週刊READING LIFE vol.16

あの頃、私たちは17歳と18歳だった《週刊READING LIFE vol.16「先輩と後輩」》


記事:牧 美帆(READING LIFE公認ライター)

 
 

「なぁなぁ、今、彼氏とかおらんのやったら、俺と付き合ってみいひん? 大事にするからさ!」

 
 

最初の彼氏が出来たのは、1997年、私が高校2年の頃だった。
相手は、同じ放送部。そして1つ上のセンパイだった。
 
メインの活動は、曜日ごとに担当を持ち、お昼休みに音楽をかけること。
私は友達二人と一緒に、ヒットしている邦楽をTSUTAYAで借りてきて、MDに録音してか流していた。
 
センパイは、大澤先輩とコンビを組んで、マニアックな洋楽をかけていた。
大澤先輩は、センパイの中学からの友達で、将来はFM802のDJになりたいと、いつも熱く語っていた。
 
また、各種イベントでの音響や照明も、放送部の仕事だった。
一番忙しいのは、文化祭。
バンド演奏や演劇の裏方として、曲やセリフに合わせて演者に照明を当てたり、音楽のボリュームを調整したりするのは、ほどよい緊張感もあり、やりがいがあった。
そして、それを一番楽しんでいたのが、センパイだった。

 
 

センパイは、別に元々私を好きなわけではなかった。
単純に、それまで付き合っていた彼女と別れた。クリスマスに独り身なのも嫌。誰かいないかなーと周りを見渡してみたら、ああそういえばちょうど後輩がおったな、くらいのノリだ。
 
私とは学年が違うし、自分はもうすぐ卒業。
家も逆方向のため、登下校で顔を合わせることも少ない。
もし私が断っても影響は少ないと思ったのだろう。そのときはそのときで、次行けばいいか、くらいの軽い気持ちだったようだ。
 
一方、私も元々、センパイに恋心があったわけではなかったので、お互い様だ。
部活で顔を合わせればときどき話はするものの、センパイは茶髪、ピアスも自分で開け、タバコも吸っており、見るからにチャラそうで、地味な自分からは縁遠い印象だった。
 
どちらかというと、大澤先輩の方が、誠実そうでいいなと思っていたくらいだ。
 
なぜ私がOKしたのかというと、単純に嬉しかったからだ。
 
私は中学1年の頃に、周りの勢いに押されて片思いだったクラスメートに告白し、振られているという手痛い経験をしている。
なので、告白されて嬉しかったし、少し自信も持てたような気がした。
 
私は中学時代、冴えなかった自分を変えようと、同級生がほとんどいない少し遠くの公立高校に入学した。
だけど、高校でも、相変わらず人の輪に溶け込むのが苦手で、周囲から浮いていた。
 
しかし、センパイはそんな私を知らない。
センパイが知っているのは、放課後に部室で友達と一緒に笑う私だけだ。
 
私のいいところだけを、見せることができる。
 
おそらくセンパイと私が同級生だったら、センパイは私に告白しようとは思わなかっただろう。自分も変なやつというレッテルを貼られるからだ。「先輩と後輩」というのは、そんな遠からず近からずの、ちょうどいい距離感だったのだ。

 
 

付き合い出して約2週間がたったとき、ちょうど全校集会があった。
放送部のメンバーが、学年を越えて体育館裏の狭い放送室に集う。
 
ふと、センパイと目が合った。
 
センパイは、私を手招きした。
そして、少し錆びついた、はしごを指差す。
それは、体育館裏から、体育館に出ることになく、直接廊下に出られるドアに繋がるはしごだった。
センパイは音を立てないよう、ゆっくりとはしごを降り出した。
私は慌ててそのあとをついていった。
友人たちが驚いた顔で私を見ていたが「集会を抜け出す」という誘惑とスリルに勝てなかった。
 
キィ……と重い鉄のドアを開け、二人で階段を進む。
閉まった体育館の扉越しに、マイクを通した先生の声が聞こえる。
体育館の真下には、武道場があった。引き戸になっていて、少し空いている。
窓はカーテンが閉められているものの、カーテンの隙間から陽が少し差し込んでいる。しかし天気は生憎の雨。中は薄暗かった。
センパイと私は、その中に入り、そっと戸を閉めた。
そして、並んで床に座る。
太ももが、ひんやりと冷たい。
 
