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週刊READING LIFE vol.123

知らずに犯した罪と、知って犯した罪はどちらが重いか《週刊READING LIFE vol.123「怒り・嫉妬・承認欲求」》


2021/04/12/公開
記事:九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
もっとよくなりたい。
その思いだけで生きてきたと言っていい。
 
よくなりたいから、父に怒られないように気を配った。
賢くなりたいから、本も読んだし、勉強もした。
いい人間になりたいから、信仰心も強い。
きれいになりたいから、ダイエットしたりした。
他人によく思われたいから、人が嫌がることはしないし、怒らない。
もっと、もっと、自分がよくなるにはどうしたらいいのか。
 
風船がひたすら上へ上へあがりたがるように、上へ上へよくなっていきたい。
あがっていくのを邪魔する雨だとか破れる危険は、なくしてしまいたかった。
怒りとか、嫉妬とか、醜い感情や悪いとされる思いは、消してしまいかたったのだ。
道徳的に悪いとされることは、私の中にも当然あるのに、そんなものがあってはよくなれないから、自分の中の奥底にしまいこんで蓋をして、なかったことにする。
でも、押し込められたドロドロした感情は、どんどん膨らんで、破裂しそうになる。
我慢強いのも善し悪しがある。
そんな汚い感情は、すぐに吐き出してしまわないと、自分の中に汚いゴミを溜め込んでいるのと同じことになる。
なんで吐き出さなかったのだろう。
自分がいい人と思われたいからだ。
 
画家の水野一先生が清水寺でスケッチされているとき、こんなことを仰った。
「地獄に落ちると思っている人よりも、天国にいけると思っている人のほうが地獄へ落ちるでしょう」
私はこの意味がわからなかったし、私は天国にいきたいと思っていた。
いつもよくなりたいと思い、いい方いい方を選択しているつもりだった。
自分が地獄に落ちるなんて思っていない。
どうして、地獄へ落ちると思っている人よりも、そう思っていない人のほうが落ちてしまうのかが、ずっとわからなかった。
 
私は仏教系の中学校に通っていた。
宗教の時間に、「無明の明(むみょうのみょう)」ということばを習った。
お釈迦さまがめざしたのは、「無明の明」だというのだ。
無明(むみょう)とは真理に暗いことという説明は受けたが、何も理解できていなかった。
知らないということを知る。
そのことばの深みを想像することすらできなかった。
というのは、随分大人になった数年前に、衝撃的な話を読んだのだ。
 
お釈迦さま
「知らずに犯した罪と、知って犯した罪はどちらが重いか」
阿難
「それは、知っていて犯した方が重いに決まっています」
お釈迦さま
「知らずに犯した罪の方が何倍も重い」
阿難
「どうしてですか」
お釈迦さま
「焼け火箸だと知ってそれを握る人と、焼け火箸だと知らずにそれを握る人は、どちらが大火傷をするか?」
 
……
 
* * *
 
これはナーガセーナ尊者にミリンダ王が問うた問答話としてもあるようで、私はこのとき初めてこの話を知った。もしかしたら、それ以前にも読んでいたかもしれないが、自分のこととは思わなかったのだろう。
知らずに犯した罪の方が何倍も重い。
衝撃的に胸に突き刺さった。
 
よかれと思ってきた行為は、無意識に悪気もなく、相手を傷つけていることもあるのだと、深く反省した。
そして、その罪深さは、真理を知らないがゆえに、善意なので思いっきりやってしまい、
罪悪感があれば加減をするところが遠慮はしない。
 
その行為がもしも間違っていたならば、その分、相手に与える傷も深くなってしまう。
 
自分の罪が自覚できなければ、反省に至るどころか、罪と知らずに、次々と罪を深くしてしまうこともあり、行為をあらためることができない。
 
善意を持った行為の方が罪を自覚できず、むしろ罪を重くしてしまう可能性がずっと高い。
 
こうした真理に暗い、わからないことを「無明(むみょう)」といい、真理を明らかにすることの大切さを仏教は説いている。
宗教の授業は、それを伝えたかったのに、私は随分後になってようやくその意味するところを知り、ショックを受けた。
 
