週刊READING LIFE vol.16

たすきの繫がる瞬間が見たい《週刊READING LIFE vol.16「先輩と後輩」》


記事:飯田峰空(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)

 
 

「好きな仕草」ってみんなあると思う。
その人の性格や人となりが現れて微笑ましく感じるものから、異性にされたらキュンとして好きになっちゃうようなものまで。好きな仕草をテーマに話すと結構盛り上がる。
私は、年明けにみる「ある仕草」がたまらなく好きだ。
 
 

箱根駅伝である。
 
言わずとしれたお正月の風物詩。東京〜箱根間往復の217kmを10人でタスキをつなぎ走る、世界でも類をみない長距離駅伝だ。
特に贔屓の大学や選手はいないが、毎年なんとなく見てしまい、選手の健闘にもれなく胸が熱くなる。
その中の一幕。たすきを繋ぐ選手交代の中継所である光景が見られる。
たすきを手にかけて最後の力を振り絞ってゴールを目指す選手、目の前には自分の名前を呼ぶ次の走者の姿が見える。そのたすきが繋がったとき、たすきを受け取った選手が走っていた選手の頭や肩にポンッと手を置くあの仕草。あの仕草がたまらなく好きなのだ。
きっと先に走っていたのは後輩なのだろう。一所懸命たすきを運んだ後輩の苦しさは同じ選手として理解できる。その共感と労いと、あとは任せろという気持ちが混ざった感情を、一瞬で伝えるのがあの「ポンっ」なのだ。
 
あるいは逆のパターンもある。
先輩が先に走っていて、後輩にたすきを渡す。どんなに経験があっても上位で走りきることができたとしても、何十kmも走った人間は息も絶え絶え、体も辛い、他のことを気にかける余裕もないはずだ。にもかかわらず、これから走り出す後輩に、たすきを渡しながら肩に手を「ポンっ」とする。手に力を込めて、言葉にならない言葉を伝える。思いっきりいってこいよ、と。そのエールが選手の足を一歩前に踏み出させるかのような、「ポンっ」も一興なのだ。
 
あの一瞬に象徴される人間関係を見るたびに、私は学生時代を思い出す。

 
 

私は大学生の頃、照明や大道具の裏方スタッフをやりたくて、オリジナルミュージカルをつくるミュージカル研究会(略してミュー研)に所属していた。
入部したミュー研は、軽いノリのサークルではなく、毎日稽古やミーティングが行なわれるくらいの本気の部活だった。創部50年の歴史があり、OBの中には今の演劇界や芸能界で活躍する人もいて、公演を見にきたり技術を教えにきたりしていた。だらだらした仲良しグループではなくて、しっかりした組織だったミュー研は、年間公演スケジュールから運営体制、練習メニューから裏方スタッフの技術継承まで、脈々と受け継がれているものを守りながら運営していた。
 
その本気加減に、最初は引き気味だったものの、生活を共にするように時間を共有し、一つのものを作り上げていく。するとその一体感と同胞意識に高揚し、ますます部活にのめり込んでいく。一年生に対する先輩達のフォローも手厚く、まだ一年生だった私は先輩達のセッティングした行事にのっかって、思いっきり楽しむだけでよかった。
不安だらけで始まった大学生活の中で「居場所」を見つけたと思った私は、のびのびと楽しんでいった……はずだったのだ。
 
しかし一年生の冬、事態は一変した。
例年通り三年生が引退し、今の二年生が指揮をとる段階になって、二年生が部活の運営の仕方を巡って仲間割れをした。私達一年生がおろおろしているうちに、事態はどんどん深刻になっていった。結果、一人の先輩が体調を壊して休んでいるうちに、残りの全員が退部。退部した一人の先輩に至っては、大学もやめて消息不明になってしまった。
 
部員の2/3は変わっていないのに、どうしてこんなに雰囲気が変わってしまったのだろう? 確かに、学年ごとに求められることや役割がある。
余計なことを気にせずにのびのびと打ち込める一年生。
先輩も後輩もいる中で、少しずつ周りや事情が見えてくる二年生。
主導権を握って、みんなをまとめながら組織を運営していく三、四年生。
学年と役割がスライドするだけで、こうも空気が変わってしまうものか……としみじみ考える暇もなく、次の展開がやってきた。
 
二年生がいなくなった状況で、廃部にするか、私達一年生が部活の運営をするかの選択を迫られたのだ。
私達は、裏の事情を知らずに、ひたすら楽しんで一年過ごしてきただけ。行事を楽しむ側として1回過ごしただけ。なのに、いきなり何十人もの部員を抱え、その運営ととりしきりを一手に引き受けるなんて、荷が重いとか以前に、その負荷が想像できなかった。
でもすぐに決断をしなければならなかった。もうすぐ4月になって、新入生も入ってくる。50年の歴史もある。その歴史が途切れようとしている。
そんな中、大の大人である先輩やOBに「なんとか存続してほしい」と頭を下げられた。その時に、これはきっと大変なことなんだけど、今私達がやらなきゃいけないんだという使命感が湧いた。
何より、自分達が大好きなこの場所を守りたい、と腹を括った。
そして、私達一年生は先頭に立つことを決めたのだ。
 
そこからの二年間は、あっという間だった。自分たちも明日もわからないくらいのてんやわんやなのに、新入部員も入ってくれた。後輩たちを目にすると、この子達をがっかりさせたり、退屈させてはいけないと思った。そうすると、奔走する体に力が入るのだ。我が子を路頭に迷わせないように、必死に働いて家を守る、みたいな気分だったように思う。
 
そんなミュー研も、来年で創部65年になる。
なんとか私達が、世代のたすきをつなげたのだ。
だから、私は駅伝でたすきを繋がった瞬間、ミュー研のことが投影されて、他の人以上に感動してしまうのだと思う。

 
 

なぜ、私達は箱根駅伝を応援したくなるのか。
それは、多くの人がかつて経験したであろう思い出の「続き」が、目に見える形
で繰り広げられているからだと思う。
例えば、何かに一所懸命打ち込んだ記憶。部活によって築いた人間関係。こじれてねじれた上で強くなる絆。
部活って不思議だ。部活なんて、完全なる自由参加で、そこにいなければいけない強制力なんてない。だけどあの時の私達は、ちっぽけだけど当時大切だと思っていた使命感に突き動かされ、ひたすらに走ってきたのだ。
 
箱根駅伝は、思い出を美しく補正する機能をもったタイムマシンだ。
新しい年が明けて、真っさらな気分になっているあの時間に、思い出がより鮮やかに、美しく心に蘇る。
 
これを書いている段階では、2019年の箱根駅伝は始まっていない。
しかし、これだけはわかる。今回もたすきを繋ぐたくさんのドラマが起こり、私達の思い出を美しく震わせてくれるに違いない。

 
 

ライタープロフィール

飯田峰空(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
神奈川県生まれ、東京都在住。
大学卒業後、出版社・スポーツメーカーに勤務。その後、26年続けている書道で独立。書道家として、商品ロゴ、広告・テレビの番組タイトルなどを手がけている。文字に命とストーリーを吹き込んで届けるのがテーマ。魅力的な文章を書きたくて、天狼院書店ライティング・ゼミに参加。2020年東京オリンピックに、書道家・作家として関わるのが目標。

http://tenro-in.com/zemi/66768


2019-01-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.16

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