週刊READING LIFE vol.236

「江國香織のエッセイに魅せられたスペインの旅」《週刊READING LIFE Vol.236 私のベスト・トリップ》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/10/23/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※この記事はフィクションを含みます。
 
 
有給をつなげてとってみた。
 
入社以来あれよあれよという間に忙しくなり、気づいたら振替休日すらいつ取るか悩むようになった。
上司に「有給取ります」と言う時はすごく緊張したが、あっさり「いいよ!」と言われた。
 
注意深くパッキングしたスーツケースを持って新幹線に飛び乗ったときは、日常から離れる浮遊感に頭がくらっとした。
平日の新幹線の中では、忙しそうなビジネスマンが隣でカタカタPCを打っていた。
「私は今から遊びに行くんだ、ごめんなさい」と世の中の忙しそうな人全般に向けて謝罪する。
 
季節は5月下旬。
 
ドバイに向かう空港は、パリッとしたスーツに身を包んだビジネスマンもいるものの、時期を外したバカンスに行く人や、洗練された雰囲気の年配の夫婦などがおおく、ゆとりのある雰囲気を纏っている。
 
ドバイで飛行機を乗り継いで、向かうはスペインのグラナダ地方。
初めての海外一人旅だ。
 
人生初の長時間フライトは流石に辛く、ホテルに着いた途端メイクも落とさずに倒れ込んだ。はち切れそうなふくらはぎをひたすら揉んでいく。
でも、明日は今回の旅の大目玉だから寝坊するわけにいかない。
熱いシャワーを浴びて急いでアラームだけかけて、寝ることにした。
 
翌朝は、ホテルで朝食を取った。
全てスペイン語なので、周りのガヤガヤの会話内容が全く頭に入ってこない。
なんて気持ちが休まるんだろう。
初めての海外旅行で緊張はしているのに、気持ちはふんわりと穏やかだ。
これは今まで経験したことのない、全く不思議な感情だった。
朝食をお皿に盛り付けて席に戻ると、隣の金色の大きなイヤリングの綺麗なマダムがゆっくり微笑みかけてくれた。
 
朝食を終えると、急いでバスに乗り込む。
今回の旅の目玉、「アルハンブラ宮殿」を見にいくツアーに申し込んだのだ。
 
アルハンブラ宮殿は、ナスル朝というイスラム王国時代に建てられた、要塞のような役割を持つお城だ。
 
高校の世界史の資料集で憧れてから、私はずっとイスラム建築が見たいと思っていた。
その優美なアラベスクは、私の心を掴んで離さなかった。
しかし、折しも当時はイスラムの情勢が著しく悪化したタイミングだった。
こんな時期にイスラム建築への憧れを授業の感想に書いたところ、教師からは「東京ディズニーシーにもイスラム建築を観られるところがありますよ!」という教育的配慮に溢れた回答が返ってきた。
だから、私にとっては本当に念願の、やっと観にこられたイスラム建築だった。
 
古い建物の石畳というものは、国境を超えてわたしを惹きつける。
「いったいどれほどの人が、どういう背景で、どんな思いをして積み重ねたのか」
「この石は何年かけて形成されて、どこで採れたのか」と思いを馳せると、いつもすこしクラクラする。
途方もないものを足裏に感じながら歩くのが好きだ。
 
だがしかし。
ここは、足裏だけで済まされない。
天井や柱の一本一本に刻まれた模様たちは、アルハンブラ宮殿の大きな見どころだ。
この宮殿が建てられたその昔、ユスリフ1世が「訪れる人を驚嘆させるような内部装飾を」と命令して作られただけある。
繊細なアラベスクがびっしりと刻まれて、あまりの精巧さにゾクゾクした。
1000年も昔の命令は、今もなお健在だった。
 
大好きな江國香織のエッセイ「泣かない子供」の中に、「アンダルシアを抱きしめた」という一編がある。
これを読んでからというもの、わたしはすっかりアルハンブラ宮殿の面影に取り憑かれてしまった。
何度も何度も画像を検索して眺めているうちに、壁の飾り細工などありありと目に浮かぶほどだった。
 
江國香織は、アルハンブラ宮殿に数多いたであろう愛妾に想いを寄せる。
もし自分が相性になったらと想像した彼女は、こう言う。
 
「あかるい愛妾になろう」
 
わたしは江國香織がよく使うひらがなの「あかるい」という形容詞が大好きだ。
小学校のスローガンのように、「明るい元気なこどもたち」に含まれる「明るい」とは違う。
「明るい」は少しだけ厳しい感じがする。おろしたてのシャツのような真っ白さとか定規で測ったような真っ直ぐさとかそういうイメージ。
 
一方、江國香織の「あかるい」は、あたたかいほんのり黄色の光のイメージだ。心の向かう方向を示すような言葉だと思う。
 
そう、スペインのこの日差しも、本当に「あかるい」感じがする。
緑が美しい中庭の噴水が、スペインのあかるい日差しを受けて輝いている。
美しい風景を体の隅々まで染み渡らせたくて、深呼吸をした。
 
