週刊READING LIFE vol.232

稼ぎを気にしない働き方のススメ《週刊READING LIFE Vol.232 これからの働き方》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/9/18/公開
記事:松浦哲夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
朝7時に起きて外出の支度をする。だいたい7時30分には家を出て仕事に向かう。いつもの習慣だ。しかし、これを出勤と言っていいのかはわからない。なぜなら、私が向かう場所は喫茶店だからだ。
 
広い喫茶店なので店員の目は店全体にまで及ばない。席はどこか必ず空いているので営業の邪魔にはならない。だから何時間いても問題はない。たぶん。
 
コーヒーを注文し、パソコンを広げて文章を打ち始める。文章の内容は日によって様々で、今日はゴーストライター案件の文章を書く。とある経営者から頂いた自分の自叙伝を執筆してほしいという案件だ。執筆に入る前に、その経営者に3回のインタビューを実施した。本来であれば3回も必要ないが、経営者自身がインタビューを受けたいとのことで3回に及んだ。どうやら話が大好きな方らしい。加えて私は聞き上手を自称している。真剣に耳を傾ける私は、その方にとって格好の話し相手なのだろう。インタビュー中もいかにも楽しそうに話をしていた。もちろん問題ない。自叙伝を作成する側としては、情報は多ければ多いほど書きやすい。
 
そうして丸1日を執筆して過ごし、夕方に家に帰って夕飯を作り、嫁と談笑しながら夕食を楽しむ。
 
これが私の日常だ。会社員として働き、毎日ストレスにまみれていた時と比べるとその差はあまりにも歴然だ。あの頃の私は、ストレスを抱えるたびに少しずつ寿命を縮めていた。現にストレス性の胃炎を何度も煩い、ついには一生涯完治しない腸炎を発症した。毎日少しずつ自分の寿命を会社に捧げていたようなものだ。
 
今私はライターとして仕事をしている。とはいえ、会社を辞めてすぐにライターになったわけじゃない。思考を重ね、経験を重ね、これまでの常識や先入観を全て排除した先でライターという職にめぐり合うことができた。これからの時代の働き方に気がついたことで巡り合ったと言ってもいい。そうでなければ私はお金と社会的な安定を求めて、今でも転職を繰り返していただろう。
  
時は今から5年ほど前にさかのぼる。
 
当時、私は長年所属していた会社を辞めたばかりだった。辞めた理由はストレスだった。うんざりするような業務量をこなしながら、出世のことしか頭にない直属の上司の相手をし、口の減らない生意気な部下の突き上げを受ける。そんな地獄の業火の中にいるような環境でどうにか日々の業務に耐えていたが、ある日の朝、ついに自分の精神が限界のサインを出した。過剰なストレスがコップから溢れた瞬間だった。その日私は入社以来はじめて無断欠勤をした。会社に出勤せず、会社から少し離れた公園のベンチに座り、そこで丸1日過ごした。私のスマホには何十件もの着信とメールが届き、留守電には上司の怒鳴り声が記録された。心の底からウンザリした。たった1日私がいなくなっただけで社内は大騒ぎだ。
 
次の日、私はいつも通り会社に出勤したが、もうそこで仕事をする意欲は完全に失われていた。出勤と同時に上司に呼び出され怒号を浴びせられたが、何も感じなかった。その後、部下に無断欠勤の説明を求められたが、何も答えなかった。その日私は退職届を提出した。
 
退職後、私は仕事をせず、しばらく家でのんびり過ごすことにした。何もせず家で3日間も過ごすと、いかに自分の精神が追い詰められていたかがよくわかる。ほんの少し前まで私が所属していた会社での仕事はまさに地獄、思い出しただけでも吐き気を催すほどだった。
 
もちろんこのまま仕事をせずに家で過ごすわけにはいかない。人は仕事をしてお金を稼がなくては生きてはいけないのだ。1週間家で過ごすと、かつての地獄の記憶も薄れ、仕事に対する意欲も湧いてくる。しかし、お金を稼ぐために身も心も犠牲にするようなことがあってはならない。
 
仕事を開始するにあたり、私は2つのことを教訓とした。1つは、お金を稼ぐことに執着しすぎないこと、もう1つは社会的な安定性を追い求めすぎないことだ。何事もほどほどが良い。
 
