週刊READING LIFE vol.16

きっと、明日は晴れるに違いない ~ちょっと変わった後輩と、ちょっと困った娘の話から、人と人とのつながり方について考える~《週刊READING LIFE vol.16「先輩と後輩」》


記事:戸田タマス(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 
 

私は今、とても困っている。

 

なぜなら、ある後輩の育成、指導を2年前から担当しているのだが、
その後輩というのが、これまたとんでもなく暴れん坊だからである。

 

最初に出会った時の彼女はとても大人しく、素直ないい子であった。
しかし彼女はどんどんワガママになり、もはや別人のようになってしまった。

 

例えば、
出された食事が気に入らないと、口から吐き出したり、容器ごと投げたりする。
嫌なことがあると大声でわめき、人目をはばからず泣き続ける。
少しでも疲れると歩きたくないと泣き、乗り物に乗りたがる。そのくせ元気になるとすぐ降ろせと泣く

 

服だってパジャマのまま着替えようとしないし、
洗顔、手洗いうがい、歯磨きだって、私から促さないと絶対にやらない。

 
 
 

そもそも彼女からみて、私は30年以上も先輩にあたる年齢である。
もう少し、いや、かなり敬意を払ってもらってもおかしくないはずだ。
しかし、
我が家で一番新参者のはずの彼女は、そんなことこれっぽっちも気にしない。

 

眠い、お腹が空いた
アレを持ってこい、コレが食べたい、
抱っこしろ、おんぶしろ、
絵本を読め、歌を歌え。

 

一度機嫌を損ねたら最後、ゴジラのような声で泣き叫ぶ。
あまりの変貌ぶりに、私も旦那もほとほと困っている。

 
 
 

そう。
後輩とは、私の娘。
「イヤイヤ期」真っただ中の2歳児である。

 
 
 

「イヤイヤ期」は子供の自我の芽生えなのだという。
どんな子供も必ず通る、成長の証なのだけれど、これは思っていた以上にしんどい。

 

なぜかというと、
言葉で言い聞かせることが難しいうえに、本人もまだ満足に喋れないからだ。
アレかな? コレかな? と色々試してみてもダメな場合、
何がしたいのか本当に分からない。
最後には、いつもお菓子やスマホの動画で気をそらしてしまう。
あまり良くないと、分かっていても。

 

半年ほど前、実家に帰省した時も、娘はささいなことから大泣きしてしまった。
あまりの聞き分けのなさと、泣き声のデカさに
両親と祖母は疲れてしまったようで、「また泣かれては大変」と、
そろって娘の召使いのようになってしまった。

 

ソファーに腰掛けブスッとしている娘の周りに、
大の大人が3人集まり、あれこれとご機嫌取りをしているのを見た時は、
思わず「どこの王様やねん」とツッコミを入れた。

 
 
 

態度の大きい後輩といえば、
昔アルバイトで働いていた、あるパン屋の後輩の男子を思い出す。

 

大学生の頃、私はあるパン屋で製造のアルバイトをしていた。
半年ほど私が先に働いており、彼は私にとって初めての後輩として入社してきた。
専門学校を卒業したばかりだという彼は、
初出勤の日、まずは簡単な作業からやってもらおうとした私にこう言い放った。

 

「そういうのはYouTubeで勉強するんで、教えてもらわなくてもいいっす。
もっとライブで見ないと分からないような仕事、ないんすか?」

 

だった。

 

無礼だの何だのを全部通り越して、
新種の生物と話しているような気持ちになったのを覚えている。

 
 
 

こんな人もいた。

 

YouTubeの彼より後に入社してきた男性だが、声が恐ろしく小さかった。
聞けば、以前働いていたレストランのシェフが、小声で話さないと怒る人だったという。
もはや読唇術が必要かと思うレベルで、
彼が何か喋っていても、厨房の色々な音にかき消され全く聞こえない。
以前いたレストランの厨房とは、どれほど静かな環境だったのだろう。

 

新メニュー開発会議の際でも、
周りの静けさにつられるのか、彼の声は普段より余計に小さくなっていく。
もはや吐息にしか聞こえなくなった時、
その場にいた全ての先輩職人のこめかみには青筋が立っていた。

 
 
 

ところで、
人のことを色々言っている、私自身はどうだったのかというと、
学生時代からさかのぼってみても、
いつもいい先輩、いい後輩であろうと努力していたように思う。
先輩には口答えせず、命じられたことはきちんとこなしていたし、
後輩に対しても、頭ごなしに叱ったりせず、丁寧に話を聞いて指導した。
悩み相談にも積極的に乗った。

 

パン屋のアルバイトだって、
何かとケンカの多い職人同士の間で仕事をしなければならないことも多く、
カドの立つような行動はしないようにしていた。

 
 
 

だからこそ、後になって分かったことがある。

 
 
 

私は、いつどこの環境でも、
「優しいけれど、特にこれといった印象のない人」
「優しいけれど、無害で空気のような人」
であったに違いない、と。

 

先輩だから、後輩だから、にこだわりすぎて、
もしくは、「いい」ということを意識しすぎて、
どうでも「いい」先輩、または後輩に過ぎなかったのではないか、と。

 
 
 

