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週刊READING LIFE vol.171

迷ったら切れ!《週刊READING LIFE Vol.171 同じ穴のムジナ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」に所属されているのお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/05/30/公開
記事:九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
失敗するかもしれないけれどとにかくやってみるか、もしくは、失敗しそうだから始めからチャレンジしないか。
私は失敗したくない思いが強い。失敗しない最善の道を常に選択したいと思う。そして、欲深いので、最善最短ルートを選びたいと願っている。
失敗しない最善で最も近い道。
人生にそんな道があるのだろうか……。
 
バブルが弾けて、冷え切った経済があたりまえになっていた頃だったと思うが、父の親友の会社が倒産した。家具屋さんで、父の同級生たちが例えば子どもの勉強机を買うとなれば、その親友の店で買っていたので、きっと、親戚知人への販売で成り立っていたのだろう。バブルも弾けて、子どもたちも大きくなって、安い家具が出回るようになっていたからか、経営破綻した。大きなお家も差し押さえられて、経理事務を一手に引き受けていた奥様が外に働きに出るなか、社長である親友は、にっちもさっちもいかない状態だったけれど、お店の土地が売れず、売れないことにはどうにもならない。周りからは、人に頭を下げにいくとか、何かすることがあるだろうと言われていたようだけれど、何もせず、毎日父のいる私の家にしゃべりにきていた。皆が彼を見放している。父は幼稚園のころからずっと一緒にいた親友の話を、ただ毎日聞いていた。
 
そんなある日、父は決断した。その親友の家具店の土地を借金して購入すると言うのだ。そうすれば、親友は助かるだろう。買ってくれる人がいないと、親友は身動きとれない状態にあった。でも、父は買ってどうしようというのだ。私は大反対した。
こんな不況の時代に、あんな土地を欲しいと思う人がいるか。うまくいかないのは目に見えている。大通りに面していて、家具屋さんだから土地も広いし、当然高い。でも田舎だ。賑やかな場所では決してなくて、郊外で、皆が買ってくれない土地を買って、素人がどうしようというのだ。
 
父は、意外なことを言った。
「人生で一度だけ、したいことさせてほしい」
夢を持たせてほしい。
そんなようなことを言った。
えっ、夢? と思った。
きっと、父はその親友のように社長というものをしてみたかったんだと思う。社長になって、成功したい。稼ぎたい。男性なら誰もが一度は思う夢かもしれない。
父のそんな強い決断に、私が反対する権利もなく、父は困窮していた親友の誰からも見向きもされなかった土地を買った。そして、有限会社にして、社長となった。賃貸業がどのような経営だったのかは全然知らないけれど、とにかく父はやってみたかったことにチャレンジした。
 
結婚資金としてとっておいたお金を使うから、もし結婚するならお金の準備をしないといけないから早めに言ってと言われた気がする。最後に売れ残っていた私は、結局、結婚しようと思うと父に言ってから、3週間ぐらいで入籍して、相手の希望で結婚式も挙げなかったので、ちゃんとしていた父からしてみれば、めちゃくちゃな結婚だった。
 
父の会社の資金繰りがうまくいかなくなっていたのが、いつの頃からかは定かではないけれど、父に癌が見つかって、入院していたときに、いつ病室に行っても、携帯電話の連絡を気にかけていた。不動産会社からの連絡だ。土地を借りてくれる人がいないと、多額の固定資産税だけが大きくのしかかってくる。借りてくれる人が見つかるかどうかを待っているのは、胃に穴があくほどのストレスというのを越えて、胃と肺に癌ができるほどのストレスだったのだと思う。例の親友が毎日お見舞いに来る。親友はお気楽な人だ。父は神経質な性質だった。
 
父がその親友や別の仲間たちとタイへ旅行に出かけたとき、添乗してくれる人がいなくて、
しかたなく父がツアーの取りまとめを引き受けたとき、気を遣い過ぎて、旅を全然楽しめなかったと言っていた。
 
その神経質な父にとって、資金繰りがうまくいかない時期を耐え忍ぶのは、さぞ心労だったのだろう。血を吐く思いという表現があるが、本当に血を吐いた。それで、癌であることがわかった。胃と肺に癌が見つかったと電話で聞いたとき、私は涙が出てくるのを止められなかった。だって、胃と肺にあったら、もうダメかもと思ってしまった。しかも、国立病院に一緒に検査に行くと、難病指定されている間質性肺炎が見つかって、そのために癌の治療はできないと言われた。結局、治療できないまま、痛みや苦しみをやわらげる緩和ケアしかできず、父は半年であっけなく逝ってしまった。
 
