私がこの世を去った時に、使って欲しい言葉。《週刊READING LIFE Vol.191 比喩》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2022/10/31/公開
記事:西條みね子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
友人夫婦が経営している料理屋が、オープンして5周年を迎えた。
もともとサラリーマンだった友人だが、料理好きが高じて、40手前で会社を退職して開いたお店である。彼は料理の素材にも造詣が深く、日本全国のこだわりの食材で作った料理は「その道」を求める人々に受け入れられ、ささやかながら根強い固定客を抱えるお店になっているようだった。
「5周年記念のパーティーを開くから、日程が合えば、是非来てね」
彼からのLINEをみながら、そんな彼が記念の日に選ぶ料理は何だろう、と思っていたら、続きがきた。
「良い猪肉と鹿肉が手に入りそうだから、それも出そうと思うよ。牡丹鍋とかね」
オオ、遂にジビエが出てきたか! と思いながら、私の目は、文章のある地点に吸い寄せられていた。「牡丹鍋」である。
うーん、良い表現するなァ、と顔だけでなく心まで笑顔になるのを感じながら、「OK!」のスタンプをタップした。
日常に使う日本語の中に、自然を取り入れた美しい表現をみつけるたびに、ああ、日本語って素敵だなァ、と何ともしみじみしてしまう。
冒頭の「牡丹鍋」も「猪鍋(ししなべ)」といってしまえば、それはそれで間違っていないのだが、「牡丹鍋」と表現することで、風流さが5倍増しくらいに感じられる。
猪を牡丹と表現するのは、「牡丹に唐獅子」という言葉から来ている。「梅に鶯」と同様に、組み合わせの良い物の喩えだ。もともとは中国の故事に由来するが、百獣の王の獅子と、百花の王の牡丹で、吉祥を表す組み合わせになったらしい。それが後に、表向きは獣肉食が禁止されていた江戸時代、猪肉の隠語として「牡丹」が使われるようになった。禁止とはいえこっそり肉を食べていた人々は、ダイレクトに猪肉を表現する代わりの言葉として、「牡丹」を選択したのだ。
鹿肉を「紅葉」といったり、馬肉を「桜肉」と表現するのも同様だ。由来は諸説あるが、いずれも肉を肉肉しく表現するのではなく、木や花などの植物に置き換えているのである。
この、牡丹鍋や桜肉のどこにグッとくるかというと、比喩表現はさまざまあれど、そこに植物など「自然」を使うところに、非常に日本人らしい心を感じ、日本文化が好きな私の心がググッと掴まれてしまうのだ。
「牡丹鍋」は、現在の日常生活では頻繁にはお目にかかれないが、例えば「みぞれ鍋」や「うろこ雲」や「風花」といった言葉たち。「みぞれ鍋」は大量の大根おろしを投入した鍋で、大根おろしを雪に見立てているという、何とも風流なネーミングである。「うろこ雲」は秋の空を表現する言葉として定番だ。雲の大きさにより「いわし雲」「さば雲」など魚シリーズで派生する。晴天で光が差している中、細かい雪がキラキラと舞う現象を「風花」と表現するに至っては、寒い冬の最中、心で春を見立てたいというほのかな望みのようなものすら感じられて、言葉の美しさだけでなく、言葉を使い始めた昔の人々の心にも、美しいなァ、としみじみしてしまう。
日本はこういった「自然のもので見立てる」ことが生活に根付いており、現代の私たちの感性も知らず知らずのうちに影響を受けている。何故なら、1000年以上昔から、自然の見立てを行うことで文化そのものを育んできたからだ。
その1つが、和歌である。
和歌といえば五七五七七の31文字で組み立てる、日本独特の短い短い詩だ。最も古い歌集である「万葉集」が成立したのが奈良時代ごろ。その後、平安時代に貴族文化の中で揉まれ、鎌倉時代以降に武家政権になってからも立ち消えることはなく、1000年以上、脈々と受け継がれてきた文化だ。
先述の「風花」ではないが、雪を花と見立てる表現は、平安時代の和歌の中でもすでに健在だ。
・冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にはあるらむ(清原深養父)
(冬なのに空から花が散ってくるのは、雲の向こうは春だからなのだろうか)
作者の清原深養父(きよはらのふかやぶ)は「枕草子」を書いた清少納言のひいお爺さんである。暖房設備がなく、今よりずっと寒かったであろう当時、チラチラと降る雪を花と見立てた心は、春を乞う気持ちと、そうは言いながらも冬の雪の美しさにも深い愛情を持っている心が感じられる。
