週刊READING LIFE vol.18

他人の習慣は変えられるのか、夫で実験をしてみた《週刊READING LIFE vol.18「習慣と思考法」》


記事:飯田峰空(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「え? このチーズ……何に使うの?」
私は冷蔵庫を見て、一瞬動きが止まった。昨日はなかったはずの三角形の物体がそこにはあった。小さい割にずしんと重い。おつまみにするようなしっとりタイプのチーズではなく、適量削ってパスタの仕上げに上からかけるタイプのチーズだ。ラベルが全部外国語だから、輸入品だと一目でわかる。
 
2017年のこと。当時、のちに夫となる彼とは同棲をしていた。
確かに彼はよく料理をするし、私も彼の料理は大好きだ。しかし、研究熱心な性格ゆえ、レシピに載っているからと使いまわしのきかない食材をたびたび買ってくる。
私たちの家の近くには、2軒のスーパーがある。1軒は、スーパー「安くて庶民的な」マーケット。もう1軒は、スーパー「高級でこだわりがある分、値段が数段階高い」マーケットだ。
後者のスーパーには、製法に信念ありの食材や無添加で質の良い調味料、謎のスパイスまで何でも揃っている。彼はそのスーパーが好きで、そこで何でも買ってくる。小さい袋一つ分の買い物なのに、数千円が消えるのはよくあることだった。同棲していた頃は、食材や日用品は買った人がお金を出すシステムだったので、買う人が好きなところで好きなものを買うのでよかった。
 
しかし、このまま結婚したら二人の金銭感覚はどうなるのだろう? と、チーズを見つめながら、ふと不安がよぎった。
私は、1円でも安いものを求めて奔走するほどの節約はしないものの、支出にメリハリをつけたいと思っている。毎日の食材は効率よく抑えめにして、ここぞという時に気前よくバッと使えるような状態にしていたい。
 
対して彼は、フリーランスとして長く働いている。1案件いくら、という働き方で、多く稼いだ時に余剰金を作り、そのお金を収入の少ない月に回すような独特の経済スタイルを持っている。そのやりくりが手慣れているため、食費や交際費をいちいち気にせずに買い物できるだけの余裕があった。その余裕は、頑張って稼いでいるからこそ出来る一つのステイタスで、励みにもなるものだ。自分にも他人にもせこせこしないのはいいところだし、その感覚はなくして欲しくない。しかし、何にお金をいくら使ったかわからないなんてことはよくあって、この先一緒に生活していくには少し心配だった。
結婚して家計を一つにするからには、彼のそのグレーゾーンを明らかにしてほしかった。二人の共通意識でやりくりすることで、より効率よくお金を使って、楽しいことや安心を高めることに使えるようにしたい。
 
かくして私は、彼の金銭感覚を改めるキャンペーンを行うことにした。
 
まずは、食費や日用品の毎月の予算を決めるところから始めようと、私は彼に相談をした。2018年の1月のことだ。
締め付けと思われてはこのミッションは失敗する。そこで私はこう持ちかけた。
 
「1年間、私に食費や雑費を管理させて欲しい。絶対に損はさせないから!」
気分は株をすすめる金融マン。
あなたは何もしなくていいです、私に一定額を預けてくれさえすれば、それをきっと良い方向にもっていきます、と熱弁をふるった。しかし、そのカラクリについては多くは触れないようにした。
彼は、仕組みが分かってしまうと冷静になるところがある。だから、徹底的に謎めかせた。なんなら錬金術がある、くらいの言い方をした。
その感じに「おっ、ちょっと面白そうかも」と思ったのかもしれない。彼は毎月の予算を決めることを了承してくれた。
 
金額は食費、日用品、二人の外食費を合わせて月5万円。もっと低く設定することもできるのだが、狙いがあってこの金額にした。
そしてもう一つ。家計を私が管理するからと言って、私が全部買い物をする体制は避けたかった。彼にも協力してもらい、一緒に行う雰囲気を作りたかったので、共通の財布「赤い財布」を作って玄関先に置くことにした。そして、買い物に行く人がその赤い財布を持っていく。彼が仕事帰りに何か食材を買ってきてくれた時には、レシートと引き換えにそこからお金を抜くシステムを作った。「赤い財布」とキャッチーな呼び方ができる財布を用意したのも、気軽にやってもらいたかったからだ。彼にとって手数がかからず、徹底的に分かりやすい手法を用意した。
そうして準備は整った。
 
