週刊READING LIFE vol.190

増えるいっぽうの読みかけ本を減らすため、こんなことをやってみた《週刊READING LIFE Vol.190 自分だけの本の読み方》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/10/24/公開
記事:前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
読みかけの本が、部屋のあちこちに伏せてある。
 
仕事用デスクに無造作に積まれた資料の下、サイドテーブルの積ん読の一番上、ダイニングテーブルの醤油さしの隣、ソファに並んだクッションの横、枕元のギリ手の届くところ、電子ピアノに積んである楽譜の間……。
カバンを開けても、ページの半分くらいのところにしおりを挟んだ、分厚い小説の単行本が入っている。
風呂場の脱衣所を覗くと、洗面台の横に積んであるたたんだタオルの上に、何度も湿っては乾いてを繰り返してヨレヨレになった本が数冊、無造作に積まれている。
この間など、押入れを開けたら上の段の隅っこに一冊伏せてあった。ドラえもんでもあるまいに、もはや意味が分からない。
 
本を伏せたままにしておくと開いたページにそのかたがついてしまうし、本が傷むので嫌だという人も多いだろう。
私もそう思う。全面的に同意する。しかし、私にはそうせざるを得ない理由がある。
 
これはもちろん図書館や誰かから借りた本ではできないことだけど、私にとっては本が傷んだとしても「伏せておく」のがかなり重要で、本のひもやしおりを読みかけのページに挟んで閉じておくのではだめなのだ。
そこには、本をいったん閉じてしまうと、まだ読み始めていない他の本と区別できなくなって、そのうち「その本を今、読んでいる」ということ自体を忘れてしまうという、悲しい現実がある。
それになにより、「ほらほら、アタシ(またはオレ)はここで読みかけのままアナタに放置されているのだぞ、さあ、今こそ手に取るのだ!」とでもいった、本からの無言の圧力のようなものが感じられなくなってしまうのだ。
カバンの中だけは、一冊しか入れないことにしているから、これはまあ、よろしい。
 
ある本を読み始めたら、読み終えてから次の本を読むようにすれば、こんな悩みはすぐに解決するだろうが、私はそもそも本を一冊ずつ順番に読み終えることができないのだからしょうがない。
できない、というより、ある本を読み終える前に別の本にも興味が湧き、それも読んでいるうちにまた別の本にも食指が伸びる……を繰り返してしまうので、どうしても数冊を並行読みすることになってしまう。
 
しかも、その日の気分によっても読みたい本が左右される。
いくら続きが気になっていても、昨今の国際ニュースで気が滅入っているときには、イラク戦争で160人もの敵を射殺した狙撃手の内面を描いた『アメリカン・スナイパー』は、もっと心が元気なときにしておこうと思う。そしてそんなときは、武術の「技」を通じてはいても、敵を倒すことではなく自分自身の心と体の使い方、ひいては生き方にまでフォーカスした本『上達論』に手が伸びる。
同業者の素晴らしい仕事ぶりに触発されたときは、「私ももっと頑張らなきゃ!」と学習意欲に火が点いて、中国語の文法解説書『現代漢語八百詞』を最初のページから音読で読破してみようという無茶ぶりに挑むが、「私なんかダメダメだ、仕事のことなんかもう考えたくない、いっそ廃業したほうがマシなんじゃないか」と落ち込んだ日には、私の悩みなんて所詮は小さな思い込みだと思わせられる『神との対話』か、不本意ながら農業高校に通うことになった主人公の成長物語を描いた漫画『銀の匙』、あるいは私という個人とまったく共通点のない人物が主人公の小説だ。特に、ハッピーエンドになることが分かり切っているラブストーリーがいい。
ほかにも、一日の終わりにワハハと笑ってリラックスしたいときには、元警察官の作者が描く漫画『ハコヅメ 交番女子の逆襲』を読んで、リアルと虚構の絶妙なバランスから生まれる風刺のきいたユーモアに浸りたいが、もし日中で頭がそれなりに冴えていて、まとまった時間があるなら、同じ捜査モノでも手に取るのはたとえば『国策不捜査「森友事件」の全貌』のような、ガチなノンフィクションだったりする。
こんなふうに、たった一日のなかでも気分がコロコロ変わってしまううえ、そのサイクルと本を読了するまでの時間が全然かみ合わないものだから、どうしても数冊を同時進行することになってしまうのだ。
 
子どものころには一冊ずつ読み終えていたのに、なぜこうなったのかと考えてみるに、一日の時間の使い方が昔よりもこま切れになっていて、本だけに没頭する時間がとりにくくなったことも大きいと思う。
だがもう一つの理由は多分、私のいる世界が学校の中や親しい友人関係だけでなくなったからだ。
これまでまったく興味を持っていなかったことや知らなかったこと、意外な出会いで知った素敵な人の生き方などを垣間見ると、それらについてもっと深く知りたくなる。
自分一人だったら間違いなく触れることもなかったはずの扉の鍵を誰か他の人が持っていて、さあどうぞと開けてくれるなんてことは実際によくある話だ。
 
だったら、本の並行読みもさほど悪いものじゃないかもしれない。いやむしろ、それ自体にデメリットは見当たらないような気がする。多分私が抱えている問題は、複数冊を同時に読み進めることではなく、読み終えていない本がじわじわと増え続けていることだ。
 
