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週刊READING LIFE vol.130

湾岸戦争の翌年 イスラエルを旅したことを思い出したこと《週刊READING LIFE vol.130「これからの旅支度」》

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2021/05/31/公開
記事:安堂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
2021年5月。
イスラエルとパレスチナのガザ地区の武力衝突のニュースが、テレビに流れる。
空爆により瓦礫となった街並み。夜空に飛び交うミサイルによる閃光。
 
日本から9000キロ離れたかの地に、
ボクは、およそ30年前の1992年、一人で旅に出た。
その丁度一年前にあったのが、湾岸戦争。
イラクによるクエート侵攻をきっかけに始まり、
イラクのフセイン大統領が放ったスカッドミサイルで
イスラエルの街は火の海となった……。
 
「社会人になったらできない旅をしよう」
 
そう決めて、大学の卒業旅行に選んだのが、イスラエルだった。
聖都エルサレム。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
歴史上、時に対立を見せた3つの宗教がいずれも聖地とする都市。
学校の教科書で存在を知って以来、気になって仕方がなかった。
 
ただ、終戦からわずか1年で、まだ予断を許さない時期だと周囲からは反対された。
そうした声を聞き流し、格安のエアチケットを手にすると、
1992年の2月、イスラエルに降り立った。
 
空港からエルサレムへ向かうと、まっすぐにある場所を目指す。
 
旧市街。
 
それは、エルサレムを最も象徴する場所。
ユダヤ、キリスト、イスラムの3つの宗教の聖地があり、
16世紀、オスマン帝国の時代に築かれたという高く頑強な城壁で囲まれている。
 
その城壁にある門から足を踏み入れると、
細い石畳の道が伸びていて、左右を石壁の白い家がみっちりと連なっていた。
その家々のおかげで先を見通すことができず、まるで迷路のようだ。
 
しばらく石畳の道を進む。この時、ボク以外に日本人らしき姿は見えなかった。
それもあってか、珍しがって子供たちが寄ってくる。
 
「カラテ! カラテ!」
 
日本人だと伝えると、うれしそうに声を掛けてきた。
空手ブームでもあったのだろうか。
当時のボクは、痩せてはいたがスポーツジムでのバイト経験もあり、
それなりに筋肉がついていた。
それに敬愛するスターはブルース・リーだったから、
ちょっとだけ子供たちにサービスをする。
 
「ウワァチャウワー!」
 
映画「燃えよドラゴン」のブルース・リーのごとく甲高い声を上げ、
さも相手がいるように身構えて、時折、親指で鼻先をさする。
空手ではなくカンフーの猿真似だが、
子供たちにはそれが空手の構えのように見えたらしく歓声を上げた。
 
「カラテマスター! カラテマスター!」
 
空手の使い手と勘違いしてくれたおかげで、すっかり仲良くなった。
そして、「嘆きの壁に行きたい」と告げると、手を引いて案内してくれた。
 
嘆きの壁。
 
紀元前、ユダヤ人にとって最も大切だった神殿を取り巻く外壁だったとされる場所。
神殿は2度破壊され、それを深く悲しみ嘆いたことからその名が付いたとされる。
ユダヤ人は、その高さが20メートル近くある石壁に向かって首を垂れ、祈りをささげる。
ボクが辿り着いた時も、大勢の黒ずくめの男たちが壁に向かっていた。
その厳かな雰囲気に、思わずたじろいでいると、
子供たちが、小さな紙でできた帽子を渡してくれた。
「キッパ」と呼ばれるもので、それを身に着けることでユダヤ教信仰の証になるという。
どうやら紙のものは観光客用に用意されているらしい。
 
それを落とさないように、ちょこんと頭に乗せ、再び子供たちに手を引かれて壁に向かう。
熱心に祈りを捧げる男たちは、興味本位にやってきた日本人をどう思うのか。
ひょっとしたら厳しく叱責されるのではなかろうかとヒヤヒヤしていたが、
予想に反して、とても友好的だった。
彼らは、自分たちが最も大切にしている場所でも
明らかに信者でないボクを丁寧に扱ってくれた……。
 
彼らの対応だけでなく、
旧市街は、ボクの予想をはるかに上回り、驚かされることばかり。
例えば、ガイドブックで知ってはいたが、
嘆きの壁の目と鼻の先にイスラム教の聖地があった。
 
