週刊READING LIFE vol.8

赤文字系女子に憧れていた私が、掘って掘って掘りまくった話《週刊READING LIFE vol.8「○○な私が(僕が)、○○してみた!」》


記事:濱田 綾(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

「ここが東京かぁ。やっぱり人がいっぱい。街並みもおしゃれ!」
キョロキョロと辺りを見回す。
完全に、おのぼりさんだ。
卒業したばかりの私は、都会への憧れと社会人になるという希望と。
そして、少しばかりの不安を胸に上京してきた。
けれど、その頃の私は知るよしもなかった。
おしゃれさとも、垢ぬけた都会らしさとも無縁の20代の幕開けになるとは。

「えっ、ここ?」
東京駅で新幹線を降りてから、いくつかの電車を乗り継いだ。
最寄り駅からタクシーに乗って、降りた先に待っていたのは。
グランド……?
いや、そんな小さいものではなかった。
入り口に立って警備をしている人に軽く会釈をして、尻込みしながら足を進める。
そこには幾つもの大きな建物があり、道路があり、自動車教習所のようなものもあった。
「ここから、少し歩くよ」
ここまで案内してくれた、おじさんが微笑む。
こわばりつつある私の顔を見て、少しでも和ませようとしてくれたんだろう。
タクシーを降りた入り口から、10分ほど歩いただろうか。
辺りは、入り口があったとは思えないほどの一つの街になっていた。
団地のような、学校のような建物の前でおじさんは言った。
「じゃあ、僕はここで。体に気を付けて、頑張ってね」
心細さが急上昇したが、ここで帰るとは言えなかった。

卒業を迎え、私は女性自衛官の道に進むことになった。
なぜそんな話になったのかは、本当にひょんなご縁としか言いようがないけれど。
苦戦していた進路だったけれど、なぜか自衛官の試験は、何とかくぐりぬけていった。
気が付いたら本命ではなく、その道だけが私の目の前にあった。
田舎者で、情報も先入観もなかった私は、迷いもせずその道を選んだ。
田舎から離れることにも、期待を抱いていた。
運動神経がいいわけでもなく、特別優秀なわけでもなかった私。
本当にどこにでもいる、ごく普通の女子だった。
「CanCam」などの赤文字系と言われる雑誌が好きで、かわいいものが好き。
おしゃれな写真を見ながら、都会に行ったら、買い物に行くのが楽しみだな。
ディズニーランドにも行ってみたい。
デートスポットも、たくさんあるんだろうなぁ。
そんな、キラキラした淡い期待をたくさん抱いていた。
桜が咲き始めた、新生活最初の日。
広報担当のおじさんと一緒に、新幹線と電車を乗り継ぎ、駐屯地まで向かった。
これからは、ここが私の家であり、初めての社会人としての職場だ。

「あっ、あなた新人ね。名前は?」
キリっとした制服姿の女性が、話しかけてくれた。
「あら、化粧しているの? すぐに落とすこと。30分後に集合だから急いで」
むむ。そんなに濃い化粧をしているつもりはなかったけれど。
まさか、すっぴんとは。
今は、そんなこと言っている場合じゃない。
口調は穏やかだけど、女性の厳しそうな気配を何となく感じた。
とにかく、化粧を落として集まらなきゃ。
おじさんと別れて感じた心細さは、一瞬にして必死さに変わっていた。

慌ててすっぴんにした、やや心もとない顔で集合場所に並ぶ。
何だか、みんな足が速そう。
それに、何だかキリっとしていて優秀そう。
気づかれないように、ごくっと唾を飲み込む。
今さらながら、自分には場違いなんじゃないか。
もしかしたら、私はとんでもないところに足を踏み入れてしまったんじゃないか。
これは、まずいのかもしれない……。
そんなことが、頭の中でぐるぐる回る。