ストレスの原因となった、その土地のことを憎んだ。でも、父の決断だ。どうしようもない。
そう言えば、肺がんの検査のときに、癌細胞をとる際に危険を伴うという説明があって、私はそこまでして検査を受ける必要があるのかと反対した。その際も、父は言った。
「まな板の上の鯉や。白黒はっきりつけたい」
結局、癌だと思うけれども、癌と診断するには、細胞をとって病理検査に出さないと診断できないという理由での検査を、父は受けた。案の定、具合が悪くなって、肺に水がたまって、病院に行くたびに、父は病人のようになっていった。
 
父が亡くなって、数ヶ月経ったころ、私と妹は兄に呼び出された。もうすぐ、父の借金の相続の通知がいくと思うけれど、お前たちは何も心配するなということだった。
届いた通知を見てびっくりした。億を超えていた。とても、私たち子どもが一生働いても返せる額ではない。父が癌になるほどのストレスがあったのも無理はない。親友のために、一肌脱ぐにしても、限度がある。あのとき、なんでそんなにしてまで親友を助けたんだろうか。
 
 
そんなとき、喪中のハガキを見た父の高校の同級生が弔問に来てくださった。遠く奈良の吉野から京都までわざわざ父のために来てくださったことに驚いた。というのは、父は高校に1年しか行っていないし、その後、ほとんど年賀状の交流だけのようだったからだ。それなのに、父のことを、口は悪いけれど優しい人やったと言ってくださって、16歳の父は死ぬまで本質的に変わらなかったんだなと感じた。

 

 

 

失敗したくない私は、結婚も失敗したくなかったので、夫と添い遂げようと思っていた。何があっても添い遂げる。苦難があっても、乗り越える。それがいいと思っていた。その覚悟をして結婚したのだから。
 
でも、我慢すればするほど、うまくいかない。私は夫が働かないことも受け入れたし、家事をしてくれるどころか、家事ができていないと説教されることも我慢したし、私の銀行口座をすべて夫が管理して、私が自分のお金を引き下ろせない状態にあったことも我慢した。よくなるどころか、これでもかということが起こる。夫が倒れた。病気を理由にますます何もしなくなった。その上、私は大切にされない。怒鳴られる。よく一緒にいられるねと言われたけれど、一人になるのがこわかったからだ。孤独になるのがこわかったから、いいことが一つもなくても、結婚生活を続けていた。
 
今から考えれば、父以上にお人よしだった。働いていない人で就職の見込みもないことをわかっていて結婚したのだから、父がなんであんなことをしてまでと、とやかく言える立場にない。まあ、男女の関係は、友情とは別物でくせ者だからしかたない部分はあるとしよう。
(いや、ないと思う)
 
でも、私は遅ればせながら、離婚を決意した。夫に言い出すのがこわくて、言うのに1ヶ月半かかったけれど、勇気を出して伝えた。一悶着あったけれど、晴れて私は自由を手に入れた。そして、私はもっと自分を大切にするんだと決意して、新しい人生をスタートさせた。結婚に失敗した。だから、もう二度と失敗したくない。そう思っていた。
 
離婚する際に、弁護士さんを紹介してくれたり、私にいろいろとアドバイスをしてくれた先輩がいた。その先輩の助言に従って、離婚もできて、家も売れた。家が売れたお金でローンも清算できた。先輩がいてくれたおかげだと思い、けっこうな御礼をしたつもりだった。
弁護士さんに払うお金よりもはるかに多い御礼をした。
 
1年ほど経ったときだろうか、先輩から多額のお金を貸してほしいと言われた。ふつうそんなお金を持っていないというかなりの額を言われたたじろぐほどだったけれど、父の相続のお金があった。多額の借金を相続したけれど、兄がうまく取り計らって、あの懸念の土地が売れたのだ。いろいろ清算して残ったものを兄が私たちに分配してくれた。それを先輩は知っていた。
先輩には恩義がある。これは貸さないといけない。母からは子どものときから人にお金は絶対に貸してはいけない、お金を貸すときは返ってこないものと思えと言われていた。父のことを想った。義理がたい父なら、貸すだろうな。助けてもらった先輩が困っているなら、貸してあげるべきだと思った。そして、そのお金は返ってこないものと思わないといけない。そもそも、先輩がいなかったら、離婚できていたかもわからない。そう思って、多額のお金を現金で渡した。
 
なぜ、現金で渡すことになったのかは忘れてしまったけれど、私のその大金が入っている銀行が京都の信用金庫で、東京から手続きができなかった。現金で渡して、領収書も何もいただけなかったので、何も証拠がない。先輩を信じているからこそだった。
 
