週刊READING LIFE vol.8

高所恐怖症の私が、日本一の大吊り橋を渡ってみた《週刊READING LIFE vol.8「○○な私が(僕が)、○○してみた!」》


記事:小倉 秀子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

「キャー!! 怖い! ダメ! 無理!! うわぁ〜〜(泣)」

私はこの時、大きな声を出すこと以外に怖さの紛らわし方がわからず、手当たり次第の大声をあげて騒いでしまっていた。
他国からの観光客が、絶叫する私を見て笑っている。

そこは、今はもう無い、ニューヨークのワールドトレードセンター。確か107階だったと思う。あの、911同時多発テロで崩壊してしまったツインタワーのビルの最上層の階だ。
テロが起こるよりも数年前で、当時留学をしていた友人を訪ねるため、ニューヨークに遊びに行っていた時のことだった。

今でも覚えている。それまでに味わったことの無いくらいの、あの高所での怖さを。
日本にある当時のビルなら、いくら高層ビルと言ったって「窓」から眼下の景色が広がる程度だった。それでも十分に怖いけれど、でもここはそのはるか上を行っていた。景色は「足元」から広がっている。壁のほとんどがガラス張りで、足元のさらに下に広がる景色がガラス越しに丸見えなのだ。
足元よりもはるか下の遠くの方に、そびえ立つ高層ビル群や、車の流れている道路、米粒のように小さい歩行者が見え、今いるところが現実離れなほどに高いところだと認識させられる。下半身がゾクゾクっとして足がすくみ、思わずその場から2、3歩後ずさってしまう。足元の景色が見えなくなれば、いくら107階にいても高さを意識せずに済むので恐怖心から逃れられる。

これが、高所恐怖症の私の、高所の中でも最高ランク、人生でもっとも怖い思いをした高所での思い出だ。

怖いと分かっているなら、高所に行くのをやめておけばいいのに。誰かに強要されたわけでも、誰かと約束した訳でもないのだから。
でも、敢えて高いところに行ってしまう。何故かやめられない。「怖いもの見たさ」とはまさにこのことなのだろうか、怖いからこそ余計に気になる。克服できない悔しさがいつまでも後を引く。そして毎回恐怖を克服したいと願ってチャレンジするも、やっぱり高いところは怖く、恐怖で足がすくみ、へっぴり腰であとずさってしまうのだ。

国内でも高くて怖い思いをする場所がある。吊り橋だ。場所はどこだったか失念してしまったけれど、とても怖い吊り橋に遭遇したことがある。

空中に一本の橋が渡っている。真下は海だったか? 崖だったか? 足元から思い切り下が見えてしまう橋だった。そして、一歩足を踏み出す度に橋が上下に揺れていた気がする。
橋の終点は数百メートル先だったと思うけれど、十歩ほど進んだところで、この橋は私には絶対に渡れない橋だと悟った。怖い。こんな狭くて高いところに立っていては、生きている心地がしない。足元よりもさらに下の世界に吸い込まれてしまいそうだ。吸い込まれそうだから、吸い込まれないうちにこの場から逃げ出したい。怖いから、誰かの手を取りたい。でも狭い橋の上では、そのような行動を取る余裕さえなく、この場を独力で乗り越えるしかない。けれどもそんな度胸も持ち合わせないままに、ただ何となくここに来てしまったと今更ながらに気づく。
十歩進んだところで立ちすくんでしまった私は、その数百メートル先の、吊り橋の両側の手すりが交差するあたりを見つめる。橋の終点はさらにその先でここからは見えない。好奇心旺盛な私は、何にでも興味を示して足を踏み入れるけれど、好奇心だけでは何もなし得ない。入り口でさわりの部分だけ楽しんで終わりだ。やり切る覚悟がなければ、その先の世界へ足を踏み入れることも、もっと奥の深い愉しみを味わう事も出来ない。そんな事をぼんやりと考えながら、吊り橋入り口へと十歩引き返して行く。

先が見えそうで見えないところで引き返したこの時のことを、場所すら覚えていないというのに、その後味の悪さだけが強烈に脳裏に焼き付いてしまっている。だから、吊り橋はいつかまた、チャレンジしようと決めていた。

そんな折、大好きな私の心のふるさと、本当は母のふるさとの三島に、「三島スカイウォーク」という吊り橋がある事を思い出した。「日本一の大吊り橋」と称されているこの吊り橋はまだ未体験なので、高所恐怖症克服はここでチャレンジする事にした。

気の早い私は、そうと決めた次の日にはもう新幹線に乗って三島に向かっていた。お昼前に家を出たけれど、14時には三島スカイウォークに着いていた。意外と近いものだ。
せっかく三島の景色のいいところに来たのだから、富士山も撮って帰りたかった。下調べをしたところ、吊り橋からは夕日が綺麗という事だったので、日の入りと富士山のシルエットを一緒に撮れればいいなという撮影の愉しみもあってワクワクしていた。橋を渡る前に、食事をしたり周辺施設を回ったりしながら、夕暮れ時を待つことにした。

