「停電した人生を再起動するセルフケア ― 小さな習慣が救った現役世代の物語」《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》
記事:内山遼太(READING LIFE公認ライター)
*この記事は、天狼院書店のライティング・ゼミを卒業され、現在、天狼院書店の公認ライターであるお客様に書いていただいた記事です。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/8/18公開
記事:内山遼太(READING LIFE公認ライター)
※症例の部分は一部フィクションを含みます。
やりたいことが突然できなくなった時、人は何を支えに生きていけばいいのか。前回「停電」から立ち直った作業療法士の筆者が、療養型病院で出会った50代のTさんも、膵臓がん告知で「働く」という人生の中心を失った一人だった。「もう何をやっても意味がない」と言っていた彼が、「歯磨き中の片足立ち」から始まって、最終的に病室で「最後の部下指導」まで行うようになった軌跡とは。やりたいことを失ったあなたに贈る、小さな動作から日常生活全体を再構築する方法を紹介する。
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「先生、僕はもう作業療法士として働けないんでしょうか」
あの「停電」の最中、僕は何度この言葉を心の中で繰り返したことだろう。右腕のしびれと可動域制限。患者さんの身体を支えることができない。リハビリ動作の見本を示せない。22歳で見つけた天職が、一瞬にして手の届かない場所に行ってしまった。
やりたいことができなくなる——これほど絶望的な体験はない。それまで当たり前だった日常が、突然色を失う。朝起きても、向かう場所の意味がわからない。手を伸ばしても、掴むものがない。
これが、僕が「停電」と呼ぶ状態だ。心と体が”自分”とつながらなくなり、日々の行動に「気持ち」や「意味」が乗ってこない状態。やりたいことがあっても手が伸びない、体が止まったような、感情が麻痺したような静かなシャットダウン。
そして「再起動」とは、元に戻ることではなく、心と体、そして自分自身の価値ともう一度つながること。小さなスイッチを見つけて、そっと押すことから始まる。
でも、その絶望の中で僕が学んだのは、失ったものを嘆くのではなく、残されたもので新しい生活を作り直すことの可能性だった。それを教えてくれたのは、僕よりもはるかに大きなものを失いながらも、最期まで意味ある日常を築き上げた一人の患者さんだった。
Tさん、50代。大手メーカーの管理職。彼にとって「働く」ことは生活の中心軸だった。朝5時起床、6時半の電車、夜10時帰宅——この生活リズムが20年以上続いていた。
そんなTさんが膵臓がんの末期、余命3ヶ月の告知を受けた時、失ったのは仕事だけではなかった。生活のすべてが意味を失った。
「先生、朝起きても何をしていいかわからないんです」
初回面談で、Tさんはそう言った。
「今まで朝は『会社に行く準備』をしていました。シャワー、朝食、身支度、全部『働くため』だった。でも今は、なぜシャワーを浴びるのか、なぜ朝食を取るのか、その理由がわからないんです」
これは、作業療法士が最も得意とする領域だった。人の日常生活——医学的には「ADL(日常生活動作)」と呼ばれる領域の再構築。
「Tさん、毎朝必ずやっていることで、今も続けていることはありますか?」
「歯磨きくらいでしょうか。これだけは、なんとなく習慣で」
「素晴らしい。それが出発点です」
僕はTさんに、歯磨き中の片足立ちを提案した。しかし、それは単なる運動の始まりにすぎなかった。
3週間後、Tさんから呼ばれた。彼は洗面台の前で、見事な片足立ちを見せてくれた。
「先生、面白いことが起きています」Tさんの声に、久しぶりに生気があった。「この片足立ちをするようになってから、朝の時間に『意味』が戻ってきたんです」
Tさんが説明してくれた変化は、僕の予想を超えていた。
「最初は、ただ言われた通り片足立ちをしていました。でも1週間くらいして気づいたんです。この片足立ちをするために、前の晩にちゃんと睡眠を取りたくなったんです。ふらつかないように」
