週刊READING LIFE vol.159

かっこ悪いけれど豊かな暮らし《週刊READING LIFE Vol.159 泥臭い生き方》


2022/02/28/公開
記事:九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
子どものころ、家には土間があって、おくどさん(かまど)があった。なので、だいどこ(台所)はせった(雪駄)や靴とか履かないといけない空間だった。まだ、お風呂を薪で焚いていた。焚いてもらったお風呂に、私は一番に入っていた。水道水のほかに、井戸水もあって、井戸水は夏は冷たく、冬はあたたかかった。
 
農家に生まれて、そんな古い家に住んでいた。子どものころはそれがあたりまえだったので、みんなそうだと思っていた。お隣の母屋(おもや)もそうだったし、いとこの家は、トイレが外にあったりした。トイレが家の中にあるだけ、進んでいたと言えるのかもしれない。
 
幼いころから、よく畑についていって遊んだ。畑があちらこちらにあって、川原の畑とか、比較的町中にある畑とか、いなかのだだっ広い畑とかさまざまで、場所によって全然違うから飽きない。特に、川原の畑は、鴨川沿いにあって、区切りがあってないようなところだったから、私の畑と言って、勝手に小さなスペースを設けたりして遊んでいた。そのかわり、川原の畑は、台風や豪雨があったりすると、すべて流されてしまう。何か育てていたとしても、一瞬にして流される。
七夕になると、毎年父が川原から笹を伐ってくれて、その笹に折り紙で飾りをつけて、願い事を書いてつるしたりしていた。
 
大きくなるにつれて、よその家に行ったり、友だちから話を聞いたりするうちに、うちの家は古くさいということに気がつき始めた。近くに団地があって、集団登下校でみんな同じ団地から連れだってやってくる。みんなと同じ場所に帰っていく姿を見て、団地ってすぐに友達に会えるし楽しそうだなと、うらやましく思っていた。
 
テレビでサザエさんを見ても、お父さんの波平さんも、マスオさんもサラリーマンだし、私にとっては逆に会社員というものが全然ピンとこなかった。でも、会社で働くというものが、かっこいいものに思えて、大きくなればなるほど、農家であることを恥ずかしいことだと感じ始めていた。
 
学校から帰ったら、お家のお手伝いをする。父も母も祖母も一緒に野菜を整えたり、洗ったり、詰めたりしている。私は、野菜を入れる段ボール箱を組み立てたり、泥だらけになった玄関やトラックを掃いたり、お米を研いだりした。手伝いも終わって、宿題でわからないことがあると、仕事をしている父に聞きにいくけれど、父は面倒くさがって、いつも「字引をひけ、自分で調べろ」と言う。あんまり邪魔をすると、怒られる。18時になると、夕ご飯だった。両親がつくった野菜を食べて育った。夕ご飯の後に、父が野菜を市場に車で持っていくのも、よくついていった。夜のドライブだ。道はよく混んでいて、けっこう時間がかかる。広い中央市場に、お野菜が並べられていて、そこに父もお野菜を並べる。私も手伝う。
両親は、朝は早朝から畑に行き、夜に市場に行くまで働いていて、雨が降ったらお休みだった。学校から帰ると必ず、家族が家にいて、一緒に働いている。それはとても安心なことだった。家族みんなでいつも一緒にいる。そんな小学生時代だった。
 
昔、巨椋池(おぐらいけ)があったところが昭和初期の干拓で広い田畑になっていて、そこにうちの畑もあった。とても田舎のその場所に行くまでにけっこう車に乗るし、何にもない田舎の畑には、柿の木があって、秋には柿をとって食べた。京都には南に山はないけれど、
そこまで行くと、南に山が見えた。「あの山はなんていうの?」と父に尋ねたら、「おじいさんがいはる山や」と言われたことを覚えている。父の父である私の祖父は、父が17歳のときに亡くなったので、私は知らない。なんでそんなふうに父が言ったのかはわからない。京都にいると、北の左に見えるこぶのある山が愛宕さん、右に見えるのが比叡山だから、南に見えるのは何かなと思って、私は聞いたと思う。
 
