ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光

第11回:Road To 「TOR DES GÉANTS」② ~巨人の旅が始まる~《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》


2023/9/25/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
Courmayeur(クールマイユール)
 
この名前はトレイルランニングや本格的な登山、ウインタースポーツをする人以外にはほとんど馴染みがないのではないだろうか?
イタリア北西部ヴァッレ・ダオスタ自治州という州にある人口はわずか3,000人ほどの小さな街の名前だ。しかしこのクールマイユールはフランスのシャモニーと並んでトレイルランナーにとっては「聖地」と言っても過言ではない街なのである。
その理由はこの街で毎年開催されているとんでもないレースがあるためだ。
 
それが『Tor des Géants(トルデジアン)』だ。
 
トルデジアンとは、総距離330km、累積標高約30,000m、制限時間150時間(6日間+6時間)という常識外のレースのことである。
私はこのレースに完走するために約半年間にわたってトレーニングを積んできた。
 
※トレーニングの内容についてはこちらの記事を参照>
https://tenro-in.com/ultra_trail-kamakura_shonan/312401/?fbclid=IwAR35LbBdaSkJzgSfPZRiAmeNXxlYCzhz1BwDWPBkFwlRoHeTWRlrydpksVA
 
ちなみに『Tor des Géants(トルデジアン)』とは「巨人の旅」と訳されることが多いのだが、翻訳をかけてもすぐにそのような訳は出てこない。そこでイタリア人の友人に聞いてみたところ「Tor des Géants」とはヴァッレ・ダオスタ自治州の古い方言であるということが分かった。
 
「Tor」とはフランス語の「Tour(ツール)」である。つまり「周遊する、巡る、旅行、旅」という意味になる(フランスで行われている自転車レースの「ツール・ド・フランス」と同じである)。それと「Géant(英:巨人、巨大なもの)」とくっつくことで「巨人の旅」と称されるようになった。
 
私はここで「Tor/Tour」についてもう少し考えてみたいと思う。
日本語に訳せば「巡る、周遊する、旅行、旅」だが、「旅行」と「旅」は似ているが日本語でははっきりとした違いがある。
 
「旅行」には「癒し」「リフレッシュ」というニュアンスが強く含まれている。
例えば「慰安旅行」のように使うときには明らかに休息を伴い、日頃の疲れを癒すという意味が込められている。一方で「旅」には心の疲れを癒すというニュアンスがないわけではないが、「旅行」に比べるとだいぶ弱い。
 
元来日本語の「旅」には「修行」や「成長」の要素が含まれている。
明治時代になるまで庶民は生まれ故郷を離れて自由に移動することは禁止されていた。武士階級の一部の人間だけが、自分が所属する藩を離れて江戸やその他の藩に行き見聞を広げたり、学を修めるために「旅」に出る事を許可されていたのだ。それが明治になり一般階級の人々にも移動する自由が与えられ、それから庶民の間にも「旅」という概念が広まっていった。そのため「旅」には「今までの自分ではなく、それ以上の自分になって帰ってくる」というニュアンスが含まれているのである。
 
その意味で「トルデジアン」は「巨人の旅」「大いなる旅」という日本語訳がしっくりくると今回参加してみて私は強く感じた。
 
 

130時間


私は9月8日に日本を出発し、クールマイユールに向かった。
クールマイユールにはイタリアのマルペンサ空港まで飛行機でいき、そこから電車とバスを繋いで行くことにした。
しかし、マルペンサ空港までは直通便がないため乗継ぎを含めて飛行機だけで20時間以上。そこからさらに電車とバスで10時間近くかかるため、クールマイユールのホテルに到着するだけで自宅から36時間もかかった。
 

【モスクワとキエフはさすがに避けて飛んでいた】

 

【電車に乗り】

 

【バスに揺られること6時間】

 
これだけで一つの「旅」に匹敵するほど疲労してしまい、私はホテルに到着してすぐに倒れ込むように眠ってしまった。
 
今回レースを走るにあたって私は密かに130時間という目標を設定していた。
130時間以内に完走した選手にはトルデジアンのさらに上のカテゴリーである「TOR DES GLACIERS(トル・デ・グラシエ/グレイシャ)450km」への出場権がもらえることになっていた。
 
