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週刊READING LIFE vol.13

コタツの中でポケベルが鳴るのを待っていた日《週刊READING LIFE vol.13「こたつで読みたい物語」》


記事:松下広美《READING LIFE編集部ライターズ倶楽部》

「え? ポケベルなくなっちゃうの?」

いつものように、ネットニュースを流し読みしていたときのこと。
ある記事に目が止まった。

「ポケベル、2019年9月にサービス終了へ」

すっごいニュースなんだけどっ!
と、ひとりで興奮していた。
その興奮をひとりでは消化しきれなくて、誰かと共有したくなった。
Facebookに思いを書き込み、その記事をシェアしようとした。

……ちょっと待てよ。
少し冷静になって、ボタンを押す手が止まった。
ダメだ。
この思いを同じ熱さで共有できると思えない。

友だちと話をしていて、なぜかポケベルの話になったときのこと。
「ポケベルが鳴らなくて、って歌やドラマがあったの知ってる?」
「鳴らないって、故障したの?」
え? ちょっと待って。え?
20代の子から飛び出した、このセリフが忘れられない。
そのあと、必死に説明をしたけれど、その子はいまいちピンとこなかったようで、私も途中で諦めた。
ジェネレーションギャップ。
これが、重くのしかかる。

「10641011 163」
これで、#を押して、と。
電話を切り、そのまま電話の子機を握りしめて待つ。
しばらくすると、電話が鳴る。
ワンコールを待たずに、電話に出る。
「もしもし」
「ひろみ? もー、ベル打たなくても電話してくれればいいのに」
「だって、電話していなかったら嫌だもん」

今から20年と少し前。
学校で散々お喋りをしているくせに、それでもまだ足りなくて夜になると友だちに電話を掛ける。電話の内容はたわいもない話。好きな男子と今日は挨拶ができたよーとか、テストが終わったらカラオケに行こうとか、クラスメイトがバカな話をしていたこととか、明日また学校で会ったときにすればいい話をする。
そんな電話をする前に、ベルを鳴らす。
電話をするときに、電話をしたい本人に出てもらうため。あと長電話をしていると親に怒られるから、電話をしていることがバレないようにするため。
別に、お互いの家族も知っている友だちだから、そんなこと気にしなくてもよかったはずなのに、なぜか電話をする前にはベルを鳴らしていた。

ベルとは、ポケベルのこと。
まだまだ携帯電話を持つなんて考えられなかった時代。
電話や手紙、直接会うことの他に手にした、コミュニケーションツール。
ポケベルのサービスが始まったのは、1968年のこと。始めは端末の電話番号にかけると音がなるだけのサービスだったらしい。進化を経て、端末に数字が表示されるようになった。
「0840」で「おはよう」、「0833」で「おやすみ」と、手のひらに収まる大きさの端末に表示される数字から暗号のようにメッセージを読む。
ポケベル最盛期だった1990年代後半には、カタカナでメッセージも送れるようになっていた。

そんな時代に、私は女子高生だった。

まわりの友だちがポケベルを持ち始めていたけれど、私はポケベルを持っていなかった。
親に「ポケベルが欲しい」と言ったこともあったけれど、「自分で払えるならね」と言われた。決まったお小遣いはもらっていなくて、自由になるお金はお年玉と年末年始だけしていた郵便局のバイト代だけだった。頑張れば、ベルのお金を出せないことはなかった。でも、友だちとカラオケやファミレスに行くお金を考えると無駄遣いはできない。ポケベルを自分で持つのは諦めていた。
だけど遅れを取らないようにポケベルの打ち方を覚えたし、コミュニケーションツールとして使っていた。
とはいえ、ポケベルは持っていないと完全に一方通行のツール。
結局、「10641011」→「テル(TEL)していい?」というのを打つくらいだった。

友だちにときどきポケベルを打つだけだった状況が変わったのは、高校3年生の夏。

「これ、持っててよ」
「え? いや、ダメですよ」
「いいの。俺、携帯持つようになって使ってないし」
そう言って差し出されるポケベル。
でも……、と受け取るのを躊躇している私に、
「だって、すぐに連絡とりたいし。自由に使っていいからさ」
「……わかりました」

夏休みの終わりくらいに、彼氏ができた。
少し前から文通をしていた人。手紙のやり取りをしているだけだったつもりが、夏休みだからと会うことになった。会ったその日に「付き合ってほしい」と言われ、数日後にOKをした。
付き合うことになってから、初めてのデートの日。
彼からポケベルを差し出されて、持っててほしいと言われた。
連絡を取る手段が手紙か家電しかなかった。高校生だった私にとっては普通だったことだけど、7歳上の社会人だった彼はもどかしかったのだと思う。
半ば強引に渡されて、初めてのポケベルを持つことになった。

ただ、ポケベルを持っていたことは親には内緒だった。
彼氏ができたことを話せなかったし、ましてや同級生とかじゃなくて社会人の彼氏だなんて言えるはずがない。家で音が鳴らないように用心したし、バイブも気づかれないようにするのに必死だった。でも、友達とベルでメッセージのやりとりができるようになったことが嬉しくて、電話の子機を持って部屋にこもってメッセージを打った。簡単なメッセージだったら数字だけを使い、カタカナでのやりとりも多かった。
それに、学校に行く前に「0840」と彼からのメッセージがポケベルに入っていると、嬉しくてたまらなかった。

大学生になった頃には携帯電話がかなり普及してきていた。
高校生の頃に比べると、まわりでポケベルを持っている子は、少なかった。
大学生になって自分のポケベルを持ったが、1年もしない間に携帯電話に変わった。

ポケベルのサービスが終了するというニュースを目にするまで、ポケベルの存在なんて忘れていた。
ポケベルなんて、今のスマホみたいに決して便利ではなかった。
一方通行のメッセージだし、いちいちポケベルの番号に電話をかけないといけないし、外出先では公衆電話を探さないといけないし、その公衆電話に列ができていることも多かったし。そもそも持っていたのはたった1年半。
でも、あの小さな端末には、女子高生だったときの思い出がぎゅっと詰まっている。
ポケベルがなかったら、あのときの彼と長くも続かなかっただろうし、そもそも付き合うことすらなかったかもしれない。

誰かとこのニュースを共有したい気持ちはある。
でもとりあえず家に帰って、コタツにでも入ってひとりで思い出を嚙みしめよう。
あの頃の友だちのことと、付き合っていた彼のことを。

❏ライタープロフィール
松下広美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1979年名古屋市生まれ。名古屋で育ち名古屋で過ごす生粋の名古屋人。
臨床検査技師。
会社員として働く傍ら、天狼院書店のライティング・ゼミを受講したことをきっかけにライターを目指す。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2018-12-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.13

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