第10回:Road To 「TOR DES GÉANTS」① ~千日回峰行~《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》
2023/9/4/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
2023年2月、私のもとに一通の招待状が届いた。
「Congratulations, KENSUKE!!
You have been selected to participate in the Tor des Géants 2023!
See you in Courmayeur!」
「おめでとう、謙介!!
あなたは『Tor des Géants 2023!』の参加者に選ばれました。クールマイユールで会いましょう」
「Tor des Géants(トルデジアン)」
トレイルランニングを経験している人であればその名前を聞いたことがあるのではないだろうか。
毎年9月にイタリアのアオスタ州で開催されている世界的なトレイルランニングの大会である。
Tor des Géantsとは「巨人の旅」という意味だ。
そのレースプロフィールはまさに「巨人」という名にふさわしい。
総距離330km
累積標高30,000m
制限時間150時間(6日間+6時間)
東京から仙台まで走る間にエベレストを3回、富士山なら8回に相当する高さを登るのである。
それを6日間で行うレースである。
おそらく一般的の人にはどんなレースであるか想像することすら難しいのではないだろうか?
しかし安心してほしい。これまでウルトラトレイルレースを10本以上走ってきた私ですら正直見当がついていないというのが本音なのだ。
私がこれまで走った最長距離は170km、42時間30分である(2019年に参加したUTMB)
※UTMBについてはこちらの記事を参照
第1回:世界最高峰の100マイル(160km)レース『UTMB』への挑戦!!《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》
その倍の距離を走るというのは完全に未知なる領域になる。
私は参加できる嬉しさの反面、トルデジアンという「巨人」に対する不安で頭がいっぱいになった。それは「進撃の巨人」でいえば新米兵団の前に突然50m級が現れたという気持ちだろうか(笑)
コース分析
トルデジアンに当選したものの、そこに向けてどんな練習をすれば良いのか正直さっぱりわからなかった。しかしイタリアまで行って「やっぱり完走できませんでした」ということだけはなんとか避けたい。行くからには必ず完走したいし、そのためには相応の準備をするしかない。
トルデジアンはその長さゆえにコース上に6つのライフベースという大エイドが用意されている。ここにデポバックが運ばれ選手は着替えや補給食の補充、シャワーや仮眠をとることができるようになっている。このライフベースがおおよそ均等に並んでいるので、それを一つの区間と考えるとわかりやすい。
その区間を見るとスタートのCourmayeur(クールマイユール)から第1ライフベースのValgrisenche(バルグリザンシュ)までは48.5km、獲得標高4,400mとなっている。
次の第2ライフベースのCogne(コーニュ)までは55,5km、獲得標高4,943m。
※各区間距離と獲得標高、平均斜度
Start→LB1 距離48.5km、獲得標高4,400m、平均斜度9.0%
LB1→LB2 距離55.5km、獲得標高4,943m、平均斜度8.9%
LB2→LB3 距離46.0km、獲得標高2,768m、平均斜度6.0%
LB3→LB4 距離54.0km、獲得標高5,933m、平均斜度10.9%
LB4→LB5 距離33.6km、獲得標高3,094m、平均斜度9.2%
LB5→LB6 距離48.0km、獲得標高4,625m、平均斜度9.6%
LB6→Goal 距離49.6km、獲得標高3,906m、平均斜度7.8%
注目すべきは「獲得標高」を「距離」で割った「平均斜度」である。
この斜度が高くなればなるほどキツイ登りが続く事を意味していて、より登山力が求められることになる。反対に斜度が低くなると比較的走れる場所が増えるということだ。
例えば先に上げたUTMBの平均斜度は10,000m÷170km×100=5.8%となる。
ところがトルデジアンの平均斜度は29,600m÷335km×100=8.8%だ。