私にお金は残っていなかった。それでも、離れて暮らす先輩に会いに行き、先輩から学ぼうと仲間たちとともに旅行に行ったりしていたけれど、苦しくなってきた。お金だけではない。心も。私がお土産も買えず我慢しているのに、先輩は家族や友人に配るお土産をたくさん買う。いいものを食べる。通販で毎日のように買い物をする。私が何も買えないのに、私のお金で先輩は何でも買って、しかも人にも買ってあげている。そう思い始めると、先輩と行動をともにするのが辛すぎた。いたたまれなくなった。
 
先輩にお金を貸したことは、誰にも言わなかった。先輩にとって都合の悪いことだから、人に言ってはいけないと思ったからだ。でも、何でも買いまくる先輩を見るにつけ、自分で抱えるには重たすぎた。
 
あるとき、髪を切ってもらっているときに、ポロリと話した。先輩に大金を貸して、お金に困っている。その金額を聞いて、驚かれた。
「その先輩大丈夫?あなたいいカモだよ」
先輩のことを信じていたので、そんなふうに言われたのが心外だった。
「それ、返してほしいと言った方がいいよ。そんなに信頼している人なら。」
「そうですね。言ってみます」
言う決意をしたけれど、こわい。勇気がいる。あれ、デジャヴのような気がする。前にもこんな状況になったことがあるな。離婚のときだ。離婚したいとなかなか言い出せなかった。貸したお金を返してほしいと言うことが、かなりの勇気がいった。電話して言うのに気がひけて、メッセージを送ったら、電話がかかってきた。電話で話すと、相手に合わせて話してしまって、言いくるめられそうなことがわかっていたので、固い意志を持って、ゆるがなかった。
 
そんな急に言われてもとか、私は年金生活者でとか、いろいろ言われた。それでも縁は切れないと思うと、立場が先輩なのだから当然だけれど、上から目線で言われた。忘れられない言葉がある。
「わかっていると思うけれど、私は買うのを我慢できないし」
この場に及んでそう言われてしまって、
「私も買うの我慢できないわ!!!!!!」と心の中で大声で叫んだけれど、先輩には言えなかった。
1週間頂戴と言われた。待つしかない。
その間に、マナーの先生と話す機会があった。私が心にモヤモヤを抱えているのを見抜かれて、こんなことがありまして、とお話をした。
「それって、絶対返ってこないと思いますよ」
驚きながら、そうはっきり言われた。その日はちょうど1週間経つころだったと思う。それでも私が信じているのを気の毒そうに、弁護士さんを紹介するとまで言われた。私が信じていたものは何だったのだろう。そんなふうに思っていると、その日の午後、振り込みましたと先輩から連絡があった。めでたくお金は返してもらえた。その先輩とは距離を置くことにした。(当然だろう)
近所に住む親友にそのことを話すと、上の立場を利用して下の立場の人に借金するなんて卑怯だと言っていた。人に話さないと、何がふつうで何がおかしいのかがわからない。私は結局のところ、父と同じ穴のムジナだった。人がよすぎた。お人よしにもほどがある。
 
失敗したくないと思いながら、かなりいろんな失敗をしてきた。失敗を極力避けてきたつもりなのに、むしろ、失敗だらけのように見える。失敗しないようにしないようにしても失敗するのなら、どうせならやりたいことをやって失敗したいものだ。やはり、父が選択したように、やりたいことにチャレンジしたら、例え失敗だったとしても悔いはないのかもしれない。
 
 
いけばなのお稽古で、枝を切るときでさえ、失敗をおそれる。切ったら取り返しがつかないから、なかなか思い切って切れない。先生に質問した。
「枝を切っていいかどうか迷ったら、その枝は残した方がいいですか?」
「迷ったら切れ」
即答だった。
「でも、切ったら取り返しがつかないですよね」
切って失敗するという経験が、自分を確実に一段階上に成長させてくれる。
そう仰った。
そうか。私の数々の失敗は、私を成長させてくれている。
 
お稽古に友だちが姿をあらわさない。どうしたのかな。連絡をとると、友だちはお稽古の日をすっかり忘れていた。お稽古できなかったことをとても残念がって、かなり悔やんでいる様子だった。仲間が言った。
「こういう経験をしたら、今度から絶対お稽古日を忘れないよ」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

同志社大学卒。陰陽五行や易経、老荘思想への探求を深めながら、この世の真理を知りたいという思いで、日々好奇心を満たすために過ごす。READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部で、心の花を咲かせるために日々のおもいを文章に綴っている。

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2022-05-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.171

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