週刊READING LIFE vol.202

大阪寿司は味がない!?《週刊READING LIFE Vol.202 結婚》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/1/30/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
あの時の、あの味が懐かしい。
ふと、何気ない瞬間に、そう思うことはないだろうか。
 
例えば、実家でよく出てきたいわゆる“母の味”なんかは定番である。煮物だったり、オムライスだったり、それは人によって様々である。味と記憶は密接に繋がっていて、実家に帰ると母のサバ味噌を思い出したり、店でサバ味噌定食を食べるとなんとなく家族団欒を思い出してしまう。味と記憶は双方向的で、それがまた面白い。
しかし僕には、どうしても思い出せない味がある。
いや正確に言えば、それを食べると“味がしないこと”を思い出すのである。

 

 

 

その日、僕は新大阪駅の新幹線ホームに降り立った。
大阪には高校卒業時に友人たちと卒業旅行をした思い出がある。まだ開業して間もなかったU S Jに行き、馬鹿みたいに騒いで道頓堀でたこ焼きを食べた。男子ばかりの5、6人での旅だったので、グリコのマークの真似をしたり、有名なくいだおれ人形と並んで写真を撮った。もう15年以上前のことだ。
それ以来の、大阪上陸だった。
しかし今回の旅の目的は、遊びではない。結婚申し込みである。
 
妻にプロポーズをして、なんとか無事に承諾され、結婚することになった。僕も妻も東京在住だが、妻の実家は大阪である。新幹線で結んでしまえば2時間半の距離とはいえ、なかなかご両親への挨拶のタイミングが作れないでいた。
なので年末年始の帰省のタイミングを使って、きちんと妻の両親に挨拶をしよう、(もうそんな時代ではないのかもしれないが)結婚のお許しを貰おうという計画だったのだ。不慣れな新幹線移動だということもあって、東京駅で乗り込むときから、ずっと緊張していた。いやその日家を出るときから、いや、帰省する事が決まった時から緊張していたのかもしれない。
つまりは、よくわかんなくなるくらい緊張していたのである。
 
「まあそんなに緊張しなくて大丈夫だって。せっかくだし大阪グルメを堪能しようよ」
隣で妻が他人事のように言い放つ。いいよね、そりゃああなたにとってはホームグラウンドだもの! 僕にとっては完全アウェー。海外で孤軍奮闘する日本人サッカー選手の気分だ。
高校生の時に大阪に来た時は、降り立った瞬間、ソースの匂いがしたような気がしたが、今回は全くなんの匂いもしない。僕が何も感じていないだけなのだろうか。冬の冷気が張り詰めているだけである。
 
妻の両親には、以前にお会いしているので、初対面ではない。
僕が仕事で大阪に行った時に、ご挨拶自体はできている。しかし、結婚申し込みとなると話は別だ。「娘さんを僕にください」的なアレである。僕も妻も初婚で、初めての経験ばかりである。緊張しないわけがない。
そうなると悪い想像ばかりが膨らんでしまう。
実は、あのいつも優しそうな義父さんが、僕が挨拶した途端に鬼のような形相になり、ちゃぶ台をひっくり返しながら「娘はやれん!!」と激昂したらどうしよう。あの柔和で朗らかな義母さんが、僕の席だけ食卓に作らず、「あら、忘れてたわ〜」と意地悪(関西弁では“いけず”というらしい)をしてきたらどうしよう。
 
妻の兄弟たちにも、冷たい目を向けられ、居場所がなかったらどうしよう。
そんなことばかり考えて、新幹線に揺られていた。悪い想像をかき消すためか、せめてもの楽しみに買っておいた駅弁を大口で頬張る。おいしい。駅弁って、もう“駅弁”っていう料理だよな、と思考をそっちの方にやっておくことで、緊張から逃げるようにしてきた。
 
そうなのだ。妻の企画してくれた“大阪グルメツアー”は、ご両親への挨拶までの、緊張の紛らわすためだったのである。
元々料理をするのも食べるのも好きな僕である。神奈川・横浜で生まれ育った僕にとって、関西の味は旅行でしか味わったことのないものだ。西日本へ家族旅行をしたことはあったが、そこで食べていたのはいわゆる“観光グルメ”ばかりで、きれいに整えられた味ばかり。その土地に根ざした、慣れ親しまれた“地の味”ではない。
なので、もちろんかなり緊張してはいたのだが、未知の大阪グルメを堪能できると、密かに意気込んでいたのも事実だった。大阪で生まれ育った妻の案内なら、“地の味”が食べれるぞと、楽しみにしていた。
 
店の名前こそ覚えていないが、その時食べたものははっきりと思い出せる。
妻が学生時代によく行った駅近くのラーメン屋。道頓堀の行列店ではなく、街角にひっそりと佇む、おばちゃん一人で全てを捌いている小さなたこ焼き屋。通天閣近くの飲食街では、大阪名物の一つである揚げたての串カツをつまみに昼間っからビールを飲み、街をぶらぶら歩いては「食べ比べだ!」と言って、別の店のたこ焼きをまた頬張る。口の中は熱々グルメたちのせいでベロンベロンである。
 
