週刊READING LIFE vol.231

名古屋の喫茶店で起きた小さな奇跡《週刊READING LIFE Vol.231 癒しの時間》

thumbnail


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/9/11/公開
記事:山本三景(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
わたしは喫茶店へ行くのが好きだ。
珈琲を飲むのも好きなのだが、お気に入りの喫茶店でゆっくりするのが好きなのだ。
 
ありがたいことに、わたしが住んでいる名古屋は喫茶店が多い。
総務省が発表した昨年の家庭調査によると、1世代あたりの名古屋市の喫茶代の支出額は、年間1万3427円で、全国2位となっている。
名古屋が1位だと思っていたのだが、上には上がいて、全国1位は岐阜市の1万5616円となっており、名古屋以上に岐阜市での喫茶店人気が高いことがわかった。
ちなみに、3位はさいたま市、4位は東京都区部、5位は横浜市となっている。
 
とはいえ、名古屋、全国2位とはなかなかだ。
全国的にも「名古屋=モーニング」が浸透している。
これは喫茶店文化というか、モーニング文化が根付いている結果だろう。
 
そもそも、「モーニング」とはなんぞや?
 
珈琲などの飲み物を1杯頼むと、トーストや卵、サラダなどが付いてくるサービス、それが「モーニング」だ。
そう、名古屋の人はお得という文字に弱い。
 
最近では、クラシックプリン(固めプリン)やクリームソーダ、ナポリタンなどの昔ながらのメニューが置いてあるレトロ喫茶の流行りもあり、いままで常連さんしかいなかった老舗の喫茶店にも、若者がこぞって訪れるようになった。
 
当たり前のように通っていた喫茶店が、いつの間にか並んでしか入れないようになってしまうこともしばしばある。
そんなときは勝手なのだが、少し寂しい気持ちになるものだ。
とは言っても、喫茶店で本を読んだり、ボーっとしたりしているだけなので、本当の珈琲好きにとってはわたしのほうが邪道な楽しみ方をしているのかもしれない。
 
最近、通い始めた喫茶店がある。
通っていると言っても、毎日ではなく、2週間に一度ぐらいの間隔で足を運んでいる。
 
昔からある喫茶店で、扉を開けると目の前に階段があり、階段を登ると喫茶スペースが広がっている。
流れている曲も懐かしく、今どきのカフェのようにおしゃれではないが、窓が大きいため、お店全体が明るく、開放感があって気持ちがいい。
 
どのテーブルにも椅子が6脚あり、最初は6人用の席をひとりで使ってしまっていいものかと迷ったものだ。
今まで相席になったことはないので、広々とテーブルを使うことができるのも嬉しい。
 
窓の外を見ながら、広い席でゆっくりするのが心地よく、癒しの時間になっている。
長居するときは2回に分けて注文している。
 
モーニングは11時までやっているのだが、わたしは小倉トースト一択だ。
メニューを見ずに注文する。
薄切りのパンが斜めに三角にカットされていて、いい焼き具合で2枚重なり、自家製の小倉あんと一緒に運ばれてくる。
自分の匙加減で小倉あんをバタートーストの上に乗せる。
厚切りトーストでないところが気に入っていて、それもお店に通っている理由のひとつだ。
モーニングがお得といっても、最近は500円を超えるお店が多いなか、500円以下で食べられることにも魅力を感じる。
 
「モーニングで小倉トーストと、アイスコーヒーをお願いします」
 
通い始めて半年ぐらい経ったある日、お店のマダムにモーニングを注文したときだった。
ついにその瞬間がやってきた。
マダムはわたしに向かって言う。
 
「もう覚えたので、次からは『いつもの』でいいですよ。長い言葉で注文するの大変でしょう」
 
わたしの胸を何かが貫いた。
 
えええ!
これって、「いつもの」始まりではないか?
 
