎて、廊下によく立たされていた。しかし廊下での廊下際の子とおしゃべりしてしまう。
 
「おまえはもう運動場の真ん中にたっていろ!」
 
運動場の真ん中に立たされることがしばしばあった。運動場の真ん中で教室をぼんやり眺めている風景をよく思い出す。
 
忘れ物もなくならないし、宿題もやってこない。優秀な妹たちに引き比べて、勉強も運動も冴えない。先生と親の2者面談では、「明るいのだけが取り柄です」と先生が親にいうのが恒例だった。
 
親や大人たちの評価をどこ吹く風、と気にもしていなかった。と、思っていた。私は私だしと。でもその中には強がりがあった。勉強ができる妹、運動神経がいい同級生、先生に褒められている子。心の中で無意識に自分と比べていた。その底には羨ましさがあった。
 
そんな私が中学2年生のある日を境にガラリと変わった。
それまでは成績は中の中。学年順位の真ん中あたりをいったりきたり。入学当初に入った陸上部は早々に辞めて、帰宅部になっていた私。
 
ある日の数学の授業のことだった。
先生が問題を出した。何人かが手を上げた。その中でひとり、普段なら手を挙げないような男子生徒が手を上げていた。成績もそんなによくない、手もあまり上げない。珍しいなぁ、彼が手を挙げるなんて。今日はなにかあったのかな。私は目の端でそれをみながらぼんやりと考えていた。
 
目ざとく見つけた先生がこう言い放った。
 
「オマエ、手をあげなくてもいいぞ」
 
声にはあざ笑うような響きがあった。
 
「どうせわからないだろう」
 
その言葉を聞いたとたん、身体の血が逆流した。気がつくと手は握りこぶしの形で震えていた。ゆるせない。数学の先生のことはもともと好きではなかった。上から目線でものをいう、生徒を「オマエ」呼ばわりする。私は上から目線でものをみるひとが嫌いだった。
一瞬、あざ笑われた彼と昔の自分がかぶってみえた。できないことをあざ笑う先生が許せなかった。
 
その日から私は突然勉強するようになった。その数学の先生を見返してやりたかった。彼のあざ笑われた仇を取りたかった。でもそれだけではなかったその気持の中に、かつて私を笑った人たちを見返したい気持ちがないまぜになっていた。
 
それから私は毎日の生活を勉強に全フリした。朝起きてから夜寝るまで、食べて寝て、そして学校に行っている以外の時間をすべて勉強に傾けた。
 
それから2回目のテスト。気がつけば学年1位になっていた。勉強ができるようになると、周りからの扱いが変わる。先生たちからも一目置かれるようになる。親も驚きながらも喜んでいるのがわかる。そう、自分が評価されているのがわかる。成績さえ良ければ褒められるのか。成績さえ良ければ、少々のことは不問になるのか。
 
勉強ができることは良いことだ、と思われている。
でもあえていいたい。勉強ができるということはある意味危険だ。それは手軽に承認欲求が満たせるから。わかりやすく人から褒められるようになるから。
 
親子での読書感想文の講座の講師をしている時に、参加した子どもたちに自己紹介で「自分の好きなもの」を話してもらっていた。あるとき、参加した小学生5年生の男の子。自己紹介で立ち上がって嬉しそうに言った。「僕が好きなものは勉強です」隣に座っている母親が誇らしげなのが見て取れる。
 
私は心のなかでつぶやく。
 
「そうか、勉強が好きなんだ。でもね、君が好きなのは勉強の中にあるなにかなんだよ。それをみつけてね。ただの勉強という仕組みの中で自分を見失わないでね」
 
勉強に埋没すると自分を見失う。
勉強の先にやりたいことがある人、純粋に学問が好きな人もいるだろう。でも勉強をする動機が人からの評価を得たい欲求があるのだとしたら、そのことを自覚しておいたほうがいい。
 
医師であり小説家である岡田尊司の本を一時期よく読んでいた。
岡田尊司は東大の哲学科を中退し、京大の医学部卒業した精神科医だ。育ちの中で抱える愛着の障害やそこからくる精神的な病について研究している。
 
