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週刊READING LIFE vol.123

好きで病んだんじゃないっ!!!《週刊READING LIFE vol.123「怒り・嫉妬・承認欲求」》


2021/04/12/公開
記事:垣尾成利(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
好きで病んだんじゃないっ!!!

 

 

 

もし、マイクを向けられてインタビューされたとしたら、きっと世の中の全ての人がそう答えるのだと思う。
 
メンタル不調を経験したことがある私も間違いなくそう答える。

 

 

 

好き好んで心を病む人なんて居るわけないだろう?
そんなこと、聞かなくたってわかりそうなものだけれど、実際のところたくさんの人に「あなたは自分で心を病むことを選んだのですか?」とマイクを向けられインタビューを受けたに等しい経験をしてきた。

 

 

 

友人だったり、職場だったり、関わりのあるコミュニティで事情を話せばインタビューは始まってしまう。家族でさえマイクを向けてくるのだから当然なのかもしれない。
 
その背景には一番には心配してくれる気持ちがあり、次に、良くも悪くもどう関われば良いのかを探りたい気持ちが見え隠れするように感じた。

 

 

 

なぜ心を病んでしまったのか?

 

 

 

その答えは簡単そうでいて、実に複雑だ。
とても根深く様々な要素が絡んでいて、当の本人でさえ闇の入口がどこにあったのかなんてわからないくらい、気付いたら心を病んでいた、という場合が多い。
 
もちろん、振り返ってみれば、きっかけはあれだなとわかるのだけれど、それがわかった頃には既に心を病んでいるのだ。
 
まずインタビューを受けるのは病院だ。
治療においては、きっかけを探る必要があるから仕方ない。
 
それは排除可能なものなのか? 排除ではなく受け止め方、考え方を変えなければならないものなのか? 等、原因を見つけなければ治療の方向性が決まらないので、あれこれ聞かれ、思い当たることを話すことになる。
 
私が初めて心療内科を受信した時もそうだった。
 
淡々と質問が続く。
 
何がありましたか?
あなたはどう感じたのですか?
そしてどう対処しましたか?
前からそういう考え方をよくしていましたか?
誰かに相談しましたか?
どうすればよかったと思っていますか?
なぜそうしなかったのですか?
いろいろと聞かれ、答えていくのだが、正直なところ面倒だった。
 
好きで病んだんじゃないっ!!!
と叫びそうだった。

 

 

 

なぜ病んだのですか? の問いは、
 
なぜ病むことを選んだのですか?
なぜ病むことを拒まなかったのですか?
 
そう言われているようにしか聞こえなかったからだ。
 
質問の内容は、答えがわかっていないと答えらえないようなものばかりだった。でも、その質問に答えることができていたら、きっと病んでなんかいなかったはずだ。
わからないから答えを探しに来ているのに、医者は私にその答えを説明させようとする。
 
「なぜそうなったかわかりません」
力なくそう言わざるを得ない質問が続く。
それだけでウンザリした。
 
それがわかっていたらこんなことにはなっていない。わからないまま闇に迷い込んでしまったのだ。だから、この闇から抜け出すためにここに来ているのに。
 
結局、聞かれたことは、私が教えて欲しいと思うことばかりだった。
 
挙句に、医者はこう言うったのだ。
「いろいろ答えてもらったけれど、明確な原因も理由もない。病には因果関係があるが、あなたにはそれがない。つまり病気じゃないということです。病気じゃない人を私は治せないからもう来なくて良いです」
 
多少はメンタル不調についての知識があったため迷わず心療内科に行ったのだが、散々マイクを向けてインタビューしておいて、そんなことを言うのか? と呆れてしまった。

 

 

 

噛み合わないな、と感じた時は、その病院での治療に効果は無い。
心の病は、普通の病気以上に医者やスタッフとの相性が大事だと実感した。
安心して心開ける場だと感じられない所で、心の病が改善できるわけが無い。
 
この病院にさっさと見切りをつけ、違う病院に行ったところ、幸いにも信頼できるスタッフに恵まれ、3ヶ月の休職、その後、数ヶ月のカウンセリングを経て、私は闇の先に光を見つけることができた。おかげで今は元気に日常生活を送ることが出来ている。

 

 

 

私が迷い込んだ闇は、適応障害という病名にカテゴライズされるものだった。
 
投薬は要らない。
症状によっては投薬が必要な場合もあるが、不健康になってしまった「心の在り方」を改善することが治療の根幹だった。

 

 

 

自己肯定感の低さに起因して、悪いことが起こる度に自分を責める思考が良くないから、物事の捉え方を変えていく必要がありますね。
 
リフレーミングというやつだ。
 
例えばこうだ。
 
ミスをする。
それは私の不注意が原因だった、私はこんなことにも気付かないなんてダメなやつだ、全て自分のせいだと意味付けをする。
そして自分を責める。
この思考パターンが心を疲れさせ不健康な状態に向かわせてしまうのだ。
 