その教訓に立ち返った上で、私は改めてこれからの自分の身の振り方を考えてみた。もちろん転職という選択肢もあったが、私にはそれが必ずしも正しいとは思えなかった。会社に就職すれば毎月の給料が入り、会社員という社会的な立場、安定性も手に入る。そこで頑張れば昇給も出世もあり得るだろう。しかし、それは平日の最も貴重な時間を全て会社に捧げることを意味し、また前職と同じように過剰なストレスを抱える可能性も高いと思った。
 
考えた末にたどり着いた答え、それが副業だった。ネット技術が進化した今の時代、副業の手法は無数にある。その中でも転売や投資といった方法が主流とされているようだが、それだと会社での業務と大して変わらない。確かにやり方次第では大きな収入になる可能性もあるが、そこに執着することは私の教訓に反する。
 
つまり、自分の好きなことや趣味を副業にすればいいということになる。自分の好きなこと、趣味と呼べるものは何か。それはたった1つしかなかった。登山だ。私は学生の頃から今に至るまで約10年の登山歴がある。日本中にそびえ立つ有名な山のほとんどを制覇し、ある程度高度な登山技術も身につけている。
 
そこで私は登山ガイドという仕事に挑戦することにした。実際にこれまで何度も登山素人の方を山に案内したことはあるし、私のガイドは彼らからある程度の評価をいただいていた。今度はそれを事業とするわけだ。
 
事業を成功させる自信はあった。お客様を満足させ楽しませるノウハウ、どんなに体力のない人でもちゃんと山頂まで案内するノウハウもあった。とはいえ、趣味の延長で始めた事業がうまくいくなどと考えたわけではない。この事業で私がどれほど稼ぐことができるのか、まずはその可能性を探る必要があった。うまくいかないならやめればいい。もともとは単なる趣味なのだ。
 
そうして私は登山ガイド業を始めた。各種SNSで宣伝し、ホームページも作った。そこに記事を掲載するためにライティング技術も身につけた。最初の1ヶ月は何の反応もなく、記事を読んでくれた人も1人か2人だった。
 
しかし、3ヶ月目になると、少しずつ記事を読んでくれる人が増えていった。記事が面白いというコメントをいただくこともあった。
 
そうして半年が経過した。その間に書いた記事は100を超え、ほんの少しだが毎回読んでくれる読者も現れた。SNSとホームページは順調に育った。
 
しかし、未だに登山ガイドの依頼はゼロだった。最初からそんなに依頼が来るはずがない、とにかく我慢だ、と自分に言い聞かせるが、それでも半年間も依頼が来ないとなると、この事業は失敗だったのかと考えざるを得なくなる。
 
一方で、私は登山ガイド以外の収入源を確保していた。いくらなんでも最初から登山ガイド一本で生計を立てようなどと思っていたわけではない。平日は化学分析の職に就いた。アルバイト扱いだが、技術職であるため時給は高い。残業がないという条件も私にとって都合が良かった。
 
そうして8ヶ月が経過した時だった。ついに登山ガイドの依頼をいただくことができた。ホームページに公開していた私のスマホの番号から直接電話をかけてきてくれたのだ。
 
「あの……ホームパージを拝見したのですが……」
「はい、ありがとうございます。登山ガイドのご依頼ですか?」
「はい、友達2人で登山に行きたいんですけど、年齢が年齢だけに2人だけでは不安で、それでガイドをお願いしたいのですが」
 
話を聞くと、電話の主は60代半ばの女性で、旅行雑誌で見た壮大な山の風景に憧れていつか直接見たいと思っていたという。
 
「それで、ネットで調べたら登山ガイドのホームページを見つけて電話してみたんです。私も友達も登山の経験は全くありませんが、大丈夫でしょうか?」
「もちろん大丈夫です。ただ1つ確認させてください。足腰に持病があったり、心肺機能に持病があったりということはありませんか?」
「それは大丈夫です。健康には気を使っていますので」
「わかりました。では、お引き受けいたします。詳細はメールでお送りいたします。そこに当時の場所と時間、持ち物などを記載しておきますので、参考になさってください」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
 