はじめて1ヶ月。
彼の動きは何も変わらなかった。相変わらず例のスーパーで高いお肉は買うし、コンビニでよくお菓子も買った。でも私はある秘策を行い続け、ドキドキしながら月末に精算を行った。すると、約1万円を余らせてフィニッシュ!
その合計額を表にして残ったお金と一緒に彼に見せると、驚いていた。彼の中では締め付けが無く、何も生活は変わらなかったのに、こうしてしっかりお金が余った。何かお得な気分! と思ったのだろう。翌月以降も、この方法で協力してくれた。
 
私がやったカラクリはシンプルだ。
「達成した」という成功イメージを、彼に味わって欲しかったのだ。だから、あえてゆるめの予算設定にした。しかも成功イメージは強烈な方がいい。まだ彼の買い物スタイルは変わっていないから、この月ばかりは私の方で節約に努め、残金が1万円単位で残るようにした。
それから、毎月これだけ余ったよ、と報告すること3ヶ月。とうとう彼の中で変化が訪れた。
 
なんと、安くて庶民の味方のスーパーに行き始めたのだ!
この時、私は隠れてガッツポーズをした。それは彼が単に節約をしたからではない。
年を重ねた大人が、行動習慣を変えるのは難しい。それは自分自身の経験からもよく分かる。しかも他者が強制させたものは、しょせん強制で、行動は変わったとしても根底にある思考習慣や価値観までが変化することは難しい。
余ったお金が増えるのが楽しくなってきたのか、私に協力しようと思ったのかはわからない。でもその変化の芽が、彼の内側から見えたことが、何よりも嬉しく手応えを感じたのだ。
それから、順調に家計管理は続いた。ついには一緒にスーパーに行くと、お肉のグラム単価まで気にして、よりお得なものをかごに入れてくれるようになった。習慣を変える計画をしたはずが、思考がここまで変わるとは思っていなかった。それは、私の予想をはるかに超えた変化だった。
 
そして、恋人は夫婦になった。
赤い財布作戦が当たり前になった2018年の終わり。ふと思い立って、私は彼に種あかしをした。
家族になって家計を一緒にするなら、あなたの金銭感覚を変えたかったこと。いきなり区切ったり締め付けるのは抵抗があると思ったから、結婚する前からじわじわ計画していたこと。不自由なイメージだと続かないから、ひたすら遊び感覚で誘導して、いつの間にか変わるのを目指したこと。
手のひらで転がった挙句、すっかり金銭感覚が変わった彼は、やられた! と笑っていた。
 
彼の習慣を変えようとした数ヶ月、私の気分はマジシャンだった。
謎めいた興味深い言葉で、相手の気をひく。疑う気持ちを取り除くために、まずは派手なマジックを披露する。どんどん驚きを積み重ねて信用をさせていく。そして、次にマジックに協力してもらう。相手を引き込めたらこっちのもの!
この頃には疑う気持ちより、協力したい参加したい気持ちの方が大きくなっていて、素直に参加してくれる。
もし、身近な誰かの気持ちや習慣を変えたかったら、マジシャンのように振る舞ってみるのがおすすめだ。
 
私が手のうちを明かしたから、彼はもう、私は何も企んでいないと思っているだろう。
それも作戦の一つだ。実は、新たなマジックを彼に仕掛け始めている。
 
私が最近、メタボな彼に向かってフィットネスジムの話題を何気なくしていることに、彼はおそらく気づいていない。金銭感覚の次は、運動習慣の変化を狙っている。
私のマジシャンの道はこれからも続く……。

 
 
 

❏ライタープロフィール
飯田峰空(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
神奈川県生まれ、東京都在住。
大学卒業後、出版社・スポーツメーカーに勤務。その後、26年続けている書道で独立。書道家として、商品ロゴ、広告・テレビの番組タイトルなどを手がけている。文字に命とストーリーを吹き込んで届けるのがテーマ。魅力的な文章を書きたくて、天狼院書店ライティング・ゼミに参加。2020年東京オリンピックに、書道家・作家として関わるのが目標。

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2019-02-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.18

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