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週刊READING LIFE vol.130

笑顔で巡るスパイスの効いた地獄旅行記のすすめ《週刊READING LIFE vol.130「これからの旅支度」》


2021/05/31/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
 
 
2020年初夏、私は、部屋の掃除をしていた。会社からの指示があり、リモート・ワークの体制に切り替えなければいけなくなり、気分転換をしたくなったからだ。
「あ!」
掃除機をかけていると、本棚にかけているホコリよけのカーテンをひっかけてしまった。そのはずみに、本棚から本が1冊ドサリと落ちた。それは、軽く辞書くらいの厚さがある。巻かれた書店の白い紙のカバーは、端が擦り切れ、汚れもある。それだけで、カバーをめくらなくても、私はその本がなんであるかわかる。
それは、ドイツの都市をもうらした観光ガイドブック。はじめての、憧れの地ドイツでの大切な道先案内人となってくれた。
「懐かしいなぁ」
めくると、大きな正方形の付箋紙。それには、私の手書きの字で、旅行日程が小さく、そして、びっしりと書かれている。それに目を通し、ページをめくる。それぞれの街のページをめくる度、あの過ぎ去った日々が蘇る。
広い空、豊かな自然、親切で意外にも陽気な人々とのふれあい。私は、本を床に置き、膝から崩れ落ちるように座り込む。
「ふぎぃ~、ドイツに行きたい!」
このご時世、国外どころか、隣の県の渡航が禁止・自粛状態。バスや電車に乗る時すら、緊張をするのだ。飛行機でドイツに、なんて行けるわけがない。
ジタバタと床を転がる。私だけではない、今は我慢の時なのだと思っても、そうそうに納得できるわけないのだ。
私は旅が好きだ。
もともと好奇心が旺盛で、休日は、一眼レフカメラを持って、散歩に出かける。近所のこともあれば、日帰りなら電車に乗って県内を、長期の休みがあれば友人と県外へ足を運んだ。ドイツ語を学び出してからは、一人でドイツへ飛び、各地の友人たちを訪ね、蚤の市で大好きなアンティークを値切り交渉して回った。
まさか、そんなことが、過去の得難き思い出になろうとは。誰も思わなかった。
旅は良い。
都会にはない雄大な自然を体感するのもあり。反対に、人の手で作られた歴史の教科書に載るような古い建造物を見に行くのもいい。現地の方や、旅先で出会った同じ旅人との一期一会の触れ合いを楽しむのも一興だ。
そして、多くの人々が楽しみにするであろう、ご当地の食事。新鮮な海鮮、旬の果物や野菜。その地独自の調理方で、それがさらなるごちそうになる。現代では、お取り寄せをして楽しむこともできるが、中には鮮度などの関係で難しいものもある。現地に向かわなければ、楽しむことができない、美食。舌の肥えた旅好きたちは、さぞかしつらい思いをしていることだろう。
私も、旅での食事は楽しみの一つだ。だが、趣旨が一般の方と違う。
ガイドブックをめくると、北ドイツの港町、ハンブルクを紹介するページに出会った。私は、両手で、顔を覆って唸る。
「あ~、ハンブルクで食べた、あの地獄みたいなスープを食べたい!」
それは、ハンブルクのご当地名物、ドイツ語で「アール・ズッペ」。直訳すると、「うなぎのスープ」だ。このスープ、前評判がなかなかのものだった。端的に言えば「名物のうなぎを使ったスープ」と書かれることが多い。ドイツ滞在経験のある方が書かれた書籍には「独特な風味なので、好き嫌いが分かれるかもしれません」と書いてある。そこで、当時の私はおや? と思った。さらに、ネットの海を泳ぎ、情報を集める。そして、見つけた、ドイツ在住の日本人のブログ。そこにははっきりと、「ドイツ旅行でおいしい思い出を作るなら、これを食べることはおすすめしない」と書かれている。個人の感想にせよ、おすすめしないと書いてある。と、いうことは、一つに答えが導き出される。常識的な感性の持ち主なら、「アール・ズッペ」を食べたい物リストから外すだろう。だが、私は、ニタリと笑った。
「へぇ、そんなにまずいのか。こりゃ食べてみるしかないでしょう!」
舌なめずりしながら、「ドイツでしたいことリスト」に流れるように書き込む。
 
