第5回:セルフマネジメントできるものだけがウルトラを制する《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》
2022/05/30/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
「人間はどうしたら160kmも走れるのか?」
それはどんなに過酷なレースでも、自分の心と身体をコントロールし続けることだ。
私がトレイルランニングを初めて今年(2022年)で10年になる。
最初は10kmのレースからスタートし、だんだんと距離を伸ばし、今では160km(100mile)レースが私の主戦場だ。初めは想像することすらできなかった100mileレースだが、既に10本以上完走し、今年も3本のレースに参加する予定でいる。
その1本目となるレースが2022年5月21、22日に行われた「トレニックワールド100mile&100km in彩の国」だ。
このレースは通称「彩の国」と呼ばれ、トレイルランニング界で恐れられている。
何が恐いかというと、完走率が異常に低いのだ。
日本一完走できないレース
このレースの主催者が何を考えているのか正直謎だ。
なぜなら、第1回大会では完走率が0%。
つまり誰一人完走できなかったのである。
普通、100mileレースとはいえ、完走率は50%以上が常識だ。
いやこの感覚すら既に頭がおかしな人たちの世界に浸りすぎているのかもしれない。
一般的な感覚でいえば、参加者の半分が完走できないなんて、レースとして成り立っているの?と思われるかもしれない。例えばフルマラソンであれば、ほとんどのレースは完走率95%ぐらいだろう。完走できなかったとすればそれは本人の問題が大きい(もともと走力が無かったとか、途中で怪我して走れなくなったか)
ところが100mileレースとなると完走率50%が普通なのである。
つまり半分の人はそれなりの金額を払ってレースに参加したにもかかわらず、完走することすらできないというのがこの世界の常識なのである。
さらに言えば、トレイルランナーたちは完走率が高すぎると、逆に不満を感じるようにできている。
彼らは「他の人なら無理と思われることに挑戦し、それを乗り越えた快感を味わいたい」という特殊な癖を持った人たちなのである。そのため、完走率50%しか完走できないというのは、トレイルランナーからすると「ちょうどいい」のである。
ところが彩の国は、第1回の完走率が0%だった。さすがにこれには頭のおかしなトレイルランナーたちも開いた口がふさがらなかった。
私もその話しを聞いたときには「そりゃねえだろ」とあきれてしまった。完走者0とは、始めから完走させる気が無かったのではないかとしか思えない。
「主催者は本当にこのコースを走ったことがあるのか?」
「誰を想定して作ったんだ?まさかキリアンを想定して作ったんじゃないだろうな?」
と様々な憶測が飛び交った。
(※ちなみに「キリアン(キリアン・ジョルネ)」とは世界トップトレイルランナーの一人で、6日間でエベレストを2往復したという伝説のランナーである)
第1回大会には私の友人も参加していて、途中まではトップを走っていたが、それでも関門時間に間に合わずリタイヤとなった。
そして翌年開催された第二回大会では、さすがに制限時間が変更されて完走できる者が現れたのだが、それでも完走率は9%(166人中、完走者は15名)と異常な低さとなった。
普通ならこれだけ低い完走率だと選手からクレームが出て、主催者側は謝罪ものだと思うのだが、そこがトレイルランニング業界のおかしなところで「彩の国は日本最難関の100mileレース」という変なブランドが出来てしまい、選手から妙な崇高感を持って見られるようになった。
そして彩の国100mileを完走した者にだけ送られる「サイラーTシャツ」を着ていると全国のトレイルランナーから羨望の眼差してみられるようになった(笑)
(このダサいTシャツも見る人が見ると「マジかよ、こいつ(スゲー)」となる)
そんな彩の国に私の好奇心も大いに刺激され前回の第4回大会(2019年)に参加し、参加者213人中30位で制限時間をギリギリ使って完走しサイラーとなることが出来た。
この時の完走率も15%と10人走って1~2名しか完走できない過酷さだった。
しかし、そんな彩の国もコロナには勝てず、2020年、2021年と2年連続で開催中止となってしまった。そして3年ぶりに開催されることとなった今年、私はまたあの刺激を求めて参加することにした。
累積標高がエグい
彩の国がなぜそこまで完走率が低くなるのか?
