週刊READING LIFE vol.135

何が、間違っていたのだろう? ただ、愛しただけなのに《週刊READING LIFE vol.135「愛したい? 愛されたい?」》


2021/07/19/公開
記事:大多喜 ぺこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※こちらの記事は、フィクションです。
 
 
美子が、小学校教師をやめたのは、教頭からのいじめが原因だった。
何かにつけて名前を上げて注意される。子供の頃から優等生だった美子には、耐えられなかった。今思うと、生意気な新任教師が、教頭の価値観を刺激していたのだろう。
「こんなおかしな世界で生きていけない。もっと、自分らしさを生かせる職場があるはず」
1年で退職届を出して、SEになった。
 
SEの世界は、能力主義で、任せられた仕事さえこなしていれば、他の人とコミュニケーションをとらなくても一日が過ごせた。向いていたのだと思う。間違えたら結果が出ないから、うまくいったかどうかも明確だ。
最初は、覚えることが多くて苦労をした。でも、もともと勉強好きな美子は、ほどなく基本を覚えて会社にも貢献できているという自覚を持てるようになった。
 
東京まで新幹線で仕事に通っている美子は、田舎では珍しく、「すごいわね」などと言われているうちに、気づけば30歳をとうに超えて、田舎のまちでは、行き遅れの仲間に入っていた。
若い頃は親のツテで、いくつか舞い込んできていた見合い話も、28歳を過ぎた頃からパタリとなくなり、周囲からは「仕事で生きる人」と見られている節もあった。
友達の結婚式の誘いもとっくになくなり、最近では、出産祝いを贈ることばかり。話題が子供の話ばかりの同級生たちの集まりに行っても、居心地が悪い。
「美子は仕事バリバリですごいわね」
「毎日、東京に通うなんていいなあ。私なんかスーパーと保育園だけよ。行動範囲」
「また、海外旅行。本当に、独身貴族ね」
などと、口では、羨ましがっているようなことを言っているが、表情はなんだか余裕に満ちているように見える。
 
SEの仕事は、常に、新しく出てくる方法や知識に追いついていかなければいけない。最新と思っていたものが、ひと月もすると色褪せてくる世界だ。この頃は、若い人には叶わないと思う場面も増えてきた。覚えきれない気がするときもある。なんとか必死についていっている気分を忘れるためにブランド物で身を包んだ。疲れた。
 
そんな時、何年ぶりかにお見合いの話が来た。地元の40歳過ぎの男性で、真面目な人だった。おとなしい人で、なんでもこちらの都合に合わせてくれる。組合の職員だ。若い頃なら、見向きもしなかっただろう。周りには、バリバリ働くビジネスパースンがたくさんいたし、結婚相手には、ある程度の見栄えと何より学歴や将来性が必要だと思っていた。
聞いたこともない大学出身の将来性もない組合の職員。どう考えたって私の方が優秀だわ。結婚してやっていけるのかしら。大体40歳すぎまで独身なんて、何か問題があるのかもしれない。
 
当時は、そして田舎では、そんなふうに考えられていた。女性は30歳、男性は40歳すぎて独身だと、どこかに問題があると憶測されて見合い話もぴたっとなくなる。
 
美子は、バリバリのキャリアウーマンを装ってはいたが、一生仕事だけに生きがいを感じて生きていこうとは思っていなかった。すでに、仕事は生きがいですらなくなっていた。
 
「ぼくは、今の環境に満足しています。他の仕事に移ることもないと思います。給料も決して高くはないけれど、美子さんを幸せにすることだけは、約束します」
博和は、真面目にそう言った。その優しさだけは信じられる気がした。
「美子さんが仕事を続けたいのなら、そうしてください。応援します」
 
美子は、職場の妻子ある人と何年か交際していたが、不毛な付き合いにうんざりして、しばらく前に別れたところだった。それまでは、誰かと別れても、すぐに次の誰かがそばにいて、結婚なんてその気になればいつでもできると思っていた。ところが、ある時から、次の男が見つかるまでの時間があくようになり、最後は、結婚は望めないだろう妻子ある男としか付き合えないようになっていた。
そんな時に、お見合いした博和。
「この人でもいいかな」
そして、結婚した。
 