とある心理学者の方の研究で、こう書かれている。何事もなくスムーズに進んだ事柄よりも、ハプニングなどが起こった情報量の多い事柄の方がより、記憶に刻まれると。
例えば、子ども時代の思い出を振り返ってみて欲しい。日々、何をしていたのか、あなたは思い出せるだろうか。毎日の登下校や授業なんて、ほぼ覚えていないだろう。だが、遊んでいて骨折したとか、給食の時間にA君が牛乳を吹き出して騒ぎになったとか、Bちゃんが好きでラブレターを下駄箱に忍ばせたとか。そういった、痛み、笑い、胸の高鳴りなど、五感と心が揺れ動かされた記憶ほど、心に残るのだという。
バスツアーでも、2、3件の名所を巡るものより、早朝からスケジュールをガッチリ詰め込んだお楽しみ満載のプランの方が、顧客満足度が高いのだそうだ。
私は、そう、旅の思い出をスイートな事柄だけでなく、一匙のスパイスを入れたいのだ。その方が記憶に残るし、友人たちに語った時にだんぜん盛り上がる。
そういう好奇心旺盛な人種なのだ。
だが、クールな友人は眉をしかめて冷ややかに言う。
「わざわざなんでそんなことすんの? 頭おかしい」
はい、一理あります。
だが、その感覚は私の中では薄いのだ。なぜなら、私の身の回りには、そういう人種が多い。代表格が私の兄である。母や義姉いわく、私と兄は「歳が違う双子」。感性が近く、同時期に同じものにハマることも、同時に同じことを同じイントネーションで話し出す、ということも多かった。
「おい、ワラスボ買って来たぞ!」
「な、なんだって!?」
ワラスボ、それは有明海のみに生息する海洋生物だ。見た目は、極小の目とヒレがついた灰色のうなぎ。歯がまるでサメのように異様に発達し、かなりグロテスクな生物だ。それを隣県の佐賀県は干物にして、特産物として売っている。まさに、エイリアンの干物。ワラスボの写真や動画がネットに上がると、悲鳴と共に毎度拡散され話題になる。
そんな貴重な珍味を、佐賀からの出張帰りの兄が入手した。それはもう、小躍りする勢いで、兄に駆け寄る。
「どうやって食べるの?」
「焼いて食うらしい」
魚焼きグリルの上に、干からびたエイリアンを4匹並べる。2人でソワソワしながら、時間を潰す。待つこと10分。
「何焼いてるの?……ぎゃ!?」
知らずにグリルを開けた母の悲鳴を合図に、2人でほかほか熱々のエイリアンを皿の上に救い出す。
包丁で、ギコギコと切り刻む。ふむ、どうやら、切ってからから焼いた方が良かったようだ。恐る恐る一口。
ガッ
歯が立たなかった。あきらめず、赤ちゃんのように噛みしゃぶる。薄~く、魚の風味がする。マヨネーズ醤油で味変を試みる。まず、兄が付けて食べた。
「どう?」
「ふふ……マヨネーズ醤油の味しかせん」
「ふふ、そうだろうね」
夜、エイリアンをかじりながらニヤニヤ笑う子どもたちを、母は薄気味悪そうに見つめていた。未だに正解の食べ方は知らない。
日本のエイリアンを食べたのだ。
なら、ドイツのエイリアンスープも食さなければいけないだろう。
 