まだトルデジアンの330kmすら完走していないのに何を大それたことをと思われるかもしれないが、私はトルデジアンを完走したらそこで満足してしまうのではなく、その先にさらに自らの成長のために高い目標が欲しかった。そのために「TOR DES GLACIERS 450」への出場権を得るということは私にとっては大きな意味があった。
 
そこで私は自分なりのタイムスケジュールを作ることにした。
 
トルデジアンには「ライフベース」と呼ばれる6つの大エイドと、18個の小エイドが用意されている。ライフベースには事前に渡されたデポバッグが運ばれ、そこで着替えや補給食の入れ替え、仮眠、食事、シャワー、マッサージなどを受けることができる。
選手たちは330kmを6つのライフベースに分けて7つの区間とし、それぞれの区間毎に戦略を立てることが求められた。
 
各区間(セクション)のプロフィールは以下のようになっている。
 

 
7つのセクションのプロフィールをそれぞれ平均すると各区間距離は48.0km、獲得標高は4229mになる。これを150時間(6日間+6時間)で完走するということは毎日フルマラソン以上の距離を走って、且つ富士山よりも高いところまで登る事を6日間続けるだけでは足りないという事だ。これだけみてもトルデジアンを完走することがいかに大変なのかお分かりいただけるのではないだろうか。
 
これをさらに130時間、つまり制限時間よりも20時間早くゴールするということは、想像している以上に過酷な目標という事になる。
 
私は過去に完走した人で自分と同じくらいの実力の人の区間記録を参考に以下のように130時間のタイムテーブルを用意した。
正直これでいいのか、実際にできるのかどうかは全くわからなかった。またこの時間を意識しすぎて無理をして完走できませんでしたでは話にならないので、あくまで自分の中での参考としてこの時間を目安にすることとした。
 

 

パッキング


トルデジアンを完走するにあたった実は最も重要なのがデポバッグの運用である。
 
トルデジアンはその長さゆえに着替えや補給食など、通常のレースとは比較にならないほどの荷物が必要となる。そのため選手たちには40ℓほどのデポバッグが支給され、その中に荷物を入れて各ライフベースに運んでもらうのである。
 
この黄色いデポバッグがある意味トルデジアンの象徴的なアイテムであり、これを手にすることで自分がトルデジアンに参加するのだということを強く感じることができた。
 

【選手たちが受け取るデポバッグ】

 
ところが前日受付でデポバッグを手にした時に私は正直「小さい」と思った。
体の小さな選手と大きな選手では当然着る服も履く靴も食べる量も全く違う。それでもデポバッグの大きさは変わらないというのは正直不公平な気もする。しかし海外の体の大きな選手も同様の条件なので、そこはなんとかするしかない。
 
私はホテルに戻り早速荷造りを始めた。
ところが変えの靴を一足入れただけでかなりのスペースを取ってしまった。
ちなみに私の靴のサイズは31cmである。。。
 
「ふっ、これが巨人の旅かぁ」
 
スタート前から私の戦いは既に始まっていた。
 
ちなみにデポバッグとザックに入れた一覧を書き出すと
①デポバッグ
靴:一足
サンダル:一足(ライフベースで過ごすときに必要)
補給食:アルファ米7個、ジェル10個、飴3袋、レモンわらび20個、煎餅類、その他
着替え:Tシャツ、パンツ、靴下を5セット
防寒具:上下一式
レインウェア:上下一式
モバイルバッテリー:20000mA×2、5000mA×1
ヘッドライト:スペア一式、予備電池
エマージェンシーシート
セームタオル(シャワー用)
ストック一組
コンタクトレンズ7日分
歯ブラシ
サングラス
ゴミ袋
 

 
■ザック
手袋:防寒用と雨天用
レインウェア:上下一式
防寒着:上下一式
ヘッドライト:本体、予備バッテリー
補給食:アルファ米3個、ジェル5個、煎餅類
携帯カップ
サファリハット
水ボトル1ℓ
サングラス
バフ1枚
エマージェンシーキット一式
軽アイゼン
身分証明書、お金(150ユーロ)
 