「ごめんな。なんか二人で喋りたくなってん」
小声で話しかけてきた。
「は、はい」
「もうちょっと、こっちきいや」
「そ、そうですね……」
私は、おずおずとセンパイのそばににじり寄った。すかさずセンパイが手を握ってくる。
 
「俺は全然ええけどさぁ、お前はさすがに先生に見つかったらヤバイし、10分で戻るで」
「は、はい」
体育館の時計に目をやる。時計の針は35分を指していた。
「あ、今、残念やなって思ったやろ?」
「そ、そんなことないです!」
真っ赤になってセンパイの方を見た。
 
センパイは真剣な顔で私を見ていた。
 
「……喋りたいっていうのは、嘘やねん。ほんまはさ、キスしたいなと思って」
「……」
「ただ、俺も一応紳士やからさ、いきなりして嫌な思いさせるのもアレやし、最初はちゃんと同意をもらってからやないとなと思ってさ……ええかな?」
「こ、心の準備が……ちょっと待ってください」
「10分しかないで?」
センパイが時計を指差してニヤリと笑う。
「10、10分の間に心の準備するんで……」
「オッケー」
手を繋いだまま、ふたりで並んだまま黙り込む。
うっすらとマイク越しに聞こえる、誰かの声。
武道場の、汗の匂い。
カチカチと鳴る、時計の針の音。
パラパラと聞こえる雨の音。
そして、センパイの心臓の音。
 
時間がすぎるのが、とても速かった。
もう少しで10分というところで、私は心を決め、センパイに声をかけた。
 
「こ、心の準備、出来たよ……」
震える声でそう言って、目を閉じる。
しかしセンパイは意外なことを聞いてきた。
 
「……どっちがいい?」
 
「え?」
 
思わず目を開ける。
質問の意図が、よくわからなかった。
 
「どっちって、何がですか?」
「普通のやつと……そうじゃないやつ」
 
正直、「そうじゃないやつ」が何なのか、想像がつかなかった。
しかし、もう時間もないし、聞くのも格好悪い気がする。
そして「そうじゃないやつ」が気になって仕方がない。
 
「どうする?」
 
「……両方がいいです」
 
そしてもう一度、目を閉じる。
 
「……オッケー」
 
センパイは、軽く私の唇にキスをした。
そして、すぐに離し、私の顔を見て、今度は舌を差し入れてきた。
 
「……!!!」
 
センパイの舌が、私の頬の裏側を、歯の裏側を撫でる。
予想外の行動と初めての感覚、そして苦味に、息が止まりそうになる。
 
「……そろそろ、上に戻ろっか」
 
センパイが先に立ち上がり、力が抜けた私の腕をぐいっと引き上げた。
 
「は、はい……」
 
カチッ。
私の中で、「スイッチ」が入った瞬間だった。

 
 

さすがに全校集会を抜け出したのは、後にも先にもこの一度だけだ。
しかし、その日を境に、私の世界はガラリと変わった。
呼び方も、「センパイ」から「かーくん」に変わり、敬語もやめた。
かーくん中心の生活になった。
親には、すぐにバレてしまった。
携帯電話のない時代、自宅の電話代がいきなり2万円に膨れ上がったのだ。
あと、指摘はされなかったが、おそらく服や髪も、タバコ臭かっただろう……。
 
門限19時厳守、それが付き合いを続ける条件だった。
 
デートは、もっぱら市内のゲーセンかカラオケ。それくらいしか娯楽のない街だった。
行きつけのゲーセンは、もとはストリップ劇場だったらしく、赤い床に緑の壁という、けばけばしい内装だった。
薄暗く、タバコの臭いが充満していて、どこかうらぶれた雰囲気が気に入っていた。
 
また、かーくんは、ときどきパチスロもしていた。
私はそれを横に座って眺めていた。
正直、何が面白いのかはよくわからなかったが……「一緒にいけないことをしている」という感覚自体が、新鮮で楽しかったのかもしれない。
 
