週刊READING LIFE vol.8

子ども嫌いな私が、母になってみた。《週刊READING LIFE vol.8「○○な私が(僕が)、○○してみた!」》


記事:北村 涼子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部ライターズ倶楽部)

 

 

私は42歳女子である。
小学校6年生女子の母である。

 

正直言って、昔から子どもが苦手である。苦手というか「嫌い」な種類に入ってしまう。
どうやってあやしていいかもわからないし、どうやって話していいかもわからない。

 

三人兄弟の末っ子長女として生まれた私は、父方の十数人いるいとこの中でも一番年下であって、自分より年下の人間に接することなく幼少時代を過ごした。
兄弟だけでなく、いとこのお兄さんやお姉さんにも「一番下の子」として扱われてきた。

 

「一番下の子」はそれなりに自分の位置というものをなんとなく理解していく。どういった立ち回りをすればいいのか、どうすれば可愛がってもらえるのか。計算でもなく、身をもって知っていくことであり、埋め込まれたモノとして根付いていく。
根付いたものがちょっとばかりたまたま「計算高い」こともあったかもしれない。

 

そんな私が小学生の頃に、母の姉妹にぽんぽんと小さな赤ちゃんが誕生していった。
あっという間に自分より小さないとこが4人もできてしまった。
それまでは母方のいとこは自分より年上が4人と一学年下が1人いただけ。
「一番下の子」というわけではないが、まぁまぁスタンスは変わらずいることができた。
そこにだ、とろけるように可愛い赤ちゃんが誕生し続ける。
見ているだけでこちらも顔がにやけるぐらい可愛い。
もう抱きしめたいし、ほっぺにちゅうもしたい。

 

だが、そうしようがない。仕方がわからない。
可愛いし、触りたいし、なついてもらいたい。なんて思う。
でも、ベロベロバー!! とかする根性がなかった。
ひとつ上のいとこがいとも簡単にそれをやってのけた時は「何の差?!」と本当にびっくりした。
そんなことができるいとこが羨ましかった。とてもとても上手にあやしていく。とてもとても上手にお世話をしていく。
無理。と思った小学校高学年の私。

 

そこからかしら、小さな子を見かけると心なしか目線をはずしたり、どうぞこっちに来ませんように、と願ったりしたのは。
それだけならまだしも、そんな自分にちょっとひねくれた感情までが芽生え始めた。
「子どもや思て調子乗ってんなよ」的な。
「なにもかも許されると思うなよ」的な。
そう、自分がかつて「一番下の子」の時に心の奥底でチラッとでも考えたことのあるようなこと……。

 

大のおとなになってからも私は小さな子どもに対してこんなふうに思う底意地は全く変わらず、公衆の面前でけたたましくワガママを言い放っている小さな子どもを冷たい目で見てしまっていた。
「あなたのワガママは一生叶いません!」と目で伝えていた。
そして「保育士免許」を得るために「保育科」などに通っている友人達を尊敬のまなざしで見ていた。子どもの相手をすすんでしようとするなんてすごい。
自分にはその選択肢がなかった。

 

そこまで小さな子どもに苦手意識を持っていた私が母になっている。

 

小さな子のあやし方も知らなかった。
ただ、母になる前に甥っ子と姪っ子ができた。
もちろんここでも戸惑った。どう接すればいいのかわからず。
ただ、そんな戸惑いよりも先に「愛しさ」が先にやってきた。
でも「愛しさ」はあるが、声や行動にどう出せばいいのか……。悩むヒマなく甥っ子も姪っ子も容赦なく私に突っ走ってくる。子どもたちに合わせてどうやって話せばいいのか、どうやって遊べばいいのか、全くわからない自分でいたけれど、考えているヒマもなかったので私のまんま対応してみることにした。
そう、普通の友達にしゃべる感じで。
テンションを上げることもなく、ワンオクターブ上の声でしゃべることもなく、普通に「あ?」て感じで。1歳児に対して。
「りょうこちゃん(私のこと)な、めっちゃ疲れてんねん。ほんましんどいねん。あんたの相手してるヒマないねん。ビール飲んでへーこいて寝るわー」て実家に預けられている1歳児を前に真顔で言ったり。
それを、ずっと続けてみた。2歳、3歳、4歳、5歳……。
世間一般の「子どもをあやす」行動には1㎜も近付けていなかったであろう。
ただ、なぜか彼らは私によくなついたし、私も彼らを愛しく思う。

 

そうこう言ううちに私は結婚して子どもが誕生した。
やばい、こんな私に子育てができるのだろうか。子どもと一緒に遊ぶことができるのだろうか。不安のみ。

 

結論は、なんとかなる。である。
もちろんよその子を見る目とは全く変わるし、はかり知れない愛情がそこにはある。
そして、知らぬ間に「いないいないばー」なんてどころじゃないぐらいのあやし方をマスターしていく。
渾身の道化である。
ただ、一緒に思い切り遊ぶことはやっぱり苦手だった。でも、そういったことを得意とする旦那に任せればいい。
子どもはこんな私の元でも健やかに成長していった。

 

こんな私が子育てして、ママ友ができて、小さな子ども達と接する機会が増えて、それでもどうしても譲れなかったことは「子どもや言うて調子に乗ってんなよ」という気持ち。
小さな子どもに振り回されているママを見たり、ワガママを言い続けて親を困らせている子どもを見ると、よその子であろうが「おいこら、大人をなめるな」と言ってしまう始末であった。

 

私の時代は高校を卒業したら短大の保育科に進む女子が多かった。
「子どもが好きだから」と。
出会う男子も「女子は子ども好き」と思い込んでいるひとが多かった。その男子達に「私は子どもが苦手」なんて言う勇気もなかった私。
今思うと笑える。
子どもを育てることと、子ども好き、は全く別の世界であることが判明した今はいい大人であろうが、なんであろうが「私は子どもが苦手です」と言えちゃう自分がここにいる。

 

ただ、娘がまだ小学校6年生なのにすでに「孫」が楽しみであることは内緒である。

 

 

❏ライタープロフィール
北村涼子 
1976年京都生まれ。京都育ち、京都市在住。
大阪の老舗三流女子大を卒業後、普通にOL、普通に結婚、普通に子育て、普通に兼業主婦、普通に生活してきたつもりでいた。
ある時、生きにくさを感じて自分が普通じゃないことに気付く。
そんな自分を表現する術を知るために天狼院ライティングゼミを受講。
現在は時間を捻出して書きたいことをひたすら書き綴る日々。
京都人全員が腹黒いってわけやないで! と言いつつ誰よりも腹黒さを感じる自分。
趣味は楽しいお酒を飲むことと無になれる写仏。

http://tenro-in.com/zemi/62637


2018-11-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.8

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