週刊READING LIFE vol.175

棺桶リストをスタンプラリーにしてはいけない《週刊READING LIFE Vol.175 死ぬまでにやりたい7つのこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/06/27/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「身勝手に聞こえてしまったら残念ですが、彼の最後の数ヶ月は私にとって最高の日々でした」
名優ジャック・ニコルソンが、“悲しみ”とも“充実感”ともとれる複雑な表情で、淡々と弔辞を述べた。
 
『最高の人生の見つけ方』という映画を見た。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという映画界の至宝ともいうべきベテラン俳優の演技合戦が注目されたこの映画。何年かぶりにこの映画を再見し、その原題を知った。
今、目にした心を震わす感動のストーリーが、急になんだか高い壁のように自分の前に立ちはだかっているような気がした。
現代は『The Bucket list』日本語に直訳すると、“棺桶リスト”だ。
余命宣告された老人二人が“死ぬまでにやり残したこと”をリストにし、それを叶えるための冒険に出る。片方は勤勉だが金はなく、もう片方は金は腐るほどあるが、見舞いには秘書しかこない。二人は棺桶に後悔を持ち込まないために、やりたいことを実行に移すべく病院を飛び出していく。まさにその時、二人の手にあるのがその“The Bucket list”というわけだ。英語のスラングで“死ぬ”を意味する“kick the bucket”という慣用句から来ているらしい。
(因みに、吉永小百合・天海祐希のコンビで日本版映画が制作されている)
 
この映画を見た当時、僕はまだ20代に突入したてで、人生でやり残したことなど、思い浮かばなかった。“自分の人生の終わり”が想像がついていなかったのだろう。まだまだ人生は可能性に溢れているし、やりたいことは当然のように無数にある。それらをただ一つずつ叶えていけばいいだけで、わざわざリスト化する必要なんてない。人生に“やり残したことがある”という感覚がなかった。若造の僕はそんなふうに考えていた。
 
自分の人生の残り時間が限られている、そう考えるからやりたいことを絞る必要があるんだ。そりゃあ、映画の主人公たちは余命宣告されているような老人だから、そうするのも理解できるが、僕にはまだ関係のない話だろう。
公開当初、この映画を見た時は、名優二人のとびきりの演技に感動しながらも、僕はそう考えていた。これは自分には今のところ関係のない話だ、と。
 
しかし最近この映画を再見した時に、自分の“棺桶リスト”について無意識に考えている自分に気がついた。
 
別に、どこか身体に悪いところがあるわけではない。
最初に映画を見た時から数えると10年以上の月日が経っているが、その間に目立った大きい病気をしたわけでもなく、何か事件・事故に巻き込まれたわけでもない。
年に2回ある会社の健康診断では、特に異常は見つからず至って健康体である。
(少し痩せた方がいいとは言われている)
 
ではなぜ、僕はこの映画を見て、自分の人生の終わりを意識した思考になってしまったのだろうか。
きっとそれは、この何年かで身内が立て続けに亡くなっているからだろう。
 
昨年、叔父が亡くなった。
持病があり、あまり状態が良くないのは知っていたが、その知らせは突然で、何より兄である僕の父がおそらく一番動揺していた。いや、動揺していたに違いない。
父は寡黙な人で、物事を淡々とこなすタイプだからか、叔父の葬儀や身辺整理なども淡々とこなしている印象があった。きっと心の中では深い悲しみと、動揺でぐちゃぐちゃになっていたはずだ。
 
叔父とは年に一回、新年の集まりでしか顔を合わさなかったが、自身に子供がいないからか、僕と弟のことを可愛がってくれていた。特に叔父が長年やっていた吹奏楽を、僕が高校で始めたことで、叔父はとても喜びいろんな楽器の話をしてくれた。
一つのことを極めていくタチなのか、叔父の楽器への知識はとても豊富で、いろんな楽器の成り立ちや音楽の変遷などについて語ってくれたのを覚えている。
僕が大学生になり演劇を始めた時も、本屋で見かけたからと、名優たちのインタビュー本を買ってきてくれた。僕は夢中で読み耽り、すっかり“渋い俳優たちの脇役びいき”になってしまった。
叔父が楽しそうに自分の好きなことについて語る姿は、同じような気質の父親の姿と相まって、子供心になんとも羨ましく思えた。そうか、好きなことを好きであると正直に言えて、語れることは、こんなにもワクワクしているのか、と。
 
そして僕にとって何より大きかったのが、育ての祖母の死だった。
両親が共働きで、忙しかったので、幼い頃から祖母が家事を手伝いに来てくれていた。学校が終わるなりランドセルを文字通り投げ捨てて遊びにいく僕と弟を、祖母は暖かい目でいつも見てくれていた。食べ盛りの僕らのお腹を満たそうと、いつも美味しいご飯を作ってくれていた。泥んこになって帰ってくる僕らは、その祖母の料理が大好きだったし、いつもおかずの取り合いで喧嘩になったものである。
大体は、兄貴の権限を僕が振り翳し、一口多めに食べた。
 
