週刊READING LIFE vol.191

あなたに「第二の誕生日」があるとしたら、いつだと思いますか?《週刊READING LIFE Vol.191 比喩》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/10/31/公開
記事:牧 奈穂 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
自分の歩んでいる道をふと振り返った時、あの日を境に自分の人生が大きく動いた……あれが転機だったのだ、と思えることが、人生には何度かある。きっと、誰でもそんな日を経験していることだろう。息子は、ある日を、「第二の誕生日」と呼んでいる。その日がやってきたのは、小学6年生の8月の暑い夏の日だった。
 
当時、息子は、中学受験を控えていた。息子は、何でも器用にこなし、あまり勉強には困らないタイプだ。受験生ではあったが、反抗期に入り、私の言うことは聞こうとしなかった。スムーズな受験生活とはとても言えない状態だ。
息子には、小学校に入ってから、ずっと悩みもあった。友達が見つからないのだ。大人のように深い話をし、深く学ぶことが好きで、話題が合わない。心から仲良くしたいと思う友達を見つけることが難しかった。いつ、どこにいても、学校に自分の居場所がない。合わない小さな服を着ているような、いつも窮屈な思いをしていた。
「誰といたらいいのだろう? 休み時間が苦しい。学校が嫌で、苦痛でたまらない。」
息子に家で泣かれたことが、何度もある。一人にならないために、息子は興味のない遊びに付き合うこともあった。一人になるよりは、誰かといた方がいいからだ。本当は、無理しないでいられる友達が欲しい。皆が思っているよりも、息子はずっと孤独だった。
 
小学校に入学してからの2年間は、毎日腹痛が続いた。朝、腹痛で立てなくなって、車で送ったこともある。転校をしてみたが、学校は、ずっと窮屈な箱の中のままだ。
環境を変えれば何とかなるかもしれない。
気の合う友達を求めて、私達親子は中学受験をすることを決めた。
 
受験生としての夏期講習が始まったある日、事件が起きた。
息子は、背後から凍ったペットボトルで後頭部を殴られてしまった。友人がふざけたことが、大怪我となる。交通事故でいう、むち打ちのような症状が、その日の夕方になり出始めた。話を聞いて、慌てて病院に連れて行く。骨には異常がなかったが、首の痛みはひどかった。次の日から授業を受けるだけで、首が痛い。勉強すると、ぐったりと疲れてしまい、家に戻ると眠ってばかりだった。下を向いて勉強する姿勢が、一番首に負担がかかる。受験生として、頑張らねばならない時期に、思うように体が動かなかった。
 
治療しても、どんな病院に行っても、治る気配がない。何より、痛み以上にもっと苦しかったことは、怪我をさせた相手が、自分がしたことを認めなかったことだ。
「ごめんなさい」
この言葉をどれだけ望んだことだろう? この言葉があれば、許すことも、痛みに耐えることもできたかもしれない。
きっと、その子は、事の重さに怖くなり、逃げたくなったのだろう。
「殴ったかどうか、覚えていない」
何度聞いても同じ答えが返ってくる。家族で何度も話し合いを重ねたが、息子を悪くさえ言われる始末だった。痛みがある息子が、非難されるのを耳にした時、心が引き裂かれる思いがした。激しい怒りが込み上げ、胃酸で胃を溶かしてしまいそうになる。
なぜ、怪我をさせた上に、心まで傷つけるのだろう? なぜ、こんなひどいことが起きるのだろう? 許せない気持ちが心の底から湧き起こり、人を憎む感情が私の心を覆った。
 
「人を許せない」という感情は、ものすごくエネルギーを使う。負のエネルギーは、心だけでなく、同時に身体も蝕んでしまう。自分を守るためなら、どんな理不尽なことでも受け入れて、許してしまえばいい。だが、これは息子のことだから、決して許してはいけない気がした。激しい怒りと人を憎む感情は、私の胃をボロボロにしたようだ。食べたものが全く消化できなくなり、夜中に激しい胃の痛みに襲われた。人は、心で生きる生き物なのかもしれない。歩くのもやっとの状態で、すぐに点滴の治療をしてもらった。その後、1年間、胃の痛みが治ることはなかった。
 
入試結果は不合格……残ったものは、首の痛みと怒りだけだった。苦しい日々を送りながら、「人を許すこと」について、息子と何度も話をした。許せない、やり返したい、そんな黒い気持ちさえ心の底から沸き起こってしまう。
「私がこの世で一番大切にしている息子に、よくも怪我をさせたな……」
そう怒鳴り散らしたい気持ちを堪え、毎日、毎日、許すことを考え始めた。許せない気持ちと同じくらい、本当は許したかったのかもしれない。きっと、前に進みたかったのだろう。
「ごめんなさい」
この言葉があったら、どれだけ救われただろうか?
息子が首の痛みに苦しむ度に、許すことの意味を考えた。息子と話しながらも、答えが出ずに、苦しくて涙が出る。息子を育てる中で、一番の苦しみだった。
 
怪我をしてから、1年が過ぎたある日、息子は私に語った。
 
「神様が、僕の人生に課したことは、許しだと思う。人生の中で、許すことって、一番難しいことみたいだよ。僕は、神様から、この人生の中で人を許すってことを学びなさいって言われている気がするんだ」
 
一生痛みに耐えながら、謝らない人から受けた怪我を受け入れて過ごす。もし、その現実を許してしまったら、息子がかわいそうな気がする。だから私はどうしても許せなかったが、息子は「許し」を自分の人生の課題だと思っている。
 