夜は、ホテルの近くのレストランでパエリアを食べた。
サーブしてくれるウェイターさんの横顔が彫刻のようだった。
その眉と目の近さは否応なく異国を感じたし、欧米人特有のピリリとした距離感を保った礼儀正しさを感じる。
日本人のゆるやかで平らな礼儀正しさとは少し違う。
本場のサフランや香辛料の風味は、食べ慣れないはずなのに不思議と私をリラックスさせた。
 
ホテルに帰って目を瞑ると、アルハンブラ宮殿の柱や壁の模様がぐるぐるぐるぐると目の裏に浮かんできた。
 
翌日はビーチに行く。
グラナダの市街地からバスでいける、「サロブレーニャ」という街に向かう。
ビーチといえどもリゾート感は少なく、のんびりした田舎のような空気感は親しみを感じさせた。
 
その色や匂いは、初めてくる海のものだった。
日本海や太平洋、瀬戸内海とも違う、とても鮮やかで彩度が高い地中海の海の色。
大昔から、ヨーロッパや北アフリカの人たちの生活を潤してきた海だ。
お昼にはエスペトという海鮮を焼いた料理を食べ、私の体にも地中海の恵みをいただいた。
 
美味しい海鮮を心ゆくまで味わっていると、これまた江國香織の小説「号泣する準備はできていた」に出てくる「フィッシュスープ」を思い出す。
主人公は、パリで飲んだフィッシュスープをいつか姪に飲ませたいと考える。
なぜならそれは、飲むととても強くなれるし、海の中の生き物たちが護ってくれるから。
 
フィッシュスープは、私にとって、いつか飲んでみたい幻のスープだった。
「これを飲んだら、少しのことでくよくよ悩んで落ち込んでしまう私も、強くなれるのかしら」と思っていた。
 
地中海でたらふく食べた魚介類たちも、私のことを護ってくれるかもしれない。
そう思うだけで、お腹だけじゃなく気持ちまでもが満たされた。
 
さらにその翌日は、「アルムニェカル」という街に行った。
サロブレーニャとはうって変わって、リゾート感のある街だった。
海辺はバカンス用の家が立ち並んでいる。
 
今日は予定を決めずに街を散策した。
考古学博物館に向かう坂道を登っていると猫と出会って挨拶をした。
周辺の家々は、白い壁に綺麗なパステルの扉がついている。
それは、ラベンダー色やミント色など、家によって思い思いの色だった。
軒先には綺麗な鉢植えがあり、そのこざっぱりと明るい感じを、私はすぐに気に入った。
バブーシュみたいな被り物をした、よく日に焼けたおばあさんが、家から出てきて花に水をやっている。
 
とにかく街を歩くのが楽しい。
普段はもう会社と家との往復になっていて、道沿いの家々を眺めたり出会いを楽しんだりすることは、日々の中でもう忘れていた。
イヤホンをつけて外界を遮断して、黙々と歩くのがデフォルトになっていた。
今は、リゾートを楽しむ人々の声も、店先を掃除する音も、街ゆく車の音も、何もかもが好ましく思える。
 
明日はもう帰国だから、ホテルに戻る前にもう一度アルハンブラ宮殿の近くまで行った。
夜だから、中に入ることはできないけれど、ライトアップされたお城は不思議な魅力をたたえてそこに存在していた。
「ありがとう、また来るね」と素敵な宮殿に別れを告げてホテルに戻った。
 
4泊5日の短い旅行だったため、帰る時間はすぐに訪れた。
これからの人生で、きっと何度も思い出すであろう今回の旅。
帰国後も、私の人生は続いていく。
仕事は忙しいし楽しくない場面も多いけれど、自分の行きたいところに足を運び、感動を自分で自分に与えてあげられることは本当に豊かだと思った。
こうして私の最高の旅は終わった。
 
 
実は、ここまで書いた話は、全て妄想だ。
実際にはパスポートすら持っていない。
わたしは妄想の中で、幾度となく旅行をしている。
コロナ禍でどこにも行けないそんな日々でも、目を瞑るだけでどこにでも行ける。
それは、ここ何年もの間、すごく心を救ってくれた。
 
今回紹介したのは、「江國香織のエッセイに魅せられたスペインの旅」だ。
「ヘミングウェイに思いを馳せる南米の旅」「バンドのエモい系MVに出てくるアジアの繁華街を歩く旅」「とにかくモンゴルの大草原に立って風に吹かれる旅」など、挙げれキリがないほどに、いろんな旅のストックがわたしの中にある。
 
空想旅行は本当に楽しいし、それを文章で表現するのもまた楽しい。
 
そして今度こそ、妄想の中だけでなく、自分の足で海外に降り立ちたい。
現地で目の当たりにしたら、私は妄想世界を構成する言葉たちをすべて失って、感動するのだろうか?
それは行ってからのお楽しみだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県生まれ。滋賀県在住。
2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。
大学院卒研究職のゴリゴリ理系女子だが、読書や文学が大好きで小説を摂取しないと生きられない体。
好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。

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2023-10-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.236

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