春になり、私は高校3年になった。
かーくんは、本格的にDJを目指す大澤先輩と一緒に、音楽の専門学校に進学した。
 
そしてしばらくして、私はあっさりとかーくんに振られてしまった。
 
「いやぁ、正直飽きてんなぁ。お前、なんつーか重いし、門限もよう破らんしさぁ。それに……」
 
かーくんはいろいろ私への不満をぶつけたが、結局は、彼の浮気が原因だった。
彼はときどき、音楽イベントの単発アルバイトをしており、そこで知り合った5つか6つの女性と、できてしまったのだ。
普段はOLをしており、副業としてイベントの仕事をしているらしい。「門限19時の女」に渋々つきあわされていた彼にとって、自由でお金もあるOLは、さぞかし魅力的に映ったことだろう。
 
卒業して「先輩と後輩」という関係ではなくなり、スリルが薄れてしまったのかもしれない。
 
こうして、私にとって最初の「恋愛のようなもの」はあっさりと終わってしまった。

 
 

2007年。
大澤先輩がとあるFMラジオ局への転職を決め、引っ越すことになった。
放送部の有志で、お祝いを兼ねた送別会を開くことになった。
 
かーくん、もといセンパイとはあれ以来会うことはなかったが、大澤先輩はもともと後輩の面倒見もよかったこともあり、高校卒業後も1年に1回くらいは、みんなで飲み会をしていた。
 
専門学校を卒業後、地域のタウンFMなどで活動していた大澤先輩。
転職先は先輩が憧れたFM802ではないものの、有名ミュージシャンが番組を持っていたり、野外フェスも主催したりしているような、大きなところだ。
 
高校時代、「あの3年さ、昼休みにいつもDJの真似みたいなことをやってるけど、英語の発音、あんまりうまくないよなー」と同級生が笑っていたことを思い出す。
そんな大澤先輩が夢をつかんだことは、自分のことのように嬉しかった。
 
「あの、大澤先輩」
 
お酒が進み、みんながほろ酔い気分になったタイミングで、私は話しかけた。
 
「かー……センパイとは、最近会ってるんですか?」
 
「……カズミのこと?」
「あ、そうです」
 
大澤先輩は、ほんの少し顔をしかめた。
 
「あいつが就職先を数ヶ月でやめたあたりから、あんまり会ってへんねんけど」
「あ、そうでしたよね……」
「でも、こないだ会うたわ」
「えっ、そうなんですか?」
 
思わず、身を乗り出してしまう。
 
「あいつから久しぶりに飲もうって連絡来たから、梅田で一緒に飲んだんや。でも相変わらずパチスロの話と風俗の話しかせえへん。俺は行かへんっつってんのに、無料相談所に連れていこうとするから、呆れて置いて帰ったわ」
「そうですか……」
「俺ももう引っ越すし、もうしばらくはこっちから連絡するつもりないわ」
大澤先輩は、そう言ってため息をついた。もうそれ以上は聞けそうもない。
 
自業自得とはいえ、高校時代の仲が良かった二人を見ていた私は、少し寂しかった。

 
 

そして2017年。
私はセンパイの近況を、意外なルートから知った。
 
Facebookだ。
 
自宅で何気なく、仕事がらみの人を見落としているかもしれないと、「あなたの友人かも」のリストをスクロールして眺めていたところ、下の方に見覚えのある名前が飛び込んできた。
 
アイコンは、初期ののっぺらぼうのままだが、名前が漢字なので、すぐわかる。同じ高校の名前、見覚えのある音楽の専門学校の名前、そして共通の友人として、大澤先輩の名前が挙がっていた。
 
うっかり友達申請をしてしまわないよう、慎重に名前をクリックする。
そして、タイムラインを読んだ。
 
……どうも、センパイはすぐにFacebookに飽きて、放置してしまったようだ。
最新のタイムラインには、いくつかの「誕生日おめでとう」コメントが、主の返事もないままに寂しく並んでいる。
 