和歌で詠われる内容は、自然の景色のこともあるが、多くは恋心や、喜び、悲しみ、孤独などなど、心の感動であることが多い。が、その表現は、思ったことをそのまま直接的に表すのではなく「何らかの自然に託して表現する」という手法が取られることが多々あった。これは平安時代の貴族たちが、物事を直接的に表現するすることを良しとせず、あくまで優雅さを保ちつつ、婉曲的に気持ちを伝えることを良しとしたことで、多いに発展したらしい。
どれくらい発展したかというと、日常会話が、和歌の比喩表現で成り立っていたくらいなのである。
例をあげよう。
かの有名な紫式部の書いた「源氏物語」の中の会話である。
主人公である光源氏が、40歳を超えてから成り行きで「女三の宮」という女性を正妻に迎えることになった。が、彼は既に、これまた有名すぎるヒロインである愛妻「紫の上」がいる身である。成り行きで結婚したものの、女三の宮が随分、幼い女性であったこともあり、女三の宮の家からは足が遠のきがちであった。(当時は通い婚なので、男性が女性の家に通う形式なのである)
この女三の宮に、光源氏の友人の息子である「柏木」が思いを寄せていた。親友であり、光源氏の長男である「夕霧」に、光源氏が女三の宮を大事にしないことを憤る場面がある。2人は会話の中で、互いに歌を詠むのである。
・いかなれば 花に木づたふ 鶯の 桜をわきて ねぐらとはせぬ(柏木)
(あの鶯はなんで桜を寝ぐらと定めないんでしょうね)
・みやま木に ねぐらさだむる はこ鳥も いかでか花の 色にあくべき(夕霧)
(みやま木を寝ぐらに定めているみたいだけど、桜の色に飽きたわけではないようですよ)
鶯が光源氏、桜が女三の宮、みやま木が紫の上である。桜に寄り付かない鶯を非難する柏木を、夕霧が取りなしているのだ。
これを、19だか20だかの若い男が、日常会話で話しているのだ。しかも、会話の中では直接、人物を挙げて非難しているのに、和歌にまとめた瞬間、花だの鳥だのに喩えているのが面白い。自然に託すモードが自動でスイッチオンされるのだ。
わかりにくいようだが、考えようによっちゃ便利は便利で、このように表現しておけば、目上の存在である光源氏を非難しているわけでなく、「いや、鶯と桜の話をしてたんですよ」と、すっとぼけることも可能なのである。
とぼける効能は他にも随所で確認できる。
在原業平(ありわらのなりひら)の物語とされる「伊勢物語」の中の一場面、花見の宴会の場である。宴も三次会に入り、その場で最も位が高い人である惟喬親王(これたかのみこ)は、さすがに眠たくなった。寝所に引き上げようとする親王を見て、在原業平が歌を詠みかける。
・あかなくに まだきも月の かくるるか 山の端にげて 入れずもあらなむ(在原業平)
(まだ満足してないのにもう月が隠れてしまう。山の稜線が逃げて、月を入れないでほしいな)
親王を月に喩えて、引き止めているのだ。酔っ払いが場を離脱しようとする人を引き止めるのは、いつの時代も同じと見える。困った親王に代わり、お付きの紀有常(きのありつね)が代わりに歌を返す。
・おしなべて 峰もたいらに なりななむ 山の端なくは 月も入らじを(紀有常)
(いっそどの峰も平らになってほしいものだ。山の稜線がなくなってしまえば、月も入らないだろうに)
現実には山はなくならないので、月は仕方なく入ってしまいますよ、を暗に示しており、無事、親王は寝所にお入りになった。
呼び止める方も、断る方も、月だの山だのに託しているおかげで表現が柔らかくなり、いざとなれば「いや月と山の歌を詠んだまでですわ」ととぼけることも可能という、誰も傷つかない構図になっているのだ。
思うに、日本人の、和を大切にし、努めて誰も傷つけないようにしたいという心と、自然を愛する心が合わさってベストコンビネーションを生み出し、このような見立て文化が発展したのではないかと思う。
特に、言いづらいことを言うときに、婉曲表現が使えて、その表現が美しい、というのは、考えようによっては随分便利だ。
・めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな(紫式部)
文字通りに読むと「たまたま目にして、月かどうか見分けがつかないうちに雲に隠れてしまいました……」という歌だが、これは、久々に会ったのにすぐに帰ってしまった友人に宛てたものである、という背景を知ると、話が違ってくる。
が、夜半の月に喩えることで「せっかく会ったのに、すぐに帰っちゃって……」とネチネチと嫌味を言うのではなく、残念で寂しく思った気持ちや、とはいえ自然のものだから隠れたのも仕方ないよね、という相手をフォローする気持ち、何なら相手を美しい月としているあたり相手を立てており、気持ちを伝えながらも程よくマイルドに仕上げることが可能となっているのである。
何とも美しく、日本的な文化ではないか……!
