週刊READING LIFE vol.129

命のリレーで希望が与えられたあの日から《週刊READING LIFE vol.129「人生で一番『生きててよかった』と思った瞬間」》


2021/05/24/公開
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「はい、しっかり抱いてくださいね」
そうやって渡されたとき、私の腕の中から光が射したように思えた。直視するのが眩しかった。
フニャフニャとしたその体は、とても頼りなかったけれど、我が人生で圧倒的な希望を味わえたのは、我が子が誕生したときだった。
 
手が震えた。
もちろん、落とすわけにはいかない。改めて、この軽い体の本当の重みがずっしりと実感でき、その事実に震えたのだ。
責任と、喜びと。
何とかこの子を育てていかなければ。この託された未来を守っていかなければ。
そういう決意が生まれた日でもあった。
 
「お父さん! そんな抱え方じゃ落っことしてしまいますよ!」
生まれたての我が子を、まるで両手で祭壇に捧げるような持ち方をしていた夫は、その看護師さんの語勢に驚き、あわや本当に落っことしてしまうところだった。夫も、出来立てホヤホヤの父親だった。
 
私もまた、新米の母親だった。何をするにも、ドキドキの連続だった。
おむつを替えるときに、不意打ちのうんち爆弾をくらい慌てたこともあった。
夜中の急な発熱で、大慌てで病院に連絡したら、「お母さん、初めての子育てでしょう?」と看護師さんに失笑されたこともあった。
 
離乳食を食べられるようになった。
伝い歩きをした。
初めて「ママ」(マンマかも?)と言ってくれた。
一人で立つことができた。
 
何もかもが、ミラクルだった。
昨日できなかったことが、今日はできるようになる。
成長の過程を間近で見ることができるなんて、楽しくて仕方なかった。
子どもは、スポンジが水を吸収するように、毎日様々なことを体に沁み込ませていく。
大人になれば、こんな短期間で急激な変化をすることはない。背格好もほぼ変わることはないし、目立ってできることが増えるわけでもない。
それが、どうだ。子どもの成長は目まぐるしい。
3か月、6か月、10か月、そして1年。
目に見えて体も大きくなり、顔つきまでも変わっていく。何と言っているか分からなかった子が、意思疎通をしようとこちらに訴えかけてくるまでに、第一形態からどんどん進化を遂げていく。
 
それに伴って、親の子どもに対する悩みのベクトルも変化していく。
初めは、無事に成長してくれるだけでいいと願う。
次は、体重が思うように増えないと、病気ではないかと心配する。言葉の出方が遅いと、焦る。歩くのが遅いと、何か問題があるのではないかと落ち込む。よその子と比べて、成長が平均的かどうかで悩んでしまうのだ。
小学校に上がれば、無事に友達ができるか心配し、中学校になれば、思春期にどう接すればよいかと思い悩んだ。悩みの質が、身体的なものから精神的なものへと変化していく。
そして高校生になると、いつの間にか大人のような視点で物を言う子どもに驚かされた。
 
今振り返れば、子供を育てていると思っていた時間は、親としての育成期間でもあった。
自分が産んだのに、思うようにならないことも多々あった。分身のように思っている我が子が、自分とは違うものの考えや行いをすることに戸惑うこともあった。自分とは別の個人だから当たり前なのだが、母親はどうしても自分の主観たっぷりで我が子を見てしまう。こちらが思った通りにいかないと、冷静ではいられなくなる。
 
子育てを通して、私は3つの難関に直面した。
一つは、待つことだ。何をやるにも、親の方が早いのは当然だ。今までの経験値が違うし、失敗も多い分、こうした方がいいと分かっている。子どものスピードの遅さにイライラしながらも、手を出さずに見守ることがどれほど難しかったことか。
二つ目は、信じることだ。盲目的に「うちの子に限って」と、庇うことではない。最後まで子どものことを信じ抜くという姿勢だ。「どうして?」と心が揺らぐこともあった。自分の育て方が間違っているのかと不安になることもあった。
そして三つめは、尊重することだ。頭ごなしに叱ったこともあった。何度言っても分からないと腹を立てたこともあった。けれど、子どもの立場を考えれば、一つの物事でも違う目線で見ていることが分かり、なぜそんな言動をしたかが腑に落ちたこともあった。
 
我慢と忍耐と、無償の愛。
子どもを授からなければ、きっと私には分からなかったことだろう。自分だけの物差しで世の中を見ていた私には、到底知らなかった未知の世界がそこにはあった。子育ては、悩んだり笑ったり、そして怒ったり泣いたりと、私の喜怒哀楽の全てを引き出してくれた。娘が笑えば嬉しいし、泣いていれば苦しくなった。まるで娘と私が一つであるかのように、シンパシーを感じた。
 
妊娠が分かって、約10か月間お腹の中で育んできた。小さなミジンコのような形から、エコーで見る度に大きくなっていった我が子の姿。その間に培った絆は強く、出産時の壮絶な痛みも母性がクッションとなり、産まれてその姿を一目見れば忘れたくらいだった。
 
そうやって、我が子を胸に抱いた日から、命のリレーは続いていく。夫と私の命を引き継いだ娘が、いつかはその子どもにバトンを渡す日が来るかもしれない。その子どもがさらにその子どもへと、次々に受け継がれていく命のバトン。しかし受け取った人が皆、次にバトンを渡すかどうかは分からないし、またそれだけが幸せとも限らないだろう。
娘もまた、将来どういう選択や決定をするかは先のことで分からない。けれど、どういう決断をしたとしても、それを尊重できる母親でありたいと思う。人の幸せもまた、多様であることを心しておきたいと思う。
 
昔のように庇護を受けるのではなく、娘が一人の対等な人間として、意見をしてくれることが、頼もしくなる今日この頃だ。若木が芽を吹いて空へと向かってぐんぐん伸びていくように、逞しく自分の道を進んで欲しいと願う。背丈は変わらなくなり、力は娘の方が強くなった。将来に向かって夢を語るその姿に、幼い頃の姿が重なって、ふいに涙腺がゆるくなるのは内緒だ。
 
いつの日か、娘が私くらいの年齢になった時、「人生で一番生きててよかったと思った瞬間は?」と尋ねてみたい。
娘は、どう答えるのだろう? それまでに、たくさんの経験を積み、人生の課題を乗り越えていてほしい。そして、生まれて来て良かったと思ってくれたら、いい。
頼りにはならない母かもしれないけれど、これからの長い人生で壁にぶつかったら、娘が羽を休める場所でありたいと思う。よそでは頑張り屋の鎧を被りがちな娘の、安心できる場所でありたいと思う。自分自身の人生を生きる娘を、応援し続けたいと思う。
 
何だかラブレターのようだけれど、娘を腕に抱いた瞬間、私の中の感情が渦を巻き、ドッカーンと噴火した気がしたのだ。今まで生きてきた中で、そんな気持ちは初めてだった。命のリレーの神秘に震え、愛情を注ぎこむ対象を目の当たりにして、この初めての感情にときめいた。
娘が生まれて来てくれたからこそ、初めて自分のこと以外で、必死になって悲喜こもごもを味わうことができた。分身のようで、そうではない娘が、私の世界の中心だった。
 
私の情が重すぎて、ちょっと鬱陶しいかもしれない。けれど、これだけは分かってほしい。そのとき生きててよかったと、心の底から思ったことを。やはり、私の人生で一番「生きててよかった」と思った瞬間といえば、迷わず娘をこの腕に抱いたときだったと答えることを。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

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2021-05-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.129

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