身を焦すような恋愛とは程遠かったが、結婚生活は思ったよりずっと幸せだった。何事も美子の気持ちを一番に考えてくれる。些細なことが原因で、美子が激怒しても、だまって、怒られ続ける博和に物足りなさも感じたが、大喧嘩になって別れるというような若い頃の失敗を繰り返す恐れはなかった。
 
子供ができた時、直属の上司が、随分年下の男性に代わった後で不満に思っていたこともあり、キッパリと仕事をやめた。
「仕事を続けてもいいんだよ」
と博和は言ったが、
「仕事も、家事も、育児も全部やれっていうの」
と反発したらもう何も言わなかった。
 
男の子が生まれた。高いところで輝くような人生を歩んでもらいたいと「昴」と名付けた。
昴は、かわいかった。
産院で夜中にしゃっくりが止まらなくなった時、おろおろして看護師を呼んだ。
「大丈夫、すぐにとまりますよ」
看護師は軽くあしらうとすぐにナースステーションに戻っていった。
息子を抱えながら、
「ああ、この子は、私がいないと生きていけないのだ。今、この世に、頼れるのはわたしだけなのだ。わたしが、手放したら死んでしまう子なのだ」
という思いが湧き上がってきた。
この子を一生大事に育てよう。愛おしさが募って涙が流れた。
 
結局、博和と美子の間に生まれたのは昴だけだった。
 
美子は、全ての愛情を昴に注いだ。誰からも、すごいと言われるような子に育てたい。習い事も色々させた。友達も厳選した。少しでも、子供のためになるならと、地域のあれこれのボランティアに参加した。
もともと、人の上に立つのが好きだったこともあり、それぞれの団体で主要な立場になっていた。強引なところに反発する人もいた。外で嫌なことがあるとなおのこと昴に対しての期待が募った。
「お父さんはもう出世もしないし、金持ちにもならない。昴はお父さんみたいにならないでね。あんたは優秀なんだから。お母さんの自慢なんだから」
宿題や作文や提出用の絵画は、つきっきりで教えた。もともと小学校教師だったこともある。何回も直させた文章や絵は、校内や地域で表彰されたりした。
「ほらね、昴はすごいんだから」
 
同級生の親との話題でも、ついつい昴のことを自慢したくなる。
「この間お寿司屋さんに言ったら塩で食べるお寿司が出てきて、昴が『この塩はいい塩ですね』と言ったのよ。そうしたら、板前さんが『こんな小さいのに塩の味がわかるなんてすごいなあ』って、感心してたわ。うちの子は、食べ物にうるさいのよね」
「川柳教室の先生に、この子のセンスはすごいって、子供の視点じゃないってすごく認められているのよね」
 
知人の家に夕食に呼ばれた時も、その家の子供たちと遊ぶよりも、大人と一緒に対等に料理の味や政治について話している息子が誇らしかった。
 
同級生のお母さんが
「昴君、もっと子供たちと遊ばせた方がいいんじゃない。昴君、ちょっと、窮屈そうよ」
などと言ってくるのも妬みだと思っていた。
 
ちょっとおかしいと思い始めたのは中学に入ってからだった。塾にも行かせているし家でもつきっきりで教えているのに、成績が思うように伸びない。どうやら、学校でいじめにあっているようだ。そんなことがあっては勉強に身が入らないのも無理はない。
担任に相談に行ったが、どうも本気で考えてくれているようには思えない。
校長に直接相談に行った。授業に付き添わせてもらうことになった。
「母ちゃん、大丈夫だから、来なくていいよ」と昴は言ったが、
「何言ってるの、昴のことを本気で考えているのは母ちゃんだけなんだから。まかせておきなさい」
というと、もう何も言わなかった。
 
さすがに昴の挙動のおかしさが気になるようになって、県庁所在地まで出かけていってカウンセリングを受けた。
「情緒障害ですね。お母さん少しお子さんをどこかに預けるとか離した方がいいんじゃないですか」
昴が情緒障害。馬鹿を言うにもほどがある。カウンセラーだなんていっても、適当なことを言って高いお金をとっているだけね。だいたい、もし、病気なら親から離すなんてことよけいにできるわけないでしょ。このカウンセラーは信頼できない。やっぱり、地方都市はレベルが低くてダメだわ。
 
