カスタネットおばあちゃんとチャップリンな私と《週刊READING LIFE vol.127「すべらない文章」》
2021/05/10/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
うん年前、私は友人と見知らぬ人と、ラグジュアリーなホテルで気まずい時間を過ごしていた。本日は、友人Aの人生の門出、結婚式が執り行われた。Aとは、中・高・大学と学び舎を共にした、良く言えば親友、茶化して言えば悪友だ。悪友、と言っても、人様に迷惑をかけるようなことはしていない。ただ、いい大人としてそれは大丈夫なのか、というようなことを嬉々として二人で行っていた。ある時は、貸し出しヘルメットと長靴を装備し、一寸先も見えないような、観光洞窟に潜入。またある時は、グーグルマップで見つけた良く知りもしない長い長い山道と道路を霧の中、Aの軽自動車で爆走した。
「あんたはAの彼氏か!」
そう、友人たちに呆れ半分に笑われながら、我々は本当に長い時間、苦楽を共にした。
なので、式前に控室で会った、純白のウエディングドレスを身に纏ったAを見た私の胸中にあるのは、晴れ晴れとした喜びと感動、そして、まるで娘、または元カノをさらわれていくようなハンカチを噛み締めたくなる悲しみとの激しい感情が渦巻いていた。
式は滞りなく、福岡のハイソなホテルで華やかに行われた。
そして、今、私は、大学時代の友人Bと結婚式の二次会の受付嬢をしている。式の数週間前、眉を下げて、すまなそうにAに頼まれたのだ。私は、それを二つ返事で承諾した。Aのためなら、私は受付も、なんならスピーチもやる心構えですらいた。アルバイトなどで長らく接客経験もあるので、何の問題もない。
だが、当日になって、問題が生じた。
同じく受付の任を受けた友人のBは、朗らかでちょっと天然な所もある愛されキャラだ。彼女も接客業の経験がある。友人たちの前では、笑顔を絶やさない、はずが、今はしんみりとした表情で、ソワソワしている。
それは、隣に見知らぬ男性がいるからだ。赤の他人、ではなく、彼らは新郎側の友人。彼らも、新郎に頼まれ、二次会の受付の仕事のためにここにいる。
実は、Bも私も人見知り。大学でも、お客さんでも圧倒的に女性と接することの方が多かった。なので、年の近い異性は、久しぶりの遭遇となった。
チラリ、と彼らを見る。真面目そうで、大人しそうな男性二人だ。あちらも、心なしか、浮かない表情を浮かべている。
高層ホテルの丁度中腹ほどにある会場で、四人で一点を見つめて黙りこくっている。視線の先には、大きな窓。博多の海と町並みのパノラマが広がっている。
チラリ、携帯電話の液晶を盗み見る。二次会の開式まであと、1時間以上ある。
重苦しい空気の中、私達は夕暮れに沈んでいく海を観察し続けなければならないのだろうか。
「ねぇ、まなさん」
途方に暮れた瞬間、着物の袖を控えめに引っ張られ、私はハッとして、隣を振り向く。眉を下げたBと目が合う。
「何か、おもしろい話して?」
私は、ポカンとした。
「いやいやいや!」
Bの声に反応したのは、意外にも男性陣だった。苦笑いと、困惑を顔に浮かべ、首を横に振る。
「そんな無茶振り!」
「そうそう、芸人さんじゃないんですから!」
私は、ふぅ、と一つ息を吐く。
「しょうがないなぁ~」
「え!?」
どよめく男子陣を置き去りにし、話を進める。
「カスタネットの話でもいい?」
「か、カスタネット!?」
これまた、数年前の話だ。私は当時、体調を崩しいたため病院に通っていた。そこは、小さなビルの中にある、小さな医院だった。そこに通院している人は、年齢も性別もさまざまで、曜日によっては同じメンツと顔を合わせることもあったし、一度きりしか合わないこともある。丸いテーブルの四人がけの席、背を合わせたように設置されている長椅子が三つしかない。病院は個人経営で、院長と副院長の二人で切り盛りしていた。熱心で、心のこもった問診を行うため、一人の診察に時間が掛かる。なので、日によっては、待合室が、膝がぶつかるほどにぎゅうぎゅうになることも珍しくなかった。
その日も、病院は満員御礼。老若男女がひしめき合っていた。まれに年配の患者さんが、他の顔なじみの方と会話をすることがあるが、今日はそんなこともなかった。みんなそれぞれ、自前の文庫本や院内に設置された雑誌を読み、携帯画面を眺め、お茶を飲みながら壁紙をぼんやり鑑賞するなど、思い思いに時間を過ごしていた。誰一人、苛立っている人はいない。待つのがこの病院の普通。私も、院内のスピーカーから流れるかすかなクラシック音楽に耳を傾けながら、私も本を持ってくればよかったな、とカウンターに置かれた、加湿器から湧き出る白い蒸気を眺めていた。
だが、今日は、いつもと違っていた。
カタッ
カタン
カタッ
カタン
カタッ
カタン
どこからか、硬いものと硬いものがぶつかるような、かすかな音が聞こえる。その音はまるで、
カスタネット?