岩のドーム。
 
預言者ムハンマドと縁のある
聖なる岩を取り囲むように作られたとされるムスクで、金色に輝く。
それは、ユダヤ人が頭を垂れる高さ20メートルの嘆きの壁の上。
壁の上は広く開けていて、ユダヤ人の代わりにイスラム教徒が多くいる。
 
わずか1枚の壁を隔てて、歴史上、争いを見せた異教徒らが集っていた。
しかも、そこから西へ10分ほど歩くと、今度はキリスト教の聖地が現れる。
 
聖墳墓協会。
 
イエス・キリストが処刑されたとされるゴルゴダの丘に建てられ、復活したとされる場所。
 
そこには、ヨーロッパからの観光客だろうか。
金持ちそうな白人の団体いて、
エルサレムに住む子供たちの質素な服装と大きなコントラストをなしていた。
 
「こんなことって、あるんだ……」
 
ユダヤ教。イスラム教。そしてキリスト教。
城壁に囲まれた小さな古都で、それぞれが絶妙なバランスで均衡を保っていた。
 
だが、時にそれが破られることもある。
 
半円の袋のような生地に
野菜と揚げ団子を詰めた「ピテ」を屋台で注文している時だった。
背後でどなり声がして振り返ると、
2人の男が、人の腕の2倍ほどの太さのこん棒で殴り合っていた。
ユダヤ人とパレスチナ人らしい。
お互い頭から血を流していたが、周囲は、それを止めることもなく静観していた。
 
混沌……。
 
均衡という薄皮の一枚下には、異宗教と異文化、
それに感情が深く長く入り混じっているようだった。
果たして、彼らはそうした状況に何を思い、何を感じているのだろうか……。
 
その疑問の糸口だけでも感じ取りたいと数日滞在したが、
ほんの片言の英会話しかできず、聖書すらまともに読まずにやってきたボクには、
何も伺い知ることができなかった。
 
「英語と宗教、ちゃんと勉強してから来ればよかった……」
 
後悔ばかりが募ったが、どうしようもなかった。
 
エルサレムを後にすると、死海を回って、
紅海に面したリゾート地・エイラットに立ち寄り、
最後の目的地として、中東屈指の商業都市・テルアビブを訪れた。
 
その街並みは、極めて都会的。
清潔な通りにはビルが立ち並び、先進国さながらの風景が広がっていた。
ただ、少し歩くと、すぐに瓦礫に出くわす。
湾岸戦争でイラクから放たれたスカッドミサイルが落とされたのが、この街だった。
1年建ったその時も、まだ壊されたビルが、無残な姿となって所々で横たわっていた。
当時の様相は、2021年のイスラエルとガザ地区の武力衝突と似ていた。
夜空に閃光が走ってミサイルが飛び交い、瓦礫の前で呆然と立ち尽くす人たち……。
 
「これが戦争というものか」
 
都会に突如と現れる戦争の跡。
でも、道行く人はそれを気にする素振りはない。
イスラエルという国は、そうしたことに慣れているのだろうか。
市街を回るバスに乗ると、若い女性兵士が数人乗り込んできた。
全員、肩に機関銃を掛けていた。
目の前にあるだけでも度肝を抜かれたが、
狭い車内で、揺れる度に機関銃に身体が触れそうになり神経を使った。
戦争が終わり、日常を取り戻しているように見えたが、
その日用品の一つに、機関銃も数えられているのだろうか。
ボクら日本人には到底知ることのない世界が、そこにはあった。
 
市内を歩き周って疲れたところで、白く美しい砂浜が広がるビーチに出た。
ベンチに腰かけていると、ヤコブというユダヤ人の男が声を掛けてきた。
彼は2か月前まで日本にいたと言う。
 
「アヤセシ ニ イタ」
 
神奈川県の綾瀬市のことだろう。
 
60代半ばくらいで、大きな鷲鼻に、身長は180センチほど。
上半身はぷっくりとしているのに足はすらりと長く、
まるでアメリカのコメディアニメに出てくるような体型だった。
彼は食事をしようと誘い、車でレストランまで連れていくと言う。
会ったばかりの大柄な外国人に、いきなり車に乗せられるのは遠慮したかったが、
歩き疲れていたことと、彼の車が日本のいすゞのジェミニだったこともあり、
思わず二つ返事で了承した。
 