岡田尊司の著書『愛着障害~子ども時代を引きずる人々~』の中で印象に残った言葉がある。昔の偉人と言われている人は、自分の親との愛着の形成がうまくいかないことから、強い承認欲求を持っていた。その欲求の強さが、文学であれ何であれ、その偉業を成し遂げる原動力になっていた、と。
 
太宰治は芥川賞を熱望して結局受賞できなかった。2015年に見つかった太宰治の手紙がある。芥川賞の選考委員も務める作家の佐藤春夫氏に対して、切々と芥川賞に選んでほしいと訴える手紙だ。巻物の形で長さ4メートルに及ぶ手紙。ここまで来ると承認欲求があるからこその偉業、というのはありえると思わされる。
 
承認欲求は時にその人を突き動かすエンジンになる。それは同時に、他人軸を自分にあてがっていることになる。そこには自分の軸がない。私が勉強に力を全ふりしたひとつは承認欲求だった。そしてもうひとつは怒り、だった。
 
最初はバカにされた同級生の敵討ちだった。かわりに見返してやる、その怒りを原動力にしていた。校区の端にある自宅までかえるのは徒歩で30分はかかる。学校帰り、足早に家向かいながら、自分を馬鹿にした先生の顔を思い浮かべては、怒りを駆り立てていた。その怒りの中には、いままで私のことを評価しなかった人たちへの恨みも一緒にあることに気がついた。
 
勉強さえできれば、見返してやれる。
 
Twitterで感情貯金という概念を唱えている人のTweetを見かけた。豊かな感情の貯金の蓄えがある人は、他人に対して「謝る」「許す」ができる。逆に感情貯金が小さいと内心に抱えこんだ恨み、怒りの「借りを返してもらう」おうとするという。つまり、怒りや恨みは負債であるという。
 
最初は許せないという気持ちで始まった勉強は、いつしか復讐になり、見返してやろうとする行動になっていた。私は恨みや怒りという増幅させながら、エネルギー源にしていたのだと思う。それは確実に悪循環にはまっていった。感情貯金で言うならば、どんどんと負債が増えていた。私は怒り恨みを負債としてエネルギーに使うことで、確実に自分の大切ななにかをすり減らしていた。
 
中学校3年生の夏休み前、私は円形脱毛症になっていた。500円玉大のものがつむじから右後ろの後頭部にひとつ。10円玉大のものがそのさらに下にひとつ。病院に行くと「勉強のストレスでしょうねぇ」と言われた。
 
勉強部屋は自宅の2階にあった。その窓から向こう側にマンションが見える。そのマンションの灯りをみてわけもなく涙が流れるようになったのはその頃のことだ。
 
怒りで物事を取り組むことは、自分自身を痛めつけることだった。ある日の夜マンションの灯りをみながら思った。これは私の欲しいものではない。もうやめよう、勉強を自分の評価の代わりにするのは。
 
この反動で高校に入学後、一旦全く勉強しなくなった。テスト用紙を白紙でだしてみたこともあるし赤点の連続をとったこともある。あれは今思えば自分のリハビリ時代だった。
 
我が家の子どもたちは塾も習い事もなにもなく育てた。中学卒業して、そのままオーストラリアの州立高校に留学することになった。そのことを耳にした、中学校の校長先生から呼び出しがあった。
 
「高校に入って籍をおいてから留学しても遅くないですよ」
 
「今、オーストラリアの高校に行くと、日本では中卒になりますよ。それでもいいですか?」
 
帰り道の車の中で、上の子が言った。
 
「中卒で上等だよ」
 
その顔が眩しかった。
 
人から承認欲求がなくなることはないだろう。承認欲求にもグラデーションがある。明るい承認欲求と、どす黒く負債を積み上げていく承認欲求と。それぞれ良い悪いではなく、本人が選ぶもの。私はもう二度と、あの負債を積み上げていく承認欲求を選ぶことはないだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青木文子(あおきあやこ)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season、28th season及び30th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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2021-04-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.123

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