私の目の前に起こるできごとは、私が真理に暗いから、よかれと思ってしてきたひどいことの結果だ。
地獄に落ちるという罪の自覚がない。
知らなかったからというのは、非常に罪深いことなのだ。
 
それで、私はそれまで犯してきたことにおもいを巡らせた。
想像をはるかにこえて、私が無意識にした行為やことばのために、人を深く傷つけてしまっているのだと思った。
 
私は嘘をつけない性質ですぐに顔に出てしまうし、人を騙すような意識は全くないが、世間知らずで真理に暗いということは否めない。そのことで、周囲に迷惑をかけているということに気づき、真理を知ることの大切さをしみじみと実感した。
 
結婚した人は、大学院生だった。
働いていなかった。
私が仕事して、家事も私に求められた。
研究というのはお金と時間が必要だ、というのが、その人の考えだった。
掃除ができていない、料理はまずいと言って毎日怒られた。
私は全然納得していない。
私が稼ぐのなら、家事はしてほしい。
でも怖いから言えなかった。
 
結婚してすぐ、女の子と二人で2、3泊で山に登りに行くと言われた。
何それ……
喧嘩売っているとしか思えない。
「自分が奥さんなんだから、もっと堂々としてればいいのに」と、その子が言っていると夫は私に伝えた。まあ、彼女がそう言ったとしても、そんなことわざわざ私に言うだろうか。
切れた。
私に嫉妬させたいのだろう。
無意識に、おそろしいほどの量の怒りを抱えて生きていた。
 
でも、怒りは夫に吐き出せなかった。
怖かったからだ。
「なんで私と結婚したの?」と聞くのが精一杯だった。
なんだかんだ言われたと思うが、私といればお金が入ってくるからだろう。
理不尽極まりない。
 
でも、最後まで怒れなかった。
それどころか、しょっちゅう深夜に説教された。
仕事から帰宅して、早く眠りたいのに、2~3時間説教が続く。
罵声を浴びせられて、私の心は疲弊していた。
でも、我慢してしまった。
私が悪いのだと思っていた。
いや、感情ではなく、頭でそう思おうとしていた。
そうしないと、説明がつかない。
 
あのとき、私がどういう思考だったのか、忘れてしまっていたが、実家の部屋の断捨離をしていたら、私が書いた字のメモが出てきた。
仰天する内容だった。
 
「私の使命は夫を支え尽くし守ることで、そのために日常生活の様々なことを面倒くさがらずに人のために行為する。
使命を果たすために感情や一時的なものに惑わされることなく、どんなときでも何があっても、使命を果たすために理性的な判断をする。
自分の立脚点は、できる限り相手を傷付けず思いやりを尽くす。
自分がどんなに傷つけられても、それに屈せず相手を思いやらなければならない。
自分を捨てる。
傷つけられ自分を守ろうとする方向は、理性で判断して自分が苦しくても成長できると判断した正しいと思われる道と思ったときのみ有効である。
それ以外の楽な道はすべて間違っている。
守ろうとする自分はない。
自分を捨てて人のために尽くす。
人に何とかしてもらおうと決して思わないこと」
 
確か夫にそう説教されて言われた話を忘れないように書いたのだろうけれど、私はなんで自分を捨てるだなんて、思ってしまったんだろう。
よくなりたいがために、かなり自分をおさえこんでしまっていた。
洗脳、ということばが浮かんだ。
ことばはこわい。
相手から毎日言われていたら、そうしないといけないと思ってしまうのだ。
 
罵声を乗り越えるために、言葉は単なる言葉に過ぎないと思おうとした。
そうでないと、自分がいちいち傷つくからだ。
それでいて、常に美しい言葉のかけらを集めようとしていた。
言葉の力を感じていたのだろう。
 