イスラエルには、いすゞの車が多かった。
しかも、ジェミニはまるで国民車かと思えるほど、その姿をよく見かけた。
後から知ったのだが、「SUMO」というブランド名で親しまれていたらしい。
 
それはさておき、ヤコブの車で市内を回ったのだが、店はどこも閉まっていた。
その日は金曜日で、夕方にはどこも早く閉めてしまうという。
そこで、ヤコブの家で食事を摂ることになる。
これこそ警戒して断るところだが、乗りかかった舟と誘いに乗った。
 
彼の家は、小ぎれいなマンションの一室だった。
家族は出払っているといい、2人だけでの食事。
出てきたのは、パンとヨーグルト、それにアボカド。
パンもアボカドもそのまま。焼きもしなければ味付けもなし。
正直言うと、ちょっと味気なくて、なかなか喉を通らなかったが、
初対面のボクに食事を提供してくれた彼には感謝した。
そして、食事を終えると、突然、家族にFAXを送れと言い、ワープロを取り出した。
日本製でシャープの「書院」。当時、人気の機種だった。
おそらく、彼はそれを自慢したかったのだろう。
何度か断ったのだが、ボクの英語がうまく通じず、
ヤコブの日本語も怪しかったから、なかなか話が先に進まない。
ついには、こちらが根負けして、
「今、イスラエルにいます。安心してください」と妙な文章を打って、
実家の両親にFAXをした。
そして、そろそろ宿泊先へ帰ろうと腰を上げた……。
 
「ヘッドセット。アキハバラ、ユー、カウ、ヤコブ、オクル。OK?」
 
ヤコブがこう言ってきた。
どうやら今日のお礼に、秋葉原でヘッドセットを買って、彼に送ってくれと言うことらしい。
そんな下心があったことに鼻白んでいると、彼はメモ用紙を破り、住所を書いて渡した。
文字は、イスラエルの母国語のヘブライ語だろうか。
何が書いてあるのか見当がつかなかったが、適当に分かったと言い、
彼と別れて、一人、夜の街を歩いてホステルに戻った。
 
その日は、ベッドについてから改めて自分の無力さにがっかりした。
 
「瓦礫が残る街に住んで、どんな気持ちなの?」
「機関銃が日常の生活に当たり前にあることをどう思う?」
「ヤコブ、あなたはボクにヘッドセットを買わせるためだけに親切にしてくれたの?」
 
聞きたいことは山ほどあったが、
つたない英語力では、そうした踏み込んだ問いかけをすることができず、
できたとしても、彼らからの返答を理解することもできなかった。
 
結局、イスラエルでの滞在中、後悔の連続だった。
もっと英会話をできるように準備しておけば……。
もっとユダヤ教やイスラム教、それにキリスト教のことを勉強しておけば……。
せめて聖書をしっかり読み解いてから旅に出ていれば……。
 
あれから、30年。
テレビでイスラエルとパレスチナのガザ地区での武力衝突を目にして、
当時の出来事が脳裏に蘇った。
 
ヤコブは、まだ生きているのだろうか。
手を引いてくれた子供たちは、どんな大人になっただろうか。
 
実は帰国後、ヤコブとの約束を守ることはなく、ヘッドセットを送らなかった。
ただ、手元には、今も彼の住所が書かれたメモが残っている。
それを見ていると、ふつふつとある思いが沸きあがる。
 
「もう一度、イスラエルの土を踏みたい」
 
残念ながら、今の仕事ではイスラエルへの出張は万に一つない。
2人いる息子たちは当時のボクと同年代になりつつあり、まだまだ金がかかる。
時間も金も持ち合わせていない50の男だが、
それでも、イスラエルの旅路をいつか実現したいと思う。
 
ただ。
 
その時までに、改めてイスラエルのこと、ユダヤ教のこと、イスラム教のこと、
キリスト教のこと、それに英会話も勉強すると心に決めた。
 
さあ、これから、旅の支度をはじめよう!
 
そして、30年越しにヤコブとの約束も守りたい。
あのメモを頼りに、ヘッドセットを持って彼の家を訪ねるのだ……。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
安堂(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

名古屋市在住 早稲田大学卒
名古屋を中心とした激安スーパー・渋い飲食店・菓子
及びそれに携わる人たちの情報収集・発信を生業とする

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2021-05-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.130

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