これを、ミスをした、私の不注意が原因だった。でも次に繋がる気付きがあったのだから、反省して次に活かしていこう。
こんなふうに考えられるように意味づけの仕方を変えていくのだ。
 
マイナスな捉え方、これは永年かけて習得してしまった考え方の癖なので、簡単には直らない。
 
しかし、これを改善しないと心にダメージを与える思考回路から抜け出せず、闇は消えない。
改善のためにはカウンセリングを通じて、認知行動療法という領域のトレーニングの仕方を教わり取り組んでいった。

 

 

 

どんな感情を持つかは次のようなシンプルな仕組みだ。
 
出来事→意味付け→感情
 
この、意味付け次第で感情が書き変わるというものだ。
 
私は意味付けに「私が悪いからだ」というキーワードを当てはめることが多かった。
どんなことにもこのキーワードを当てはめるものだから、その結果導き出される感情は自分を責めるものになるのは当然の事だった。
 
ミスをした。
それは私の不注意が原因だった→これは事実だ。
しかし、これに「私はダメなやつだ」という余計な思い込みを加えて意味付けを完成させてしまう。
ダメなやつ、という、事実ではない思い込みが加わることで、より強く、時には必要も無いことで自分を責めるのだ。
 
メンタル不調に陥りやすい人は、このように出来事に意味付けをする際に、思い込みでマイナスを足して自分を責める図式を完成させてしまう傾向が強い。
 
そんな説明を聞いて、確かにそうだなと、思い当たることが過去に幾度とあったことに気付いた。
 
友達が話していたところに私が来たら、そのタイミングで話すのをやめた、ということがあった。会話をやめたのはたまたまのタイミングだったかもしれないけれど、私のことを嫌っていて、聞かれたくないから無理やり話を打ち切ったのではないか? と捉えて友達のことを疑ってしまい、その友達と、本音で話せなくなった。
 
また、仕事でも上司が私に対してキツイ口調で叱責した時に、成績が悪くて使えない奴と思われているのではないだろうかと捉えて自己嫌悪に陥り、やる気をなくしてしまったこともあった。
 
事実は、私が来たタイミングで会話が終わった、上司に怒られた、だけだ。
しかしながら思い込みが加わることで、本音で話せなくなったり、やる気をなくしてしまったりと、大きなダメージを受けることになるのだ。
 
こんな思考回路で生きてきたから、心が不健康になりやすいのだった。
 
リフレーミングを意識するようになって、次第に事実は事実として受け止め、思い込みを上乗せしないで物事を捉えることができるようになってきた。
 
このトレーニングを通じて気付いたことは、自分を悩ませ、苦しめてきたのは、思い込みだったということだ。
 
メンタル不調に陥る際の思い込みの傾向は、自分を悪く思う、自分は認められていないと感じるなど、マイナスなものばかりだ。
 
なぜこう感じるのか? 思い当たることは、承認欲求という感情だ。
 
私の場合は、高い評価をしてほしいわけじゃないけれど、私がここにいることを認めてほしい、という願望だった。
自己肯定感の低さは、自信の無さに直結する。
みんなと一緒にここにいることさえ、許されないような不安を感じてしまうのだ。
人と同じことをしても認められないと感じてしまうから、オーバーキャパでも人以上に仕事や役割を背負おうとする。それでも認めてもらえていないような気がしてしまう。
もっと頑張らなきゃ、もっと役に立たなきゃ、もっともっとやらないと、ここにいることさえ認めてもらえない。
 
そんな不安を常に感じている自分がいた。
 
飲み会では率先して幹事を引き受けた。
イベントではカメラを持参し皆を撮って回った。
荷物だって人一倍多く運ぶ。
自分が必要とされる理由を見つけないと、安心できないのだ。
 
周りからは全体のことを考えていろんなことを引き受けてくれる気の利いた人に映るのかもしれないが、私は自分の居場所を作りたい、ここにいて良い理由が欲しい、それしか考えていなかった。
 
行動のもとになっているものが、そこにいることへの不安を打ち消すための承認欲求なものだから、上手くいっても喜びにはならず、何か失敗があると自分を責めてしまうのだ。
 
何もしなくてもそこにいていい人がたくさんいるように感じるものだから、羨ましいなと感じる気持ちもあった。時にそれは、妬みに変わることもあった。
私はいろんなことを引き受けないとここにいることさえ許されないのに、何もしなくても真ん中に座れるのだからいいよね、と感じる時の心のザラっとした感じは嫌なものだった。
 
