あなたの生きたかった人生を私は生きる《週刊READING LIFE Vol.179 「大好き」の伝え方》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2022/08/01/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
講師の指示に従って、私たちは3人ずつのグループに分かれた。
「これからワークをやります。自分の行動にブレーキをかけてしまうような言葉をひとつ思い浮かべてみて下さい。例えば、面倒くさいとかね、そういう言葉です」
普段自分がよく使っていて、なおかつ、それが自分の進化を妨げている言葉って何だろう?
色々な言葉が思い浮かんできたが、私はその中からひとつを選んだ。それをグループ内でシェアしあう。
「私は、『できるかな?』にしました」
「僕は、『自分でやらなきゃ』です」
「ゆりこさんは?」
「私は、『明日からでいいか』にしました。やらなきゃと思ってても、つい後回しにしちゃうのを何とかしたいなと思って」
「あぁもう、どれも共感するね。あるあるだ」と3人で笑い合った。
すると、講師が次の指示を出した。
「今思い浮かべた心の声がつい出そうになった時、誰にどんな言葉をかけてもらいたいか。理想の声を決めましょう」
「明日からでいいか」と思っている私は、誰にどんなセリフを言われたら、「ハイ、今すぐ!」と喜んでやっちゃうだろう? 私はニタニタしながら、その人の名前と言われたいセリフをノートに書き出した。それをまたグループ内でシェアする。
「僕は、『自分でやらなきゃ』と思った時に、尊敬する教授から『信頼して任せろ』と言われたいですね。どっしりと落ち着いた感じで言われたいな」
「私は、『できるかな』と思ったら、地元の先輩から『経験は宝物だよ』と言われたいな」
「私はね、『明日からでいいか』と思った時、織田信長から『明日は来ないかもしれないぞ』って言われたら、絶対今からやる」
「えーっ、織田信長?!」
同じグループの2人はびっくりした顔で私を見た。そう、私は織田信長にビシっと言ってもらいたいのだ。
そんな風にして、私たちは「理想の声」を3パターン出した。私は織田信長に言ってもらいたいセリフの他には、尊敬している女性に言ってもらいたいセリフ、お世話になった上司から言ってもらいたいセリフを書き出した。その後、グループ内で互いに「理想の声」を浴びせるワークをした。私が『明日からでいいか』と思いそうなシーンを思い浮かべると、他の2人が私の設定した「理想の声」の主になり代わり、シャワーのようにその言葉を私に浴びせるのだ。
「じゃあ僕、男性なので、織田信長をやりますよ」
「私は、ゆりこさんの尊敬する女性役をやるね」
そうして私は2人から「理想の声」を浴び続けた。少しドスをきかせた声で「明日は来ないかもしれないぞ」と言われるたびに、胸がズキューンとなる。テレビドラマで見た本能寺の変のシーンが目の前に浮かぶ。炎に包まれながら能を舞う信長が、「明日からでいいかとは何事か! ワシを見よ。明日は来ないかもしれないぞ」と私を叱っている。私はひれ伏したい気持ちになってくる。突然生涯を終えることになって、信長はどれほど無念だっただろう。明日じゃなくて、今だろう。段々と自分の頭の中にあった「明日からでいいか」という言葉が薄れていく。ワークを終えた時には、私の頭の中にあった言葉はすっかり置き換わっていた。
ひとりになってもこのワークができるように、私はこの「理想の声」を録音させてもらった。「何かやる気が出ないなぁ」と思う時、「理想の声」を再生する。「明日は来ないかもしれないぞ」は、私のモチベーションアップの切り札となっていた。
愛知県出身の私は、物心ついたときから郷土の英雄と言えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だった。その中でも私は織田信長に心がひかれた。子供心に「あと少しだったのに、信長は惜しかったな」と感じていたからだ。未完のストーリーは、私の想像力をかき立てた。もし信長が生きていたらどうなっていただろう? もし安土城が残っていたら、すごかっただろう。そんな想像をするたびに、それが叶わなかった無念な気持ちが、私の心に刺さっていた。子どもの頃の私にとって、信長は「悲劇のヒーロー」だった。
その後成長して、信長に関する本を読み漁る内に、私の中の信長像は「悲劇のヒーロー」ではなく、「古い常識にとらわれず、明確な目標を持ち、そのためにすべきことをした人」として、私の目標となった。
信長と言えば、「桶狭間の戦い」とか「長篠の戦い」など、派手な勝ち戦の印象がある。けれども、私は信長と言えば「金ヶ崎の戦い」なのである。信長は越前の朝倉義景を討とうと、京を出陣し、敦賀にある金ケ崎城を攻略した。そこからさらに進軍しようとした時、同盟関係にあった浅井長政が信長を裏切った。信長は、前方は朝倉軍、後方は浅井軍と挟み撃ちのピンチに陥ってしまったのだ。
「もはやこれまでか」という事態である。戦国時代、敗北を悟ったら敵に首を取られる前に自害して果てるケースが多い時代である。逃げるなんて、武士にとって恥だと考えるのが常識だっただろう。でも信長は逃げた。自分が窮地に陥ったことを悟るやいなや、全軍に退却を命じ、自分は命からがら京へ逃げ戻ったのである。