これだけ見てもトルデジアンは登山力が求められるレースであることが分かる。
ちなみにトレイルランニングの世界では平均斜度10%というのは激キツなコースプロフィールである。ほとんど走るところが無くてほぼ登山である。参考までに国内で最も有名な100mileレースであるFUJI(旧UTMF)の平均斜度は4.5%である。
このデータからトルデジアンを完走するためには、おおよそ1日に50km、獲得標高5,000m(平均斜度10%)を6日間走るのだと考えれば良いということがわかった。
トレーニングメニューの探索
しかし、これは正直言って正気の沙汰ではない。
湘南エリアに住む私にとって50kmのトレイルコースといえば、一番最初に思いついたのは箱根外輪山一周だった。しかし、獲得標高は3,000mちょっとなので、トルデジアンをイメージした練習としては獲得標高が物足りない
またヨーロッパの山は日本のように幾重にも連なっているわけではなく、一つ一つの山が大きいため登りと下りがはっきりと分かれていることが特徴である。その意味で箱根外輪山だと尾根づたいに細かなアップダウンが繰り返されるため、その意味でもトルデジアンの練習には不向きだと思った。
ところが日本で1,000mクラスのアップダウンを体験しようと思うと北アルプスや南アルプスまで行かないとなかなか経験することができない。しかし練習のために鎌倉から長野県まで行くとなると交通費も時間も相当使うことになり、あまり現実的とはいえない。
そう考えると、あとは富士山しかない。富士山であれば御殿場口5合目から登れば獲得標高2,000mが可能だ。距離は山頂との往復で20km弱なので、50kmをイメージすると2往復といったところか。自分の場合1本5時間30分ぐらいなので2本で11~12時間。これなら1日で行う練習としては悪く無い。
ただ一つだけ気になったのが御殿場ルートは足場が砂地のため、ヨーロッパの硬い地面とは異なるという点だった。トレーニングには登りの力だけでなく下りの筋力も鍛えなければならないが、そこは富士山だと少しイメージが異なっていた。しかし、そこは他でカバーするとして登りの力を鍛えるには富士山が最適だと判断した。
ところがそんな時に友人が面白い練習をしている事を知った。
それは丹沢山地を使った練習で通称「丹沢ケルベロス」と呼ばれていた。
【丹沢ケルベロス】
これは丹沢山地にある「塔ノ岳」の麓にある大倉バス停を起点として「塔ノ岳」「鍋割山」「三ノ塔」という3つの1,000級の山をそれぞれピストンするというものである。
それぞれの山が1,000mを超えているため、全て踏破すると42kmで獲得標高が3,400mとなった。しかも地面も比較的硬い土の路面が多く、登りの力だけでなく下りの足も鍛えることができそうだった。
特に三ノ塔は往復で11km、獲得標高1,000m、平均斜度9.1%と理想的なコースであることがわかった。三ノ塔を5往復すれば、ちょうど55km、獲得標高5,000mではないか!!
これこそまさにトルデジアンに向けて求めていた最高のコースだった。
三ノ塔に挑む
このコースに気付いてから私は7月に入り毎週のように丹沢に向かった。
しかし季節は真夏である。特に今年は猛暑日が関東で連日続き、例え標高1,000mを超えたとしても気温は25℃以上あり、トレイルは地獄の釜のように暑かった。これはまさに冥府の番犬であるケルベロスの名にふさわしい暑さだった
練習では仲間と一緒に走ることもあったが、ほとんどは早朝から一人で三ノ塔を登った。
【三ノ塔へ向かう風のつり橋】
まず手始めに三ノ塔を3往復することから始めた。
最初の一本目はまだ体力もあるのでさして難しくないが、二本目からは暑さとひたすら続く登りで体力が削られ、三本目ではついに途中の日陰で休憩を取りながらでないと前に進めなくなってしまった。
【キツイ登りがずっと続く】
加えて低山のためアブやハチ、そして丹沢山地特有のヤマビルが体にまとわりついてくるため、のんびりと休んでいるわけにもいかない。
初回の練習では結局9時間半を超え、暑さと疲れで疲労困憊となった。これでもまだ30km、3,000mである。一つのライフベースの区間さえクリアーできていないことに焦りとトルデジアンの異常さを改めて思い知ることとなった。
【山頂からは様々な富士山を眺めることが出来た】
それから二週間あけ2回目の練習として今度は4往復に挑んだ。
この日も朝から日差しが強く照りつけ一本目から汗が滝のように流れた。
