心のドアを叩くときには子どもに戻ってみよう!《週刊READING LIFE Vol.154 人生、一度きり》
2022/1/10/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
「やりたいことをやる」
この言葉は、とても当たり前のように聞こえる。自分のやりたいことをやる。ただそれだけ。目的が明確な自己啓発本のタイトルみたいに、実にシンプルだ。
けれど、いざ何をやりたいのかと聞かれたとき、すぐに答えられる人はどれくらいいるのだろうか? 同じことを子どもに尋ねたら、躊躇なく答えるだろう。なぜなら、子どもは純粋に、そのとき自分が欲するものを素直に表現できるからだ。できるか、できないかなんて関係ない。「やりたいからやる」という、至って真っ直ぐな答えになるだろう。大人のように、あれこれと周りの状況を推し量ったり、他人の目を気にしたりすることもない。
以前の私は、この手の質問が苦手だった。聞かれても、答えが出るどころか何も頭に浮かんでこなかったからだ。
やりたいことがあるけれど、恥ずかしいから言えない、無理だと思うから言えないなんて、そんなレベルではなかった。私の「やりたいこと」は、何一つ浮かんでこなかったのだ。そればかりか、真っ白な靄がかかったように、頭の中が視界不良になってしまうのだった。
何だか情けなかった。私には、夢も希望もないのだろうか。やりたいことすら、分からないなんて。自分のことなのに、自分の本音が分からず、それは雲を掴むような話のように思えた。
当時の私は、仕事に家事に育児にと追われる身だった。共働きの世帯ではよくあることだ。ひたすら日々のTO DO LISTと向き合い、終われば線を引いていく。線を見れば終わったことが分かるけれど、それは徒労感ばかりで充実感とは別物だ。「やるべきこと」をやるのは、ルーティンであって夢や希望とは違う現実だった。毎晩、布団に入って眠りに就くまでが、唯一ホッとできる自分タイム。けれど、その束の間も睡魔に勝てず爆睡してしまう日々だった。
「やるべきこと」をこなしていくことは、障害物競走のようなものだ。ゴールに向かって一斉に走り出す選手は、如何に効率よく障害をクリアしていくかを競う。そこで勝者になるためには、ほかの選手よりも素早く種目をクリアしなければならないのだ。
その頃の私は、ゴールを最短で制することが正しいことだと信じて疑っていなかった。だから、「やるべきこと」より「やりたいこと」をする時間を確保することには罪悪感があったし、「やりたいこと」を考える時間すらも「やるべきこと」に充てていたのだった。
当然、私はいつも息切れしそうだった。なぜか「やるべきこと」は、ちっとも減ってくれないのだ。一つをクリアすれば、また一つが現れるという繰り返しだ。毎日の障害物競争の中で「やるべきこと」と格闘するのは、終わりのないゴールテープを目指しているのと変わらなかった。
それでも、私はその競争の正体になかなか気づけなかった。それが、ただ自分をすり減らしているだけだということや、障害物競争のスタートラインから一緒に飛び出した競争選手が、実は自分が勝手に作り出した「やらねばならぬ怪人」だったということに。
「やらねばならぬ怪人」は、執拗に私につきまとっていた。せっかちに私を追い立て、要らぬ不安に追い込んでいく。頑張っているはずなのに、なぜか仕事が増えていく。時間の効率化を図っているつもりでも、やることを減らさずに増やし続けていれば元の木阿弥なのに、私は、あれもこれも「やらねばならない」と思い込んでいたのだ。けれど、時間には限りがある。そして、焦る。まさに負のスパイラルだった。また次の日も、同じことの繰り返しだった。
そうしていくうちに、この無限スパイラルに不本意ながら慣れていった。いつものことだから、と高を括っていた。今考えれば恐ろしいけれど、終わりのないことがデフォルトになっていた。自分の許容範囲を超える荷物を背負って、まだまだいけるよとやせ我慢をしてみせていたのだ。
ところが、悠長にやせ我慢をしているどころではなくなった。病気にかかり、今まで通りのペースで仕事をすることが難しくなったからだ。右半身に痺れが出るようになったため、思うよりも作業に時間がかかったり、動きに支障を感じたりすることが増えた。私の病気は、現状維持が精一杯で完治することはないと医師に告げられていたので、無理をすると症状が進みそうで怖かった。