「あった!」
ドイツ語を学ぶ過程で、日独親善交流団体にボランティア役員として所属。付添の名目で私は、学生さんとドイツ人の教授たちと共に、長期でのドイツ研修旅行に行った。そして、ついにハンブルクに上陸。路地の奥のおしゃれな郷土料理を振る舞うレストランで、とうとう巡り会った「アール・ズッペ」のドイツ飾り文字。欧米のメニュー表の多くは、料理写真が掲載されていないのがデフォルト。もちろん、こちらも掲載されていない。だが、逆に、それが私を興奮させた。意気揚々と注文する。他の定食メニューと、単品の「アール・ズッペ」の金額は同じだった。さぞかし、大きなものが来るのだろうと思っていた、が。
「Bitte(ドイツ語でどうぞ、などの意味)」
「ん?」
片手でギリギリ持ち上げられそうな小さな陶器の白いお椀が出てきた。恐る恐る覗き込む。
「え」
「うわ、緒方さん何頼んだんですか?」
赤い。
店内がムーディーに照明を落とされているにもかかわらず、それははっきりと赤い。トマトジュースの赤、ではない。ワインと闇を溶かしたような暗い赤。スプーンを差し入れてみる。とろみがある。さらに探るとお出ましになった。
ドロリ
スプーンの上に、うなぎらしきぶつ切り。スープよりもとろみが強い。むしろ、これから発生しているのではないかと思ってしまった。
「え、何? 緒方さん何頼んだんですか!?」
学生さんたちが、鈍く光るうなぎを見て、悲鳴を上げる。
私は、にこりと笑い、一口でいった。
ぬめり
私は、そのまま硬直した。
想定したより生臭い。そして、謎の酸味とフルーティーな風味が口いっぱいに広がる。どうやらうなぎの他に、野菜と果物が煮込まれている。別の意味で口内をよだれが満たす。
「……まずい」
全員がざわめく。
「なんで、そんなの注文したんですか?」
「だって、記事にまずいって書いてあったから。試してみないとと思って」
「え、わかってたのに注文したんですか!?」
「頭おかしいんじゃないですか!?」
私をかわいい声でなじりながらも、取皿に、自分の食事を切り分けてみんなが恵んでくれる。
おいしい。
絶妙な加減でソテーされた海の魚と、みんなのやさしい心がスパイスになった。
その後も、狙ったわけではないのに、珍味に出会う。泳いでるんじゃないかと思うほどに、ひたひたにお酢で浸された、紐状にスライスされたハムのサラダ。5年分くらいの酸っぱいを摂取したのではないかと思った。その料理の風貌から「メデューサ」と、我々は呼んでいる。
旅行から帰国してからしばらくして、メンバーの1人から、連絡があった。
「緒方さん、地獄のうなぎスープと、「メデューサ」の写真、送ってくれませんか?」
「え、良いけど。何に使うの?」
「……えへへ!」
いや、えへへって。何に使う気だ。ちゃんとおもしろく書いてよ!?
彼女らの記憶にも、無事、深く刻まれたことがうれしくて、ほいほいと画像提供してしまった。
 
そんな、現地でしか体験できない、酸っぱい、いや、しょっぱい体験をしたいのだ、私は。
別にまずくなくていいのだ。食は、個人の主観・感想が多く含まれている。現地の人には、それはごちそうなのだろうから。食べて悶絶した私の方がおかしい可能性もある。
旅に出向けない今、私は、地団駄を踏んでいるだけではない。
「わぁ、この建物すてきだなぁ~」
私は、読書、とりわけ、他人の旅エッセイが大好物だ。国内もいいし、海外もすばらしい。たった数千円で、他人の人生経験譚を覗き見することができるのだ。こんな、お得で有意義なことはない。エッセイ本と合わせて、その県や国のガイドブックも並べて読む。
そうやって、妄想旅行を脳内で繰り広げるのだ。現代は有り難いことに、ネットがある。グーグルマップを使用した、現地のリアルな情景が見えるシステムで散歩を目で楽しむ。また、世界の旅行会社、自治体、博物館や美術館まで、無償でヴァーチャルツアーを提供してくれている。私は、もちろん、ドイツのツアーに参加し、電車の音を聴き、リアルタイムの街の情景を見て大興奮した。
こうして、私は、暴れそうな心をどうどうとなだめて過ごしている。
 