私は、長椅子から腰を少し浮かせ、首を巡らせた。待合室には、大人しかいない。この近辺は、商店街と商業ビルが立ち並ぶばかり。幼稚園や小学校、子どもが集まるような場所はないのだ。幻聴だろうか、そう思いつつも耳をすませる。
カタッ
カタン
カタッ
カタン
いや、幻聴じゃない。やっぱり聞こえる!
クラッシク音楽に紛れて聞こえる、規則正しい音。意識すると、先程より音が大きくなった気がした。
カタッ
カタン
気になり始めると、なんだか耳障りな気がしてきた。私は、耳がよく、神経質な気質で、他人の貧乏ゆすりや、無意味なペンのカチカチとノック音を近くでされるのが嫌いだった。
何なんだ、この音はどこからするんだ? 一体誰が、
イライラしながら、首を逆方向に回し、視線を流した瞬間。
とうとう、私は見つけてしまったのだ、音の発信源を。
そして、それを特定したことをすさまじく後悔した。
私のすぐ横に、八十代ごろの上品なおばあちゃんが腰をかけていた。おっとりと、同じように、自分が診察室に呼ばれるのを粛々と待っている。
その、彼女の、薄く紅をひいた口が開いている。
その僅かな隙間、白い物がのぞいている。規則正しく並んだ人工物、入れ歯だ。
それが、あろうことか、彼女の口内で行き来していた。
おばあちゃんが口を開ける。
カタッ
入れ歯が重力に従って、舌の上に落ちる。
おばあちゃんがそれに気づき、口を閉じる。
カタン
見事、入れ歯が上顎と出会い、あるべき場所に収まる。
だが、おばあちゃんが口を開ける。
カタッ
入れ歯、上顎に別れを告げ、舌と出会う。
カタン
おばあちゃん、口を閉じる。入れ歯、舌に別れを告げ、上顎と奇跡の再会。
んが、おばあちゃん口を開ける。
カタッ
おばあちゃん、口を閉じる。
カタン
開ける。
カタッ
閉める。
カタン
開ける、閉める、開ける、閉める。
カタッ
カタン
カタッ
カタン
その間、数十秒。それが、規則を持って繰り返されている。モーツアルトの調べに乗って合いの手を入れているのだ。
カスタネットの 正体見たり 入れ歯かな
私は、その光景に絶句した。
嘘でしょ、入れ歯って、そんな簡単に外れるの!?
近所のマダムたちに、「歳をとると口元がゆるくなるし、口内が乾くのよね。だから、おばさんって、飴を常備してんのよ!」と笑い混じりに教えてもらったことはあるが。
チラリ、よせばいいのに、カスタネットおばあちゃんを盗み見る。口を金魚のようにパクパクと開閉している。
カタッ
カタン
いやいや、口元がゆるいってレベルじゃないでしょ!?
私は、吹き出しそうになった口元を慌てて、片腕で覆う。だが、口元はぶるぶる震えてしまう。
カタッ
カタン
カタッ
カタン
モーツアルトとカスタネットの奇跡のセッション。
そもそも、なぜ、入れ歯が外れるとわかっているのに、口を開けるんだ?
そうか、お年寄りだから仕方ないんだ。
カタッ
カタン
私もいずれああなるんだ、他人のことを笑ってはいけない!!
口元を引き結び、目をギュッと閉じる。
カタッ
カタン
カタッ
カタン
「んん、げふん!」
私は、涙目で咳をした。
ダメだ、視覚を奪うことで、より音を鮮明に認識してしまう!
ズボンの布地を両手でギュッと握りしめながら、壁掛け時計を見上げる。確か、先程診察室に入った患者さんは、私の前に来ていた人だ。その方が終われば、私は診察室に逃げ込める。だが、その方が入ってから、十分以上経過している。ここでは、三十分問診、というのもありうるのだ。
カタッ
カタン
カタッ
カタン
苦しい。
なぜ、私は、音の発信源を特定してしまったのか。
なぜ、好奇心に勝てなかったのか。
地獄の調べの中で、私は自分を責めた。
なぜ、私だけこんな目に!!
怒りにも似た気持ちで、ふと、視線を上げると、テーブル席で本を読んでいる青年が目に入った。
彼は、顔なじみの患者。よく同じ曜日に出会う、顔見知りの方だった。出逢えば会釈を交わしてして、一人、クールに自前の文庫本を読んでいる、寡黙な青年だ。
その、彼の長い指に包まれた文庫本が、かすかに震えている。
え?
