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週刊READING LIFE vol.5

それがどうした? 経験が増えただけさ《週刊READING LIFE vol.5「年を重ねるということ」》


記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部)

年齢を重ねることは、誰にでも逃れられないことだ。なのにどうして、他人は歳を喰うことをこうまで気にするのだろう。
“若い=良い“が幻想だと、歳を重ねていけば誰でも気が付くことだ。もし、この私見に異議が多いとするならば、自分の‘視点’より世間の‘体裁’を大事にしているのではないかと疑問を挟みたくなる。

歳を重ねることは、人間が生きていく以上誰もが逃れることが出来ない‘必然’だ。ならば、歳を重ねて出来ない事・出来無くなることを考えても仕方が無い。何が出来るか、何なら優位に立てるかを考えればよい。
これは、仕事と同じだ。
経験則だが、仕事が出来る奴か出来ない奴かの判断は、‘出来ない理由’から口にするか、‘出来る可能性’のみを考えるかで決まるものだ。出来ない言い訳が先に出てくる人間に、仕事が出来た例(ためし)はない。
そのことから、歳を重ねても何が(何なら)出来るかのみを考えればいいと思う。
勿論、物事によっては“年齢制限”なる壁が立ちはだかる。その場合は、絶対不可能な事なので、止めればいいだけのことだ。これは、‘諦め’とは違う。絶対不可能という、乗り越えられない障害を察知し窮地を避けただけのことだから。

人によって、望みは違う。ただ、誰にでも‘欲’は有る。
欲が深すぎると、無謀な望みを生む。欲が少なすぎると、もっと得られるものが得られなくなるか、努力をしなくなる。これも良くはない。
ただ、若い頃から身の程より少し高目の‘欲’を張っていると、いつの間にか“欲の射程”が伸びるものだ。常に‘~したい’と思い続けていれば、知らぬ内に努力もするし、実力だって付いてくる。
実際、私がライティングを学び始めたのは、ほんの4年前だ。50も半ばの時だ。しかし、若い頃から“文章を書きたい”とは思い続けてきた。漠然とではあるが。事ある毎に、興味を惹くものに出会うたびに、‘これをどうやって書くと、他人(ひと)にうまく伝わるのだろうと考えてきた。
還暦を間近にした現在も、上手い文章を書くことが出来ているとは思わない。しかし、ライティングを長く学び続けている現在は、書くことに対する苦労は一切無い。書くスピードは、ライティングを学ぶ以前とは比べようもない位上がっている。
これで、自分なりには‘良い’とは言い切れないが‘十分’とは思っている。これ以上の筆力を求めることは、無謀な望みだし深すぎる欲だ。ただ、私の“欲の射程”は、もう少し先まで伸びている。きっと近い将来、もう少し筆力を上げて、もう少しマシな文章を書くことが出来る様になっていることだろう。

なぜそこまで自信を持って言い切るかというと、もう少し筆力が上がる迄、ライティングを止めないと決めているからだ。私の“欲の射程”からすると、そう結論付く。
無論、若い衆に比べて進捗ははかばかしくない。しかし、確かなことは‘後退せず前進し続けている’ことしかないのだ。続けていれば前進することを、経験から知ったのだ。
だからもし、進捗スピードが遅いと指摘を受けたとしても、“それがどうした”“何が悪い”と言い切る覚悟も出来ている。

そうなのだ。自分を肯定し切ることさえ出来れば、何も怖がることは無い。
若い頃には気が付かなかったが、自分で責任が取れる範囲内の‘居直り’程強いものは無い。また、世間体さえ考えなければ、何も怖がることも無い。
同じ様に、誰でも歳を重ねるのだから、若さを“失う”なんて考えなくてよい。若いから手に入れることが出来なかった貴重な“経験”を重ねているのだから。
これ全て、自分の“射程内”だ。

歳を重ねてくると若い頃に比べて、体力の低下を懸念する向きが有る。勿論、理学的な数値ではそういった結果が出てくる。
しかし、歳を重ねてくると若い頃と同じ体力を必要としなくなるのも事実だ。それは、経験によって‘予知力’が付く為、無駄な事をしなくなるからだ。だからもし、いくつになっても若い頃と同じ体力を必要とするならば、自分の予知力不足という訳だ。言い換えるならば、若い頃と変わらぬ方法を用いていて、折角培った経験を全く無駄にしていることだ。よって、体力を言い訳にする時は、自分の経験を活かさなかったことと同じになる。自業自得というわけだ。

もう一つ問題なのは、‘気力’だ。
歳を重ねて経験を積むと、若い頃より早めに結果を予見出来るようになる。そのことから、若い頃より手前で気力が萎えることが有る。
しかし、気力の“ピーク”と“持続”には個人差が出る。だから、結果に至るまでの‘道筋の険しさ’と‘目標までの可能性’を培った“経験”で、どうやったら最も効果的に自らの‘気力’を使いこなすかの問題だと思えてならない。
どう使うかは、自分次第だ。

人間誰でも平等に、一年で一歳ずつ歳を重ねる。若い頃は、単にそれだけのことと考えていた。
40歳を過ぎたころから、徐々に同い年で死亡するものが増えてくる。事故であったり、病であったり。人間は、生を受ければ誰でも、“必ず”“絶対に”死に出会う。生きているということは、昨日より今日、今日より明日、徐々に死に近づいているだけだ。
怖がることは無い。誰だって、死ぬのだ。これが公平だ。
歳を重ねるということは、確実に死に近づくことだ。しかし、いつ死ぬかは、誰にも分らない。平均余命なんて、単なる統計数値だ。自分にだけ当てはまるものではない。

若い頃は、自分の死は遠い先のことと考えていた。しかし、歳を重ねて私の様に還暦間近になると、だいたいの‘死までの距離’が分かってしまう。
そうなると、楽である。
なぜなら、若い頃持っていた無謀な夢は、これ以上持っていても無駄だと感じるからだ。無謀な夢を捨て、新たな、手の届きそうな夢に全力を傾けることが可能になるからだ。
どこまで届くかは、若い頃から持っていた“欲の射程”次第だ。どこまで到達出来るかは、自分の実力次第だ。そして、どこで折り合いをつけるかは、自分の経験をどう活かすかに掛かっている。

私、実は、今日死んでもそれ程‘惜しい’とは考えていない。勿論、死ぬのは恐い。しかし今日迄、自分の欲の射程内を、全力で走り続けている。全力で楽しんでいる。若い頃は、有り余る体力を使って。歳を重ねてからは、培ってきた経験を活かして。
他人(ひと)からどう見られているかは知らないし、知りたくもない。自分としては、満点とはいかないまでも、65点位の人生は送って来た筈だ。残りの人生が何年残っているか知る由もないが、後35点なら何とか稼げそうだ。

十分満足な人生だ。

なぁんて、強気な事を並べ倒したが、歳を重ねるということは、こんなことを書き連ねても何とか‘形’になるということだ。と、思う。

実は若い頃、こんな文章を書いてみたいと考えていた。書いて、サマになる人間になりたいと考えていた。

少しは出来たかなぁ。
もし出来ていれば、これまでの“経験”が無駄じゃなかったことになるのになぁ。

❏ライタープロフィール
山田THX将治
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が開設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり勤め続けている 自称、淀川最後の直弟子
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり

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2018-11-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.5

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