食べ過ぎでは? と思われた方もいると思う。
しかし、その時の僕は全くそんなことは考えていなかった。
少しでも思考に隙が生じると、結婚申し込みのシチュエーションを想像してしまう。しかもそれは決まって悪い展開で、想像上で何度、見知らぬ大阪の街に放り出されたかわからない。
なので、少しでもその隙を作らないようにすべく、食べていたのである。もう緊張で、胃袋および満腹中枢は完全にバグっている。刺激の強いソースの味に逃げることで、なんとか平静を保っていられたのである。
そして日は暮れかけ、ついにその時がやってきた。
妻の実家に、到着したのである。

 

 

 

玄関を開けると、義理の父・母ともども笑顔で僕らを出迎えてくれた。
「おかえり、お腹減ったやろ? すぐご飯にするで〜」
テレビの関西芸人からしか聞いたことのない、ほんまもんの関西弁をナチュラルに使いこなして(当たり前だが)、義母さんはチャキチャキと動き回っている。
お父さんは、テレビを見ながらもうビールを開けて飲み始めている。お酒が好きであることは妻から聞いてはいたので驚きはしなかったが、やはり家の中心に座っている貫禄は相当なものだ。僕にとっては敵の親玉である(敵ではない)、そんなに大きくない背中が、とてつもなく大きく見える。
 
「来てくれるって聞いとったから、お寿司とったわ〜」
義母さんはどこからともなく、大きなすし桶を運んできて、今のテーブルの中心にドカンと置いた。
立派な桶の中には、握り寿司を中心に、巻き寿司や押し寿司といった関西圏発祥のお寿司も並んでいる。家族みんなで食べるから量も相当多い。以前『美味しんぼ』で読んだが、大阪の寿司は関東圏でよく食べられる江戸前寿司よりも、少しだけシャリが大きいらしい。確かに、東京の回転寿司で廻っているお寿司たちよりも少し大きい気がする。
「お口に合うといいけどな〜」
と、寿司に続いて義母さんの手料理がテーブルを埋め尽くしていく。手作りのポテトサラダ、煮物、焼き魚、おでんはもちろん関西風だ。まさに“母の味”がお披露目されていく。
アウェーに放り込まれた僕は、キョロキョロするのも失礼なので、テーブルに並んでいく美味しそうな料理たちを見つめていた。いや、見つめられていたのは僕の方かもしれない。「ちゃんと食べれるんか?」「ちゃんと結婚の申し込みができるんか?」料理たちが関西弁で僕を煽ってくる。煽りに合わせて、僕の緊張感もどんどんと高まっていく。
 
「じゃあ、乾杯しよか」
義父さんの一言で、夕食が始まった。僕も勧められるまま、お酒を飲んでいく。もう緊張で、お腹がいっぱいであることも忘れている。
僕を見つめていたお寿司を口に放り込んだ。
 
おかしい、味がしない。
 
まさか関西の寿司は味がないわけではないだろう。しかし、噛めども噛めども、魚の味も酢飯の味もしてこない。食感だけは米と魚のものだが、匂いも味もしない何かお寿司に似たものを食べている感覚である。
お腹はパンパンなはずである。しかし、この後控えている“結婚申し込み”という本番を前に緊張はピークだ。緊張から逃げるように、大ぶりの大阪寿司をひょいひょい口に運んでいく。しかし、無味無臭である。ついでに言うなら飲んでいるビールもただ炭酸を感じるだけの液体だ。特有の苦味も、ホップの香りも感じない。
頼みの妻も、久々の実家の料理に夢中で僕の様子には気づいていない。
 
その間も、ご両親からの僕への質問を捌いていく。しかし緊張は最高潮で、頭は真っ白だ。たぶん、きちんと返答できていたのだと思うが、正直なんて答えたのかは覚えていない。
満腹なはずなのに、次々と胃袋に入っていく、味のない大阪寿司ばかりが記憶に残っている。

 

 

 

「お寿司を食べよう」
今年の年末年始も、大阪で過ごした。ここ数年コロナの影響で帰省を控えていたので、久しぶりの大阪である。4年前、緊張を紛らわすための大阪グルメツアーでまわった飲食街に立ち寄った時に、行列のできる寿司屋を見つけた。
 
どうやら、有名な店のようである。コの字型のカウンターには、肩がふれあうほどだ。皆それぞれに寿司や刺身を肴にビールや日本酒を飲んでいる。ここのシャリは以前食べたあの“味のない寿司”よりも小さめのようだ。お酒のアテとして握られているようである。
いくつか握ってもらい、僕らも周囲と同様に熱燗を飲む。日本酒香りが鼻に抜け、心地よい。すぐに出てきた小ぶりなマグロを、口にすかさず放り込む。大阪寿司らしく、少し甘めのシャリだ。マグロも新鮮で味が濃い。これだけ行列ができて人気なのも納得である。
次のハマチを口に運びながら、あの時の“味のない寿司”を思い出していた。
大丈夫だ。もうハマチも、ねっとりと甘い。
大阪も、もうホームだと、舌が理解したのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。
劇団 綿座代表。天狼院書店「名作演劇ゼミ」講師。

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2023-01-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.202

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