身近な自然に喩えつつ、時には言いにくいことをも伝える、日本が古代より培ってきたこの文化は、現代社会ではなかなか目にすることができず、和歌を愛する私は返す返すもそれが残念でならなかった。
下戸で酒が飲めない私は、職場の飲み会が盛り上がり0時を突破しようとした時には「いや、山の峰が平らにならないので……」などといって立ち去りたいところだが、月並みに「終電がなくなるので」と立ち去らなければならない。「もう眠いので帰ります」とダイレクトに言わないあたり、まだまだ婉曲文化が生きているとは思うが、自然に託す、という小技の一つや二つは、日常の中に取り入れたいところだ。
「なんか、現代でも使えるモノないかなァ……」
私は美しい婉曲表現を求めて探し始めた。
和歌の時代は、婉曲表現のトップバッターかつ定番は恋の話である。例に挙げた源氏物語だけでなく、溢れるほどある恋の歌は、どれもこれも自然に託しまくるオンパレードだ。が、現代では恋の話はそこそこポピュラーな話題であり、酒の席を断るのと同じくらい、婉曲表現が不要なジャンルだ。むしろ、振る時などハッキリ言う方がよしとされているくらいである。
もっと婉曲が必要とされる場といえば……下まわりはどうだろう?? 「トイレに行く」は現代社会でも、あまりダイレクトに言いたくないカテゴリである。最も一般的な「お手洗いに行く」という表現はよく使われているが、まだまだ直接的で、美しさの点ではイマイチだ。強いて言えば、山の中で用を足すことを、男性は「雉打ちに行く」女性は「お花摘みに行く」と表現するとされており、なかなか美しい言い回しだが、残念ながら、私の登山仲間を見渡す限り、真顔で使っている人は皆無であった。
やはり現代社会では難しいのかなァ……と諦めかけていた頃、ふと目にした言葉があった。
「虹の橋を渡りました」
昨年から猫を飼い始めた私は、SNSなどで同じく猫を飼っている人の投稿をちょいちょい見るようになり、愛猫が亡くなった際の表現の定番がこの「虹の橋を渡る」なのである。
同じく定番がもう一つあり、「星になりました」だ。
死はある意味、今も昔も、最も直接的に話すのが躊躇われ、婉曲的に言いたくなるテーマだ。昔の和歌では、「露」「煙」などに多く喩えられてきた。
「虹の橋を渡る」「星になる」。なんとも美しい表現ではないか……。
最大の婉曲テーマまでいかなければ辿り着けなかったけれども、自然に託す、という古代からの心は、やはり、私たちの生活の中に生きているのだ。
虹の橋を渡る。星になる。言霊という言葉がある通り、口にすると、本当にその通りになるような気がする。自然の中に魂が生きている気持ちになるのだ。
「やっぱり、自然に託すって、美しい……!」
しみじみしながら、
「私がこの世を去る時には、『星になった』と言ってもらおう」
と、演技でもないことを考えながら、同時にちょっと楽しい気持ちになり、私はかのことを忘れないよう、メモ帳に書き留め始めた。
□ライターズプロフィール
西條みね子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
小学校時代に「永谷園」のふりかけに入っていた「浮世絵カード」を集め始め、渋い趣味の子供として子供時代を過ごす。
大人になってから日本趣味が加速。マンションの住宅をなんとか、日本建築に近づけられないか奮闘中。
趣味は盆栽。会社員です。
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