週刊READING LIFE vol.13

真冬の朝の不思議な話《週刊READING LIFE vol.13「こたつで読みたい物語」》


記事:江島ぴりか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

「しばれる」とは絶妙な言葉だな、とつくづく思う。
北海道弁で「寒い」という意味だが、窓ガラスも、道路も、畑の土も凍りついて真っ白になるような北国の厳しい寒さには、やはり「しばれる」の方がぴったりくる。
そんなしばれる釧路にある私の実家では、こたつはあまり出番がなかった。
水道管が凍って破裂しないように、一日中灯油ストーブをガンガンに燃やしていたからだ。
母いわく、「ハワイのよう」な部屋の中で、シャツ1枚になって、冷え冷えになったミカンを家族みんなでもくもくと食べていた。

そう、寒い季節は、部屋の中を無駄に暖かくして、あえて冷たいものを食べるのが、ちょっと楽しかったりする。
最近ブームになっている、冬アイスにもそんな感覚があるのかもしれない。
これから語る父と私の体験も、もしかするとほんの少し背筋が寒くなるかもしれない。
ぜひ、こたつの中に潜って読んでほしい。

 

 

「最近、お父さんが変なこと言うの」
ある日、母が夕食の支度をしながらつぶやいた。
私は当時まだ11歳で、母から話を聞いたときは、さほど気に留めていなかった。
父はビールが大好きで、医者から再三忠告を受けていたにも関わらず飲み続け、救急車に何度かお世話になっていた。しまいには左手の自由が利かなくなったが、それでも飲んでいた。
そんな父だったから、きっとまた酔っぱらってたんだろう、と思っていた。

父は中学校の社会科教師だったが、本業以外にもいろいろなことに手を出していた。地域の子どもたちのためにキャンプ協会を設立したり、朝から晩まで趣味の昆虫採集に興じたり、児童養護施設でピエロみたいなことをしたり、とにかく忙しい人だった。土曜日も日曜日も家にじっとしていたことがない。
そんな風に昼間は外に出ているから、学校の仕事については、必然的に夜遅くに取り組むことになる。家族が寝静まってから、試験問題を作成したり、生徒たちの課題をチェックしたりしていた。タバコの煙ですっかり変色してしまった壁に囲まれた仏間で、かすかに聞こえる程度に音量を下げたテレビをBGM代わりにして、白いタオルを頭に巻きながら仕事をしていた父の姿を思い出す。

頭髪がほとんどなくなった父の頭には、小さな傷跡が残っていた。その数年前に、自宅の階段で足を滑らせて、頭から玄関のガラス戸に突っ込んだときのものだ。額から血がダラダラ噴出しているのに、「めがね、めがね……」と探し回る父の姿は、8歳の私にはホラーだったが、今思い返すとちょっと滑稽だ。お風呂から上がって一杯やったところで、頭も足元もふらふらしていたのだろう。某保険会社のコンクールで、佳作に入賞した私の絵を廊下に飾ろうとして、額縁に入れた絵もろとも落っこちてしまったのだ。

父にとって私は自慢の娘だったんだと思う。
学校で絵や作文をよくほめられていたこと以上に、自分とよく似ていたことが、彼にとってよりいっそう愛くるしい存在として映っていたに違いない。生き物が好きで、のんびり屋で、好奇心が旺盛で。そして二人とも、将来の不安よりは、今の楽しみ、現実の世界よりは、夢や空想に浸りがちなロマンチストだった。

 

 

そんな父が不思議な体験をしたのは、1月下旬の、最もしばれる頃だった。
草木も眠るような時間。
母、兄そして私は2階の寝室で眠っている。
父は、1階の仏間、あるいはリビングで、授業の準備をしている。もしくは、一息ついてビール片手にくつろいで、深夜番組を見ている。

不意に玄関のチャイムが鳴る。

ピンポーン。

こんな真夜中にいったい誰だろう?
そう思って、玄関の間仕切りのカーテンを開けて、呼びかけてみる。

どちら様ですか?

