週刊READING LIFE vol.227

清少納言はなぜ「枕草子」を書いたのか《週刊READING LIFE Vol.227『〇〇は、どうやって誕生したのか?』》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/8/14/公開
記事:遠藤美紀(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私たちは、良くも悪くも、先人たちの真似をして暮らしているところがあります。それは、暮らしの道具や、仕事の仕方、生きていくうえでの考え方など、色々な場面であることです。それらは、先人たちのやってきたことを今の自分たちに合わせて変化させて、さらによりよくしていくもので、これまでの営み、学びの中から生まれます。
 
それは、「書く」ということでも言えるでしょう。
何をどういう風に書くか、ということを全くの真っさらな状態からはじめることはありません。
これまで自分が読んできた本でも、誰かの書いたブログでも、何かを読んできたことが自分の知識、ベースとなっていると思います。そこから、その真似をして書いてみたり、ヒントを得て、新しい形にして書いたりするのでしょう。
 
どんなことでも、「はじめて」はどれほど難しいものだろう?
よくそんなことを考えます。
はたして、このように文章を書いてそれが読まれるのか、そして喜ばれるのか、どういう形にまとめればいいのか。はじめての試みはわからないことだらけで、手探りでやっていくしかないのです。
 
 
私は、本を読むことが大好きです。
小説、実用書、入門書、そしてエッセイ。最近特によく読むのがエッセイです。
エッセイは、「自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文」です。「随筆」とも言います。最近は作家さんだけではなく、芸人さんなどもエッセイを書いたりしていますね。その辺はさすが芸人さん! という感じで、話がおもしろい人は、文章もおもしろいものです。
そして、ほんな些細なこと、普通だったら見過ごしてしまうようなことも、上手く膨らませて楽しいエピソードにしてしまう感性。羨ましいです。
 
作者の暮らしが垣間見えたり、その考え、価値観から自分の生き方へのヒントがもらえたりするエッセイは、よく読みます、という方も多いのではないでしょうか。
 
そんなお馴染みの「エッセイ」にも、もちろんはじめがあります。今なら、「エッセイとはこういうもの」という、お手本があり、それを参考に書くことができます。エッセイの書き方の解説をした本もあります。
日常のことから、自分の思ったことを自由に書いていくエッセイ。
はじめてエッセイが書かれた時、その作家は何を思って書き始めたのでしょうか。

 

 

 

日本最古のエッセイをご存知ですか? 学生の頃、授業でも学んだ有名な作品。
清少納言の「枕草子」です。世界最古のエッセイという説もあるようです。
 
春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山際、
少し明かりて、
紫だちたる雲の細くたなびきたる
 
この一節を学生のころに暗記した、という方も多いのではないでしょうか。
私もこの文章は、なにをみることもなく書けました。
 
「枕草子」はなぜ書かれたのか。
 
清少納言は著名な歌人であった清原元輔の娘であり、一条天皇の后である中宮定子に仕えていました。その中宮定子から当時はとても貴重だった紙を貰い受けたので、その紙に日々のことを綴ることになったようです。仮名文字が出てきたことも理由のひひとつかもしれません。
 
 
宮中での出来事や自然のことを、美意識、美学、感性、趣味嗜好を存分に発揮されて書かれています。
 
例えば、冒頭の「春はあけぼの〜」は、四季それぞれの美しさについて、書かれています。ご存知のように、「夏は夜」、「秋は夕暮」、「冬はつとめて」、と続いていきます。
 
夏は夜。
月の頃はさらなり。闇もなほ。
螢の多く飛び違ひたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光てい くもをかし。
雨など降るもをかし。
 
 
秋は夕暮。
夕日のさして山の端、いと近うなりたるに、烏 の寝どころへ行くとて、
三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさえあはれ なり。
まいて雁などの列ねたるたるがいと小さく見ゆ るは、いとをかし。
日入り果てて風の音、虫の音など
はたいふべきにあらず。
 
 
冬はつとめて。
雪の降りたるはいふべきにもあらず。
霜のいと白きも、またさらでも、いと寒気に火 など急ぎ熾して、
炭もて渡るも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の 火も、白き灰がちになりて、わろし。
 
 
ここに、いわゆる「をかし」が詰まっているのです。
 
「いとをかし」は、「とても趣きがある」「素晴らしい」という意味です。
  
その頃、清少納言が仕えていた中宮定子は、父、藤原道隆の死、そして兄の失脚により、後ろ盾を失い、宮廷での居場所を失いつつありました。
 
そんな中、書き始めた「枕草子」ではありますが、定子の苦境など、つらい話は一切書かれていません。いつでも書かれているのは、華やかな定子の様子です。
実はそこに「枕草子」が書かれた理由が隠されているのだそう。それは、定子の明るく、華やかで、どれだけ素晴らしい女性であったかを書くこと。、
宮廷に根付いていた定子が中心となり作り上げてきた華やかな宮廷文化を、定子の父亡き後に新たになった権力者に抹消されないように、という意図があったようです。
 