博和に相談すると
「母ちゃんの気がすむように、他の病院に行ってみるといいよ」という。
博和はあいかわらず、美子の言うことに逆らうことはない。それどころか
「母ちゃんも俺なんかと結婚しなかったら、もっと、幸せな人生をおくれた人だと思う。本当に申し訳ない」などと言う。
 
昴もいい子だ。珍しく言い争いになって
「もう、放っておいてくれよ」と物を投げた時も、後で、全部片付けて
「母ちゃんごめんね」と素直に謝ってくる。
 
先日は、お母さん仲間とお茶をしている時に、塾の先生から電話がかかってきた。
「昴君、今日、塾を休んでますが、どうかしましたか」
行っているはずなのに。1時間ほどすると昴が帰ってきた。素知らぬ顔をして
「塾どうだった?」
意外な質問に、ちょっと顔色を変えたが
「どうって、べつに」と自分の部屋に入っていく。
お母さん仲間の手前、
「ふ〜ん」とやりすごしたが、その後、冷蔵庫の飲み物を取りに部屋から出てきた昴に
「さっき、塾の先生から電話があってね。今日休んでますって」
昴の顔が明らかに青ざめた。
お客様がいなかったら怒鳴っていたかもしれない。
昴が、明らかに動揺しながら弁解する
「体調が悪かったからさ。ごめんなさい。黙って休んで」
 
昴は昴で、美子に心配をかけまいと心を砕いている。美子の望む理想の息子でありたいと、その苦しさの中でもがいている。
母ちゃんを愛しているから。
 
美子の望む高校に進学できなかった時、美子は、同級生のお母さんたちにこう言った。
「◯◯高校に入れたんだけどね。でも××高校の先生が、ぜひ、うちの高校にきて欲しいっていうものだから、推薦でそっちにしたのよ。それに、最近◯◯高校もレベル下がっているしね」
 
その高校に入ってから、昴の奇行が始まった。一緒にスーパーにいたはずなのに。姿が見えない。美子は狂ったように携帯電話に連絡を取るが、返事もない。電話局に問い合わせて位置確認するが、正確な情報がわからない。
警察に電話をしても、「高校生なんでしょ」と取り合ってくれない。
何時間も経った後、昴が電話をかけてきた。
「どこにいるの」
「自分でもよくわからない。気がついたら、山の中にいた」
医者の診断は、乖離性人格障害だという。
 
昴はよくわかっていた。美子が昴を心から愛してくれていることを。そして、昴も美子を愛していた。でも、どうしていいかわからない苦しさがずっと心の中にあったのだ。
 
推薦で大学に進学した昴は、結局、途中から通えなくなり、引きこもり生活をするようになった。
博和の助けも借りて、美子は昴と一緒に診療を受けることになった。
 
博和の定年退職にともなって、これまで住んでいた所を離れ、さらに田舎の博和の実家の田んぼのあった土地に家を建てた。退職した博和は、隣接の畑で農業をしながら、時折、気が向くと手伝ってくれる昴と時間を過ごしている。
 
お茶の支度をしながら美子は、思う。
「なにが間違っていたのだろう。ただ、全力で愛しただけなのに」
これまでの日々を思うと胸が締め付けられて本当に苦しくなる。
私が愛していたのは昴ではなく自分だったのかもしれない。
 
でも、今、誰とも比べる必要もなく、昨日と同じ、変化のない今日が続くこの日々の中で、ずっと、欲しかった安心がそこにあったことに気づく。
 
博和が昴に言う。
「俺たちで、母ちゃんを直してやろうな」
「母ちゃんは、俺たちのためにがんばってくれたんだから」
 
ふたりに愛されているのを感じる。
いないと生きていけなかったのは私の方だ。
 
心療内科のカウンセラーの言葉が思い出される。
「お母さん。昴君よりお母さんの病気の方が重いですよ。でも、あなたは幸せですよ。あなたのことを一番に考えてくれるご主人と息子さんがそばにいて支えてくれるのですから」
 
 
 
 

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2021-07-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.135

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