本はその一冊一冊が、作者の思いや主張を完結させた一つの独立した世界だとしたら、私の部屋には理解半ばで放置されたいろんな世界が中途半端にゴロゴロと転がっているということになる。
そしてときには、半永久的に放置されてしまう本だって出てくるかもしれない。
そう、押入れに入っていたあの本のように。
それは惜しい。あまりにももったいない。
 
読みたい本は日々増え続けている。
それなのに読むのが追いつかない。
一体どうしたものか。
 
こうした場合、誰でも最初に思いつくのが読書のスピードを上げるということだろう。
私も「速読法」と呼ばれるものがあるのは知っていて、もしかしたらそれを習得すれば、この悩みが一挙に解決するかもしれないとも気にはなっていた。
そう思いつつもそれを学ぶ気が起こらなかったのは、「速読」という言葉に偏見があったからだ。「世の中、そんなうまい話があるかいな」てなもんで、早く読めばその分、薄っぺらい理解しかできないのではないかと疑っていた。
 
そんなおり、どこで見かけたのだったか、「文章は意味のかたまりごとに読め」という話を読んだ。
「本を読むときには、音読するように一文字ずつ目で追いながら読むのではなく、句読点で区切られた『文のかたまり』単位を目に焼きつけるようにして読むといい。つまり、その一単位を大きな『単語』のような認識で読む。そうすれば読むスピードが上がる」といった話だったと思う。
なるほど確かに、理にかなっていると思った。
 
もしかしたら速読もこうした理屈なんじゃないのかと思って調べてみたら、やはりこれと同じようなことが書かれていた。
なんだそうだったのか。それなら食わず嫌いをせずに早く調べてみればよかった。
この速読法をきちんと学んだらもっといいのだろうが、まずはお試しで、前述の方法に従って、なるべくかたまり単位で読むようにしてみた。
すると確かに前より早く読めるようになっているじゃないか。
だがそのいっぽうで、『名文』と評されているような、文の美しさ自体を味わいたい小説を読むときは、どうもこの読み方がしっくりこず、上手に使えずにいる。
頭の中で音読したり、実際に声を出して読んだりすることでしか感じられないエッセンスもあると思うのだが、私の場合、かたまりを意識して読むことに集中すると、全体像は写っているが微妙にぼやけた画像を見ているような気がしてくるからだ。
だが、要点が簡潔にまとめられたビジネス書や実用書のような、ものすごく極端な言い方をすると、分かりやすく書かれていれば文体は問わない、といった本なら、私でもうまく生かせそうだ。
 
読みかけの本を減らすもう一つの方法は、当たり前だが読み終える本の数を増やすことだ。
これについては、今読んでいる本が何冊あるのかが一目で分かるようにすれば、読みかけの本に手が伸びる回数が増えるんじゃないだろうか。
そう考えた私は手始めに、サイドテーブルに山積みになっていた手つかずの本と読みかけの本を分けて、手つかずのほうを本棚に収めることにした。ところがどっこい、本棚はすでにいっぱいで、入れるところがない。
そうだよ、だからテーブルに積みっぱなしにしていたんじゃないかと自分で自分に突っ込みを入れながら、もう読まないと思われる本を泣く泣く引っ張り出した。
本を処分するのはいつも心が痛むものだが、自宅の空間にも限りがあるのでしょうがない。空いたスペースにサイドテーブルの未読本を入れ、部屋中にある読みかけの本を集めてテーブルの上に積みなおした。
このとき、ひもやしおりを挟んで閉じて積もうかと一瞬考えたが、やはり開いたまま伏せておくことにした。
読みかけの本はやはり、「読みかけ感」を残しておきたい。
そして「私に手を伸ばせ~」と、本から無言のプレッシャーをかけられたい。
 
だが、一か所だけ本を回収しなかった場所がある。
それは風呂場の脱衣所で、今置いている本は、音読用の中国語短編集と映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の日本語訳付きスクリプト、長年にわたって女子の心をわしづかみにしてきた少女漫画界の巨匠、一条ゆかり先生のエッセイ『不倫、それは峠の茶屋に似ている』、そしてジュリア・キャメロン著『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい』だ。
 
前の二冊は本当に気が向いたときだけ、湯船につかって音読している。理由は単純に、風呂場で読むほうが声が響いて、実際よりもちょっと上手になった気がするからだ。
 
一条先生のエッセイは、それはもう大切に、一章一章をたいていはクックと笑いながら、ときに深くうなずきながら、あるいは胸にじんわりとくるものを感じながら少しずつ読み進めている。
そして、若いころはオバサンになるのが嫌だったけど、なってみるとそう悪いもんじゃなかったなあとか、少なくとも私は、若いときの自分よりも今の自分のほうが好きだなあとか、一条先生もきっとそうだろうなあなどと、ゆるんだ頭でぼんやり考えている。
 
『いくつになっても……』はタイトルそのままの本だが、何時間もつかっていられるわけではない湯船で読むのではなく、ノートとペンを用意して机に向かい、ある程度の時間をつくって読み進めたほうがいい本かもしれない。
それをあえて風呂場で読むのは、一日の汚れを洗い流したついでに心もさっぱりした気になって、やっぱり頭がほわーんとなった状態でインプットしたい本だからだ。
 
さて、読みかけ本削減大作戦、これでうまくいくだろうか。
厳選された脱衣所の本をこれ以上増やさないようにすれば、読みかけの本が減る日もそう遠い先のことではないかもしれないと、私は大きく期待している。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。

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2022-10-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.190

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