父は末っ子で、かわいがられて育ったらしい。身体が大きくて、祖母が産んだとき1貫以上あったと言っていた(1貫は3.75㎏)。見るからにやんちゃな父は、ラグビーをしたかったそうだが、入った学校にラグビー部がなくて柔道部に入って柔道をしていた。自動車科のある遠くの学校に通っていて、父は農家を継ぐ気は全然なかった。警察学校に入って、警察官になろうと思っていたという。それが、高校2年になったばかりの4月に自分の父親が亡くなってしまった。
胃がんで手術しようとお腹を切ったら、もう手のつけようがなかったという。生きていくために父は高校をやめて農家を継いだ。祖母は車に乗れないので、父がいなかったら遠くの畑にも行けない。成績や柔道の腕がよかったらしく、授業料を払わなくていいからと学校から言ってもらったらしいけれど、祖母が働くには父が必要だったのだろう。
 
農家を継ぐことについて、父から詳しく聞いたことがないけれど、意に添わないことだったと思う。私の高校生のときのように、農家であることが嫌だったのかもしれない。それなのに、祖母のために農業をしていこうと決断したことは、相当な覚悟というか、したいことができなくなった無念というか、複雑な思いがかなりあったことと思う。17歳で母一人子一人、母親を養っていく立場に突然切り替わった。しかも、まだ17歳。やんちゃな高校生が、世帯主として家を切り盛りしていくことになった。
 
父はよく高校のときの話を楽しそうにしていた。皆があほでわしの答案でカンニングしていたとか、1時間に1本ぐらいしかない吉野の田舎から通っている友達がいたとか、柔道部で大学生と一緒に稽古した話とか、それはそれは嬉しそうに話していた。
 
父はお見合いをして、比較的早くに結婚した。母は初めてのお見合いだったけれど、父は何度もお見合いをしていたらしい。おもしろそうでないから結婚しなかったという。母の実家も古い農家だ。
 
おそらくその頃までは、お米をつくっていたけれど、減反政策があって、田んぼを畑にすることを決断したらしい。そんなことは全然知らなかったけれど、大人になってから両親とタクシーに乗ったときに、父と母が話の流れで運転手さんに話していた。農家がお米をつくらなくてどうするのかと祖母に大反対されたという。確かにそうだ。お米をつくってなんぼだ。でも、私が物心ついたときには、すでにお米はつくっていなかった。かすかにあるレンゲや田んぼの記憶のある場所には、今は警察署が建っている。いろんな決断をしながら、農家をしてきたんだなと、タクシーの運転手さんに話すのを聞きながら、知られざる来し方を想った。
 
私のなかで父の匂いは、土と汗の匂いだ。グローブみたいに大きくて太い指の手をしていて、私は未だかつて父より大きな手の人を見たことがない。その手で、キャベツとかほうれん草とか、かぶらをつくっていた。キャベツの畑に行くと、整然と並んだキャベツのまわりにモンシロチョウがたくさん飛んでいて、とても美しかった。父は几帳面だったから、大雑把な母をよく怒っていた。車で何十分もかかる遠くの畑で喧嘩をして、母は歩いて帰らされたことがあると聞いた。毎日日記をつけて、今日はどんな天気で、どんな野菜をうえたか、どこの畑で何をしたのかを書いていた。早くに父親をなくしたので、父は自分の経験の集積で農業をしていたのだろう。
 
私は学校時代、農家であることを隠したかった。かっこ悪かったから。まさに汗水たらして働かないといけないし、泥まみれになって、まったくきれいな仕事ではない。でも、大人になってから、私の小学生時代は、幸せに満ちていたと強く感じるようになった。なぜなら、いつも家族が家にいてくれるし、家族みんなで働いていたし、不安がなかった。朝晩、家族そろって、うちでつくった野菜でご飯を食べていた。こんなに幸せなことがあるだろうか。
 