ですから、日本最古のエッセイは、定子がどれだけ素晴らしい人か、という紹介てあり、そしてこんな華やかな宮廷文化を作ってきた人なんですよ、という宣伝と記録でもあるのですね。
とは言え、最初は非公開にするつもりでいた「枕草子」。ひとまずは、宮中の仲間内で読むためのものだったのでしょう。
ですが、ある日、左中将の源経房が読んで、「これはおもしろい」と世に広めたそうです。
現代で言うと、自分がブログなどで書いていたものが、出版社の人の目に止まり、出版のオファーがきた、という感じかもしれませんね。
意図せずに「枕草子」は世間の人たちにも読まれるようになったのです。
 
余談ではありますが、同じころに日本最古の長編小説と言われている「源氏物語」を書いた、紫式部は、この「枕草子」を嘘が書いてあると批判したことがあるとか。実は、紫式部は、先に書いた、藤原道隆の後に権力者になった藤原道長の娘、中宮彰子に仕えていました。ですから、「枕草子」が書かれていた頃のことを知っていたから、「嘘が書いてある」と言ったのかもしれません。
とは言っても、紫式部が中宮彰子に仕えはじめたのは、中宮定子の死後なので、宮中での清少納言と紫式部は実際には会っていないようです。
 
それでも、自分の仕えている人よりも華やかだ、というように書かれるのは、やはり気に入らないのかもしれませんね。
 
 
このように、「枕草子」は美意識や美学、感性の詰まった、定子のためのエッセイと言えるとともに、後世に規範的意義を持ち続けたのでしょう。現に、吉田兼好の「徒然草」は、この「枕草子」に触発されて書かれた、との説もあるそうです。
そして、この「枕草子」のように、自分が「趣きがある」、「素晴らしい」と思うことについて、思うまま、自由に書く日本最古のエッセイは、現在のエッセイのおおもとになっているのです。

 

 

 

はじめてのものは、ナビがない難しさがある一方で、その分、何にも縛られることなく、もっと自由に書くことができる、という良い点もあったのかもしれません。
 
日本最古の歴史書である「古事記」、日本最古の長編小説「源氏物語」、日本最古の和歌集「万葉集」など、たくさんの「はじめて」は、どういう形で作られ始めたのか、ふと考えると不思議に思えてきます。
 
私たちは、何かを始めようと思ったら、それをまずはインターネットや本で調べてみればいいのです。そうすれば、必ずヒントややり方が書いてあり、それに沿ってやってみればいいのです。
でも、はじめての場合は、とにかく自分で考えて、試行錯誤していかなくてはいけないという大変さがあります。
そうした、先人たちの苦労のおかげで、私たちの今は成り立っています。
 
 
 
そして、昔、それこそ清少納言の時代には、特別な人しか出来なかった、「書く」ということを、今の私たちは、自由にできるのです。
勉強して仕事に活かす人もいるでしょう。小説を書いて人を感動させる人もいるでしょう。さらには、ブログやnoteに自由に自分の思うことを書いて、全く知らない人たちに読んでもらう、ということすらも出来るようになっています。
 
書くことは、もっと自由になり、書く場所の選択肢も増えています。これも、清少納言がはじめてのエッセイというものを書いてくれたおかげです。そのおかげで、私も文章を学び、そして書くということが出来るし、また誰かに何かを伝えるとことが出来るのです。
 
 
なぜなら、「枕草子」自体が、多くの人に強く伝えたいことがあって書かれたからです。
それが先程言ったように中宮定子の素晴らしさであり、定子の築いてきた、華やかな宮中の様子だったのです。
 
 
「私は何のために文章を書くのだろう?」
そう考えるとそれは、自分の思うことにをそのままに、でも伝えやすくするように書くためなのだろうと思います。それができれば、清少納言のように人や物の素晴らしさを伝えることができるし、誰かを感動させることができるかもしれない。
そう考えると、なんだか嬉しくなりませんか? 自分の書いたものが誰かの役にたつかもしれないのです。
 
このように、エッセイとは昔からあるもので、とても素晴らしい発見です。その「枕草子」を、「教科書に載っている、小難しい文章」、と考えずに、平安時代の美意識や、人々の暮らしを知る、楽しいエッセイと思って読んでみてほしいと思います。
きっと自然の美しさに共感し、心が豊かになるでしょう。そして、清少納言の感性や美意識から、自分の暮らしのヒントを見つけることができるかもしれません。
 
 
どんなものにも、何かが誕生する、ということには物語があるものなのかもしれません。
何かに困っているから、〇〇を作ってみた、それにはこんな苦労がありました。こんな奇跡的な偶然が重なって出来ました。そこにはも思いつきを形にするという、大変な作業があります。
 
そうやって書かれた文学にもたくさんの悩みがついてきたでしょう。それでも「枕草子」のように、定子のためにと工夫をしながら書かれた物もあるわけです。
残したい、伝えたい。
 
私はそんな「枕草子」の想いを残したいと思いました。それは単純に「枕草子」を残す、ではなくて、その想い、です。
 
 
そのためにも私は、出版されて、たくさんの人の手にとってもらい、読んでもらうわけではないけれど、書くということをつづけていきたい、そんなふうに考えています。
 
 
日本最古のエッセイ、「枕草子」は、読みやすい本も多くでてきるそうなので、自分で読みやすい「枕草子」をみつける、というのも、やってみるとおもしろいかもしれませんよ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
遠藤 美紀(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

千葉県在住。
歯科衛生士であり、セラピストでもある。
文章も書ける歯科衛生士を目指して奮闘中。

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2023-08-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.227

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