週刊READING LIFE vol.17

F1がわたしの心のエンジンに火をつけた《週刊READING LIFE vol.17「オタクで何が悪い!」》


記事:すやもと うとか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「キーン、キーーン、キーーーーン、ババババババ」
 
頭の中で車が走る音がします。
シフトアップし、コーナーに突入して行く時の音が頭の中を駆け巡ります。
私は人生の中で進むべき道を選ぼうとした時、どこからともなくエンジン音がするのです。
人生はスタートがあり、いつかゴールがあります。どうやってチェッカーフラッグを受けるかは重要です。いい人生だったと思えるように全力で走りたいと思っています。
その間には厳しいカーブや、アップダウン、狭い道もあるでしょう。トンネルもあると思います。人生を例えると、いろいろなものに例えられると思います。
その中でも、わたしは人生をF1レースのように考えています。
すべてのスタッフが勝つために戦う。わたしは、わたしの人生で勝つために全力で自分開発をする必要があると思っています。
 
ただ、悩ん だりしたり、コースアウトしそうになるのを必死にこらえて次の道を考えるとき、エンジン音がするのです。
 
20数年前に熱狂的なファンになったF1のエンジン音です。
 
当時大学生だったわたしは、人生に迷っていました。就職難で面接は通過しないし、大学院に逃げようかと思ったら、実家の父からひどく叱られました。
 
「勘弁してほしい。もうお金がない」
 
と勘当寸前でした。就職浪人という文字が頭をかすめたのを覚えています。
実家から遠く離れた北陸の曇天の下、途方に暮れていました。
確か、9月ごろだったと思います。
そんなとき、何気なく日曜の夜にテレビをつけたら、F1レースをやっていました。
 
最初、同じところを40週も50週も回ることの意味がわかりませんでした。
同じところをぐるぐる回って何が面白いのか。
全く意味不明でした。しかし、解説者の熱のこもった実況と、タイヤ交換の素早さを見たとき、心がキュンとしたのを覚えています。
 
タイヤ交換が数秒で終わって、エンジニアがガッツポーズをしていました。
組織的な動きで、タイヤ交換の動きに無駄もなく、流れるような作業でした。
そして、違うチームが失敗して時間ロスをしていると解説者が言ったとき、わずか2、3秒のことでした。
 
2、3秒でロスなのか?
自分が生きている中で、2、3秒なんてあっという間の出来事で意識もできないぐらいです。
そのわずかな時間の戦いということを知った時、胸がドキドキしました。
どんどんテレビにくぎ付けになり、F1というレースは1秒以下のコンマ数秒の中で戦うことを知った時は、おどろきよりも驚嘆でした。
 
自分が何気なく生きていた時間に対する考え方が変わっていくのを感じました。自分は今を大切に生きていたのか? 就職できないからといって、毎日お昼ごろ起きてきて、うなだれて落ち込むだけで、何も次の行動をしようとしていなかった自分を反省しました。
 
その後、F1の奥深さにはまっていきました。ドライバーもエンジニアも1秒以下のタイムを削り落とすために、エンジン開発、タイヤ開発、オイルや車体の形状など、ありとあらゆる可能性を追求していたのです。その中でも、わたしはアイルトン・セナの大ファンになっていました。
 
遠くを物憂げな眼で見るしぐさや、マシンの調子を心配げに見守る姿など、渋すぎてうっとりするぐらいでした。男が男に惚れたのでしょう。写真集も買いました。
セナの毛深い腕、剃っていないヒゲにまでうっとりとしていました。
美しいと思いました。
 
戦うために努力を惜しまないセナ。
セナの戦う姿を見て、頑張らないといけないと心に誓いました。
そのおかげで就職に前向きになることができて、無事に就職できました。
そんな成功体験もあったことから、さらにセナとF1を愛するようになりました。
 
翌年、セナ足と呼ばれるアクセルコントロールがあることを知りました。
カーブでアクセルを微妙に踏んだり少し離したりして、エンジンをうまくコントロールする技です。音を聞くと「バババババババ」という感じです。
水面下で白鳥が激しく足を動かしているのと同じです。端から見ると優雅に浮いているように見えるのですが、実は違うのです。コーナーを回る時には、すごい横への圧力が体にかかっているのに、エンジンにこまめに指令を送りコントロールしているのです。セナだけができることで、普通のドライバーではできないことでした。
 
そのセナ足の音を聞きたくて、何度も録画したビデオを聞くだけでなく、CDまで購入しました。なかなかセナ足の音を収録したCDがなくて探したのを覚えています。一番よく聞き取れたのは、オンボードという車体に乗せた装置で音を取っていたものです。何度も目をつむってCDを聞き、サーキットのコーナーの名前を思い浮かべたり、F1の車体のバージョン番号まで覚えたりして、コーナーへ入っていく時の瞬間に興奮しました。そして、どっぷりとF1の世界にはまりました。
 
ある時学校の先輩もF1が好きだというので、興奮してエンジン音の話をしてしまいました。
もちろんセナ足のことも。
でも、先輩はわたしを変わった人という目で見ていたのを覚えています。
 
「マクラーレンのMP4のエンジンサウンドが、すごいですよね。あの音がたまらないんですよ。ババババババって。モナコの時のCD聞いてみますか? 」
 
誰にもわたしの言うことを理解してもらえませんでした。
ある時思いました。わかってもらえない人にわかってもらっても意味がありません。
悪いことをしているわけではありませんが、変な目でみられるのも嫌になりました。
 
わたしは、F1オタクでチェッカーフラグをうけようとさえ思いました。
わたしの中で心のエンジンをかけて、セナ足で人生の曲がり角も全力で駆け抜けようと。
 
人生に例えたくなる世界がF1にはありました。
数秒の世界を生きる世界。
そして、コンマ数秒を削るための戦い。
どれもがわたしの生きるためのモチベーションを奮い起こしてくれます。
F1はまさにわたしにとっての人生の縮図なのです。
 
就職の後は、2回転職をしました。その時も心のエンジンに火がともり、無事に転職できました。転職で悩んだときは、セナの物憂げな表情を思い出しました。気持ちを切り替えるときは、心の持ちようをシフトチェンジしてトップギアに入れることで邪念を吹っ切りました。
 
人にはなかなか言えないのですが、悩んだとき、しんどい時、エンジンがかかることを心待ちにしています。今も亡くったセナを悼むのですが、感謝しています。
あの時、F1オタクを経験していなければ、セナにも出会えず、人生のエンジンがかかることはなかったでしょう。
 
ありがとうF1、セナ。いつの間にかわたしは年齢的には追い越してしまいました。
でも、いつまでもセナはわたしの前を走っています。素敵なエンジン音を響かせながら。
 
わたしはセナの分まで頑張ろうと思って生きています。今までも、これからも。
 
 
 
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2019-01-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.17

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