これは、作業療法で言う「前向き連鎖」だった。一つの意味ある活動が、他の生活習慣も改善させていく現象。
「それから、片足立ちの後、鏡で自分の顔を見るようになりました。『今日もできた』って確認するように。そうしたら、髭も剃りたくなったんです。きちんとした顔で片足立ちをしたくて」
Tさんの変化は止まらなかった。
「髭を剃るようになったら、今度は服装も気になり始めました。パジャマのままじゃなく、きちんとした服を着て朝を迎えたくなったんです」
Tさんは少し照れたような表情を見せた。
「先生、実は昨日の朝、鏡を見て思わず笑ってしまったんです。久しぶりに『仕事モード』の顔になっている自分がいて。嬉しかったというより、『懐かしかった』んです。もう戻れない自分に、また会えたみたいで」
その時のTさんの表情には、悲しみと嬉しさが同時にあった。失ったものへの切なさと、まだ残っているものへの驚き。そんな複雑な感情が、一つの表情に込められていた。
「そうしたら、朝食もちゃんと取りたくなって」
これはまさに、作業療法の核心だった。人間の日常生活は、ばらばらの動作の集合体ではない。すべてがつながっている。一つの意味ある活動が回復すれば、それは生活全体に波及していく。
「でも先生、一番驚いたのは、部下のYさんが見舞いに来た時のことです」
Tさんは続けた。
「Yさんが『課長、なんか元気になりましたね』って言うんです。それで気づいたんです。僕は『きちんとした自分』で人に会いたくなっていたんです。パジャマで髭ボウボウの病人としてじゃなく、『T課長』として」
それから1ヶ月後、Tさんの病室には大きな変化が起きていた。
毎日決まった時間に身支度を整え、ベッドサイドに小さなテーブルを置いて、ノートとペンを準備する。そこで部下たちと「最後の業務指導」をしていた。
「朝の片足立ちは、今では『今日も指導できる』ことの確認なんです」Tさんは誇らしげに言った。「しっかり立てる、頭がはっきりしている、声が出る——全部確認してから、部下を迎える準備をします」
Tさんの一日は、再び構造を持つようになっていた。
**6時:起床、片足立ち確認**
**6時半:洗面、髭剃り、身支度**
**7時:朝食(「頭を働かせるため」)**
**8時:指導資料の整理**
**10時:部下との面談(週3回)**
**午後:翌日の準備、息子との勉強時間**
「先生、『働く』ことはできなくなりましたが、『人を育てる』ことはまだできるんです。いえ、今の方が集中してできているかもしれません」
これが、作業療法の真髄だった。失った機能を嘆くのではなく、残された能力で新しい生活様式を築く。それも、その人にとって意味のある、価値ある生活を。
Tさんの変化プロセスを、作業療法の視点で整理すると以下のようになります。
第1段階:基本動作の確立(1週目)
この段階では、歯磨き中の片足立ちという小さな動作から始まりました。Tさんにとってこの活動は身体機能への自信を回復させる重要な意味を持ち、それが他の活動への意欲へとつながっていきました。
第2段階:身辺整理の回復(2-3週目)
片足立ちへの自信が芽生えると、洗面、整容、身支度といった基本的な身辺管理への関心が戻ってきました。これらの活動により自己イメージが改善され、他者との関わりへの意欲が生まれました。
第3段階:日課の構築(4-6週目)
身辺整理が整うと、一日の時間構造を持った生活を送りたいという気持ちが芽生えました。規則正しい生活リズムが役割意識の回復をもたらし、生きがいの再発見へとつながりました。
第4段階:社会的役割の再構築(2ヶ月目以降)
最終的に、部下への指導活動という新しい社会的役割を見つけることができました。これまで培ってきた専門性を活用する場を得ることで、新しいアイデンティティの確立に至りました。
重要なのは、これらの段階が一直線に進むのではなく、相互に影響し合いながら螺旋状に発展していくことです。片足立ちという小さな動作が、最終的に「人を育てる」という大きな生活目標につながりました。
【実践プログラム】あなたの日常生活再構築(4つのフェーズ)
Phase 1:基礎固め(1週間)
現在の「停電状態」を正確に把握することから始めます。朝のルーチン(通勤準備、メールチェックなど)の中で、「今日も自分は戦える」ことを確認する瞬間を作ってください。重要なのは、その瞬間に「なぜ今日も続けるのか」を自分に問いかけることです。単なる惰性ではなく、意味を持った行動として再定義してください。
