週刊READING LIFE vol.7

こんな朝が来るとは思ってなかった《週刊READING LIFE vol.7「よい朝の迎え方」》


記事:みずさわともみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

「起きて起きて! コーヒー飲んで!!」
姉に起こされた私は、好きでもない缶コーヒーを一気飲みした。
苦い。気持ちわるい。
私は、コーヒーは苦手だ。けれど中学生になった姉は、体育祭で必要なんだと言って、青い缶のコーヒーを買ってきた。もっと早くに準備しておけば良さそうなものを、今朝になって思い出したのだろう。小学校の運動会とは違い、中学校の体育祭は上級生が厳しいらしい。だから、青軍用の青い缶を持って行かなかったとなると、それはきっと大変なことになるのだ。
「ありがとー!!」
そう言って、姉は陽気に去っていった。
私は今、コーヒーのせいで気持ちわるいというのに。この姉には振り回されてばかりだ。
けれど、私は姉には逆らえない。
当時私は、姉がいないと眠ることがうまくできなかったのだ。正確には、姉がいなくても眠れた。けれど、ぐっすり眠るには、私には姉が必要だったのだ。

私の妹は、小児喘息を患っていた。
朝起きると、父も母も、発作を起こした妹に付き添って病院へ行き、いない。そんなことが、発作の起こりやすい季節の変わり目にはよくあった。そのせいかどうかはわからないが、私は朝がこわかった。眠ることはできても、ちょっとした音でも目を覚ますようになった。
だから、1人で眠るということが苦手だった。自分の部屋を与えられても、姉の部屋に行って一緒に勉強をし、姉のベッドに先に入って、そのスペースを占領した。
「せまいなぁ」
と言いながら、でも自分の部屋へ行けとは言わないない姉に、私はいつも感謝していた。
子どもながらに「いつ死んでしまうのだろう」と思っていた妹は、成長とともにたくましくなった。私よりも身長も高くなった。そのせいか、私はだいぶ、1人の夜がこわくなくなった。
今では、
「夜、眠れないんだけど」
なんていう問いかけに、あたかも自分はぐっすり眠れているかのように言う。
「夜遅くまで、音楽を聴いたり携帯電話を使ったり、電気を明るくしたりしてませんか?」「カフェインの入ったものを夕方以降飲んでいるとかは?」「お昼寝、長時間しちゃってませんか?」
けれど、そうやっていろいろ聞いてみると、眠るためにお酒を飲んでいて、逆に睡眠の質を下げてしまっている、なんてこともある。
単にお酒が好きなのかなぁ、それともストレスかなぁ。
眠れない原因は、人それぞれだ。
「眠る」なんてシンプルなことですら、私たちは困難になることがある。
三大欲求の1つとかじゃ、ないのか? と思ってしまう。
意識すると右手右足が同時に前に出る、そんな小学生の入学式みたいに、私たちは、眠ることすら困難になることがある。
意識すればするほどうまくいかなくて、いっそ何も考えなければうまくいくんじゃないかと思うこともある。けれど、生きていくのに眠ることはとてもたいせつなのだ。だからきっと、考えずにはいられないのだ。
「死」を考えるときに「生きる」ことを考えてしまうように、「眠る」ことを考えるときには「起きる」ことを考えるとよいのかもしれない。
たとえば、「眠れない、1時には寝たい」という意識から、「朝は7時に起きよう」という意識に変換させていくのだ。
朝起きて、何やろうかな、と考える。起きてすぐの時間は集中力も上がるというから、勉強やアイデアを必要とするものをやろうかな、なんて考える。
でも、別に勉強などをしなくたっていい。朝は好きな音楽を聴く、とか、ちょっと散歩に出かけて、まだ完全には動き出していない街の風景を楽しむ、でもいい。
自分の中の重みを、夜から朝へと移していく。そうすると、私自身は以前よりも朝起きるのが楽しくなったように思う。
あとは、私は基本的には睡眠が浅いので、本当は熟睡できる状態にした方がいいのだと思う。ベッドの周りを片付けて、とか、枕の高さを変えて、とか、いろいろある。けれど私は、あえて片付け過ぎずに好きなものを枕元に置いている。高くなり過ぎると困るけど、本、ノートなどの読み書きできるものを置いている。
睡眠中に人は頭の中で情報を処理し、定着させるというが、私はさらに、寝る直前に考えていたことが夢に十中八九出てくる。だから、寝る直前に勉強したり好きなことを考えると、眠りながらにして振り返りができるのだ。朝起きて、そういうことか! と思うこともある。夢の中に好きな人が現れて、なんだか得をした気分になることもある。
けれど、今の朝型生活になって朝が楽しいのは、そういうことだけが理由ではないと思う。

私は毎朝、新潟で暮らす母のところに電話をかけている。そこにはもうすぐ5歳になる、甥っ子がいる。喘息で死んでしまうかもしれない、なんて勝手に思っていた、妹の子どもだ。その甥っ子は、保育園がきらいで、登園拒否をすることがある。そのため、母に電話をしがてら、甥っ子とも「おはよう」と言い合う。電話を始めた当初の甥っ子は、なかなか起きて来ないし、起きてはいても声を発してくれなかった。会うとあんなに喜んでくれるのになぜ? と思った。しかし、2ヶ月くらい続けると、ようやく「おはよう」と言ってくれたのだ。あいさつの後は、甥っ子の様子を聞いたり、実家の状況確認をする。これが、私にとっては楽しい朝の迎え方だ。

私は、昔はいろんなことが不安で、朝を迎えるのがいやだった。多分、夜が苦手というよりは、先の見えない朝を迎えるのがこわかったのだと思う。
家族は、減っていくもの、と思っていた。そういう喪失感を、だれかにどうにかしてもらえるとも思わなかった。けれど、直接的な、私自身の家族と言われるものではないかもしれないけれど、家族が増えた。それは、私にとっては十分な、朝を、未来を楽しみにできる理由なのだと思う。
「今日はちゃんと保育園に行くんだよ~?」
なんて言うと、無言で電話を切られる。そんな甥っ子も、私はとってもかわいい。
毎日くりかえされるこのやり取りが、教えてくれる。
失うことへの恐怖より、今は誰かをたいせつにしたい想いの方が強いんだ、って。
失ってしまう人を増やしたくないと思っていたけれど、周りの人を気持ちのまま、たいせつだって感じていいんだ、って。
朝は、私にとってたいせつだ。
起きるたび、うれしくなる。
今日も「おはよう」って言い合えること。それが、私のうれしいこと。

❏ライタープロフィール
みずさわともみ
新潟県生まれ、東京都在住。
大学卒業後、自分探しのため上京し、現在は音楽スクールで学びつつシンガーソングライターを目指す。
2018年1月よりセルフコーチングのため原田メソッドを学び、同年6月より歌詞を書くヒントを得ようと天狼院書店ライティング・ゼミを受講。同年9月よりライターズ倶楽部に参加。
趣味は邦画・洋楽の観賞と人間観察。おもしろそうなもの・人が好きなため、散財してしまうことが欠点。
好きな言葉は「明日やろうはバカヤロウ」。

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2018-11-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.7

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