それでも、農家であることは恥ずかしかった。
 
21歳のとき、一緒に住んでいた祖母が亡くなった。もうぼけていた祖母が、ある日ずっと寝ていた。朝から起きてこなくていびきをかいて寝ていたという。様子がおかしいから、その日の夜は父が祖母のそばで眠った。なにごともなく静かに朝を迎えたら、祖母はもう息をしていなかった。近所のかかりつけのお医者さんを呼ぶと、1分間に1回呼吸があるかないかで、老衰でこのまま間隔があいていくという。苦しまずに安らかに眠るように死んでゆく祖母を、家族みんなで見送った。祖母が寝始めた日は、祖父の亡くなった日だった。31年経って、祖父が迎えにきてくれた。お葬式とかいろいろなことが落ち着いたとき、ぼそっと父が、「とうとう、一人になってしもたなぁ」と言った。
「私らがいるのに」と、私は思った。
17歳のときから家を守ってきた父が、一緒にまもってきた母親が亡くなったことは、とても大きな意味があったのだろう。
祖母が亡くなってから、だいどこ(台所)の上の神棚の布袋さんが新しくなった。父が伏見稲荷にお参りして、布袋さんの伏見人形を買ってきて、毎年1体ずつすこしずつ大きくなるように飾っていった。七福神にちなんで7体並んでいるので、7年かかる。家に不幸があると最初から集めなおすというしきたりらしい。ある年にまちがえて、前の年と同じ大きさの布袋さんを買ってしまったらしくて、背の順で同じ大きさのものがある。
 
祖母が亡くなってからも、農業をやめてからも、私が嫁いでからも、していたことは、お餅つきだった。昔は、年末とお祭りのときにお餅をついていたけれど、お祭りのときは鯖寿司とお赤飯だけになり、それでも年の暮れには石臼と杵で父がお餅をついてくれた。もち米を蒸すととてもいい匂いがした。お餅つきはいつも早朝から始まる。蒸した熱々のもち米を、石臼に入れて、父が力強くつく。私はいつもお餅を丸める係だった。鏡餅だけは、父の大きな大きな手で丸める。そして、家でつくるあん餅がとてもおいしかった。父も私もこしあんが大好きで、父がこしあんをつくってくれていた。小豆をたいて、木綿の布巾でよーく漉すと、とてもきめ細かなこしあんができる。
いつだったか、母が塩と砂糖をまちがえるというサザエさんみたいなおっちょこちょいをして、父が怒っていた。今となっては笑い話だ。
その石臼が割れてしまった。恒例のお餅つきができなくなってから数年後の4月、父が癌であることがわかった。それから半年後にあっけなく父は亡くなった。
 
はからずも泥臭い生き方をしてきた父は、農家として、自然とともに生き、神仏とともに生き、信心深かった。その影響を私は強く受けている。
家族葬を終えて、1ヶ月ほど経ったころだろうか。喪中欠礼のはがきが届いて訃報を知ったという父の高校時代の同級生が突然来てくださった。私がたまたま実家にいるときだった。どちらからかと尋ねると、奈良の吉野から遠路はるばるお越しくださったという。高校1年とのときしかご一緒してなかったけれど、父は同級生に、「こんなあほな高校やとは思わへんかった」などと言っていたらしい。確かに父から聞いた通りだ。「私は、電車が1時間に1本ぐらいしかなかったんで」というのを聞いて、父がよく話していた方だとわかった。時間をつぶすのに、父がつきあっていたということだろうか。「口は悪いけれど、心優しい人やった」と仰った。考えてみれば、高校2年の4月に学校を辞めてしまったので、たった1年間を一緒に過ごしただけで、わざわざ家まで駆けつけてくださるということに、驚きと感動を覚えて、涙があふれた。50年近く前にたった1年間を一緒に過ごしたお友だちが、父の生きる姿勢をとらえて語ってくださったことに、心から感謝した。突然の弔問に、私がいあわせることができたことも、偶然ではないのかもしれない。
 
父が農家を継いでくれたおかげで、私は幼少期を幸せな家族との時間に包まれることができた。自然とともに生き、地に足をつけて生きる生き方を父が見せてくれた。野菜をつくるというのがどれだけ尊いことか、農家に生まれ育ったことがどれだけ幸運なのか、今は強く感じている。
 
かっこよくないかもしれない。
きれいではないかもしれない。
古くさいかもしれない。
でも、人にとって不可欠な根源的な尊い仕事だということにようやく気づいた。
農家に生まれて、自然や家族と豊かな時を刻んでこれたことに、心から感謝している。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

同志社大学卒。陰陽五行や易経、老荘思想への探求を深めながら、この世の真理を知りたいという思いで、日々好奇心を満たすために過ごす。READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部で、心の花を咲かせるために日々のおもいを文章に綴っている。

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2022-02-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.159

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