 
ザックは出発直前に15ℓのノースフェイスのTRロケットを購入したが、これにして正解だった。10ℓのTR10ではとても入りきらなかった。
 
本来はライフベースでやる事を書き出して、効率よく荷物の入れ替えができるようにパッキングするべきだったのかもしれないが、初めてということもあり、そこまでイメージすることができなかった。この辺りは経験がものをいうところかもしれないが、とにかくパッキング上手になることがトルデジアン完走のためには重要な要素であることは間違いないだろう。
(パッキングの上手さでライフベースの滞在時間が30分は変わるので、6回繰り返す事を思えばそれだけで3時間は時間が短縮できることになる。そう思えば決して疎かにはできないのだ)
 
 

レーススタート


9月10日私はトルデジアンのスタート会場に立った。
 

【スタートゲートに並ぶ選手たち】

 
周りには世界中から集まったランナーたちが興奮した表情でスタートの時を待っていた。とはいえ半数以上は地元のイタリアと隣国のフランス、スイスの選手である。
ただ驚いた事に並んでいる選手のかなりの割合の人が40代後半から50代に見えた事である。これだけ過酷なレースにもかかわらず比較年齢層が高いことに、日本との違いを感じた。レースの特性(スピードよりも持久力や経験が必要)の問題もあるかもしれないが、これだけでも山岳競技に対するヨーロッパの人々の意識の違いを感じた。
 

【天気は最高!!スタートの合図を待つ】

 
10時になり、ついにレースがスタートした。
クールマイユールの街中を走り出すと、街頭には多くの人たちが声援を送ってくれた。この中を走っているだけで自然と笑みがこぼれてしまった。
150時間の旅が始まった事を実感しつつ、私たちはsection1に飛び出した。
 

【セクション1の高低図】

 
最初のライフベースのValgrisenche(ヴァルグリザンシュ)までは48km、その間に3つの大きな山を超えるため獲得標高は4300mになる。
 
ただスタートして間も無く、私は異変を感じ始めた。
 
「眠い。。。」
 
日本のレースであればスタートして数時間で眠気を感じることはほとんどなかった。
ところがレースを開始して4時間ほど走り、2つ目の「Col Passo Alto」に登っている最中から睡魔が襲ってきた。
 

【圧倒的スケールのカールを奥まで進んでいく】

 
日はまだ高くその日差しは想像以上に選手たちの体を焦がした。
途中の水場では早くも頭から水を被り火照った体を冷やしながらでないと熱中症になりそうなほどだった。水で顔を洗うと幾分眠気もはれるのだが、それでも少し進むと再び眠気が襲ってきて頭がボーとした。
 
そして3つ目の山「Col de la Crosatie」に登っているあたりから夕暮れになり、さらに眠気は増していった。
 

【山に夜のとばりが降り始める】

 
私はトルデジアンに向けた練習はそれなりにしてきた自負がある。
ところが一つだけやりきれなかった練習があった。それが「高所順応」だった。
 
トルデジアンの特徴はレースのほとんどが2,000〜3,000mの高所で行われるという点だ。日本で行われるトレイルランニングのレースでこの高さで100mile以上走るレースはほぼ存在しない。そのため、高所に慣れておかないとトルデジアンでは高山病になるリスクがあるのだ。
 
ところが事前の練習で、登りの練習は積めたのだが2,000m以上の高所にいく機会が少なく、かろうじて直前に富士山に行き3,000mを経験したが、わずか数時間では焼け石に水ほどの効果しかなかった。
 
そのため、レースが始まっていきなり2,000mを超える高さに体が順応できず、高山病の一つである脱力感の症状が出ていたのだろう。
加えて日本との時差は7時間ある。現地時間の17時は日本時間の24時になる。普段から早寝早起きの自分としては現地の午後の時間帯は既に体が休息モードに入ってしまうため、高山病と時差ボケが重なって激しい眠気となって現れたのだ。
 

【やっとの思いで「Col de la Crosatie」に到着】

 
事前の予定ではLB1のValgrisencheでは30分程度の仮眠で済ますつもりだったが、ここまで眠気が強いとしっかり寝たほうがいいと思い、予定を変更して2時間の休憩をとる事にした。
 
130時間の目標に対していきなりビハインドすることになるのかと、初日から予定通りいかないことに一抹の不安を感じた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。

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