週刊READING LIFE vol.126

負の感情の尊さ 映画「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」を観て《週刊READING LIFE vol.126「見事、復活!」》

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2021/05/03/公開
記事:リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「なぜ、自分ではないのか」
 
そう思った経験は、誰でも一度や二度はあるのではないかと思う。
 
小学校の学芸会でやりたい役に選ばれたのは、別の生徒だった。
素敵だなとおもっていた相手が、友人とつきあいはじめた。
仕事のリーダー、次は任されると思ったのに、後輩が指名された。
 
なぜ自分でないのか、どうしてあの人なのか、そんな問いに苦しんだ経験や、今も苦しんでいるすべての人に観てほしいと思う映画を観た。
 
「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」(5月7日ロードショー)だ。
 
長野オリンピックスキージャンプ団体戦の金メダルの影で活躍した、ある一人のジャンパーの姿を描いた実話である。
彼の名は、西方仁也。
長野からさかのぼること4年前の、リレハンメルオリンピック代表メンバーの一人だ。
 
1998年の長野オリンピック悲願の金メダルへの道のりは、リレハンメルに端を発している。
リレハンメルオリンピックでは、4人のジャンパーのうち、3人までが完璧な2本のジャンプを終えた。最後の一人、原田選手のラストジャンプを残すのみとなったとき、日本中の誰もが優勝を疑わなかった。
ところが……
その原田選手は、空中でバランスを崩してしまう。
K点を超えるどころか予想をはるかに下回る記録となり、日本は、無念の銀メダルに終わる。
マスコミは「悪夢」だと騒ぎ立てた。
誰より辛かったのはもちろん代表メンバーだろう。
なかでも、西方仁也選手は、圧倒的なジャンプを見せつけ、チームの安定した柱としての役割を担った。原田選手さえ失敗しなければ、首にかけられるメダルの色はもちろん金だった。
その悔しさをこらえて、彼は、誰よりも先に原田選手に声をかける。
「4年後、次は絶対、このメンバーで金をとろう」と。
 
次は絶対、このメンバーで金を――
その願いがむなしく消え去ることなど、このときは、思いもしなかったに違いない。
 
誰よりも仲間を鼓舞した西方選手だったが、長野の開催まで半年にせまった大会で、なんと腰を痛めてしまう。だましだましつきあっていた腰が、ジャンプの真っ最中に悲鳴をあげ、着地で転倒し、大けがをしてしまうのだ。
その後、凄まじいリハビリで回復し、選考に影響を与える直前の大会では優勝を成し遂げるのだが、オリンピックの代表には選ばれなかった。
 
なぜ、自分ではないのか――
彼が、そう感じた最初の瞬間であったと思う。
 
ケガから回復した。
直前の大会では結果も出した。
なのに、なぜ、どうして……
映画では、主人公役の田中圭によって、胸がしめつけられるほどのせつない心情が表されていく。
 
本題は、いよいよここからはじまる。
そんな、失意のどん底の彼に、新たに、オリンピックのテストジャンパーという仕事がもちかけられるのだ。
 
テストジャンパーを知っているだろうか。
私は、ほとんど知らなかった。ただなんとなく、試合の直前や一本目と二本目の間にジャンプしている人がいるな、あれは、選手かな? という程度の認識だった。
 
テストジャンパ―は、ジャンプ台を調整するという役割を担っている。
特に、ラージヒルは、ビルの35階の高さから90キロの速さで滑り降りる命がけの競技である。
斜面に降り積もった雪が、しっかりと払われて踏み固められていなければ、安定した滑りができない。
そこで、彼らが何度も雪面を滑り降り、斜面を整えながら、安全に競技ができる環境なのかどうかをチェックするのである。
 
西方選手は、25人のテストジャンパーの中の一人として、オリンピックに関わることになる。
他は、ジャンプ経験のある一般市民からの代表がほとんどである。
その葛藤は計り知れない。
 
なぜ、自分なのか。
トップ選手の自分が、なぜテストジャンパーなのか。
 
手にできなかった居場所への無念だけでなく、今度は、与えられた居場所の違和感にも苦しみはじめる。
 
人気絶頂だった芸人が、いきなりステージの前座を務めさせられるようなものだろうか。声楽家のソリストが、第九の合唱団の一人に入れられるようなものなのかもしれない。
自分は、こんなところにいるために頑張ってきたんじゃない。
そう思い続けながら、テストジャンパーの合宿の日々は過ぎていく。
 
大会が日に日に迫っていく。そして、代表メンバーに対して彼が抱く感情に、観ている私たちが戸惑うことになる。
ここから先は、映画を観てほしい。
ある強烈な一言を、彼は願うのだ。
その感情に、彼がどのように苦しみ、どのようにそれを克服するのか、そのためにはどのような試練があり、そして、その後どのような奇跡が待ち受けているのかを、劇場で味わってほしい。
映画は、中盤から一気に、「泣きまくった」とか「嗚咽した」という感想がもうすでに続出しているラストシーンへと向かっていく。
 
私自身、最初は、この映画を観るのに少し躊躇した。
 
ポスターには、堂々と「感動の実話」と書かれていて、かえって興ざめしそうだったし、なんといっても、長野オリンピックの結末を知っているからである。
どうせ金メダルをとることはわかっている。リアルタイムで長野オリンピックを観ている世代なのに、ラストに感動できるのか、いささか懐疑的だった。
 