リーダーとして情けない? いや、そうではない。命がなくなってしまったら、それでおしまいである。生きていれば何度でもやり直せる。信長は、名誉や世間体など他人の価値観ではなく、自分の考えを貫いたのだ。しかも、後に残された本隊も、被害を最小限にとどめて、撤退に成功した。絶体絶命のピンチにありながら、統率のとれた退却だったという。ここからは私の仮説だけれど、有事には誰がどんな役割を担うのか、信長は想定していたのかもしれない。だから、状況を把握してすぐに判断を下し、迅速な対応ができたのだろう。信長はその後すぐに軍勢を立て直し、退却してから2ヶ月後には、姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破るのである。
常識にとらわれず、名より実をとる合理的な考えの持ち主。なおかつ、その自分の考えをためらいなく実行する力。私にとって織田信長はそういう人であり、近づきたい存在となった。
自分が目標とする人の考え方を取り入れたいとき、判断に迷ったとき、「あの人だったらどう考えるだろう?」、「あの人だったらどうするだろう?」と考えてみるとよいと言われる。そんな「目標とする人」の見ていた景色を見たいとき、「やってみるといいよ」と言われたことがある。それは、その人の人生に自分の人生を重ね合わせることである。
私はその話を聞いて、早速織田信長の年表を書き出し、主要なイベントに印を付けた。信長が何歳の時に何が起きたのか。その出来事が信長にもたらした意味は何だろう? そこで信長は何を考えたのだろう? 自由に想像して書き出してみる。
次に、その横に自分の年表をつくっていく。信長に起きた人生のイベントの意味と似たような意味を持つ自分の人生のイベントは何だろう? それを書き出していく。例えば、「信長が父の死によって家督を継いだ」というイベントは、私にとっては管理職になり、結構荷の重い業務の担当になった時に重なる。私は目の前の課題にいっぱいいっぱいだったけれど、信長はどうだったのだろう。敵に囲まれ、家中にも反対勢力がある中で、戦や謀略に明け暮れながらも、まず要所となる城を制圧して城主になるという目標があったように思う。
信長が宣教師のルイス・フロイスと出会ったというイベントは、私にとっては新しい学びとの出会いと重なる。信長はたびたびフロイスなどの宣教師と会い、親しく懇談をしている。信長はヨーロッパやインドのことや、はるばる遠い国から日本に来た理由を宣教師たちにたずねた。また、キリスト教の教えについて、話を熱心に聞いたそうだ。信長にとっては初めて聞く話、初めて見る物でも、信長はそれらを否定することなく興味を示した。偏見や先入観を持たなかっただけでなく、「自分にはまだ知らないことがある」ということを潔く認めているように私には思えた。それは私にとって、学びに対する姿勢として見習いたいところである。
そして今の私は、信長の人生のどのあたりにいるだろうか。ちょうど信長が金ヶ崎の戦いで退却した後、立て直して信長包囲網を崩すべく、進撃を始めたあたりかもしれない。やみくもに前に進み続けるだけでなく、ダメだと思ったら一旦退く。しばらく我慢の時が続いても、自分の信念に従って粘り強く地力をつける。今の私はきっとそういう時期にいるのだ。
その後は? 信長は自分の理想を形にしたような安土城建設に着手している。戦に明け暮れる苦しい最中でも、信長は安土城の建設、天下統一への道筋を描いていたに違いない。ならば、私も視点は自分のゴールに向け、そのために今できることに集中しよう。
そして、信長の年表は本能寺の変で終わる。これは私の人生にとっての「教訓」になる。足元をすくわれるとしたら何か? 信長がどうして本能寺の変で倒れることになったのか、理由は分からない。けれども、こんな事態が起きることを予想していなかった信長には、油断や慢心があったと言える。だとしたら、私自身は信長が残してくれた「教訓」を生かさねばなるまい。上手くいっている時ほど、慎重に、謙虚に、そしてしぶとく生き残るための次の一手を常に考えておこう。
そこから先は私が自分の年表を更新していく。信長ならどう考えただろう? どんな行動に出ただろう? そんな問いを繰り返して、信長の生きたかった人生を私は生きるのだ。大好きな信長に直接「大好きです」と言う代わりに。
□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務した後、2020年からフリーランスとして、活動中。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からはライターズ倶楽部に参加。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season総合優勝。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人へ背中を見せ、新世界をつくる存在になることを目指している。
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