「うわ~何これ!?」
 
だが、私は見つけてしまったのだ。
それは、イギリスに滞在しているクリエイターの方のエッセイコミックを読んでいた時のことだ。世界的な評価として、イギリスは食の評判がよろしくない。例えば、「フィッシュ&チップス」。白身魚とポテトをフライにしセットにした、イギリス国民にとってのソウル・フードだ。これの味付けは、塩または酢、それを付けて食べるだけ。
「え、東京のイギリスパブで食べたけどおいしかったよ?」
違うのである。それは、本物ではないことの方が多い。日本に渡れば、どんな国際フードも、日本人のお口に合うようにオーガナイズされてしまう。そう、世界の中でも、美食国家の仲間入りを果たしている日本人の肥えた舌を満足させられるよう、工夫されているのだ。したがって、イギリス現地に行き、イギリス人シェフに作ってもらったものでなければ、真理にはたどり着けないのだ。本当においしいかもしれないし、噂通り……の可能性もあるのだ。
私は、それが猛烈に知りたい。
そして、今回見つけたのは、そう、イギリス版うなぎのスープ、だ。
著者の方のレポートによれば、地元民に大人気のお店。だが、どうも様子がおかしい。ぶつ切りのうなぎは、衣でもまとったように、ニュルリと鈍く光っているし、生々しい。意を決して、口に含むと恐るべきことが起こった。
「飲み込めない」
あまりの生臭さと味に、登場したメンバーはガタガタと震えている。味付けは、備え付けのお酢のみ。
果敢にも挑んだ方は、全員が日本人。周りの現地民は普通に食べていたという。
なんだろう、その格差は。
一般の方なら、そこで旅行プランに、☓をつけるだろう。
だが、私は。
 
「え~、震えるほどって。どんだけまずいんだろう、食べてみたい!」
目を輝かせながら、脳内行きたいとこプランに大きく◯をつける。
 
ちょっと自覚しはじめている。私は、旅行食変態なのだろう。
だが、やめられないのだ。
確かに、当日は、「私はなぜ、こんなことを?」と正気に還る。しかし、帰宅後、私の写真と報告を見聞した時の、みんなの阿鼻叫喚!
旅の思い出の最高のスパイスに、病みつきである。
 
あなたもどうだろうか。
おかしな物をすすんで食べて欲しいというわけではない。旅の情報を、他人の意見で取捨選択することに疑いを持ってみては。
例えば、日本での観光3大ガッカリ、とうたわれる、高知県のはりまや橋、長崎県のオランダ坂、札幌の時計台を自分の目で見たことがあるだろうか?
私は、現在、札幌の時計台だけを見たことがある。だが、ガッカリはしなかった。「ほぉ~、思ったより小さくてかわいいね!」と大喜びした。
実際に体験してからでないとわからないことは多い。
有名ガイドブックだけを見て、観光して回るのではつまらない。
現地に言って、「おいしい店知りませんか?」と、観光案内所で地元のスタッフさんに話を聞くだけでも有益な情報が得られる。無料配布のご当地マップは宝だ。地元の人も知らない歴史が隠れていることもある。
 
あなたは、どこに行きたいですか?
そこで、どんな体験をしたいですか?
どんなものや人に出会いたいですか?
それで、どんなことを語れるようになりたいですか?
 
まずは、じっくりエッセイやガイドブックで情報収集。ヴァーチャルツアーに参加するもよし、妄想観光で予習をするもよし。
 
あなただけしか作れない、あなただけの旅のプランを、ぜひ編み上げて欲しい。旅の恥はかきすて。
他人に迷惑のかからない範囲で、大いに笑ってはしゃいで、旅を楽しんで。
 
それでは、お互いに良い旅を!
 
 
 
 
※食リポートは個人による感想です。気になった方はぜひ自分の舌と目で確かめてください。

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。カメラ、ドイツ語、占い、マヤ暦など多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォトライター」。漫画『ヘタリア』の「プロイセン」に心臓を撃ち抜かれたことをきっかけに、国内外の日独親善交流の関係者や専門家に引かれるほどのDeutsche-Geek(ドイツオタク)に急成長。現在、日独青年交流を行う団体・JG-Youth(日独ユースネットワーク)の役員としてオタク知識と熱意をフルに活用中。
貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2021-05-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.130

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