それは累積標高と制限時間とにかくキツイのだ。
彩の国は160km走る間に、登りだけを足し合わせた累積標高が9,990mもある。
つまり1万メートル登るということだ。想像してもらいたいのだが、世界で一番高い山であるエベレストでも8,849mなのだから、160km走る間にエベレスト1.1回分、富士山なら2.5回分を登らなければいけない計算になる。これを制限時間35時間で走り切らなければならない。
当然だが累積標高が高くなればなるほど、ランナーにとっては過酷になる。正直彩の国はレースの半分は登っているのではないかと感じるほど登り坂が多い。しかもその傾斜角度も半端なく急なのだ。
比較すると、国内で最も有名な100mileレースであるUTMFは168kmで累積標高は8,100m。制限時間は44時間である。ちなみに私が参加した2018年大会の完走率は73%であったから、彩の国がどれだけ条件が厳しいかはご理解いただけたと思う。
コースプロフィール
ここで簡単に彩の国のコースプロフィールをご紹介しよう。
彩の国は「ニューサンピア埼玉おごせ」という施設がスタートとゴールとなる。
ニューサンピアを出発して「North → South1 → South2」と北側にあるルートを1周、南側にあるルートを2周の合計3周回する設定となっている。
North:距離53.3km、累積高低差3,315m(注:ログは少しずれている)
South1:距離53.6km、累積高低差3,325m
South2:距離53.4km、累積高低差3,350m
また制限時間も選手たちには精神的に重くのしかかっていた。
そのため選手たちはNorthで何時間、South1で何時間、South2で何時間と、あらかじめ自分の目標タイムを決めて、そこから遅れると完走が難しくなるというプレッシャーと戦っていた。
当然後半になればなるほど疲労は溜まるので、出来るだけ前半に貯金を作りたいと思うのが心情なので、選手たちはおのずと1周目を自分の理想とするタイムで設定していた。
前回私が走ったときも、周りにいる選手たちはスタート前からタイムを気にしていて、私もそれにつられて1周目の序盤から飛ばし気味に走った。しかし早々に「このペースでは無理だ、最後まで走れない」と思い、仲間には付いていかずに自分のペースで走ることにした。
しかしこれが功を奏した。仲間はツッコミ気味で1周目を走り、2周目に入ったときには1周目に飛ばした疲労が一気に襲い掛かり、次々とリタイヤをしていった。
しかし、私は1周目に「マイペース」を維持したことで、2周目、3周目にも足に余力を残すことができ、結果的に制限時間をフルに使って完走することが出来たのである。
私はこの時の経験から「彩の国は『マイペース』さえ維持できれば完走することが出来る」と考えるようになった。
コントロールできることに集中する
しかし、このマイペースを維持するというのは、実は言うほど簡単ではない。
レースでは自分でコントロールできることと、コントロールできないことがある。
例えばコントロールできないのは天候だ。
今回、事前予報では21日(土)に小雨の予報だった。ところが走りだして1時間が経った時から、土砂降りの雨が降り始めた。日中にも関わらず山の中は薄暗く、雨が降り続き選手たちの身体を冷やした。また山道は集中豪雨でドロドロになり、非常にスリッピーな状態になった。選手たちは何度も尻もちをつき、中には急斜面の下りで走ることを諦めてお尻で滑っている選手も出るほどであった。
(小雨がずっと降り続き、選手の身体を冷やし続けた)
特に雨で身体が冷えることは運動機能の低下だけでなく、胃腸の機能も低下させてしまう。
ロングレースで胃腸機能が低下することは致命傷になりかねないほど重大な問題だ。
ランナーは常に補給しながら走らなければハンガーノックと言ってエネルギー切れの状態を起こしてしまい、全く走ることが出来なくなってしまう。しかし、胃腸機能が低下すると胃が食べたものを消化できなくなるため、食べても食べてもエネルギーに変わってくれないのである。最悪の場合、気持ちが悪くなり、食べたものを全て吐き出してしまい、胃が何も受け付けなくなってしまう。
実際私も雨が降りはじめ身体が冷えだしたためすぐにレインジャケットを着こんで、体温が下がることを防ごうとした。ところが一時的な豪雨は収まったものの、小雨はその後数時間にわたって続き、選手たちの身体を冷やし続けた。
そしてNorthが終わってSouth1に入ったあたりから、私の胃はだんだんとおかしくなり、夜間パートに入ったときから、補給食を取ることが出来なくなってしまった。水分をとっても胃が吸収をしてくれず、走るたびに胃の中で水が「ちゃぷちゃぷ」と揺れるのが分かった。
ここで私は補給することを止めて胃の機能が回復するまでさらにペースを落として走ることにした。
経験的にこういったときは無理して補給を続けたりせずに、胃の消化スピードに自分の走るペースを落として回復を待ったほうが良いことを知っていた。そのため、補給をしなくてもギリギリ走ることが出来るペースまで落として回復を待つことにしたのだが、結局胃に入れたものがエネルギーに変わり始めたと感じるまでに2時間近くかかった。その間は一切の補給を行わず、ただじっと耐えていた。