しかし、応答はない。
気のせいだろうか?
カーテンを閉めて、室内に戻る。と、そこでまた聞こえる。

ピンポーン。

おかしいな?
今度は玄関を開けてみる。
凍てつく空気はとても澄んでいて、ストーブの熱気のせいでボーっとした頭を一気に目覚めさせてくれる。
さえぎるものの何もない夜空で、冬の星座たちがまばゆいばかりに光輝いている。
でも、そこには誰もいない。
変だなぁ。
玄関の鍵をかけて、また室内に戻る。と、そこでまた、

ピンポーン……

再び外に出てみるが、やはりそこには誰もいないのだ。
そんなことが、ここ数日続いている。
と、父は母に話していたらしい。

誰かが亡くなって、自分に知らせに来たんじゃないだろうか?
父はそう考えていたようだ。

 

 

ほどなくして、父はこの世を去った。46歳だった。
「〝誰か〟じゃなくて、自分のことだったんだね」
時折、しみじみと母がふり返る。
「チャイムの音は、お迎えの合図だったんだね。おじいちゃんやおばあちゃんが来てたんだろうね」

早すぎるよね、と誰もがお悔やみの言葉をかけてくれた。でも、やりたいことにどんどんチャレンジして、たくさんの友人に囲まれて、最後は大好きなお酒を飲みながら逝った父は、決して不幸な人ではないと思う。短くても、充実した人生だったはずだ。だから、私にとってこのエピソードは悲しい思い出ではない。他人を笑わせたり、場を盛り上げることが大好きだった父がプレゼントしてくれた、最高に素敵なネタだ。

でも、もし父がひとつだけ悔いているとしたら、顔も性格も自分にそっくりな愛する娘に、最期に別れの言葉を言えなかったことじゃないだろうか。
父は、行きつけのお店で飲んでいて、突然倒れた。
病院に救急搬送されたが既に意識はなく、駆け付けた家族の前で、もう言葉を発することはなかった。
そして、飾りのようになってしまった生命維持装置が外された。

 

 

葬儀が終わるまでは父のそばにいようと、仏間のある1階のリビングで、私と母は寝起きすることにした。
ストーブをつけていても、床からの冷気が厚い敷布団を超えてやってきた。
主を失くした家は、よりいっそうしばれて、私は母にしがみついて横になった。

その夜の明け方だった。
私の耳にかすかに、でもしっかり、その音は届いたのだ。

チリーン……

日が昇る直前の薄闇の中、確かに聞いたのだ。
それとも、私が寝ぼけていたのだろうか。
しかし、目覚めた後も、その音の余韻は私の耳にはっきり残っていた。
「……あのね、さっき〝おりん〟の音を聞いたんだけど」
布団の中で、目覚めた母がつぶやき、私もうなずいた。
「うん、私も聞こえたよ」
そうだ。あれは、仏壇にあるおりんの音だ。
お坊さんがお経を唱えるときに、鳴らす音だ。

『じゃあ、行くね』

私には、そんな父の別れの言葉に聞こえた。

今も、そのおりんの音色は私の心に響いている。
すがすがしくこの世に別れを告げ、あの世でもきっと楽しんでいるに違いない、父の姿を思い浮かべながら。

❏ライタープロフィール
江島 ぴりか(Etou Pirika)
北海道生まれ、北海道育ち、ロシア帰り。
大学は理系だったが、某局で放送されていた『海の向こうで暮らしてみれば』に憧れ、日本語教師を目指して上京。その後、主にロシアと東京を行ったり来たりの10年間を過ごす。現在は、国際交流・日本語教育に関する仕事に従事している。
2018年9月から天狼院書店READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。
趣味はミニシアターと美術館めぐり。特技はタロット占いと電車に揺られながら妄想すること。ゾンビと妖怪とオカルト好き。中途半端なベジタリアン。夢は海外を移住し続けながら生きることと、バチカンにあるエクソシスト(悪魔祓い)養成講座への潜入取材。

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2018-12-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.13

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