そしていよいよ夕刻となり、入場チケットを買って、いざ「日本一の大吊り橋」へ。

目の前の吊り橋は、とても壮大だ。柱の高さもさることながら、橋ははるか先まで続いていて終点が見えない。こんなに大きい建造物を久しぶりにみた。でも多分、昔のあの空中の吊り橋も、このくらいの壮観だったように思う。チャレンジするにはもってこいの吊り橋だと思った。到着したときには晴天の青空にくっきりとした富士山が拝めたけれど、この夕暮れ時直前の時間は、富士山の輪郭がシルエットのようにぼんやりと浮かび上がる頃だ。
この吊り橋を渡り切れたら、人生観変わるかな! いよいよその一歩を橋にかける。

ずしっ。ずしっ。2歩、3歩と歩みをすすめてみる。景観は遠くまで見渡せて高さを十分に意識出来る。けれど、橋は思ったほどに揺れない。平日の夕刻で、すでに人がまばらだったせいか。人の重みで橋が揺れるほどではなかった。それに、往路と復路が分離できるほどに十分な幅があった。これが結構大事なことで、往路と復路を譲り合わなければならないほどに幅が狭いと、道を譲るために傍らに寄らなければならない時が本当に怖い。際に立たされて、足元に壮大な景色が広がってしまうからだ。
さらには、大抵どの橋も床の隙間が結構あいていて、そこから下の景色が見えてしまうのだけれど、この橋はそうではなかった。隙間が網目状で、下が見えないようになっていた。
高所恐怖症の人にとっては重要で、とても優しい配慮が随所に見受けられた。もしかしたら、この橋を設計した人も高所恐怖症だったのではないかと思ってしまうほどだ。
でもそのおかげで、今までの恐怖は何だったの? というくらいにスイスイとこの大吊り橋を歩み進む事が出来た。下をのぞいてしまうと確かに怖い。けれど、幅もあり、揺れずに安定感抜群の橋に、いつの間にか安心して身を委ねるような気持ちになっていた。橋をすっかり信頼してしまった私は、橋の途中で立ち止まり荷物をその場に置いて、レンズをカメラに装着し撮影を始めてしまった!

日が沈む頃の、灼けるような赤色と空の色のグラデーションがとても好きで、普段から湘南の海沿いに行ってはよく撮っているし、家のベランダからも撮ることがある。でも目の前に広がる夕日のグラデーションと、山の連なりと、その隙間からこぼれる光。その景色は、持参したカメラ機材では収め切れないほど広大で、私の発展途上の技術力では表現し切れないくらいに立体的で奥行きの深さを感じることのできる景色だった。
それでも私は、この目の前の景色を私なりに切り取り、私なりに解釈して表現したい衝動に突き動かされて、時間を忘れ、今吊り橋のど真ん中にいることも忘れ、何十回、もしかすると何百回とシャッターを切りつづけた。確認しては撮り、納得する画が得られるまで何度でも、納得すれば違う構図で何度でも。
日が完全に沈んだ後も、赤のグラデーションが漆黒の闇に飲まれるまで、その空を、富士山の奏でるシルエットをひたすら撮り続けた。

この時、完全に高所の恐怖を克服していた。自分がどこにいるかなんて全く気にならなかった。ただ絶景の見える場所が吊り橋のど真ん中だっただけで、その怖さよりもその画を手に入れたい欲求がはるかに勝って、閉園時間になって最後の一人になるまで、延々とそこに居座って撮り続けた。

好奇心の先の、もっと奥の深い愉しみって、これかも知れない。
入り口よりも先の世界へ、足を踏み入れることが出来た気がした。

吊り橋のど真ん中で大分時間を費やしたけれど、その後に当初の目的通り、ちゃんと橋の終わりまで渡り切って、また入り口まで戻って来た。日本一の吊り橋を渡り切れた。嬉しい! でもそれよりも何よりも、あの景色に出会えてひたすらに撮ることに没頭出来たひとときが、何にも代え難い至福の時間だった。

もう日も完全に暮れて真っ暗。三島スカイウォークから最終バスに乗り込んだのが17時半。三島駅に着いてから東京方面の新幹線に乗り込むまでに30分の余裕があったので、今回は諦めていたうなぎも、運良く駅前の鰻料理店で堪能することが出来た。そして家に着いたのは、20時過ぎだった。

三島って意外と近いものだ。また三島スカイウォークに行って、今度は日中の青い空にくっきりと浮かぶ、雪をかぶった富士山を撮りに行きたい。

あの吊り橋ならもう何度でも行けそうだ。幅にも揺れにも床の作りにも十分に配慮されていて、絶景が高さを忘れさせてくれて、高所恐怖症の人にはとても優しい「日本一の大吊り橋」だから。

❏ライタープロフィール
小倉 秀子(おぐら・ひでこ)
東京都生まれ。東京理科大学卒業。日本IBMでシステムエンジニア、ITコンサルタントとして15年間勤務した後、二人目の育児を機に退職。
家事育児に専念している期間に、「天然石アクセサリー製作」「写真撮影」という生涯の趣味に出逢う。クチュールジュエリーデザイナー清水ヨウコ先生主宰クリエィティブコース修了。
現在、イベント撮影会社登録カメラマン。アクセサリーデザイナー/クリエイター。
次の目標は、息子たちに「自ら人生を選択する生き方」を示すこと。そのため天狼院書店でプロのライターを目指している。座右の銘は、「100年ライフの最後まで人生を味わい尽くす」。

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2018-11-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.8

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