このように天候はコントロールすることは出来ないが、自分の身体はある程度コントロールすることが出来るため、出来ることに集中するというのがロングレースの鉄則である。
メンタルのコントロールが最も難しい
そして最も「マイペース」を維持するのを難しくさせるのが、メンタルコントロールである。
選手たちは「マイペース、マイペース」と心の中で呟いていたとしても、周りの選手に抜かされると必ず焦りが出て、自分のペースよりも速く走ってしまう。
また人間不思議なもので、前に選手が見えると自然と追いかけてしまうという習性が働くので、前へ前へとどんどん進んでしまうのである。特にある程度走力がある選手が後方からスタートをすると、目の前に次々と自分よりも遅い選手が現れるので、それを追い越そうとするうちに、いつの間にか「マイペース」よりも速いペースで走っているということがあるのだ。
そのため、私はいつもスタート地点では前の方に並ぶことにしている。
私はスピードがあるわけではないので、本来なら後方からスタートしたほうが他の選手の邪魔にならないのだが、私はあえて前方からスタートすることにしている。
スタートすると後方の速い選手たちがどんどん自分を抜いていくのだが、ここで焦らず「マイペース」を維持していると、「自分も速くいかなければいけない」という焦りの気持ちを早い段階で諦めることが出来るのである。
そしてどんなに抜かれても「マイペース」を維持していると、いつしか前後に自分と同じペースで走る人たちだけが残るのである。実はここがこのレース中、自分にとって「マイペース」を維持し続けられる集団なのだ。
ところがこの「マイペース集団」を後方からスタートして人を抜きながら見つけるのは非常に難しく、また「もっと前に行かなければ」という焦りの気落ちをコントロールすることも難しいのである。
こうして自分の身体とメンタルが今どうなっているのかを冷静に見極めコントロールしなければ、この彩の国を完走することは出来ないのである。
ラスト1周
私は過去の経験を駆使して自分の身体とメンタルをコントロールして、2周目のSouth1を走り終えることが出来た。ここまでトラブルはあったものの2周目終わりの制限時間である2日目の朝5時30分よりも20分早く到着することが出来た。
(2周目終わりであたりは明るくなってきたが雲は相変わらず多かった)
残りSouth2を12時間30分で走れば完走することは出来る。
ここまで足を残しながら走ってきたので、足にはまだ力が残っていた。そして何よりメンタルがまだ十分に残っていることが大きかった。
「このあと大崩れせずにマイペースを維持できれば完走できる」
そう思い、3周目に出発した。
しかしここまで泥だらけのトレイルを走り続けてきたため、靴下の中まで泥が入り込み、足の裏にはマメができ、痛みが酷かった。そこで本格的な山パートに入る前に靴下を取り換え、足裏にワセリンを塗って準備を整えてから行こうと思い、途中の公衆トイレで着替えと足のケアを行うことにした。
これで準備万端、あとはゴールまでひた走るだけだと気持ちを入れ替えてスタートした。
次のエイドの桂木観音までの登りは傾斜もきつく足は重かったがそれでも靴下を換えたので、先ほどよりは走れるようになっていた。
途中で前を歩いているランナーがいて追い越すときに「まだ頑張るんですね?」と声をかけられた。
私は「もちろん!!」と元気よく返事をして彼の横を通り過ぎた。
そして桂木観音のエイドまで来たときに、前を走っていたはずの仲間の女性ランナーがいるのが見えた。
私は「ああ、追いついた」と思い、声をかけた。
すると「関門は間に合ったの?」と聞かれた。
私は2周目終わりのニューサンピアの関門のことだと思い「間に合いましたよ」と答えた。
そして私は素早く補給を済ませてエイドを出ようとしたときに、係の人から「関門アウトなのでここで終わりです」と声をかけられ、初めて事の重大さに気が付いた。
なんと、2周目が終わったあと3周目からはエイドごとに制限時間が決められていたのを、私がまったく理解しておらず、ここ桂木観音のエイドの制限時間に9分遅れて到着していたのである。
9分と言えば、先ほどの公衆トイレで靴下を換えてワセリンを塗っていた時間である。
そして「マイペース」ではなくちょっと早く走るだけで十分に巻き返すことが出来た時間でもあった。
こうして私の3年ぶりの彩の国は「マイペース」に終わった……。
「こんなキツイレース、よく2回目も出ようと思ったね」と今回レースを完走した仲間から言われたが、私も2回完走出来れば、もう「サイラー」として実力を自他ともに示すことが出来るだろうと思い、今回で彩の国を卒業するつもりであった。
ところが途中リタイヤという結果に、何ともう一回チャレンジして完走しないと終われないという負のループにハマってしまったのである。
そのため、私は来年もう一回彩の国にチャレンジするつもりである。
そして来年は「マイペース」よりもうちょっと速く走ろうかなと考えている。
□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。
この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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