週刊READING LIFE vol.128

真っ暗闇の空想ドライブが叶えてくれたこと《週刊READING LIFE vol.128「メンタルを強くする方法」》

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2021/05/17/公開
記事:安堂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「右ミラーよし! 左ミラーよし! クラッチ入れて、ギア入れて」
 
真夜中、真っ暗な部屋でつぶやきながら、手足を動かす男。
彼はひとり、ドライブをする自分をイメージしていた……。
 
今から30年以上前の大学1年の夏休み。ボクは福島県の小さな町にいた。
その年、春から東京の大学で一人暮らしを始めたが、
生協で予約した自動車教習所の合宿免許に参加したから。
現地に着くと、入所日が同じ学生らが揃った。
男子は、東京大学の3年生が1人、千葉大学の3年生が1人、
慶應大学の1年生が2人、法政大学の1年生が1人、それにボク。
女子は、慶應の1年生が2人と、計8人。
なんだか東京で何かの懇親会にでも集まったような顔ぶれだった。
 
教習所横の宿舎で、15日間の合宿。
男子6人は、6畳2間が続く部屋をあてがわれ、
間にあった襖を取り払って一部屋にして、夜はそこで雑魚寝した。
 
それにしても、その町は、とてものどかなところだった。
宿舎の周りには飲食店など店らしいものが一軒もなく、
人も車の往来もほとんど見られなかった。
街灯もなかったから、夜は闇に包まれてシンとしていた。
 
ただ、一軒。宿舎から数分歩いた先にコンビニがあって、
それは夜10時までこうこうと明るかった。
 
そんな場所だったから、教習以外にやることがなく、
入所したメンバーと常に行動を共にした。
わずか8人だったが、リーダー格はすぐに決まった。
 
東大生。
 
大学の名前の威光もあっただろうが、「カラカラ」と大きな声でよく笑う明るい人で、
背が高く、それでいて学生の割にとっぷりとお腹が出ていたこともあり、
一緒にいると、なんだか安心感を得られたから。
皆は、いつしか「おとうさん」と呼ぶようになり、彼もその呼び名をすんなり受け入れた。
ただ、その呼び名の由来は、その悠々とした態度に加えて、
睡眠中に出る雷のようなひどく大きないびきにもあったのだが……。
 
一方、彼と同学年の千葉大生は対照的だった。
真面目そうでおとなしいと言えば聞こえはいいが、口数が少なく表情の暗い人だった。
確か工学部に在籍していただろうか。とても几帳面だったことを覚えている。
部屋では、毎晩、布団を敷いて寝るのだが、
彼は必ず畳の端に沿ってピシッと布団を敷き、朝にはきちんと畳んで隅に置いた。
おとうさん以外は皆、彼よりも年下だったが、丁寧な言葉使いをしてくれた。
ただ、笑顔を見せることがほとんどなかったから、
なんとなく近寄りがたかったこともあり、
皆は、大学名そのままに「千葉さん」と呼ぶようになった。
 
「じゃ、コンビニ行こうか」
 
夕食を済ませ夜8時くらいになると、本当に何もやることがなくなるから、
いつもおとうさんが、こうして声をかけて皆でコンビニへ向かった。
部屋にはテレビもなかったから、それだけが「娯楽」だった。
そんな時も、千葉さんは行動を共にしないで、一人、部屋に残っていた。
と言っても、別段、場の空気を悪くするような人ではなかったから、
特に気にすることもなかったけど……。
 
退屈なところは多々あったが、合宿は楽しかった。
当時の若者にとって、車の運転は必須アイテム。
とにもかくにも早く運転ができるようになりたかったから、
教習に前向きだったし、何より運転できることが楽しくてしかたがなかった。
今と違ってAT限定免許などない時代だから、マニュアルの運転。
ギアを入れたり、クラッチをふんだり。それだけのことが楽しかった。
 
しかし、一つだけどうしても、たまらなく嫌なことがあった。
 
ある一人の指導員の存在。
 
年齢は20代後半。ややぽっちゃりとした頬をもつベビーフェイスで、
そのままならイケメンにも見えなくもない人なのだが、
実技で車に乗り込むと始終、眉間に皺を寄せて厳しい指導をしてきた。
いや、指導と言うよりも、
イチャモンを付けているのではなかろうかと感じることが多々あった。
ちょっとした操作のミスがあれば、あからさまに舌打ちをすることもあった。
 