彼の横顔を見ると、引き結んだ端正な口元と、形の良い眉が、手と連動したように震えている。
そっと、視線をまた巡らす。
待合室にいる全員が震えていた。
カタッ
カタン
「んん!!」
ダンディは、赤い顔で大きく咳き込む。
カタッ
カタン
「あぁ~~~!」
同い年くらいの女性は、背伸びをしてため息をついた。
みんな視線が泳いでいる。そして、チラリ、私の隣を見つめる。その目に涙を浮かべて。
カタッ
カタン
みんな、カスタネットおばあちゃんに気がついていたのだ。そして、この状況に必死に耐えている。
突然現れた地獄と、謎の連帯感。
その事実がさらに追い打ちをかける。活火山の地底のマグマのように、ふつふつと、腹の底から笑いがこみ上げてくる。
「ん、ぐふっ!!」
私は、両手で顔を覆った。
カタッ
カタン
カタッ
カタン
ムリ、もう耐えられない!!
笑いの火山が噴火しようとした、その瞬間。
ガチャリ
診察室の扉が開いた。患者さんが出てくる。
「緒方さ~ん、どうぞ~」
「あい!!」
私は、今までしたことのない元気な返事をして、椅子から飛び上がる。そして、地獄から救いの手を差し伸べる、天国の門に飛び込んだのだった。
その後のことは、よく覚えていない。
「ん、ぐふ~~~!!」
友人のB、そして新郎側の受付係の男性二人共が、一斉に豪華なソファから転げ落ちる。毛足の長いベルベットの絨毯に、体をくの字に曲げて跪いている。高級ホテルの床とはいえ、パーティードレスと、スーツが汚れてしまうのではないか。私の心配をよそに、全員が笑い転げている。
「ひ~イタイ、お腹イタイ!」
「いき、息できない!」
「ふふ、ふふふ、流石まなさん!」
しばらくすると、男性陣が不思議な生き物を見るような、でも涙目で、ソファに膝を揃えて着物姿で座る私を見上げる。
「え、あなたは、何者ですか?」
「話がまとまり過ぎてる! 作家とか、お話を専門にする方ですか?」
私は、頬を指でかきながら、苦笑いしつつ彼らを見下ろす。
「はぁ、ただのハプニング体質なだけですよ?」
笑いの神に愛されている。
私の昔なじみたちは、そう語る。なぜか、我が一族は、そういったハプニングに遭遇する率が高い。
こうやって笑える体験もある。
それと同じように、もっとそれ以上に語るのに勇気がいるような体験もしている。
みんなおもしろおかしく過ごしているように見えて、それぞれに抱えているものがある。
だが、それを悲観しているだけでは、好転することはない。悲しみも苦しみも心に閉じ込めていたら、その重荷に潰されてしまうのだ。
だから、私達は、それを笑い飛ばす。
速攻で、それを笑いに転換できなくても。いずれ、笑って過去を振り替えられるようにしている。
過去あったことは、過ぎていったこと。
それが、うれしいことでも、苦しいことであっても、その経験が今の私を作っている。辛いことも、私の一部なのだ。
人間は弱いから。愚痴をこぼすことも、弱音を吐くこともある。それを他人に聞いてもらうことで、救われることがある。
どうせ、他人に話すなら、おもしろおかしく昇華させた方がいいのではないか。
深刻な顔で受け取ってもらいたい時もあるけれど、一緒に笑い飛ばしてくれた方がずっといい。
大切な人にも、過去、現在、未来の私にも笑っていて欲しい。
重荷を相手に背負わせるのではなく、小さく分けた分を一緒に持ってくれたら。
笑いも涙も同じように、共有してくれたら、それでいいのだ。
これからの人生、色んなことがあるだろう。
腹を抱えて笑うことも、悔しくて悲しくて動けなくなることもあるだろう。
でも、起こっていないことを、今恐れるより、「ほう、次は何があるのかな?」、そう、待ち構えていた方が、心安らかだ。
幸いにも、私は、文章を書く、ライティングなどの技術を修得した。まだまだ鍛錬中だが、それを媒介にして、コンテンツや学びとして多くの方に発信することができる。
「お、次は何をやらかしたのかな?」
記事を読んでくれた方が、気軽な気持ちで受け取ってくれたら。それでもしも、一部でも共感して、あなたが救われたのなら、それは私にとっても救いなのだ。
『人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。』
世界の喜劇王、チャールズ・チャップリンもそう言っていた。人生ほど、予測不可能で、最高にエキサイティングなコンテンツはない。
この世にせっかく生を受けたのなら、笑って泣いて五感と心をフルに使って楽しまなきゃ、損だ!
そのくらいのスタンスで生きたいものだ。
「まなさ~ん、もう一つお話して?」
「いやいや、そんな芸人じゃないんだから!」
「ネタのストックがいくつもあるわけな」
「しょうがないなぁ~。汚れた鳩の話でもいい?」
「あるの!?」
□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県出身。カメラ、ドイツ語、占い、マヤ暦などの多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォトライター」。職人の手仕事による品物やアンティークな事物にまつわる物語、喫茶店とモーニングが大好物。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。
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