「あなた、髪の毛が長いわね。耳にかかっている」
ふいに響いた声で、我に返る。
えっ。髪の毛が長い?
そんなはずない。
今まで赤文字系雑誌をお手本に伸ばしていた髪の毛も、ショートカットにしたのだ。
人生初のショートカット。
似合わないからと避けていたのに。
泣く泣くショートにしたというのに。
「後で切ります」
また耳を疑った。
切る? こんなに短いのに、まだ切る?
しかも、ここで?
そんな思いもむなしく、じょきじょきじょきと、はさみの音が響く。
人生初のショートカットは、耳上でラインが揃えられた人生最悪ヘアに変身してしまった。
まるで金太郎のような、卵の殻を被ったカリメロのような。
そんな、なんとも間抜けな姿になってしまった。
ああ、東京と言えば、おしゃれな美容室。
そんなキラキラワードは、一瞬にして私の中から過ぎ去ってしまった。
さようなら、赤文字系女子。
さようなら、キラキラ二十歳の私。
さようなら、私の青春。
頭の中で、卒業式をやり直す。
今思えば、笑い話でしかないけれど。
人生の終わりのような、新生活始まりの日だった。

そこからの日々は、新生活としか言いようがないほど、今までの日々とは違っていた。
何もかもが、新しい時間。
何もかもが、新しい事の連続だった。

そんなある日のことだった。
トラックの後ろに乗せられて、行先も告げられずに向かった先は、見渡すばかり土しかない平地だった。
いつものように、教官が話す。
普通に話していても、背筋が伸びるような厳しさが伝わってくる。
「今から穴を掘ります。見本の形のように、穴を掘ること」
「大きさは、自分が立って入れるくらい。制限時間は随時伝えます」

スコップを手渡される。
穴かぁ。スコップを見ながら思う。
雪かきはしたことがあるけど、落とし穴さえも作ったことがない。
自分で言うのも恥ずかしいけれど、大体、私はどんくさい。
穴だって、掘る方じゃなくて、どちらかと言えば落ちるほうだ。
何だかテンポもずれているし、物事を最初から器用に出来るほうじゃない。
新生活が始まってから、団体行動が増えた。
同期の仲間で、一緒に責任を負うということが求められた。
一人の責任をみんなで負う。
みんなの責任をそれぞれが負う。
訓練が進むたびに、自分のテンポの遅さや不器用さで、周りに迷惑をかけていることを痛感していた。
自分がこの仕事に向いているとは、到底思えなかった。
同期が、みんなすごい人達のように思えてならなかった。
出来ることなら逃げたい。
でも、逃げてどうするの?
何か、やれることあるの?
自分の道はあるの?
社会人失格なんじゃないの?
そんなことをぐるぐる考えながらの日々を過ごしていた。
はぁ。出そうになるため息を何とか飲み込む。
なんだかんだ言っても今は、穴を掘るしかない。
もう一度、自分の手とスコップを見直して、スコップに体重を掛けた。

「ここ掘れ、ワンワン」って、よくあるフレーズだけど。
そんなに簡単に、穴って掘れるもんじゃないんだ。
よく推理ドラマなどで出てくる穴も、相当時間をかけて掘られているんだろう。
流れる汗を軍手でぬぐいながら、現実逃避の妄想をしてしまう。
見よう見まねで、スコップで土をすくっていく。
水たまりに毛が生えたような、小さな池のようなくぼみが出来上がる。
これじゃ、とても穴とは呼べない。
周りを見渡すと、みんなの足元が少しずつ穴に埋まっていく。
ずいぶんと深く掘っている人もいる。
こんな妄想をしている場合じゃないと、はっと我に返る。
そうして、また掘り始める。