お気付きだろうか。これは全部私の思い込みが作り出しているものだ、ということを。
事実を事実として捉えることができたら、こんなに自分を責めることもない。
そのためにも意味づけを変えるトレーニングはずっと続けている。
お陰で、メンタルに負荷をかける思考パターンから随分抜け出すことができるようになった。
 
認められなくたっていいじゃないか。
自分が納得できていれば、それが一番だ。
いかにダメージ少なく受け止めるかを考えよう。
 
そんなふうに思えるようになってきたら、メンタル不調から抜け出せなくて苦しんでいる人と、そもそもメンタル不調の経験のない人の間にある「見えない壁」を自由に行き来できるようになっていた。
 
どちらの気持ちもわかる、ということだ。
 
両者の気持ちを理解したうえで、私は敢えてメンタル不調者寄りのものの考え方をするようにしている。
 
表情、行動、言動、態度、見るからに心を病んでいるのがわかるくらい強く傷を受けてしまっている人もいれば、見た感じ不調を抱えているようには見えないけれど、心の闇から抜け出せていない人もいる。
 
メンタル不調を経験したことがない人には、一見普通に見えてしまうけれど実は病んでいる人に対しての理解が特に難しいようだ。
 
ある時は何もなく普通にしているのに、ある日突然不調を訴える。しかしその翌日には何事も無かったようにケロッとして元気にしていたりする。
 
これが仕事での関わりだと、仕事量に大きなブレが出てしまう。
頼んでおいた仕事があるのに、突然不調で休んだり、必要以上に頑張ったかと思ったら突然動けなくなってしまったりする。
 
病気なのだから仕方ない、と思いたくても、見た目には普通なのが災いし、症状を無視してその人に対して怒りを感じ、信頼や評価が大きく下がってしまうのだ。

 

 

 

これは、実は健康な人からのとても一方的な考え方の押し付けだと、私は感じている。
極論で言うと、安定して働けないなら辞めてしまえ、という考え方に繋がる危険性を含んでいるからだ。
 
仮に腕を骨折している人が重い物を持てないとしたらどうだろう? それは仕方がないよ、と思えるだろう。
高熱がある人が急に休んでも、お大事にねと言えるだろう。
子どもが病気で看病のために休んでも、気にしないでいいよと言えるだろう。
 
なのに、メンタル不調者に対しては、同じように考えられない人って意外と多いのだ。
 
その理由は、原因がはっきりしないことにあるのだろう。
安定して仕事ができている人は、不安定な人の分を突然背負わなければならない負担がある。それを、病気なのだから仕方がないと思えたら良いけれど、その原因がはっきりわからないから、受け入れることに抵抗を感じてしまうのだと思う。
忙しいときに限って休むとか、さっきまで元気だったのに突然不調が再発するといったように、症状が出ることに不満を感じるようになってくると、仕方ないと思う気持ちは怒りに変わってしまうのだ。
 
自分は被害者だ。そう感じるようになってくるのだ。
確かに被害者かもしれない。
しかしながら、病んでしまった人もまた、被害者なのだ。
 
メンタル不調を経験していない人には、そこが上手く理解できないのだなぁと感じるので、私はメンタル不調者寄りの立ち位置でその気持ちを受け止めるようにしている。

 

 

 

多くの人が言えずにいる言葉だと思うので、代弁します。
メンタル不調の時に一番言いたくて言えなかった言葉。
それが、
 
好きで病んだんじゃないっ!!!
 
この言葉は、メンタル不調者の最低限の承認欲求だと思ってほしい。
私だって苦しんでいるんだ。
私だって迷惑かけていることをわかっているよ。
でも、症状が出てしまったら、どうしようもないんだって、わかってほしい。
それでも、認められたいから、できる範囲で必死に頑張っているつもりなんだ。
何事も無く健康で頑張れる人のことを羨ましく思いながらも、その気持ちが妬みに変わらないように、私にできることを頑張っているつもりなんだ。
 
あの時、もっと早く気付いて対処できていたらこんなことにはなっていなかったかもしれない。健康を取り戻せていたかもしれない。
サボってもいないし、手を抜いている訳でもない。
私なりに頑張っているんだ、ってことだけは認めてほしい。
 
そんな苦しい思いが詰まった言葉です。
 
今、世の中では様々な立場を許容しようという考え方が主になってきている。
これは、メンタル不調者との関わりに対しても言えることだと思う。
 
自分以外を許容できることが求められている、ということだ。
これから、益々必要になってくるのは、相手を理解しようと思う気持ちだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
垣尾成利(READING LIFE編集部 ライターズ俱楽部)

兵庫県生まれ。
2020年5月開講ライティングゼミ、2020年12月開講ライティングゼミ受講を経て今回よりライターズ俱楽部に参加。
「誰かへのエール」をテーマに、自身の経験を踏まえて前向きに生きる、生きることの支えになるような文章を綴れるようになりたいと思っています。

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2021-04-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.123

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