しかし、前回の反省を踏まえ、一本一本の間にしっかり補給と休憩を入れ、準備を整えてから出発をするようにした。流石に前回も含めて5、6本目ともなると地形も覚え、どこからどこまでは走ることができて、どこからが登りがキツくなってくるのかが分かるようになった。
そのためか、前回の3本行った時よりも気持ちも体力にも余裕が生まれ、4本を11時間30分で走りきることができた。前回よりも1本あたり20分近く短縮したことになる。終わった後もまだ体力的には余力があり、時間があればもう一本いけるかという感触があった。この結果はかなり自信となった。
そしてその一週間後に、ついに5往復に挑戦することにした。
しかしこの日はあいにくの雨模様で、断続的に雨が降ったり止んだりを繰り返し。そのためただでさえ登山客が少ない三ノ塔だが、結局終わるまでにすれ違った人は一人だけだった。完全にこのトレイルを独り占めする形となった。
【終始濃い霧が山全体を覆っていた】
深い霧が出ている中を一人で黙々と登っていると私は何か深い瞑想をしているような錯覚にとらわれた。そうまるで千日回峰行に挑む修行僧のように。
千日回峰行
千日回峰行とは比叡山や奈良県金峯山寺で行われる最も厳しいとされる修行である。
険しさを極める山中を1日48km、年間およそ120日、9年の歳月をかけ、1000日間歩き続ける。 まさに荒行中の荒行のことだ。
1日の行程はまさに私が行おうとしている三ノ塔5往復分と同じである。
(ただし千日回峰行では獲得標高が千数百メートルである)
この修行体系は「歩行禅」と呼ばれ、座禅をするときと同じように深い瞑想状態に入るための修行なのだが、山道を歩くため崖から落ちる可能性や熊や猪、蛇などの野生動物に襲われる危険も伴うため、まさに命がけである。
そして当然日によって調子の良い時もあれば悪い時もある。しかし、そこで諦めるのではなく、調子が悪くても「昨日よりも今日の行、今日よりも明日の行」というように日々向上するという姿勢が非常に大事なのだと千日回峰行を達成した住職は仰っていた。
また実は同じこと繰り返すことにとても深い意味があり、2500年前にお釈迦様が「同じ事を同じように繰り返していると悟る可能性がある」と仰ったのが、この荒業の根底にはあるのだ。
【同じ山繰り返し何度も登る】
もちろん私が行っていることは千日回峰行とは比べ物にならないくらい簡単なことかもしれない。しかし、同じ山道を何度も往復することで、一回では分からないことがより深く理解できるようになるという感覚は味わうことができた。
5往復している中で、一本として同じ感覚で登れたものはなかった。
補給内容、疲労度合い、歩くスピード、そして外部環境など、様々な要素が入り混じり、楽に登れる時もあれば、もう辞めたくて仕方ない時もあった。
通常の練習ではいろんなコースを走ったり、違う山に行くことで変化をつけるて練習に飽きがこないように工夫するのだが、実はこれだと「反復練習」ができないため、自分の体の変化に気付きにくいという欠点があった。
同じ道を何度も走ることで非常に細かいところが見えるようになったのが、この練習から得られた最も重要な教えだった。
本番に挑む
最終的に私は2ヶ月間で16回三ノ塔を登り、総距離175km、獲得標高は16,000mとなった。(うち一回は大雨で山頂まで残り1kmというところで断念したが)
また月間トータルで見ると7月は距離400km、獲得標高16,000m。
8月は距離462km、獲得標高22,500mとなった。
これは自分が今までに練習してきたかなでは最も多い獲得標高である。
トルデジアンという私にとって全く未知のレースに対して、自分なりに考え練習を重ねてきた。もちろんもっとやりたかったこともあるが、時間に制約がある中で自分なりに納得できる練習は積めたと感じている。
あとは本番に挑むだけだ。
レースは9月10日(日)〜16日(土)
どんな結果になったとしても悔いが残るレースには絶対にしたくない。
全力を出し切ってゴールすることができれば、これに勝る喜びはない!!
□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。
この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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