結果的に、マスクが使い物にならなくなるほど泣いた。
そして、「感動」という感情の所在について、大きな勘違いをしていたことを恥じた。
 
目に見える成功だけが感動じゃない。
この映画は、自分自身の内なるK点を超えるという、究極の挑戦の物語なのだ。
それは、決して一人では叶えられない。
映画の中には、これでもかというほど、その首に金メダルをかけたい人々が登場する。
それらの人々の力で、西方選手自身が、以前の自分を越えていく。
そうしたすべての力によって、その先にもたらされたのが、長野の金メダルなのだという真実を知ることができる映画なのである。
 
映画「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」は、二つのことを私に教えてくれた。
 
一つ目は、人生のジャンプ台は、誰にでもあるということ――
 
私は、これまで何度、ジャンプ台にたってきたことだろう。
そもそも、必死の思いで飛んだことがどれだけあったか。
 
ふと、昔の同僚のT子という後輩を思いだした。
彼女は、筋金入りの負けず嫌いで、仕事で思うような評価がでないと、いつもトイレで泣いていた。
周りの目も気にせずに、「なぜ、私が、この評価なのか」とよく口にしていた。
感情をむき出しにする彼女を、よく思わない同僚もいた。
むろん、誰だって人生思い通りになどいかない。
大人なら、すみやかに切り替えて与えられた仕事をするべきなのかもしれない。
「あいつは、自信過剰だ」と陰口をたたいたり、嘲笑ったりする人もいた。
ただ、T子の努力だけは誰もが知っていた。デスクの上には、スキルを磨くために書き溜められたノートが何十冊もあった。
 
忘れられない記憶がある。そんな彼女が退社をする日のことだ。
ダンボールに大量のノートを詰めつづけるT子に、私は、ねぎらいの気持ちで、ふと声をかけた。
「よく頑張ったね、次の職場でもきっと活躍できるよ」と。
すると、T子の返事は思わぬものだった。
 
「そんなこと、どうしてわかるんですか」
 
彼女は、笑みも浮かべずそう言った。
あまりに驚いて、次の言葉が出なかった。
何か、気に障ることをしたのだろうかと思った。
仕事では、ほとんど接点はなかったし、競い合うこともなかった。どちらかというと、平穏な関係を築いていたはずなのに、なぜ、このような言葉がかえってきたのかわからなかった。
T子は、送別会すら断って会社をやめていった。
結局、ほかの同僚のように自己中心的な人間だったのかと解釈し、後味の悪いまま、このことを記憶の底に押し込めていた。
 
今は、彼女の言葉の理由が分かる。
言われたくなかったのだ。
「よく頑張ったね」なんてわかったようなことを。
当時、がむしゃらに頑張ったことなどなかった私に。
 
ジャンプ台から命がけで飛んだことのなかった私には、そもそも、涙を流すほど悔しがるT子の気持ちなどわかるはずもなかった。
だから、T子はそう言ったのだと思う。
 
映画の主人公の西方選手は、まわりがあきれるほど、自分のおかれている状況に踏ん切りをつけられない。時にそれは、単なる子供のわがままにみえるほどだ。
しかし、ストーリーがすすむにつれ、その負の感情は、限界まで努力した人だけが持つ、ある種の尊さを秘めていることに気づかされていく。
 
人間力とはなんだろう。
出来た人間は、他人をほめることができる、誰をも、みとめられることができる、自己より他者、自分のことより社会全体のことを考えられる人などとよく言われる。
しかし、そんなことが最初からできる人がいるとしたら、それは、最初から勝負していない人なのかもしれない。
死ぬ気で挑戦したことがある人なら、負けたとき、そんなに簡単に笑顔で引き下がれるわけがないのだ。一方で、そういう人間が、ひとたび挫折を乗り越えたときの成長は、計り知れないものがある。
分別をわきまえただけのチャレンジをしなかった人間より、アドバイスも、言葉の重みも、何十倍もの深みを持つようになるのだと、この映画は教えてくれる。
 
学んだことの二つ目は、人生のジャンプ台は、無数にあるということ――
 
私は、今48歳。
会社員としても、女性としても、人生のピークを過ぎたと感じることが多くなった。
横一本の線で表すのなら、少しずつ右肩あがりにカーブを描いてきた線が、まあるく山をつくって下り始めてきたイメージだ。
 
以前のように、新しいことを次々に覚えられない。
体力が続かない。
 
しかし、その年齢、そのキャリアでしか飛べないジャンプ台はある。その高さや大きさは、自分で選べばいいのだ。
さらに、その中のひとつには、夢や目標を誰かに託すというテストジャンパーがあるのだと気づいた。
子どもたちに教える
後輩や部下を支える
災害で傷ついた人の役にたつ
世界中のだれかを支援する……
自分が飛ぶことで、もっと大きなジャンプを世の中に残すことができるとしたら、これほどやりがいのある大会はないのかもしれない。
 
長野オリンピックのヒーローインタビューで、原田選手が、マイクに向かって残した言葉を覚えているだろうか。
 
「俺じゃないよ、みんななんだよ、みんな」
 
そうなのだ。
わたしたちは、みんな、飛び続けることができる。
誰かのために、そして何より自分のために。
いつだって、そこが、ジャンプ台の出発地点なのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

立教大学文学部卒。地方局勤務
文章による表現力の向上を目指して、天狼院のライティング・ゼミを受講。「人はもっと人を好きになれる」をモットーに、コミュニケーションや伝え方の可能性を模索している。

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2021-05-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.126

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