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週刊READING LIFE vol.227

75年の歴史は、我儘と気紛れから始まった《週刊READING LIFE Vol.227『〇〇は、どうやって誕生したのか?』》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/8/14/公開
記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)

 
 
年明けに私は、高齢者として公に記されてしまう。
これは、年金の納付義務(480か月)も満了した証明でも有る。480か月といえば、40年だ。
義務とはいえ、我ながらよく続けたと感じ入る。
 
 
もう一つ私には、年金納付よりも長く続けていることがある。
それも、納税みたいに義務が伴うものではない。
それでも、学生時代から続けているので優に45年を超えてしまった。
 
私が45年超続けているのは、或る映画の集まり(サークル)の事務局だ。
会の名は、『東京映画友の会』という。
私は創設者の名を冠にして『淀川長治創設・東京映画友の会』と、表記する様にしている。
 
淀川長治先生は、私にとって映画の師匠だ。正確には、映画観賞の師匠だ。
何故なら淀川先生は、専門的に映画を研究したり、映画を製作することが無かったからだ。
だから私は、淀川先生のことを‘映画評論家’や‘批評家’として紹介したことは無い。
先生のことを訊かれると決まって、
「映画解説者です。それも、唯一無二の」
と、紹介することにしている。
それは、『東京映画友の会』が大きく関わっているからだ。
 
 
多分、平成以降に生まれた方は、淀川長治先生のことをよく御存知無いだろう。
無理はない。淀川先生は、今年11月で没後25年と為るからだ。
 
少しだけ、淀川長治先生のことを記すことにする。
先生は、1909(明治42)年に神戸の裕福な家庭に生を受けた。
大旦那である父親を始め、一家は大の映画好きだった。
嘘みたいなエピソードだが、淀川長治少年は、映画観賞中に産気付いた母親から生まれた。生まれながらにして、映画と関りを持っていたのだ。
 
成長した淀川先生は、映画の雑誌社や洋画の配給会社で働いていた。
特に、ユナイテッドアーティスツ(UA)日本支社の宣伝部在籍中に、西部劇の名作『駅馬車』を担当し大ヒットさた。映画業界でも名が知られるようになった。
戦争中は、アメリカ映画が上映禁止だったので、東宝の宣伝部に籍を置いていた。その際に知り合ったのが、後に世界的巨匠と称される黒澤明監督だ。
二人は奇しくも、同級生だ。
互いに認め合う、生涯親友だった。何しろ、亡くなった月日も二か月違いだった。
 
戦後に為って、アメリカ映画上映が再開され、新しい映画雑誌が創刊された。1947(昭和22)年のことだ。
淀川先生は、編集長として招聘された。
雑誌名は『映画の友』。そう、『東京映画友の会』の母体だ。
 
 
淀川先生が世に知られる様に為ったのは、テレビに出演してからだ。
『映画の友』編集長を退任後、フリーの映画解説者をしていた先生に、日本初のアメリカ製テレビドラマを解説する仕事が舞い込んだ。
『ララミー牧場』という、テレビ西部劇だ。ドラマの前後に、1分程の解説を付けたのだ。
その際、番組最後の挨拶で先生は、
「サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ」
と、挨拶をした。
当人の話では、アメリカのテレビを意識してのことだったそうだ。
当時、テレビの影響は絶大で、私を始め子供達は御別れの挨拶をする時に、淀川先生の真似をする様に為っていた。
 
『ララミー牧場』終了後、今度は、映画のテレビ放映の解説を任されるようになった。その時も御別れの挨拶は、
「サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ」
だった。
もうこうなると、“サヨナラ”が淀川先生の代名詞と為っていた。
実際に、『サヨナラ先生○○』といった著作が、後に何冊も出版された程だ。
世の中に、完全に認知された証明でも有った。
 
今では滅多に見られなくなったが、淀川先生が亡くなる迄、解説付きの映画放映は一般的だった。これも、淀川先生の功績の一つだ。
先生はテレビで映画を解説するにあたり、
「テレビで映画を放映するということは、一度も映画館に足を運んだことが無い方も観ることだろう」
「そうなると、初めて映画を観る方にも解る様に、一所懸命勤めよう」
「では、映画の欠点を指摘するのではなく、良いところだけを話そう」
「どうしたら、僕と同じ様に映画を楽しめるのかを伝えよう」
と、御考えに為ったと伝え聞いている。
 