センパイのタイムラインを、指でたどってみる。
 
パチスロの話ばかりだった。
意識の高い人たちが、意識の高い投稿をし合っているFacebookの世界で、センパイはひたすら「初打ちで並んでる」「痛恨のミス」「もう一生打たねえ」とパチスロの画像をアップしている。すぐに飽きてしまったのも、無理はない。毛色が違いすぎる。
 
そんな異色のタイムラインに混じり、ひとつだけパチスロの話ではなく自分の近況を語っているものがあった。
 
「今は大阪のN区に住んでる。そのうち引っ越すかも。普段は普通にリーマンをやりながら、飽きもせず未だにゲーセンゲーマーをやってる。
人間、成長せんやつはいつまでたっても成長せんなぁ」
 
「……ほんまやで!!」
 
私は、スマホを握りしめ、思わずツッコミを入れてしまった。
 
ゲーセンでゲームとか、パチスロとか。
やってることが、20年前と一緒やんか!
 
センパイのFacebookの友達は、十数人しかいなかった。最初の方に、
「名前を覚えている奴に申請を送ってみたんやけど、意外とみんなFacebookやってへんな」
と書かれている。そのときに、大澤先輩にも送ったのだろう。承認はされているものの、交流自体は全くなさそうだった。
 
大澤先輩は10年経った今も同じFMラジオ局に勤めているようで、たまにタイムラインでラジオやイベントの宣伝をしている。
 
「普段は普通にリーマンをやりながら、かぁ……」
 
私の記憶の中のセンパイは、茶髪で、制服を来ていて、笑っていて、10代で止まっている。
そんなセンパイが、どんな「リーマン」をやっているのか、全く想像もつかなかった。
 
そもそも、「リーマン」という言葉自体を、久々に目にした気がする。
Facebookのタイムラインに出てくる意識の高い会社員たちは、自分のことを「リーマン」だなんて言わない。
リーマンという響きには、どこか自嘲が込められているように感じた。
 
少なくとも、1997年、高校3年だった「センパイ」は、そんな大人になりたくなかったに違いない。
 
センパイは、大澤先輩ほど音楽にのめり込んでいたわけではなかった。
それは、付き合っていた頃から、気づいていた。
 
センパイは、ただ、楽しいことをしたかっただけ。
まるで高校の延長のような、キラキラしたお祭りのような日々を、大人になっても過ごしたかっただけなのだ。
多分、大澤先輩と、一緒に。
もしかしたら、私もそこにいただろうか。
 
しかし、もうお祭りは終わってしまった。
とっくの昔に、終わっていた。
そして、その幕を引いたのは、きっとセンパイ自身なのだ。
 
大澤先輩は、既に新しい祭り、そして新しい仲間を見つけている。
 
センパイは、どうなんだろうか?
残念ながら、センパイの過去のFacebook投稿からは、読み取ることはできない。
 
しかし、センパイのFacebookのプロフィールに、「既婚」という文字がついているのを見つけて、ほっとした。
それに、帰れる実家もあるようだ。
それだけでも、きっと幸せなことなのだろう。
 
祭りをそのまま仕事にできた人は、素晴らしいと思う。
でも、きっとそれだけが、人生の答えではないはずだ。

 
 

あの頃、私たちは17歳と18歳だった。
でも私はもう38歳で、センパイは39歳だ。
次に私がセンパイの近況を知るのは、いつだろう。
2027年くらいだろうか。
そのとき、私はどんな形で、センパイのことを知るのだろう。

 
 

ライタープロフィール

牧 美帆(Miho MAKI)
兵庫県尼崎市生まれ、大阪府堺市在住のコテコテ関西人。
幼少の頃から記憶力に難ありで、見聞きしたことを片っ端から忘れていくが、文章を書きつづり、ITを使い倒すことでなんとか社会人として生き延びている。
ITインストラクター、企業のシステム管理者を経て、現在は在宅勤務&副業OKのベンチャー企業でメディア全般を担当。趣味は温泉。
メディアグランプリ週間1位3回/READING LIFE公認ライター。
http://tenro-in.com/zemi/66768


2019-01-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.16

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