可愛くない後輩と、会ったことのない先輩《週刊READING LIFE vol.16「先輩と後輩」》
記事:大國沙織(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
私には、たくさんのかけがえのない先輩がいる。
誰とも、直接会ったことはない。
会話を交わしたこともない。
でも、辛いときに「そうだよね、わかるよ」と共感してくれる。
ただただ、気持ちを受け止めてくれる。
ときには必要に応じて、喝を入れてくれる。
道に迷ったときは、色々な選択肢を示してくれるし、そっと導いてくれる。
そんな私も中学生の頃は、部活の先輩にいじめられていた。
卓球部だったのだが、私が練習している最中、身体に当たるようにボールを投げつけてきたり、こちらから挨拶をしても無視されたり、ということが絶えなかった。
こう書くと完全に私が被害者のようだけれど、おそらくその原因は、ほぼ私にある。
新入生のくせに、自分の気が向いたときにしか、部活に行かなかったのだ。
といっても週の半分以上は行っていたと思うのだが、例えば読んでいる本の続きが気になったり、なんだか気が乗らないというときも堂々とサボっていた。
本来休みのはずの土日に練習があるのも納得できず、参加率は低かったと思う。
当時の私はどこまでもマイペースで、協調性のかけらもなかった。
そのくせ変に要領がよく、練習試合でうっかり先輩に勝ってしまうこともあったから、向こうとしては全く面白くなかっただろう。
入部して真っ先に目をつけられてしまったのも、無理はない。
それでも、「行きたくないときに我慢して行くよりはマシ」と開き直り、どんな嫌がらせをされても、甘んじて受け入れようと思っていた。
今振り返っても、本当に「可愛くない後輩」だったなと思う。
自分に後輩ができてからも、部活に対する私のスタンスは変わらなかった。
威圧的な先輩にはなりたくなかったし、アドバイスできるような立場でもないと思っていたから、「好きにやってね」という感じで放任していた。
面倒見も悪かったから、そういうことは得意な同期に任せていた。
怖がられることはなかったけれど、尊敬されることもなかっただろう。
引退するまでそんな調子だったので、後輩から「先輩」と呼んでもらえたことは数えるほどしかない。
会社に就職すると、上下関係以前に、組織で働くことが向いていないという壁にぶつかった。
「人に言われた通りに動く」といういわば社会人として当たり前のことを、いちいち苦痛に感じてしまう。
自分に嘘がつけない性格なので、「上司はこう言うけれど、こうした方が良さそう」と思ってしまうと、それを無視できないのだ。
それを直接口にしてしまって意見がぶつかることも、後で「どうして言った通りにできないの?」と注意を受けることもよくあった。
いやもう、さぞかし扱いにくい部下だったに違いない。
周りに合わせるのが苦手だという自覚は、子供の頃から少なからずあった。
小学校の時点で、すでに集団に馴染めないという葛藤を抱えていた。
帰国子女の転校生だった上に、テレビを見る習慣もなかったため、同級生達の話に全くついていけなかったのだ。
現実に居場所がないと感じた私は、本の世界に逃げ込んだ。
そんなある日、一冊の本と運命的な出会いを果たした。
黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』。
学校の雰囲気に馴染めず、ハチャメチャなことばかりして退学になるトットちゃんが、自分の境遇と重なった。
小学校には適合できなかったけれど、転入したユニークな学園では、理解ある周りの先生や仲間たちに愛されるトットちゃん。
今の場所で馴染めなくても、きっとどこかに居場所があるはず、とまるで希望の光が差し込んだように感じた。
「人は、身を置く環境次第でいくらでも輝ける」ということを、ここまで分かりやすく教えてくれる作品も、なかなかない。
後に黒柳徹子さん本人の実話だと知り、とても驚いたのと同時に、より気持ちが救われたことを覚えている。
ことあるごとに何度も読み返している作品は、ほかにもある。
ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』だ。
友達がおらず、たまたま駆け込んだ書店で見つけて盗んだ本を、学校の物置で夢中になって読みふける少年バスチアン。
いつの間にか本の中に入り込んでしまい、滅亡の危機に瀕している世界「ファンタージエン」を救おうと奮闘する彼の姿に、勇気をもらった。
思ったことがなんでも実現する「ファンタージエン」を通して、実は私達が生きているこの現実も、自分の選択と行動でいくらでも変えていけるのではないか、と気付かされた。
少なくとも、自分の人生ぐらいは……!