淀川長治先生は、常にテレビ受像機の向こう側の視聴者の気持ちを大切にしていた。
それは、以前の映画雑誌編集長時代も同じだった。
 
但し、裕福な出身ゆえの‘我儘’が多分に散りばめられていたが。
 
 
ここで一つ、我が師を自慢させて頂く。
淀川先生は、テレビに登場する他の映画評論家とは一線を画していた。
その証拠に、先生の映画解説だけを集めたDVDが発売されたのだ。映画解説だけを集めたDVDなんて、淀川先生のものしか存在しない。
これは、先生の映画解説が、映画に負けないコンテンツとして成立していた証明だ。
だから私は、淀川長治先生を映画解説者としてしか紹介しないし、唯一無二だと胸を張る次第なのだ。
 
 
1947年、雑誌『映画の友』の編集長に就任した淀川長治先生は、こんなことを考えていた。
「僕の作った雑誌は、皆を喜ばせているのだろうか」
「僕が推奨した映画を、読者はどう観たのだろうか」
「そもそも『映画の友』の読者は、どんな方なのだろうか」
思い悩んだ先生は編集部員に、読者の集いを企画・告知する様に命じた。
 
私にも想像付かないが、時は、戦後2年程の東京だ。
戦後復興など、始まったばかりだ。第一、学校が焼けてしまい屋根も無いところで子供達が勉強している状況だ。読者に集まってもらう場所の見当も付かなかった。
淀川編集長は気楽なもので、
「どうせ、5人か10人集まればいいところだろう。それなら、編集部の会議室に集まって貰えばいい」
と、考えていた(本人談)。
 
ところが、現代で言うところのオフ会である‘読者の集い’を告知したところ、全国から数千に登る希望者が名乗りを上げて来たそうだ。
編集部は希望者を東京近郊に限定し、焼け残っていた上野高校の講堂を借りることにした。
 
そして、1948年10月16日(土曜日)に、『映画の友』読者の集いは開催された。
講堂には、200人を超す老若男女が集った。
気を良くした淀川編集長は、
「皆さん、よくお集まり頂きました」
と、満面の笑顔で迎えた。
仕舞には、
「皆さんも楽しまれたでしょうから、これから毎月、第三土曜日にここで集まりましょう」
と、発言してしまった。
集まった読者は、すっかり編集長のファンに為っていて、その‘気紛れ’に大喝采したという。
 
頭を抱えたのは、会場の手配をする担当者で、学校への掛け合い等の業務で忙殺され、本来の編集業務が出来なくなったそうだ。
更に編集部には、
「東京以外でも、読者の集いと開催して欲しい」
と、矢の様な催促が舞い込んできたという。
仕方なく、全国の主要都市に編集部員が出張し、集いを開催することとなった。
淀川編集長は、毎週のように数年に一度、各会場に顔を出すことと為った。
 
こうして誕生した読者の集いは、“『映画の友』友の会○○会場”と称することが決められた。
なので、私が現在も当時の編集部員と同じ役目をしている『東京映画友の会』は、“『映画の友』友の会東京会場”を前身とする会である。
後に、淀川先生が編集長を退任し、『映画の友』も廃刊と為ってからも、東京会場だけは有志で続けられた。
そして、淀川長治先生が無くなった現在も、『東京映画友の会』として続いているのだ。
 
 
我が『東京映画友の会』は、今年の10月で75周年を迎える。
私が関わり始めてから、45年以上と為る。
我ながら、よく続いたと思う。
 
これは、生前の淀川先生が、
「私が、黒縁写真に為っても(亡くなってもの意)、皆さんで友の会を続けるのですよ」
と、仰って下さったから続けられたと私は思っている。
私は勝手に、淀川先生と『東京映画友の会』の継続を約束したと考えている。
 
これは、淀川先生が大切にした映画を、私も大切することだ。
先生が伝えて下さった、映画の楽しみ方を後世に伝えることだ。
淀川先生のことも、伝承することだ。
 
 
淀川長治先生は、私達友の会の若者を、
「この子達、僕の“友の会”の生徒さん」
と、紹介して下さった。
御友人の作家、池波正太郎さんに紹介して頂いた。
とても、嬉しかった。
同じく友人の植草甚一さんの葬儀(先生が葬儀委員長)で、先生の命に依りお手伝いをさせて頂いた。
名誉を感じた。
テレビの特集番組(淀川先生の)にも、引っ張り出されたことがある。
少し緊張したし、恥ずかしかった。
『東京映画友の会』を継続することは、行儀が良く無い私でも可愛がって下さった先生の恩に報いる唯一の方法だ。
 
 
これからも、高齢者に為っても、私の命が続く限り、『東京映画友の会』を守っていく所存です。
 
 
恩師が、我儘と気紛れで誕生させた会であっても。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2023-08-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.227

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