週刊READING LIFE vol.196

煩悩に苛まれる私に寄り添うことばたち《週刊READING LIFE Vol.196》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/12/05/公開
記事:茶人・T(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「これ、どういう意味だか分かる?」
 
喫茶去。
お茶席に掛けられたその古い掛軸には、漢字が3つ並んでいる。最初の2文字は「喫茶」だとすぐに分かるのだけど、最後の漢字はあまりにも達筆すぎて、読めない。
 
「『喫茶』は分かりますが、最後の漢字が読めません」
 
「あら、いやねぇ。あなた大学を出ているのに、漢字が読めないの? これはね、『喫茶去(きっさこ)』というのよ。お茶の世界では大切なことばだから、しっかり覚えてちょうだいね」
いやいや、学歴は関係ないだろう。この先生は、何かにつけて人にレッテルを貼りたがる人なのかなぁ。お茶の世界はみんなが平等だって、この前はそう言っていたぞ。
 
これは、茶道教室に入ったばかりのできごとだ。
 
数ある市民講座の中でひときわ気になったのが、「茶道体験教室」だった。新しく何かを始めるなら、お茶だな――。はじめはほんの興味本位で、茶の湯の門をたたいた。おいしい和菓子を食べながら日本の文化が学べるなんて、なんて素敵なお稽古なんだろう! はじめはそんな風に軽く考えていた。
月に3回を何クールか繰り返し、入門コースが終了した。入門の講座自体は1回で終了なのだけど、その後も茶の湯を継続したい場合、先生が独自で開いている茶道教室に来るよう誘われた。入門コースは自治体が開く講座だから安く済んだけれど、先生のプライベート教室となると、うんと高くなるなぁ。
そんなとき、先生の生徒が開くイベントにお茶席を設けるというので、気軽な気持ちで訪問することにしたのだが――
 
「あなた、なんでこんなに遅いの! お茶会は10時に始まるのだから、それより先にくるのは当たり前でしょう!」
 
お茶会は10時から始まるといわれたから、週末でも早起きして10時ぴったりに着くよう足を運んだのに、この始末。
 
「あんたはお客さんじゃないわよ! お茶会を手伝うのよ! そんな高いヒール履いてきちゃって、もう」
 
完全に、勘違いしていた。お客さんとしてお茶を飲みに誘われたのかと思っていたら、大間違いだった。いつの間にかすでに、先生の弟子扱いをされていた……。
 
こんな形で始まったお茶会の席に掛かっていたのが、「喫茶去」の掛軸だった。
 
「簡単に言えば、まぁ、お茶でも飲んで帰りなさいという意味なんだけどね、これは禅語で、師匠から禅僧への問いかけのことばなのよ。あなた、分かる?」
 
先生の言っている意味が、さっきからまるで分らない。
 
「まぁ、いまに分かるわよ」

 

 

 

それ以降、半ば強制的に先生のご自宅で開かれる茶道教室へ本格的に通うことになった。
そこには年下の大学生、私と同年代の女性に、私よりもひと回りくらい年上の30代の女性が習いに来ていた。そのほかは年配の女性が数名いた。
 
生徒のほとんどは、もう10年以上もお茶のお稽古に励んでいるらしい。茶の湯というのは、亭主がお茶を点てて客にふるまい、客はそのお茶を飲む儀式にすぎない。それなのに、何年も学び続けるなんて、一体どうしてなのだろう。はじめはそんな風に思っていたのだが、その答えは季節をひと巡りして、ようやくわかった。茶の湯のお点前の仕方はひとつではなく、何通りものやり方があるのだ。季節によって使う道具は異なり、道具によって組合わせ方や扱い方が変わるのだ。
 
お茶には季節を大事にする文化がある。お茶に出されるお菓子だって季節によって変わるから、毎回、異なるお菓子が出てくる。お着物だって、季節感が大事だ。茶の湯には私の知らないことがたくさんあり、それを学ぶのがとても楽しかった。
 