「さすがに指導員だからって、その態度はないだろう」
 
今ならパワハラとも取れるような態度を見せたから、彼との実技の後はクタクタになる。
聞くと、他のメンバーにも相当ひどい態度を取っているらしい。
それでいて、女子2人には甘いと聞き、男子は全員、一層腹を立てた。
 
確かに、教習を受ける以外、遊んでいるような学生は気楽に見え、
彼からしたらボクらの存在の方が腹立たしいのかもしれない。
それでも、彼の態度は少し度が過ぎていたように思う。
ボクらは、そんな彼を「ほそまゆ」と呼んだ。
そのまんま。眉毛を細くきれいに整えていたから。
 
「ほそまゆ、絶対、暴走族だったよ」
 
誰かが言った。
いつも怖い表情をしていたこともあるが、
彼はバイクの実技も受け持っていて、
その運転技術はバイクに乗ったことがないボクらが見ても
「すごい!」と感じるほどの腕前だったから。
 
合宿の日程が折り返し地点を過ぎても、ほそまゆの理不尽な態度は続いた。
そして、その頃にはボクの堪忍袋の緒は切れかけていた。
 
「まったくダメ。すべてがなってない」
 
何かの実技の最中、ほそまゆは眉間に皺を寄せて一言も発しなかったのに、
車から降りると、こう言い放った。
それならそうと、実技中に指導するのが筋ではないか。
思わず頭に血が昇ったが、その場ではなんとか抑えることができた。
 
「今度、同じようなことをされたら、もう黙っていられない。
絶対に抗議する! 文句を言う!」
 
夜、宿舎で、おとうさんにそう宣言した。
彼もほそまゆには相当まいっていたから、「仕方がないね」とうなづいた。
 
ところが。
普段、滅多に会話に参加しない千葉さんが口を挟んだ。
 
「それは止めた方がいい」
 
はっきりとした口調で、こう続けた。
ほそまゆのやり方はよくないが、
それに抗議して、単位を落とされでもしたらバカを見るだけだ。
あと1週間我慢すればいいだけのことだから、怒りに身を任さない方がいいと。
 
まさか千葉さんから諭されるとは思わなかったから、
束の間、きょとんとしてしまったが、冷静に考えれば彼の言う通りだった。
結局、ほそまゆの実技の時は、ぐっと唇をかんで耐えることにした。
 
一方、そう助言してくれた千葉さんだが、ある問題を抱えていた。
 
皆が最初の頃から気付いていたのだが、彼は、とてつもなく不器用だった。
例えば右手と左手とか、手と足とか。それらを別々に動かすことが苦手だった。
マニュアル車では発進する時、左足でクラッチを踏み、
左手でギアを1速に入れたら、右足でアクセルを踏み込みつつ、
左足のクラッチをゆっくり上げて「半クラッチ」にする動作が必要となるのだが、
彼には、それが相当難解なことのようだった。
左右の足を同時にいい塩梅で動かせないから、すぐにエンストしてしまう。
足ばかりに気を取られていると、左手のギアの操作がおざなりになる。
両足、左手に気を取られると、今度はミラーでの後方確認を忘れてしまう。
日を追うごとに苦手意識も膨らんで、すべてが悪循環だった。
 
「そのうち簡単にできるようになるよ」
 
最初は皆、気楽に考えていて、そう軽く声を掛けていたのだが、
だんだん、その深刻さを知ることになる。
実は千葉さん、決して根の暗い人ではなく、
かなり早い段階から自分だけ運転技術が伴わないことに、一人、悩んでいたのだ。
だから、つい無口になり、暗い表情になっていた……。
 
「このままだと、みんな一緒に卒業できないよ。どうしよう」
 
女子の一人が、ある時、そうため息をついた。
そんな目標など、はなからあったのだろうかと思ったが、
10日近く一緒にいると仲間意識は一層強くなり、
確かに、皆でそろって卒業したい! そう思うようになっていた。
 
そして、合宿も残り3日。
つまり、卒業検定を3日後に控えた夜中、床に就いていたボクは物音で目が覚めた。
真っ暗闇の中に、誰かが一人ボソボソと何かを言いながら、モゾモゾと動くのが見えた。
 
眼をこらして見ると、それは千葉さんだった。
 
「右ミラーよし! 左ミラーよし! クラッチ入れて、ギア入れて」
 
彼は畳の上に両手両足を伸ばし、さも自動車に乗っているような恰好をして、
運転のイメージトレーニングをしていた。
丁寧に折りたたんだ布団は足元に置かれ、まるでボンネットのように見えた。
 