Phase 2:身辺整理(2-3週間)
「誰かに見られても恥ずかしくない自分」から一歩進んで、「この自分なら信頼される」というレベルまで身辺を整えてください。重要な会議やプレゼンの前にするような準備を、普通の日にも意識的に行います。これは単なる身だしなみではなく、「プロフェッショナルとしての自分」を毎日再構築する作業です。
Phase 3:構造化(4-6週間)
一日の中に「自分だけの成果」を作る時間を設定してください。仕事の成果ではなく、個人として達成感を得られる活動です。それは読書かもしれないし、運動かもしれないし、何かのスキル習得かもしれません。重要なのは、「今日も自分は成長している」と実感できる時間を意図的に作ることです。
Phase 4:社会性の回復(2ヶ月目以降)
自分の専門性や経験を、職場以外の場所で誰かの役に立てる機会を作ってください。部下指導だけでなく、後輩のメンター、地域活動での役割、SNSでの発信など。「会社の○○」ではなく、「個人として価値のある自分」を社会に表現していきます。これが新しいアイデンティティの基盤となります。
生活再構築のための質問
– あなたが人生で培ってきた「専門性」は何ですか?
– それを今、どんな形で表現できますか?
– 誰かの役に立つために、今できることは何ですか?
– 明日の自分が「今日も意味があった」と思えるには、何をすればいいですか?
Tさんが亡くなったのは、出会いから5ヶ月後だった。最期の朝も、片足立ちをしてから身支度を整え、午後の部下面談の準備をしていたという。
葬儀には、指導を受けた部下たち全員が参列した。そして一人ずつ、「Tさんから学んだこと」を発表した。
「Tさんは病気になってから、僕たちに一番大切なことを教えてくれました」
新人のYさんが言った。
「『どんな状況でも、自分にできることを見つけて、それを誰かのために使う』——これが働くということなんだと、病室で教わりました」
Tさんが作り上げた新しい日常は、彼が亡くなった後も続いている。指導を受けた部下たちが、今度は後輩たちにTさんの言葉を伝えている。
やりたいことができなくなった時、多くの人は「もう終わり」だと思う。でもTさんが教えてくれたのは、そこからが本当の始まりだということだった。
片足立ちという小さな動作から始まって、最終的に人を育てるという大きな生活を作り上げた。失ったものを数えるのではなく、残されたもので新しい人生を築く——これが、作業療法の、そして人生の本質なのかもしれない。
今日のあなたの小さな一歩が、明日の新しい生活の出発点になることを信じて。やりたいことができないあなたにも、まだできることがある。そして、それは想像以上に大きな可能性を秘めている。
次回は、「対話と共感 ― リハビリのプロセスを分かち合う」をテーマに、一人で抱え込まず、誰かと体験を分かち合うことで生まれる回復の力について考えていきます。
あなたの今日の小さな行動が、明日の大きな生活につながっていることを忘れずに。
❏ライタープロフィール
内山遼太(READING LIFE公認ライター)
千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。
作業療法士。終末期ケア病院・デイサービス・訪問リハビリで「その人らしい生き方」に
寄り添う支援を続けている。
終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士。新人療法士向けのセミナー講師としても活動中。
現場で出会う「もう一度◯◯したい」という声を言葉にするライター。
2025年8月より『週刊READING LIFE』にて《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》連載開始。
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この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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