「来年、あなたも許状をとるからね」
 
お茶を習い始めて数年たったところで、先生が私にこう告げた。許状。そう、私が通う裏千家茶道には、資格が存在するのだ。初級から始まって、中級、上級を経て、講師、助教授、最後には「茶名」と供に教授資格が与えられる。
 
資格を取るからには、最後の茶名までとりたいな。
はじめたからには最後までやり遂げないと。向上心が大いに刺激された。茶の湯の道にはもっとお金がかかることや密な人間関係が存在することを知らず、お茶の世界にさらに深く入り込むことになる。

 

 

 

お茶の世界に入り、後に引けなくなった私はその後、あらゆる煩悩に苛まれることになる。優越感に劣等感、あれがほしい・これができるようになりたいといった所有欲……。
 
お茶の世界では、師匠の存在が絶対だ。初心者ならとにかく、師匠の教えを守らなければならない。先生についてから10年経った今だって、先生のお話には注意深く耳を傾ける。お茶の稽古は形稽古という。どんなお点前にも型があり、私たちは先生の側に付き、何年もかけて型を身につけるのだ。お茶のお点前は口伝が原則で、動画はもちろん、指南書だって存在しない。先生の言うことが絶対なのだ。だから先生と相性の悪いと、どこかの時点で茶の湯の世界からドロップアウトしていく場合もある。
 
そして何はともあれ、茶の湯を続けるにはお金がかかる。月々のお稽古代のほかに、各地で頻繁に催される茶会ではお茶代としてお祝いを包む。そして懐を大きく痛めるのが、普段着ることのない和装のための費用だ。お茶を楽しむためにはそれなりに費用がかかる。
 
お稽古に多くの時間と労力、お金をつぎ込んでいるからには、もっともっと精進したい。できればお茶で何かをしてみたい。少しずつ型を身につけていくうちに、新たな煩悩が頭をよぎるようになる。今自分が置かれている世界よりももっと上の人とたちがいる、別の世界を垣間見ては、あんな世界に加わりたいと思ったり、逆に劣等感を抱くことがしばしばである。
 
2020年に入ると、コロナ禍でお茶の活動も停止を余儀なくされた。しかし私のお茶の先生は時々、有志の生徒だけを集めたささやかな茶会を催すことを辞めなかった。そんな中、入門時にみかけた「喫茶去」の掛軸と再会することになる。正確に言えば、これまでも何度か遭遇していたかもしれないけれど、その時はさほど意識することのなかったことばだ。
 
「これは『ちょっとお茶でも一服飲んでいきなさい』という和尚さんの問いかけなんだけど、本当はいろいろ解釈できるの」
 
お茶の本来の姿は、亭主が心を込めてお茶を点て、客がそのおもてなしを受けるというシンプルなものだ。亭主と客の間、客と客の間に上下はない。
 
お茶を始めてから10年余り、私はいつの間にか茶道本来の姿をすっかり忘れ、茶道自体がひとつの煩悩となり、人より優れること、言い方を悪くすればマウントをとることばかり考えるようになっていた。それが茶道でひとつひとつ学ぶことの動機となっていた。大分、歪んでいる。そんなことを実感した。
 
これは私だけではないだろう。だって、茶道具はいつだって高く売りに出されているし、最近では複数の着物雑誌が本屋に山積みにされている。茶の湯の市場規模は昔ほどではないかもしれないが、茶の湯という世界を華やかな世界に仕立てる業界がある程度存在するのだ。
 
しかし、茶の湯の本来の姿はどうだろう。それはこの「喫茶去」に限らず、茶室に掛けられる掛軸をみれば、わかることだ。

 

 

 