電話を切った後、私は飛び上がりそうなほどの喜びを抑え、何とか冷静に物事を考えようとした。初めての依頼は確かに嬉しいが、浮かれている場合ではない。この依頼を無事にこなせるかどうかに、私の登山ガイドとしての命運がかかっているといっても過言ではなかった。私は早速、依頼者に送る「旅のしおり」を作成した。小学校時代の遠足を思い出させる私独自のサービスだ。
 
「旅のしおり」には、集合場所や時間、持ち物といった基本的な情報の他に、ガイドする山の逸話や神話の類の情報も掲載した。もちろん読みやすい文体で書いた。この頃になると、SNSにアップした記事の数は150を超えていて、登山に関するどんな記事でも書ける自信がついていた。しおりに掲載する記事などたやすく書けた。
 
それから数週間後、登山ガイド当日を迎えた。私が時間通りに指定した場所に到着すると、すでに依頼者がいた。2人とも上品な女性で、いくぶん緊張した面持ちだった。
 
「はじめまして、本日はよろしくお願いいたします」
「あ、よろしくお願いいたします。あの、本当に大丈夫でしょうか?私も彼女も体力がなくて……」
「はい、たぶんご心配だと思ったので、今日はまず山の歩き方と呼吸方法をお伝えいたします。5分ほどで終わりますので、お付き合いください」
「わかりました」
 
私はお二人に歩き方と呼吸方法をレクチャーし、5分後、私の先導で登山を開始した。登りはじめて10分ほどは無口だった2人だが、少しずつ口数が増えていった。1時間ほど登り進めると、2人とも山を登りながら楽しそうにペチャクチャ喋りはじめた。本来であれば、呼吸を整えながら歩くものだが、どうやらこの2人には通じないらしい。さすが、少し気になった私は2人に話しかけた。
 
「あの、大丈夫ですか? あんまり喋っていると呼吸が乱れますよ」
「ヤダモー、大丈夫よ、あ! 奥さんみて、あのお花キレー」
 
こんな様子で2人は、登山道の脇の小さな花を目ざとく見つけてはしゃがんでパシャパシャとカメラのシャッターを押した。2人とも疲れなど微塵も感じていないようだ。私は苦笑いするしかなかった。
 
そうして3時間ほどで私たちは山頂にたどり着いた。驚くことに、2人ともここまで喋りっぱなしだった。おそるべき心肺機能の持ち主だ。登山前のレクチャーは何だったのだと内心あきれていると、依頼者の女性が私に言った。
 
「ここまで本当にありがとうございます。私たち、本当に体力がないんですけど、最初に教えていただいた登山での歩き方が本当に良かった。あの方法で登ると、全然疲れないし、息切れもしないから、私も彼女もビックリしているんですよ」
 
私は衝撃を受けた。確かに歩き方を教えたが、それほどの効果があるとは思わなかった。
 
2人は山頂で壮大な景色を楽しんだり、写真を撮ったり、深呼吸したりと思い思いに楽しんでいる様子だ。その間に、私はランチの用意をする。リュックの中から登山用のガスバーナーと鍋を取り出し、鍋に出汁スープを入れて一煮立ち。そこにうどんを放り込み、万能ネギと天かすをトッピングして出来上がり。名付けて「山頂うどん」だ。
 
料理というほど大げさなものではないが、山頂の景色を眺めながら食べるうどんは最高だ。2人とも大いに喜んでくれた。
 
そうして私の初めての登山ガイドは無事終了、後日依頼者2人からお礼のメッセージをいただいた。
 
その依頼を皮切りに、少しずつ登山ガイドの依頼が増えていき、事業開始から1年を過ぎると毎週どこかの山に出かけてガイドをするようになった。思いつきで始めた登山ガイド業だったが、これほど上手くいくとは思ってもなかった。このまま依頼が途絶えなければ、いずれ登山ガイドだけで生活が成り立つのではないか、とすら思った。しかし、それから数ヶ月後、これまで順調だった登山ガイド業は立ち行かなくなってしまうのであった。
 
世間がコロナで騒ぎ始めた様子を目の当たりにして、私は危機感を覚えた。人が大勢いる場所への立ち入りは要注意となり、世間はコロナ一色となった。山に人が大勢集まることはなく、本来であれば登山はコロナ騒動とは関係ない。しかし、お客様自身が外出を自粛してしまうようになったのだ。
 