祖母が危篤であると連絡を受けたのは、演技のレッスンに向かっている電車の中だった。
数年前から痴呆症が進み、僕ら孫のこともおぼつかなくなってはいた。特別養護老人ホームに入居していたし、かなりの高齢だった。覚悟はしていたものの、やはり動揺は隠せなかった。その日の演技はグズグズで、自分でもショックだったのを覚えている。
 
数日後、なんとか危篤を乗り切った祖母に会うことができた。
彼女は寝ているのか起きているのかわからない。ただ、目は閉じていて、僕らが話しかけると少し反応を返してくれるくらいだった。
職員さんが、ラジカセで音楽をかけてくれた。美空ひばりである。
すると驚くことに、祖母は笑った。僕ら家族の声掛けにも、ほんの僅かな反応しか返さなかった彼女は、大好きな美空ひばりで声を出して笑い出したのである。
曲は『お祭りマンボ』である。
美空ひばりのハリがあってキップのいい通る声が、病室に響く。
祭りを囃し立てる彼女の声の、何がそんなに面白いのか。確かに冷静になってみると意味がわからないところもあるが、祖母はとにかくゲラゲラと笑っていた。
ここ数年、痴呆症の進行でだんだんと表情がなくなっていった祖母の、久々の笑顔だった。
祖母の娘である僕の母は、少し目を潤ませていた。
 
身近な人間の死を経験し、彼らにはやり残したことはなかったのかと、嫌でも考えてしまう。
『最高の人生の見つけ方』の二人の主人公たちのように、自分の残り時間をカウントしていく余裕があればいいが、なかなかそううまくはいかないのが現状だろう。もちろん僕もまだまだやりたいこともあるし、生きたいと思っているが、死は平等に、そして突然訪れてしまう。その人の準備が整っているかどうか、やり残したことがあるかどうかを、どうやら神様は考慮はしてくれないようだ。
 
しかし、ふとそこで思う。
やり残したことがある人生は、不幸なのだろうか。
 
多分、叔父にも祖母にも、やりたいことはまだあっただろう。
食べたいものもあっただろうし、一度は見てみたいと思っていた景色もあっただろう。
僕の知っている限り、エアーズロックやピラミッドを二人が見たという話は聞いたことがないし、二人とも死に向かっていくに際して、パァッとお金を使ったという話も聞いたことがない。何か特別なことを成し遂げるのではなく、淡々と日々を味わっていくことに、二人とも一生懸命だったが、リストに上げようとすれば、何かやりたいことはあっただろう。
あるいは、僕が知らないだけで、そういうリストがどこかに存在していた可能性もある。
それがどのくらい消化できたのかどうかは、本人しかわからない。
 
しかし、そのリストがたとえ一行もクリアできなかったとしても、僕は二人は幸せだったんじゃないかと思う。
いや、ほんとのことはわからない。僕を含めて、彼らに関わったすべての人は、彼らは幸せだった、と思いたいだけなのかもしれない。
“やりたいことをどれくらいやれたのか”
この基準で考えると、なんだか一気につまらないものに感じてしまうから不思議だ。
30代前半の僕にとって、おそらくあと50年近く続くであろう人生が、陳腐なゲームのようにさえ感じられてくる。
よくわからないスタンプラリーのように、その項目をただ満たすことだけを考えてしまう。
たとえそれが、人類史上初の何かだとしても、そのことを死の間際に思い出し、喜べるのだろうか。
 
映画をきっかけに、身近な人の死について感がてモヤモヤしていた時、映画の中の印象的な言葉がふっと頭をよぎった。
「魂が天の門を通ると、神が二つ質問をするんだ。人生で喜びを得たか? そして自分の人生は他人に喜びをもたらしたか?」
 
親類ではあるが、あくまで他人である僕には、亡くなった叔父や祖母の人生が充実して幸せだったかを決める権利はない。
僕が言えるのは、僕が彼らによって喜びをもたらされた、ということだけなんじゃないだろうか。叔父には好きなことに対して正直でいる楽しさを、祖母にはここでは語り尽くせないほどの深い愛情をもらった。
それらに優越はもちろんなく、そのどちらもかけがえのないものだ。
 
 
うーん、なんだか湿っぽくなるのも違う。
僕にできることは、二人から、いやそのずっと前に生きた人たちからももらったバトンを、僕が関わる人たちに渡していく作業なんだろうと思う。だからなのか僕“The Bucket list”は、まだ空欄のままだ。
死ぬまでにやりたいことは、死が近づかないとなかなか浮かんでこない。
 
でも、そのリストを考えるような時になっても、その項目をスタンプラリーのように埋めていくようには、したくないなぁ。
その項目を一つ一つクリアしていく先に、誰かに喜びをもたらすことができればいいなと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加

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2022-06-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.175

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