少しずつ体が埋まっていくと、ふと気づく。
これ、下から土を持ち上げるのは大変だ。
最初のうちに遠くに土を飛ばしておかないと、手前は土の壁が出来る。
その土の壁が崩れでもしたら、穴は簡単に埋まってしまう。
今まで頑張ったのに、土が上から降ってきたりしては大変だ。
スコップに力を込めて、中から土を飛ばす。
掘る、飛ばす。
掘る、飛ばす。
掘る、掘る、掘る。
何度も何度も、繰り返して。
どんどん自分が埋まっていって、周りが見えなくなって。
見えるのは広がる空と、自分の足元。
そして、ぬぐってもぬぐっても流れ出てくる汗と。
ジンジンと感じる手の痛み。
それでも、ただ前の土の壁だけを見ながら掘る。
ただ、掘るということだけに集中して。
どんどん掘って、周りにできた土の壁に寄りかかると、ひんやりして気持ちいい。
穴の中からは、自分しか見えないけれど、同期もきっと掘り進めているんだろう。
何となくの気配を感じる。

何のために掘るのか、とか。
今、私何をしているんだろう、とか。
私、今まで何にも考えていなかった、とか。
私の社会人生活、これでいいのか、とか。
色んな思いがあった。
でも、同期の気配を感じると、一人じゃないと思えた。
色々言っても、しょうがない。
今のままじゃ、私、何にもできないままだ。
そんなのは、やっぱり悔しい。
まずは、目の前のことをやるしかない。
今はただ、やり切るしかない。
そんな小さな決意をし、めげそうになり。
また寄りかかり、決意をする。
その繰り返しで、何時間も孤独な時間が続いた。

そうして、空が夕暮れ色に変わろうとする頃。
制限時間の終了が告げられた。
教官の大きな声が響きわたる。
「終了です。穴から出て、今度はこの穴を30分で元に戻して集合!」
やっと終了だ! そう思ったのは一瞬だった。
これ、元に戻すの? それも30分で?
こんなに何時間もかかった、汗の結晶のような穴をたった30分で。
体中の力が、抜けていくようだった。
だけど、いちいち落胆している時間はない。
このままじゃ、その名の通り墓穴を掘ったままだ。
やるしかない。
力が抜けていきそうな体に、活を入れなおす。
まずは、この穴から出なくては。
そうは言っても、実は高所恐怖症の私。
本当は穴から這い上がるのも、怖くて仕方なかった。
穴を埋めなおすのに、穴から出られないなんて、とんでもなく、どんくさい。
よくもまぁ、自衛官の試験にパスしたもんだと、我ながら呆れるけれど。
どうやっても、一人じゃ出られない。
苦し紛れにぴょんぴょん穴の中を飛んで、同期に手を引っ張ってもらって。
何とか、外の世界に出られた。
もうすでに、みんな穴埋めにかかっている。
この時点で、またひとテンポ遅れている。
やっぱり自分は向いていない。
また、後ろ向きな気持ちが生まれそうにもなったけれど。
手を貸してくれた同期の恩を無駄にするわけにはいかない。
積み重なった土を見て思う。
それでも、やっぱりやるしかない。
スコップですくっては、穴に投げ入れる。
すくう、入れる。
すくう、入れる。
埋める。埋める。
もう、手の感覚なんかない。
スコップを握る力もない。
でも、時間まではやろう。
せめて、今出来ることをやろう。
そんな思いで必死だった。

「はい、終了。集合!」
一列に並んで、穴の状態を観察される。
言うまでもなく、私の穴は完全には埋まっていない。
それに、いびつだ。
何を言われてもいいように、覚悟を決めて、一度ぎゅっと目をつぶった。
教官は、穴をじっと見たまま何も言わなかった。
きっと思うところは、山ほどあったんだろうけれど。
少しだけほっとしたのも、つかの間。
教官が静かに話す。
「今日は練習です。何度か同じ練習をして、2か月後に富士で試験をします」
「富士の土は、こんなに軟らかくはありません。気を引き締めて臨むように」
私だけでなく、そこにいた全員が、ごくっと唾を飲み込んだ。

そのあとも、幾度となく涙を流し、幾度となく打ちのめされた。
相変わらず、どんくさい私は、何度も教官に怒鳴られ、同期の足を引っ張って。
そのたびに、やっぱり私は向いていない。
そんな思いが、頭の中を支配した。
そして、そのたびに同期に励まされ、助けられて。
何とか、本当に何とか最終試験をパスすることができた。