「千葉さん。こんな夜中に練習ですか」
 
小声で問いかけると、彼は「ハハハ」と軽く笑って頭をかいた。
 
「いや、こうでもしないとメンタルがやられちゃうからさ。
少しでもイメトレして、みんなと一緒にここを出られるようにしておこうと思って」
 
1人、プレッシャーに押しつぶされそうになるのを、
イメージトレーニングでなんとか払拭しようとしていたらしい。
聞けば、この深夜のイメトレはもう3日目になると言う。
 
「おかげでさ、メンタルだけは強くなったって言うのかな。
こうしてイメトレして、しっかり準備をしておけば、
実技の時、少しずつ慌てなくなったんだよね」
 
確かに、ここ2日ばかりは教習で具合がいいと、夕食の時に喜んでいたっけ。
 
「それなら、ボクも付き合わせてもらっていいですか?
ほそまゆの奴がぐうの音も出ないくらい、完璧な運転をしたいんで」
 
そうは言ったが、言い訳だった。
実は、昼間、ヒヤリとすることがあった。
実技で、踏切を前にしての坂道発進の時、停車している車を進ませるため、
本来なら1足にギアを入れるところを、なぜかバックに入れてしまったのだ。
すぐに気が付いて入れ直したのだけれど、ひどく冷や汗をかいた。
担当した指導員からは、あやうく減点対象になるところだったと告げられた。
これがほそまゆだったら、きっと大きな減点になっていたに違いない。
それなりに運転技術を身につけられていると自負していただけに、
想像すらしなかったミスに大きな不安を抱えていたのだ。
 
そんな時だったから、
千葉さんから、事前に準備をしっかりすればメンタル的にも強くなると聞いて、
イメトレを志願したというワケだった。
 
「右ミラーよし! 左ミラーよし! クラッチ入れて、ギアは……1速よし!」
 
相変わらず、おとうさんは雷のようないびきをかき、
他の2人もぐっすり寝ていたから、小声での練習。
それでも、この真夜中のイメトレは、確実に2人に自信を付けてくれた。
 
そして、最終日の卒業検定。
ボクの担当が、ほそまゆと知り、一瞬、顔が青ざめた。それでも。
 
「大丈夫。絶対うまくやれる」
 
千葉さんとの夜中のトレーニングを思い出し、
「しっかりと準備してきたのだから、技術も心も大丈夫!」と、
自分に言い聞かせて検定に臨んだ。
途中、踏切前の坂道発進で、手にじんわりと汗をかいたが、
それでもスムーズに進めることができた。
そして、すべてを終えて自動車を降りた時、ほそまゆが声を掛けた。
 
「平常心で無事、終えられたね。これからの運転も平常心でお願いします」
 
眉間の皺はなく、笑顔だった。
その笑顔に、これまでの彼へのわだかまりがすっと消えて、
思わず大声で返事をしていた。
 
「はい! 2週間、お世話になりました!」
 
午前中いっぱいで他のメンバーの検定も終わり、
午後一には宿舎を出て、東京行きの列車に乗ることになった。
しかし、その中に千葉さんの姿はない。
 
「やっぱり、ダメだったみたい」
 
女子の一人が教えてくれた。
合宿免許は卒業検定をクリアするまで居残りとなることが決まっていて、
プランにはクリアできない人のために、2日ほど予備日が設けられている。
 
「あと2日あれば、きっと合格できるよ。
それまでの費用はプランにも組み込まれているしさ」
 
沈んだ空気をかえようと、おとうさんが言った。
そして、駅へ向かうために用意されたワゴンに皆が乗り、走りだした時だった。
 
「おおおい、待ってくれー!」
 
後方から大きな荷物を持って走り寄ってくる人が見えた。
千葉さんだった!
 
「一度落ちたけど、そのまますぐに追試を受けられてさ!」
 
卒検のすぐあとに追試が用意されていて、そのおかげでクリアできたと言う。
ワゴンは、一気に大きな歓声に包まれた。
たった15日間だったが、8人の間には確固とした絆が生まれ、
皆のささやかな目標が見事に叶った瞬間だった。
 
「あはは! みんなと一緒に卒業できて、本当によかったよ」
 
千葉さんは乗り込むと、初めて大きな笑顔を見せた。
その顔は、苦手な運転とメンタルを克服して、自信に満ち溢れていた。
 
それから、駅までの移動中、車窓から見える町は、
それまでの退屈なものと打って変わり、美しく輝いているように見えた……。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
安堂 (REIDEING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

名古屋市在住 早稲田大学卒
名古屋を中心とした激安スーパー・渋い飲食店・菓子
及びそれに携わる人たちの情報収集・発信を生業とする

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2021-05-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.128

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