今までと同じやり方ではいけないと思った。嫌でも、「自分の体を自由に動かせるタイムリミット」を意識するようになった。現状維持が精一杯ならば、右肩下がりに機能が落ちていくことは否定できないだろう。けれど、現状維持できる期間や機能が落ちていく速度には個人差があるから、急には悪化しないかもしれない。ただ、自分の体を思い通りに動かせる時間というものが有限であることを、このとき痛感した。
歳を取れば、誰しも若い頃のように体が動かなくなる。その事実を頭では分かっていても、その期限が随分早く来てしまうかもしれないと思ったとき、私は一度自分の生活を見直したいと思った。もちろん従来の私のままだと、「やらねばならぬ怪人」がすぐ顔を出してくる。一度リセットして障害物競争から離脱しなければ、きっとまた知らぬ間に無理をすることは明らかだった。そして考えた末に、退職して別の生き方をすることを決めた。
しかし、退職してしばらくは、何だか居心地が悪かった。平日に家に居るなんて、今までにはなかったことだ。生活のリズムが、今までとは全く違う。
多くの人が毎日仕事をしているのに、私はそうじゃない。
忙しい職場から戦線離脱して、申し訳なかったな。
前よりも時間があるはずなのに、大したことができていない。
そんな妙な罪悪感が、つきまとう。そして、暇があるのに、何をすればいいのか分からない。
空っぽになって、ようやく自分の心のドアを叩いてみた。
「何をやりたいの?」
シーン。反応がない。やっぱり、何もないのだろうか。「やらなければならない」ことはすぐ思いつくのに、「やりたいこと」の声が聞こえない。ひょっとして、あまりにも今までちゃんと考えることがなかったから、リハビリが必要なのかもしれないと思った。些細なことから書き出してみようと、紙とペンを用意してみた。
紙の一番上に、「やりたいことリスト」と書いてみる。
さあ、何が出てくるかな? まだ声は聞こえない。それならば、とりあえず食べたいものや買いたいものを書いてみよう。箇条書きに書いていると、どうしてそれを食べたり買ったりしたいのかが浮かんできた。どこで、誰とどんな風に。頭の中に、映像が浮かぶ。満足した家族や友人たち、そして私の笑顔。それは、温かく幸せな情景だった。
「日々を楽しく過ごすこと」。私のやりたいことリストの横にはそう書かれている。その下には箇条書きで24項目の「やりたいこと」が並んでいる。あれから、連想ゲームのように「楽しいこと」が浮かんできた。日々、どのような状態で居れば楽しいと思えるのかと想像すると、こんなことができたらいいなと思うことが、心の奥底から手を挙げ始めた。
それは、今まで考えつかないようなことも含まれていた。できる、できないで判断せず、子どものように素直に書いてみると、自分の中にこんな部分があったのかと新たな発見があった。その中の一つに、「文章を書いてみること」があった。
小学生や中学生のとき、面白半分で物語を作ったことがあった。ノートに書きなぐった話は、多分その頃流行った漫画や小説のパクリだったと思うけれど、自分が書きたいように書き、友達に感想を聞くことが楽しかった。決して上手くはないけれど、想像力を広げて思うように書くことは、羽が生えたような自由を感じさせてくれた。きっとその頃の記憶が、私の心に眠っていたのかもしれない。そして今、こうしてライティングを勉強している私は、書くことの難しさを思い知りながらも、書き終えたときの充実感や読んでくれた人の反応を楽しみに励んでいる。
24項目の「やりたいことリスト」では、やってみたものに二重線を引いている。現在、線を引き終えたのは16項目だ。退職して3年以上経った現在、日々を楽しく過ごすことをモットーに、興味のあることにいろいろと考えずに飛び込んでみたら、案外できたことが多いことに驚く。
そして、「やりたいことリスト」には、これから追加項目がまだまだ増える予定だ。身体的にできないことが増えようとも、自分にできることを探して諦めず貪欲に進めば、その先の扉が開くことは、ここ数年で実感している。
人生一度きり。そして、自由に動けるタイムリミットはいつ訪れるか分からない。それならば、「やらねばならぬ怪人」の顔色を窺うより、「やりたいこと」に時間を費やすほうが人生を豊かにできると思うのだ。人生最後の日に「楽しかった」と言えるように、そして自分や周りの人たちの笑顔を増やすために。
□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
福岡県在住。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。
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