週刊READING LIFE vol.224

一枚の写真に少しだけ救われた日《週刊READING LIFE Vol.224 「家族」が変わった瞬間》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/7/24/公開
記事:射手座のおっさん(天狼院公認ライター)
 
 
「お父様を偲ぶ会をします。いらっしゃいますか」
迷った。行くべきか行かないべきか。
普通に考えたら、親不孝かもしれない。非常識かもしれない。でも、迷うものは迷う。
父は父ではない。
今から半世紀近く前に母と私を捨てた。
40年近く音信不通だった。
大人になって会ったのは3回。
話したのは1回。2回目は言語機能を失ってから。3回目は息を引き取る10分前だった。
3回目のときですら、仕事があった私は、葬儀にでることもなく東京に帰ったのだ。
そんな薄い関係なのに、行っていいのだろうか。
 
連絡をくれた方は、父を支援してくれていた教会の方。
亡くなる直前も声をかけてくださった方だ。
偲ぶ会と言っても完全にアウェイだ。
知ってるのは、その方と牧師さん、父の最後のパートナーの女性、その3人だけ。
 
ほかにどんな方がくるのか、一応聞いてみた。
 
父の実の弟さん、つまり叔父さんとその家族が来るという。
気まずい思いがあった。
離婚後、母方で暮らしていた私は、父の一族を敵のように言われながら育った。
「こんなひどいことをした」「あんなことがあった」
それはまるで偏ったと言われる歴史の教科書のようだった。
幼少期に植え付けられたことは頭の奥深くに刻まれている。
正直会うのは少し怖かった。
 
ほかには父を応援してくれていた方々が来るらしい。
ここ15年ほどで父は人から応援される人生になっていた。
有名な冤罪事件で書いた判決文を「あれは無罪の心証だった」と告白したことで注目された。
元裁判官の告白は話題になり、ニュース番組で取り上げられた。
評議の秘密をおかしてまで、言わざるを得なかった、という物語は少なからず、人々の心に届いたようだった。
書籍も数冊出版され、映画にもなった。
さらには被告の支援団の方々に「よくぞ言ってくれた」と応援される存在になった。
告白は、再審請求には影響しなかったとされている。
しかし、この冤罪事件の被告は今釈放され、再審までこぎつけた。
 
一方で私は、そんな父のことを冷めた目でも見ていた。
2回結婚して2回離婚した男。アル中で再起不能になった人。
母をおかしくした人。
母は自分の人生の不幸をすべて父のせいにしている人で
その母から私は何度も言われた。
「産まなければよかった」と。
幼稚園、小中高と母にネガティブな言葉を投げ続けられた。
「父のような人間にはなるな。あなたはそうなりそうだ」
という意味のことを言い続けられた。
母に怯える生活のおかげで、30半ばまで情緒不安定な日々を過ごした。
もとはと言えば、父がひどい捨て方をしたせいだ。漠然とだがそう感じてもいた。
 
父について、かなりのもやもやを抱えた自分が
父の親族とも支援者と会っていいのか、という気持ちがあった。
 
それとは別に、少し意地悪な気持ちもあった。
世間から応援されながら、血縁から疎まれる、父という人物をもっと見てみたい。
という好奇心。
 
勝ったのは好奇心だった。
 
東京から福岡までの飛行機は満席だった。
キリスト教の偲ぶ会とはどんな服装で行けばいいのかわからず
黒の上下を着ていった。
念の為と福岡駅前のファストファッションで黒の少しカジュアルなネクタイを買い
JRに乗り換えた。
 
そこからタクシーで10分。会場の教会についた。
恐る恐る中に入ると。
 
やはり知らない人ばかりだった。
 
そりゃそうだ。なので教会の一番後ろに座った。
目立たないように、気配を消した、つもりだった。
 
が、10秒も立たないうちに声をかけられた。
「もしかして」
と声をかけてくれたのは、父の弟さん、叔父にあたる人だった。
顔は父そっくりだった。
しかし、物腰は全く違った。
「遠いところから、よく来てくれました」
甥の私にも敬語で話してくださる。
父とは大違いだった。
「バカな大学に行ったから、バカなんじゃないかと思った」と再開の第一声はこうだった。
兄弟でこうも違うのか。
 
「息子さんが来てくれた!」
叔父さんと挨拶をしていると、周りの方も、私が来たことに気づいた。
口々に「よく来てくれました」
と笑顔で挨拶をしてくださった。
 
なんだか少し居心地が悪かった。笑顔で返したが、心の中では謝っていた。
ごめんなさい。私はあなたたちのように父のことを尊敬しているわけではないのに。
あなたたちが感じているように、父は立派な人間、とは思えないです、と。
 
そんな気持ちとは裏腹に、式はとても穏やかに始まった。
教会の窓から差す西日は、とてもやわらかくちょうどいい暖かさ
11月というのに春のようだった。
 
父の最後に立ち会った牧師さんが話を始めた。
「先生(父のこと)は歌が好きな人で、私がギターを弾いて病室でも歌っていました。
だから今日は、私もその歌を歌います」
讃美歌に続いて、故人の好きだった歌を歌った。
偲ぶ会はライブのようになってきた。悲しい場ではあるが、笑顔にあふれていた。
参列者はみんな、それをよしとしている雰囲気だった。
どうやら、堅苦しく偲ぶわけではなさそうで、私の心は少しほぐれた。
 