その証拠に、
パン屋の先輩職人の男性に、こう言われたことがあった。

 

「お前先輩に遠慮しすぎだぞ。人間同士なんだからもっとぶつかれよ。
お前とかクソヤローとか言い合ってケンカした方が、
気持ちの上ではよっぽど親しいんだぜ」

 

なんとも豪快な言い回しではあったが、
「なるほど!」と思わせる説得力があった。

 
 
 

確かに、よく考えてみれば、

 

YouTubeの彼は、初めの出会いこそ、何だこいつ? と思ったが、
言葉に裏表のない、なんとも憎めないキャラクターの子で、
すぐに皆と親しくなっていた。
今ではその店の副店長になっている。

 

小声の男性も、最初は皆に嫌われていたが、
だんだん声も大きく出せるようになり、次第に
ちょっと天然ボケなところが愛されるようになっていた。

 
 
 

もちろん、彼らのようにインパクトの強いことをあえてする必要はない。
しかし、私のように
先輩だから、後輩だからにこだわりすぎると、
人と人とのつながり方に、ぎこちないものが混ざるのは事実だろう。

 

最低限の礼儀など、わきまえ方や節度はもちろん大切にしなければならないが、
それは単なる導入部分でしかない。
いかに良いつながりを築けるかは、最終的には自分の人間性にかかっている。

 
 
 

そう気づいてからは、
何となく私の人間関係は変わっていったように思う。

 

気が小さい私は、
残念ながら、今も先輩にクソヤローと
ケンカを仕掛けるような勇気は持ち合わせていない。
ただ、人と接する時は、「人間同士なんだから」と考えるようになった。

 

そして、30歳を過ぎた今、
私の周りには、かなり少なめだけれども
大好きで大好きで仕方のない人達が、確かにつながってくれている。
初めの出会いこそ先輩だったり後輩だったりしたものの、
そんなものはいつのまにか、溶けてなくなってしまった。
残ったのは、お互いを大切に思う気持ちだけだ。

 
 
 

人の出会いは本当にご縁であり、一期一会だ。
つまらない垣根にこだわっていた過去の自分は、
本当にもったいないことをしていたと思う。

 

少ないながらも大切にしたいと思える人がいることを感謝しつつ、
これから出会う全ての人とも、
1人でも多くの人と良いつながりができたらいいと、
いつも思っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

朝から、ずっと雨が降っている。
もう何日目だろう。
娘は、今日もほんのささいなことで機嫌を悪くし、泣きわめいている。

 

火を噴くんじゃないかと思うくらいのゴジラ声に、
もうなだめる気も失せる。
連日の悪天候と相まって、私は余計に暗い気持ちになっていく。

 

そのうち、なぜか娘はこう言いながら泣きだした。

 

「ママー! びて(見て)ー! びてー!」

 

何を? と聞いてもわあわあ叫ぶばかり。
もうめんどくさい……。
適当に動画でも見せようとスマホを取ろうとした時、

 
 
 

手が止まった。
もしかして。

 
 
 

ひょっとして、娘は
自分を適当にあしらわず、ちゃんと向き合ってくれ、
相手してくれと言っているのではないのか。

 

一番甘えたい存在の私にすら、
「今はイヤイヤ期だから」でまとめられ、
まともに取り合ってもらえない。
でも泣くしか手段がない。
分かってもらえないから、さらに大きな声で泣くしかない。

 

そうだ、
娘は、ゴジラではないのだ。
こんなに小さいけれど、ちゃんと1人の人間だ。
感情があるのだ。
こみ上げる、申し訳なさと、愛おしさ。

 
 
 

のけぞって泣く娘を抱きしめ、歌をうたい、抱っこし、高い高いをし、と、
娘の好きなことを片っ端からやり、思いっきり甘えさせてあげた。
いつもなら諦めて動画でも見せる頃になっても、止めなかった。
娘はようやく、しゃくりあげながらも泣き止み始める。

 

ごめんね、ママが悪かった。
君はいつでも本気でぶつかってきていたのにね。

 

この小さな小さな人生の後輩に対し、
今、私がすべきことは、
教育・指導などと偉そうにのたまうことではない。
全力でぶつかり合い、強いつながりを作っていくことだったのだ。

 

明日から、少しは娘のイヤイヤは落ち着くだろうか。

 
 
 

娘を抱いてベランダに出てみる。
冬の冷たい空気の中、雲間からオレンジ色の夕日が少しだけ見えていた。
娘の涙と鼻水が、キラキラ光る。

 

雨はいつの間にか、止んでいたのだ。
きっと、明日は晴れるに違いない。

 
 

ライタープロフィール
戸田タマス(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
滋賀県出身。同志社大学卒。
派遣社員として金融機関を中心に従事する傍ら、一児の母として育児に奮闘中。
2017年、あるオウンドメディア内でライティングを初めて担当し、「書くこと」の楽しさ、難しさを知る。スキルアップのために、2018年8月天狼院書店のライティング・ゼミ日曜コースに参加したことをきっかけに、ますます「書くこと」にハマる。
しがない三十路の主婦がどこまで書けるようになるのか。ワクワクしながら自分へのチャレンジを楽しんでいます。

http://tenro-in.com/zemi/66768


2019-01-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.16

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