私は父から「全ては自己責任」だと言われて育ったのだが、その本当の意味が、この本を読んではじめて理解できた。
何が起こっても、それをどう受け止め、どう行動していくのかを選択するのは、ほかでもない自分だ。
とすると、うまくいかないことを周りの環境や他人のせいにするのが、どれだけ愚かなことか。
それがやっと腑に落ち、「人生はいつでも自分次第だし、とてもシンプルだな」と心から思えるようになった。
これは大人になった今でも、しっかりと自分の軸になっている。
また物語の中には、小人や木の精霊をはじめとする多種多様な生き物や、想像を絶するほどの美しい景色や建築物が登場する。
とにかく描写がどこまでも豊かで、文章表現の可能性を教えてくれた作品でもある。
「書くことで食べていきたい」と思わせてくれたのも、実はこの本だ。
エンデは「モモ」など数々の名作を発表しているけれど、どれもメッセージ性が素晴らしく、きっといつの時代になっても色褪せないだろう。
「人として、どう生きるべきか」という人生の基本を教えてくれたのは、シンガーソングライターで演出家の美輪明宏さんだった。
浪人中、通っていた塾の本棚にあった『愛の話 幸福の話』を読み、こんなにも人生の真実を悟っている人がいるのか、と衝撃を受けた。
受験勉強そっちのけで読みふけり、講師に取り上げられてしまったほどだ。
大学に合格が決まると、彼の本を書店へありったけ買いに行き、貪るようにして読んだ。
『乙女の教室』は、まだ恋人がいたことのなかった私に、いい恋とは何かを教えてくれた。
相手への本当の思いやり、愛情の示し方、女性として身につけておくべき嗜みなど、それまで考えたこともなかったけれど大切なことは、ほとんど先の二冊で学んだと言ってもいい。
美輪さんは自らを「男性と女性の間にいるような人間」だと称しているけれど、だからこそ彼の言葉は、心の中に素直にまっすぐ入ってくるのかもしれない。
『人生ノート』や『地獄を極楽にする方法』など、読者の人生相談に答える形式の本は、恋愛や仕事の悩みにぶつかるたびに手に取った。
自分の参考になりそうな項目を読むだけでも、自分の傲慢さや勘違いに気付き、そんな考え方もあるのかと視野が広がり、背筋が伸びる心地がした。
個人的に美輪さんの魅力は、バランス感覚の良さだと思う。
あらゆる面への教養、どこにも偏ることなく調和のとれた価値観、何よりも心の美しさ。
私自身は、まだまだ理想とする人格にはほど遠いけれど、「こうなりたい!」という指針があるだけで、いつか本当にそうなれる気がしてくる。
そんな未来に、根拠のない明るい希望を持てるのだ。
そう。
私の先輩は、本だ。
そして、その著者だ。
悩んだときや困ったとき、ページを開きさえすれば、いつでも頼ることができる。
不思議だけれど、同じ本でも、自分に響く箇所はその都度違う。
生身の人間だと、なかなかこうはいかないだろう。
それぞれの都合があり忙しいだろうし、距離的な問題もあるから、すぐに会えるとも限らない。
欲している答えをくれるかどうかも、わからない。
こちらがうっかり失言して、嫌われてしまうこともあるかもしれない。
会いたくても、もうこの世にいないことだってある。
その点、本は素晴らしい。
本はときに、現実にいる周りの人達よりも、自分のことをよく理解してくれる。
何も余計なことを言わずに、寄り添ってくれる。
時間やお金をかけて、わざわざ場所を移動しなくてもいい。
それでもときに、人の人生を変えてしまったりする。
本のコスパの良さを考えると、どう考えても安すぎると思う。
私は本棚に、お気に入りの先輩たちをコレクションしている。
果たして、これからどんな先輩が加わってくれるのだろうか。
それが、心から楽しみで仕方ない。
❏ライタープロフィール
大國 沙織(Saori Ohkuni)
1989年東京都生まれ、千葉県鴨川市在住。
4〜7歳までアメリカで過ごすも英語が話せない、なんちゃって帰国子女。高校時代に自律神経失調症を患ったことをきっかけに、ベジタリアンと裸族になり、健康を取り戻す。
同志社大学文学部国文学科卒業。同大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーションコース修士課程修了。
正食クッキングスクール師範科修了。インナービューティープランナー®。
出版社で雑誌編集を経て、フリーライター、料理家、イラストレーターとして活動。毎日何冊も読まないと満足できない本の虫で、好きな作家はミヒャエル・エンデ。
【メディア掲載】マクロビオティック月刊誌『むすび』に一年間連載。イタリアのヴィーガンマガジン『Vegan Italy』にインタビュー掲載。webマガジン『Vegewel Style』に執筆。
http://tenro-in.com/zemi/66768