そう、あの「いつもの」です。
 
「マスター、いつものね」
 
なんて言って注文するシーンをドラマや再現VTRで目にしたことがある。
しかし、実際の日常生活において、なかなかそういうシーンにお目にかかることはないものだ。
 
物事には必ず始まりがある。
それは、この「いつもの」においても例外ではない。
わたしはいま、「いつもの」始まりを目の当たりにしている。
しかも、目撃者ではなく当事者だ。
そう、「いつもの」を使ってよいという許可証を手に入れたのだ。
 
もしかしたら、当然のように「いつもの」というワードを使っている常連さんだって、こんな始まりに出会った人がいるのかもしれない。
「いつもの」始まりが、こんなにもはっきりとわかりやすいものだとは思いもよらなかった。
そしてなにより、自分のことを覚えてもらっていたことが嬉しくてたまらなかった。
 
アイスコーヒーが先に運ばれてきて、嬉しさと恥ずかしさで、脳内では「えへへ」とにやけていた。
そして、なみなみとコップに注がれたアイスコーヒーにミルクを入れると、嬉しさで、無意識にストローをぐるんぐるんと高速でかきまぜていた。
テーブルに視線を落とすと、案の定、びちゃびちゃになっていた。
 
しまった! やらかした!
 
せっかくお店側から「いつもの」許可証が発行されたのに、もう粗相をしてしまったではないか。
 
テーブルを拭いてもらうため、マダムを呼ぼうと思ったが躊躇する。
コップからこぼれたアイスコーヒーが、水溜りのコースターのようになっている。
昔ながらの喫茶店で出されるおしぼりは、紙ではなくタオル地であることが多い。
このお店のおしぼりもタオル地であったため、自分のおしぼりでなんとか拭きとることができた。
ただ、白色のおしぼりは珈琲で茶色に薄く染まってしまった。
 
そして、小倉トーストが運ばれたときに、茶色に染まったおしぼりをマダムが見て、スッと新しいおしぼりを出してくれた。
あぁ、気配りも素敵だ。
 
その日は、自分のことを覚えてもらっていたという事実にホクホク気分で帰ったのだが、次回、訪れたとき、ドラマや再現VTRのように、「いつもの」と照れずに言うのはハードルが高くないか?
「いつもの」と言って、「なんのこと?」と思われたりしないだろうか。
 
ええ、わたしは「超」がつくほど小心者なのです。
 
許可証はもらったものの、果たして、この4文字を本当に言うことができるのだろうか。
 
「いつもの」or「モーニングを小倉トーストでください。飲み物はアイスコーヒーで」
 
さぁ、どっちにする?
 
そして、1週間後、またその喫茶店を訪れた。
まだ記憶が新しいうちに行っておこうとする自分の浅ましさを感じる。
でも、いいのだ。
「いつもの」を定着させるのが今日のミッションなのだ。
 
マダムがお水とおしぼりを運んでくれた。
そして、わたしはひとこと目を発する。
 
「いつもの小倉トーストで……」
 
口から出たのはどっちつかずの答えだった。
「いつもの」だけで通じるかはわからない。でも、言ってみたい。
脳内で格闘した結果、二つを合体させるという、なんとも情けない答えを導きだしたのだ。
モジモジしながら飲み物だけ言うのを省略して、それっぽく……。
あぁ、なんて中途半端!
きっと顔は真っ赤だろう。
 
マダムはきっとこの葛藤をみてとったのだろう。ニコッと笑って
 
「アイスがかわったときに教えてくれればいいですよ」
 
マダムーッ!
 
心のなかで叫んでいた。
これで次回は堂々と「いつもの」と言える。
夏が終わる前に「いつもの」デビューをしようと心に誓った。
 
そして、さらに1週間が経った。
タイミングを逃してはならないと思い、やはり記憶が残っている間に「いつもの」を言おうと、意気込んで例の喫茶店へ2週連続で出かけることにした。
 
言うぞ、今度こそ言うぞ!
 
心のなかで繰り返す。
鼻息あらく喫茶店の扉をひらく。
 
どうか、マダムが接客してくれますように……。
 
そして、お水が運ばれる。
マダムだった。
よし、もう迷わない。
わたしはマダムに笑いながら話しかけた。
 
「いつものお願いします」
 
マダムも笑いながら返事をする。
 
「いつものですね」
 
淀みないやり取り。
そして、アイスコーヒーが運ばれ、続いて小倉トーストが運ばれてきた。
完璧である。
 
こうしてわたしは今日、「いつもの」デビューを果たしたのであった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山本三景(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2021年12月ライティング・ゼミに参加。2022年4月にREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。
1000冊の漫画を持つ漫画好きな会社員。

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2023-09-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.231

関連記事