ありがとうの使い方《週刊READING LIFE vol.18「習慣と思考法」》
記事:西後 知春(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
ちょーうさんくさい。
ちょー、ちょー、ちょー、胡散臭い!
そんな風にしか思えなかった。
だって、事故にあってありがとうって言った結果、とても良い事があったって書いてあるんだもん。
そんなのありえない。
人生、そんなに甘くてたまるか!
私が勤めていた学校に、大量に送られてきた小冊子。
書いた人もタイトルすら思い出せない。
どこかの理系の大学の男性の方が書いた、それくらいしか記憶に残っていない。
でも、どこかの宗教の勧誘かのような内容だったことだけは覚えている。
他にも読んだ先生は、そう言っていた。それも覚えている。
でも、どうにも書いた人もタイトルも思い出せない。
ありがとうといつでも思おう。そうしれば、色々な事がプラスにつながっていく。そんな内容。
私はその頃、30代後半の前厄。
ありえん。
そんな風にありがとうって思ったからと言ってプラスになることなんてありえない。
だって、私の今までの人生、暗かった。
歌のフレーズのようだが、本当に真っ暗だった。
三角関係に巻き込まれてみたり。
仕事場では四面楚歌のような状態。
味方がいるのかわからないくらい、仕事の情報が回ってきていない時もあった。
そして、私が教える高校生はどうみても私をかわいそうだと思っているフシがある。
30代半ばを越えても結婚できないかわいそうな先生。
私としては、その頃、金銭的に十分ではないのに結婚しても不幸だ、そう思っていた。
だから、無理して結婚しない。
そもそも私、頭ん中子どもだし。
子どもが子どもを産んでどうすんのよ!
そう思っていた。
そんな現実主義な私にとっては、不幸の材料だとしか思えていなかった頃に出会ったその本は、悪魔のような存在の本であった。
ところが、それから10年も経たないうちに色々なところで「ありがとう」というフレーズが出てくる。
ありがとうと思えば色々と変わってくる。
そういう人なり、本なり。
見えないものを味方にする。
そんなのはありえない。と思っていたのに、どうにもこうにもそんな風に思わざるをえなくなってくる。
最初は、ありがとうではなく、人を褒めるというところから始まった。
あまり生徒と良い関係を築けなくって、毎日イライラしていた。
学校の先生は、色々な研修を受けなければいけない。
学校でも、学校外の場所でも。
まずは、「イライラしていることを顔に出さないように。そして、ちょっとだけ生徒を褒めてみる。そうすると、より良い関係を作るのではないですか?」
そんな一言から。
そんなもんで変わるもんかねぇ?
ま、いっちょやってみますか。
「へー、これ、できるんだね」
最初はこんな言葉から。
言われた生徒は、へへへー。っと笑う。
それでもやっぱり私の教え方が悪いから他のところはわからない、っと言われる。
何にも変わんないじゃん。
やっぱり良い関係なんて築けるはずがない。
でも、妙にへへへーっと笑う生徒の顔が脳裏に焼きつく。
消えない。
次は、「お、できたんだ。すごいね」
と言ってみる。
また、ニヤッと笑う生徒。
でも、他はわからないと言われる。
その繰り返し。
ニヤッと笑う顔がだんだんと忘れられなくなっていく。
何気なしに生徒に「ありがとう」と言ってみた。
ニコッと笑顔で返してくれる生徒。
今までいがみ合ってきたばかりで、生徒たちはまるで悪魔のようにしか思えない時期もあった。
でも、天使とまでは思わないが、なんとなく笑顔を返してくれるのが心地よい。
そんなにストレスを感じなくなってきた。
ふーん。
何気ない感謝の気持ちを言葉にしただけで、少しずつ変わってくる。
でも、やっぱりツンデレな性格のせいか、素直に喜べない。
研修で「目の見えない人に、なんでちゃんと見ないんだって怒りますか? 怒りませんよね? 発達障害の子はサボっているように見えますが、そうじゃないんです」
そう言われた。
なんとなくハッとする。
今まで、私が出会ってきた生徒の中に発達障害を抱えていた子がいたかもしれない。
本当は勉強したくてもできなかった生徒がいるのかもしれない。
そのせいで関係性が悪化してうまい関係性が作れなかったのかもしれない。
そんな風に気がついてからは、むやみやたらに怒ること、叱ることをやめた。
そうすると、不思議に毎日が楽しくなってくる。
自然と「ありがとう」という言葉が毎日出てくる。
ちなみに「ごめんね」もよく登場する。
でも、「ごめん。ありがとうね」と付け足す。
そうすると、生徒の曇った顔も晴れやすい。
あんなに毎日イライラして嫌な日々が続いていたのに。
今はなんてことない。
比較的毎日が楽しい。
たまにムッとすることもあるが、溜めずに言ってしまう。
「あー、イライラするー!」
言葉に出すと、色々な人が心配してくれる。
そうして、起きたことを話ししているとなんとなくどうでも良くなっていく。
30代の頃は、イライラしてもあまり口に出してはいけないと思っていた。
でも、口に出しすぎずに爆発してしまうよりもよっぽど良い。
それから出会う人が変わっていった。
「夢を語り合いましょう」
そんな人たちとも出会い、最初は「ん?」っと思いつつも、夢を語るようになった。
最初はやってみたいことの目標とかそんなものから。
なりたいもの、やりたいものを素直に言うようになった。
40代すぎて夢物語かよ!
30代半ばの私だったら絶対にそう言う。そして、馬鹿にする。
いい歳して。
いつまで夢みたいなこと言っちゃってんのよ!
そんなこと言ってる暇があったら、なんか仕事すれよ。
そんな風に。
でも、今はたまに夢を語る。
将来、こうなりたい。
最近は長編の映画を作ってみたい。監督してみたい。
そんな気持ちを素直に言ってみる。
それには何が必要か、そんなことも考えるようになっていった。
今は、映像を作る学校にも通っている。
そして、「ありがとう」を多用する。
ありえないほど多用する。
毎日楽しい。あっという間に終わる。
私は少なくとも来年の3月には教員生活を終える準備をしている。
次に向かっていくためだ。
文章が嫌いな私がライティングゼミに出会って、人生が変わっていったように。
今度は自分自身の設計で自分の将来を変えていく。
その準備。
だって、人生100年って言われているのに、一つの職業に固執しなくてもいいじゃない?
文章苦手だった私が、今後文章を書くことを仕事にしたっていいじゃない?
いまだに文章を書くのにはまだ抵抗がある。
でも、まだまだリハビリ期間だ。
そんな機会をくれた私自身にも「ありがとう」だ。
絶望だけで終わらなかった私に。
❏ライタープロフィール
西後 知春(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ。
大学卒業後、数学の教員になる。
私立の高校から始まり、北海道の教員、青森県の常勤講師。
そして40歳を過ぎてからの上京。そして教員生活を続けている。
現在は、映像関係と文章を書くことについて勉強中。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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