その日、この「喫茶去」の掛軸には、私の知らない深いエピソードがあることを先生が教えてくれた。
禅の世界には、「公案」というものが存在する。公案は「禅問答」ともいわれる。師匠が弟子の禅僧たちに問いを与える。禅僧は、座禅を組んだり修業を積みながら、その問いの答えを真剣に考える。その問いに、正解はない。正解か不正解かを判断するのは、師匠だ。だから師匠が認めるまで、考え、考え、考え詰めて答えを見出すのだ。だから公案は、自分自身との戦いなのだ。
 
茶室にもよく禅語が書かれた掛軸が掛けられる。禅語には「茶禅一味」ということばがあり、茶の行いは禅と同じものであるという。「日々是好日」、「本来無一物」。どれも時代を超えて解釈が与えられ、現代ではSNS等で広く拡散され、私たちに身近な禅語も少なくない。
 
そしてこの「喫茶去」も禅語のひとつであるが、これは公案のエピソードから派生している。昔、中国のお寺にある和尚がおり、彼を訪ねてやってくる者には、「喫茶去」と告げたという。相手が偉い人であっても、肩書のない人であっても、裕福な人であっても、貧しい人であっても、老若男女問わずそう語ったという。それを見ていたある人が、和尚に向かって、なぜ、どんな人にも同じことを言うのか尋ねたところ、やはり「喫茶去」と返ってきたという。
 
この喫茶去の意味も解釈が分かれ、私の先生が仰ったように「まぁ、お茶で一服でも」という意味にもとれれば、「お茶を飲んだらでなおしてこい」と解釈もできるらしい。捉え方は分かれるが、変わらないのは、この和尚が、誰に対しても分け隔てない態度をとったということで、禅語としてはこのことが重視されている。
 
禅僧たちは公案で頭を悩ませてきた。正解のない答えを求め、考え抜き、頭を鍛えた。修行を通してしか、悟りは得られないのだ。公案の習慣は私たちの日常にはないかもしれないけれど、このように「考える」ことは、私たちにも大事なことではないだろうか。
 
その日の「喫茶去」の問いかけは、私にそんなことを教えてくれた。「まぁ、お茶を一服」もほのぼのとしてよいけれど、とても深い問いかけに感じた。

 

 

 

茶の湯はもちろん、それに関する禅の思想に触れてもなお、私は今もなお、新たな煩悩に自ら見つけ出してはくよくよしている。ひと通りお茶のお点前を身につけ、着物も自分で着られるようになったのに、これで満足できず、もっと応用の点前を身につけたい、もっと何かできるようになりたい、どうしてもそんな風に思ってしまうのだ。
 
長年、茶の湯の傍らで培ってきたフランス語を使って、フランスでお茶の先生をできたら素敵だと思い始めるようになった。よく言えば、物事にまじめに向かってきた結果であるかもしれない。でもこれを実現させるためには、もっともっと多くのことを学び、日本のことを知らない人にも茶の湯を知ってもらう必要があるなど、立ち向かうべきことがとても多く感じている。茶名を取得するのにうん百万円もかかるという話も小耳に入っている。そんなにお金をかけてまで手に入れたいか? フランス語だって、もっともっとブラッシュアップが必要だ。まずは地に足をつけた努力が必要だ……。

 

 

 

茶の湯は未だに道半ばで、時々泥沼にはまってもがいている状況だ。煩悩に打ち克ち、稽古を通じて自分自身を高めていく。優越のない世界が見えた時、禅の境地に至るはず――。きっとその時「喫茶去」の意味がもっと、すっと腑に落ちてくるにちがいないと、自分に言い聞かせている。
 
しかし、茶室で目にする掛軸が問いかけてくる端的で、深いあらゆる禅語――未だに漢字が読めないものあるが――は、私に純な志を思い出させてくれる、かけがえのないことばである。
 
もしかしたら私が「煩悩」と解釈している野望は、煩悩なんかではなく、与えられた使命なのかもしれない。禅語の問いかけを茶の湯の水先案内人とし、心に刻み、これからも日々精進していきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
茶人・T(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

煩悩が尽きないしがない市井茶人。

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2022-11-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.196

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