私の予想は現実となった。ガイドの依頼が完全にゼロになった。それでもコロナ騒動が終われば、また登山を始めようとする人は必ず現れる、それまでの我慢だ、と私は自分に言い聞かした。
 
しかし、コロナ騒動は終わるどころか拡大していく一方で、終わるよう予測が全く立たない。それでも何とか希望を見出そうとしたが、ガイド依頼ゼロの状態が半年継続した時、ついに私は登山ガイド業に見切りをつけた。コロナ騒動の終わりに関して世間では様々な予測が飛び交うが、今はとにかく登山ガイドに代わる別の事業の可能性を見出す必要があった。
 
その時、私は登山記事に目を向けた。登山ガイドで忙しかった時期は記事作成ができなかったが、コロナ騒動で客足が途絶えてから書き続け、記事の数は300を超えていた。
 
自分に文章作成のセンスがあるのかどうかはわからないが、少なくとも楽しんで文章を書くことができる。これなら登山ガイドに代わる事業になる。
 
文章を書いて報酬を得る。私はとっさにその図式を思い描いた。それはつまりライターだ。我ながら突拍子もない思いつきだと思った。私はかつて文章作成を専門的に学んだこともなければ、編集者や出版社での職務経験もないのだ。
 
そんな私がライターになろうなどと思いもよらない。しかし、今日まで300もの登山記事を書き、読者からそれなりの評価を得ている。考えようによっては、これは実績といってもいいのではないかと思った。
 
そうして私は登山ガイド業からライター業へ、決して華麗とは言えない転身をはかり、今こうしてライターとしてある程度の収入を得ている。
 
今日に至るまでの私の働き方を思い返してみると、行き当たりばったりで職業をコロコロ変えていると言えるかもしれない。もっと落ち着くべきなのだろう。もっと計画性を持って時代の先をよんで行動すべきなのだろう。それも一理ある。
 
それを実行に移すのであれば、出来るだけ大手の会社に入社し毎月の給料で生活する、年に2回のボーナスをもらってちょっとした贅沢を楽しむ生き方が正解だ。いくら終身雇用が崩壊したとはいえ、大手企業の安定性はまだまだ健在のはずだ。それを利用しない手はない。
 
しかし、私にはその生き方はできない。長年勤めた会社でトラウマになるほどのストレスを抱えたあの地獄を味わうことはできない。
 
もちろん会社に所属したからといって必ずしもストレスを抱えるとは限らない。それは分かっている。しかし、それよりも自分の可能性を信じ、自分がやりたいことを追求してこそ見えてくる未来もあるはずだ。その時、お金と社会的な安定性への執着は足かせになる。
 
現在、私はライター業を営みながら、最低限の収入を得るために化学分析のアルバイトを継続している。いつかはわからないが、タイミングが来れば登山ガイド業を再開しようとも思っている。近い将来それが実現したらならば、きっと私は最高に楽しい人生を送っているはずだ。
 
多種多様な生き方が可能になった今の時代、働き方も無数に存在する。もちろんその中に会社員として業務をこなして給料ももらうという選択肢があってもいい。ただ、私のように会社員ではなく、自分の好きなこと、興味があることを追求し、それを事業にするという選択肢があってもいい。
 
先入観を一切持たず自分が思うままに仕事を選択する。会社を、ではなく仕事を選択する。それがこれからの働き方だと私は思っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松浦哲夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ大阪育ち。某大学文学部卒。
大学卒業後、大手化学系の企業に就職。経理業務に従事。
のちに化学系、環境系の国家資格を4つ取得し、研究開発業務、検査業務に従事する。
約10年間所属した同企業を退職し、3つの企業を渡り歩く。
本業の傍ら、副業で稼ぐことを目指し、元々の趣味である登山を事業化すべく登山ガイド業を始める。この時、登山ガイド業の宣伝のためにライティングを身につける。
コロナ騒動により登山ガイド業が立ち行かなくなり、宣伝のために覚えたライティングで稼ぐことを思いつく。そうして個人や企業からの執筆依頼を受け、ライターとしての経験を積み重ねる。
2023年4月ライティングゼミを初めて受講。
天狼院メディアグランプリ54nd season総合優勝。
現在に至る。

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2023-09-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.232

関連記事