他の人たちも登壇し、思い出を語った。父のことを美化しているわけではなかった。
人間らしいところ、もっといえば、ダメなところも理解してくれているようだった。
お酒をたくさん飲む、酔ってドジを踏む、調子に乗って歌いすぎる、などなど
少し笑えるエピソードが必ず入っていたように記憶している。
 
 
一瞬意外に思ったが、冷静に考えれば、あたりまえだった。
この福岡の人たちと縁ができたのは、父が公園でホームレスをしていたときだったのだ。
酒に溺れ、病んで、仕事ができなくなった父は、放浪しながら福岡にたどり着いたのだった。
 
会の最後に、叔父さんが締めの言葉を述べた。
「さんざん苦労をさせられたけれど、それでも私は兄を誇らしく思っています」
と語ってくれた。
なんだかうるっときた。
 
会のあと、お菓子を食べながら、なんとなく雑談の会になった。
叔父さんたちが父との年月を語ってくれた。
 
東京で鹿児島で佐賀で、やらかした話の数々を教えてくれた。
夜中に電話をしてきて、車を飛ばしてお金を持っていったこと。
居候させていたら、急にいなくなったことなどなど。
 
叔父さんも大変だったのだ。
自慢の兄だったはずが仕事ができない状態になり
情緒不安定で荒ぶり、予測不能な行動をする。
身勝手にお金を要求したかと思えば、いなくなる。自らを傷つけようとする。
 
それでも兄を誇らしく思った、と言えるのか。
 
すると、叔父さんは意外なことを言い始めた。
 
「いや、今日も皆さんと会うのが心配だったんです」
 
え?どういうこと?
 
すると、牧師さんが言った。
 
「私たちの方こそ、来ていただけるのか、わからずに」
 
もっとわからなくなった。
 
「佐賀から行方不明になったとき、まさか福岡にいるとは思わなくて。
お世話になりました」
 
叔父さんは、父のパートナーや牧師さんに頭を下げた。
そうか。実家は実家で福岡の方々にご迷惑をかけたと思っているのか。
 
待てよ。私は大きな勘違いをしていた。
ここに来る人は、父のことを尊敬し、愛している人たちなんだと。
 
しかし、それだけではなかった。父から迷惑をかけられた人でもあるのだった。
 
父のパートナーや福岡の方々、叔父、私
ここにいる人たちは、みんな父に振り回された人たちだったのだ。
 
それが一同に会しているのだった。
 
最後のパートナーである女性は、ホームレスだった父に転がり込まれて60歳から20数年を共にした。
女手一つで育てられたお子さんたちは、どんな気持ちだっただろう。
叔父たちはアル中の父の面倒を見、
私は離婚した母に「お前なんか産むんじゃなかった」と言われ
荒れる母に振り回される2,30代を過ごした。
三者三様に振り回された。
いや、ここにこない誰かはもっともっと振り回されたに違いない。
 
それでもなぜか、みんながここに集まった。
 
父は、冤罪の心証を告白した正義の人、とは言い切れない。
不本意な判決文を書くことで、人の人生を狂わせたことへの罪の意識に耐えられなかった
人間らしいどうしようもなさを抱えた弱い人間だった。
ひどいこともしていた。
 
でも、運のいいことにそれを包み込んでもらえる人に恵まれた。
いや、放って置けない、と思わせる人たらしのようなところがあったのだろう。
 
帰り際に叔父さんが私に一枚の写真を見せてくれた。
モノクロの写真。
それは結婚式の時のものだった。
 
人生で初めて見た、父と母が一緒に写っている写真だった。
 
衝撃を受けた。
父のことになると呪詛の言葉しか投げなかった母が笑顔で写っている。
 
普通のあたりまえのどこにでもある写真。高度成長期のありきたりの結婚式。
なんでもない一枚に私は見入ってしまった。
 
みんなが笑顔で写っていた。
人たらしの笑顔の父とたらされている笑顔の母を真ん中にして。
 
この笑顔が数年後、どうしてこうなってしまったのか。
 
「結婚したくない、やりたいことがあった、産まなきゃよかった」と何度も言っていた母。
どんな気持ちで写真に写っていたのか。
父は何を思って結婚をしたのか。
 
なぜこの両親に生まれたのか。
 
私にはまだ、二人を家族として完全に受け入れるだけの器はない。
 
でも、写真は、言葉を越えて、幸せを映していた。
いままで父と母に抱いていた辛い気持ちとは少し違った感情のようなものを味わうことができた。
 
来る時に感じていた、少し意地悪な好奇心はほんの少し、やさしい気持ちに変わっていた。
 
帰りに叔父さんと叔母さんといとこと、ファミリーレストランでハンバーグを食べた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
射手座のおっさん(天狼院公認ライター)

静岡県生まれ。
クリエイティブディレクター、コピーライターとして大手企業のブランディング、CM、web等の広告制作を手がける。公認心理師、合格率6%の1級キャリアコンサルティング技能士実技試験に一発合格。レンタルおじさん。カウンセリングや相談歴は5000人10000時間を超え、独自の傾聴術「かきくけこヒアリング」を開発。趣味はルノアールのパトロールとDJ。

メディア出演:レンタルおじさんとして、ぽかぽか(フジテレビ)ハナタカ優越館(テレビ朝日)声優と夜遊び(abema TV)デンマーク国営放送、BBCラジオなどに出演

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2023-07-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.224

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