「たとえ何度も打ちのめされたとしても、あなたのその一生懸命さと、笑顔にどれだけの力があったか。それはあなたの強さです」

試験後のノートに記載されていた、教官からの言葉。
自信も志も、何もなく。
足を引っ張っていただけだと思っていた私。
何度も何度も「向いていない」で逃げようとした私。
そんな言葉をもらえるなんて、思ってもみなかった。
悲しいでも、苦しいでも辛いでもなく。
ここに来て、初めてあたたかい涙を流した。

赤文字系女子に憧れて上京した私。
初めての社会人生活。
大きな志があったわけでもなく、ただ目の前の道を進んだ。
抱いていた期待とは、まるで違った。
社会人とは、こんなに厳しいものなのか。
こんなにも考えた日々は、後にも先にもないかもしれないほど。
何かに秀でていたわけでもなく、どんくささが抜けなかった私。
そんな私でも、何とか進めたのは、仲間がいたから。
そして、見ていてくれた人がいたから。
キラキラした20代の幕開けにはならなかったけれど。
おしゃれさとはかけ離れていた、土まみれ女子だったけれど。
でも、あの穴掘りの日々を懐かしく思える今、ふと思うことがある。
自分の中にも穴を掘って、掘って、掘りまくった日々があったからこそ、きっと今がある。

向いていること。向いていないこと。
人にはそれぞれ、素質はあると思う。
それぞれの強みや特性もあると思う。
でも向いている、向いていない議論が頭をかすめるときは、後ろ向きの感情の時が多い。
「私には、向いていない」
そうやって、何とか自分を納得させようとしている。
本当は、向いている、向いていないなんて、誰が決めるものなんだろう。
ただ、自分が決めたいだけなのかもしれない。
自分の中で、理由付けをしたいだけなのかもしれない。
少なくとも、あの頃の私は、そうだったように思う。
何とかするしかない。
そんな時は、案外何とか出来るのかもしれない。
何のためにとか。
未来の姿とか。
志とか、覚悟とか。
自分の中に、確かなものがなかったとしても。
ただ、目の前のことをやってみる。
まずは、やれることをやる。
穴の中にいるときは、とことん自分と向き合って。
自分の穴から出られないときは、誰かの力を借りて。
誰かの想いを力にして。
そうやってギリギリの積み重ねでも、道はきっと続いていく。
その日々の中で、確かになっていくものもある。
きっと、後から道になっていく。

赤文字系、青文字系、キラキラ女子。
どんなかたちであっても、今を歩んでいる人は素敵だ。
もう、現役土まみれ女子ではないけれど。
これからも、時に、掘って掘って掘りまくるのだろう。
そうして歩んでいく後ろに、道が続いていくように。

コンビニに並ぶ赤文字系雑誌を横目に、静かにそう願った。

❏ライタープロフィール
濱田 綾
福井県生まれ。国立工業高等専門学校 電子制御工学科卒業。
在学中に看護師を志すも、ひょんなご縁から、卒業後は女性自衛官となる。
イメージ通り、顔も体も泥まみれの青春時代。それでも看護師の道が諦めきれず、何とか入試をクリアして、看護学生に。国家試験も何とかパスして、銃を注射に持ち代え白衣の戦士となる。総合病院に10年勤務。主に呼吸器・消化器内科、訪問看護に従事。
プライベートでは、男子3兄弟の母で日々格闘中。
今年度より池袋にほど近い、内科クリニックで勤務している。クリニック開業前から携わり、看護師業務の枠を超えて、様々な仕事に取り組む。そんな中で、ブログやホームページの文章を書く、言葉で想いを伝えるということの難しさを実感する。
上司の勧めから「ライティング・ゼミ」を知り、2018年6月に平日コースを受講。
「文章は人を表す」は、ゼミを受ける中で、一番強く感じたこと。上っ面だけではない、想いを載せた文章を綴りたい。そんな歩み方していきたいと思い、9月より「ライターズ倶楽部」に参加中。

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2018-11-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.8

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