私が彼を支えていると思って生きていたあの日々は、彼をダメにしていた。
彼が何もしなくても生きてゆける環境をつくってしまっていた。
よかれと思ってしてきたことが、彼の人生を潰していた。
私がいなかったら、彼は崖っぷちに立って、自分の人生をよくするために、自分の能力を最大限に発揮して成功へと尽力しただろう。本来の能力はとても高い人だった。
人間は弱い。楽なほうへといってしまう。
何にでもなれる能力のある人なのに、目の前に楽な生活を差し出されたら、火事場の馬鹿力は出ない。
もしかしたら、彼はそんな自分にイライラしていたのかもしれない。
八つ当たりする相手は、私だ。
怒っていると、相手も傷つくが、怒っている本人も傷つくのだと、人に諭された。
怒るのを辞めさせるために、私は早く去ったほうがよかったのだろう。
悪気はなかった。
むしろ、助けていると思っていたほどだ。
私の罪は深い。
 
私は、仕事をしてお金を稼いでいれば、彼にとって必要な存在だった。
一人で働いていても自分のためだけだが、扶養する配偶者がいれば、自分は相手にとって必要な存在になる。
完全な共依存だったと思う。
どんなに理不尽な目にあっていても、私は結婚していることで、私の承認欲求は満たされていたのだ。
だからこそ、なかなかそれを解消しようとしなかった。
 
誰にも言わなかったDVについて、人に話したとき、自分がしていることを自覚した。
自分のためにはもちろんのこと、彼のために離れたほうがいいのだということがわかって、
ようやく離れることを決意した。
 
生き方を変えることは、とてもこわいことだった。
今までの自分の当たり前を覆すことは、そう簡単にできない。
みんなが応援してくれた。
私の意志一つで、世界は変わった。
 
新しい生活をスタートさせた東京で、本音を出すことの大切さを痛感した。
本音を出さないと、人と本当に関われない。
私は自分で壁をつくり、本音を隠して生きていた。
怒っていることをうまく表現する。
そうでないと、自分の承認欲求はくすぶり続ける。
 
怒るという感情は、何か自分が認められないことがあるからこそ怒るのだ、ということに気がついた。
その怒る以前の最初の感情はなんだろうか。
 
例えば、私は夫に対して自分が大事にされていないから怒っていたのだ。
私は奴隷じゃない。
でも、相手にはっきりと怒らないということは、相手にそうさせることを許していることになる。
自分で自分のことを守れない、自分のことを大事にできていないのだ。
そして、そんな自分を自分自身が怒っている。
なんで怒って自分自身を守らないのだと。
 
私はもっとよくなりたいと常に思う。
夫から掃除や料理ができていないと言われれば、掃除も料理もできる自分になりたいと思う。そして、自分にダメ出しする。そんなことぐらいできないのかと理想の自分に近づこうとする。自分が本当にそんな自分を望んでいるのかはそっちのけで、一般的によしとされるものへ意識が向かってしまっていた。
私は、家事が好きでない。家事が嫌いで何が悪い。
でも、良妻賢母が理想とされれば、そうなろうとしていたのだ。
 
私は、誰よりも、自分自身に一番、認めてもらいたかったのだ。
自分の本当の感情を感じて、自分の本当に生きたい道を生きていいと赦してもらいたかった。
 
自分の承認欲求を健全に満たすには、どうすればいいのだろう。
きっと自分のほしいものや言いたいことをこわがらずに言ったり、相手に配慮するように自分も大切にしてあげたりすることがまず基本だと思う。
そして、精神的に自立して、自己実現していくことで、満たされていくのではないか。
 
もっともっと経験を積んで学び、無明の明に少しでも近づいてゆきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部で、心の花を咲かせるために日々のおもいを文章に綴っている。

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2021-04-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.123

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