「謝ってくれたわけではないけどさ、あの子の目の色は、変わったよ。前みたいに、意地悪な目の色をしていない。あの子の親は、僕のことなんて、もう何とも思っていないかもしれない。でも、あの子は、僕に対して申し訳なかったと今は思っている気がする。そういう目をしていたんだ。だから、あの子がそう思っているのなら、僕は謝罪がなくても、許そうと思う。詫びたい心さえあるならば、もうそれでいい……」
 
怪我をさせた側は、どれだけ息子のことを考えてくれただろう? 毎日、「痛み」と「許し」に苦しんだ私達を思ってくれただろうか? 怪我から1年も経てば、もう過去のことになって忘れているのではないか? そう思う度に、許せない気持ちが込み上げてきては、苦しかった。思い出す度に、つい昨日起きたばかりのことのように、強烈な怒りが込み上げてきて、時間が経っても過去にならない過去に苦しんだ。
 
高校生になった息子は、今、新しい道を歩み出している。
ある作文で、将来の夢について書いていた。
「音とは、どのようなものだろう? 一番人間と密接に関係しているものではないだろうか? 僕は、3歳の時からピアノを弾いているので、音が目に見えない大きな力を持っていることを体で理解していた。そして、僕は今、物理学者が中心となって開発した周波数を使う治療装置を、首の怪我の治療に使っている。はじめは、変な音を聞くだけで、自分の首の痛みが治るわけはない、と思っていた。だが、実際にその装置を体験していく中で、24時間365日闘い続けた痛みから、初めて解放されることを経験したのだ。痛みがなくなった、あの時の感動は、今でも鮮明に覚えている。痛みのない毎日は、明るく生き生きと見えるからだ」
 
息子は、物理学者が研究して作ったその装置を通し、物理学に興味を持ち始めたようだ。
 
「今まで、人を治すならば、医学部に行き医学を勉強するものだと思っていた。そして、物理学は、自分には縁のない学問だとも思っていた。だが、怪我のために体験した装置を通して、物理学を身近に感じることができた。だから、「音」を通して、肉体的にも精神的にも人を助けることができる周波数の研究がしたい」
 
あの日、首を殴られたから、今がある。
息子は、あの日から生まれ変わったのだ……と自分の人生を振り返る。自分の人生を1冊の本に例えるならば、あの日から第二章が始まった、と思っているようだ。そして、苦しみの第二章を乗り越え、今は第三章に入っている。
 
苦しい経験は、生きていれば、誰にでもいくつかはあることだ。
だがその経験は、運悪く起きたことだろうか? それをなぜ自分が経験したのか? と冷静に自分に問いかけてみると、全ては自分のために起きていると言えるのではないだろうか。自分自身が、無意識に望んで、引き起こしたことかもしれない。苦しみの先には、自分らしい道に向かった「一歩」を歩み出している自分に気づくからだ。
 
苦しみのその瞬間は、嵐がやってきたかのように辛い。だが、その嵐が過ぎ去った後には、穏やかな光がやってくる。人生の中で、嵐のような出来事が起きると、全てを失ったような気持ちになるかもしれない。だが、過ぎ去った後には、自分らしさをもっと感じる「今」を生きていることに気づく。自分らしい人生のレールに乗っているのを感じられるのではないだろうか。
 
苦しい出来事に、意味を見出すのは、自分自身の心次第だ。嘆くこと、後悔すること、そこから学びを得ること、無数の選択肢がある。その中から、何を選び取るかは、自分自身が決めることができる。
 
どんな人にも、「第二の誕生日」は存在する。仕事を始めた日、結婚した日、会社を辞めた日、別れを決めた日、人それぞれに、人生の節目はあるはずだ。
息子は、成功した日ではなく、どん底に落ちたあの日を、「第二の誕生日」と捉えた。きっとあの日を境に、自分の人生で起きたことに対して、どう意味を持たせるか? を真剣に考えるようになったからだろう。
もしかしたら、「人を許す道」を選ぶために、息子の人生には、あの怪我が必要だったのかもしれない。怪我をしてよかったとまでは思えないが、怪我もなく、合格して、いわゆる「成功の道」を辿らなくてよかったような気持ちにさえなる。
 
人生の中で、これ以上の不幸はない、と思えるようなことにさえ、大きな意味が隠されているのかもしれない。起きたことに、どう意味を見出すか? その選択は自分に委ねられている。だからこそ、自分の人生に起きることをポジティブに捉えていきたい。息子と悩んだあの1年間は、私達に人生の捉え方を教えてくれた。息子が生まれ変わったと思っている「第二の誕生日」は、今となっては、息子の誕生日以上に、大切な日となっている。
 
息子は、4年経った今も首の治療をしている。だが、もうその痛みさえ、息子の一部になっているようだ。人生で乗り越えられないことはない。
人生は、「第二の誕生日」を迎えてからが、本当のスタートなのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
牧 奈穂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

茨城県出身。
大学でアメリカ文学を専攻する。卒業後、英会話スクール講師、大学受験予備校講師、塾講師をしながら、25年、英語教育に携わっている。一人息子の成長をブログに綴る中で、ライティングに興味を持ち始める。2021年12月開講のライティング・ゼミ、2022年4月開講のライティング・ゼミNEOを受講。

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2022-10-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.191

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